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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

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2005年 7月

ポリシー ポリシー

  宗教的にも政治的にも何のポリシーも持っていない。 思想も右や左ということなく、昔のセクト用語で言うところのノンポリ (nonpolitical の略) だと自分では思っている。 逆にノンポリだと言っている奴こそ思想的に危ないとも云われるそうだが、自分の場合は中立の思想を持っていると主張している訳ではなく、なぁ〜んにも考えていないだけなのである。

  普段の生活でも何のポリシーもなく過ごしていることが多いが、「やってはいけない」 と自分に言い聞かせていることが少しだけある。 過去の雑感でも何度か触れているように、タバコの吸殻も含めて ”ポイ捨て” はしないように心がけているが、これは親の教育によるところが大きい。

  車で遠出をしている時など、車内にはタバコの吸殻や飲み食いした後のゴミが溜まってくるが、親は必ず最寄の駅や駐車スペースにあるゴミ箱まで行って捨てていた。 その影響でポイ捨てをしないのだろうと思い、(うちの親もたまには良い教育をするものだ) と感心していたのだが、最近になって聞いた話によると、もともとはタバコの吸殻などを道路に捨てていたらしい。

  車で遠出をしていたある日、父親が吸殻を捨てたところ、「ポイ捨てはやめましょう」 と子供である自分がボソッとつぶやいたと言う。 それにショックを受け、自戒の念にかられた両親が、それからはゴミ箱に捨てるようにしたらしい。 子供の頃に 『ポイ捨てはしない』 というポリシーを持っていた訳ではなく、学校で教えられたかテレビで見たことを口に出しただけだと思うのだが、親が反省をしてポイ捨てを止めたので結果的に自分にも良い影響があったのだと思う。

  次に注意しているのは 『つばを吐かない』 ということである。 これは単純に見ていて不愉快だし、汚いと思うからで、(見ていて不愉快に思うことは自分ではしない) と決めているからである。 人に火傷をさせてはいけないので歩きタバコもしないようにしている。 長時間タバコが吸えず、我慢できないときは周りに人がいなければ吸うこともあるが、吸殻は携帯用灰皿に入れることにしている。

  何だかんだと偉そうに書いているが、良く考えればすべて常識の範囲なのでポリシーなどと呼べることではないではないか。 他に何かないかと考えてみる。 着る物は黒系が多い。 これは以前に書いているし、どれを選んでも組み合わせに悩む必要がないというズボラな性格からきていることなのでポリシーと呼べるものはない。

  (何かないか?) と必死に考えた結果、ひとつだけポリシーと呼べるものがあった。 それは 『スーツ姿のとき両手をポケットに入れない』 というものである。 どんなに寒い日であっても、ポケットには片手しか入れない。 片方の手が温まったら逆の手をポケットに入れるという具合だ。

  これは単純に両手をポケットに入れると上着がまくれ上がり、後ろからみると尻が丸出しになるからである。 人様に見ていただくほど綺麗な形をした尻ではないので、あえて露出させる必要はない。 したがって、両手をポケットに入れることは若い頃から禁じているのである。

  しかし、在宅勤務となった今ではスーツ姿で外を歩く機会が年に数度しかなくなってしまったし、人に尻を見せないという程度のことが、ポリシーなどと言えるのか大きな疑問が残る。 結局は昔も、そしてこれからも、ポリシーなどと呼べるものを持たずにボ〜っと生きていくのかもしれない。

2005 / 07 / 30 (土) ¦ 固定リンク

異端 異端

  過去の雑感に何度も書いているように驚かされるのが苦手である。 何かが急にドバー!っと出てくるような映画は観られないし、急に大きな物音がしても驚いて体が数 cm は浮き上がってしまう。 そんな体質と、眠りが浅いのとが重なって、乳児のころから育てるのが大変だったと親は今でも愚痴る。

  なんでも、寝かしつけるのに相当の時間を要し、やっと寝たと思っても小さな物音で飛び起きてしまうので慎重かつ、ゆっくりと行動しなければならなかったのだと言う。 新聞のページをめくる音ですら目を覚ますので、父親は他の部屋に移動したり、外に出て新聞を読んでいたらしい。 自分が寝ている間は食事の用意もできず、ただひたすら息を殺して機嫌よく起きるのを待つことになる。

  それは幼児になってもオッサンになっても変わっていない。 在宅勤務生活になってから、ある程度は寝つきが良くなり、布団に入ってから 30分ほどで眠れるようにはなったが、物音で目が覚めてしまうのは相変わらずだ。 近くを車やバイクが走る音、鳥の声、『お買物日記』 担当者がカーテンを開ける音、その他もろもろで目が覚める。一度も目が覚めずに朝まで寝られるのは月に一度あるかないかだ。

  それでも生まれてからのことなので辛いと感じたことはないし、慢性的に寝不足なのも今に始まったことではないので慣れてしまっている。 未だに耐えられないのは急に発せられる大きな音や、何かが急に出てくる映像を観ることである。 主人公が敵に見つからないように潜入するシーンや、何かが急に姿を現すホラー映画などはドキドキして観ていられない。

  これも子供の頃からなので体質なのだろうと思っていたのだが、成人に達してから受けた精密検査で自分の体が人とは違うという事実を医者から告げられてしまった。 それは会社で受けた健康診断だったのだが、それはおざなり的な健康診断ではなく、割と細かなチェックを受け、胃や肺のレントゲンまで撮影する本格的なものだった。

  数日後、結果を聞きに病院に行き、団体で受診したので一度に部屋に通されて、他の人の結果も見ながら自分の番を待っていた。 いよいよ自分の番になったので医者の横に座る。 医者は書類に目を通しながら大きな問題がないことなどを説明してくれており、その間に看護士さんが後ろからライトで照らされているボードにレントゲン写真を貼っている。

  一通りの説明が終わり、医者がレントゲン写真をボールペンで指しながら 「これが胃ですが、潰瘍もないですね」 と説明し、肺の写真に目をやる。 すると 「ん?」 と言ったきり動かなくなってしまった。 「ドキドキした」 「父さん、先生が動きません」 「何か大きな問題が発生しているものと思われ・・・」 と、頭の中が 『北の国から』 風のナレーションでいっぱいになる。

  そして、先生は 「君、心臓どこにやった?」 と聞いてくる。 そんなことを聞かれても、家に忘れてくるはずもなければ自由に取り外せる訳でもないので 「えぇ!?」 と聞き返した。 どこにやったと言うのは冗談だったらしいのだが、普通は体の左側にある心臓が体の真ん中にあるため、肋骨の陰になって写真に写っていないのだそうだ。

  愕然としながら説明を聞き、「で、どうなるんですか?」 と質問すると、「ちょっと人より心臓が弱いかもしれないけど、こういう人は 1000人に一人くらいいるから大丈夫だよ」 と言う。 それを聞いて少し安心したが、自分の体の構造が人とは違うというのには少なからずショックを受けた。 悲しみにつつまれながら後ろを見ると、順番を待っている他の社員が腹を抱えて笑っている。

  腹が立ったので跳び蹴りをおみまいしてやったが、気分は晴れない。 社会人として異端児であることは自覚していたのだが、体の構造まで人と異なるとは思っていなかった。 それでも慣れとは恐ろしいもので、オッサンとなった今では何も気にすることなく生活している。 心臓が左にあろうが右にあろうが真ん中にあろうが、生活に支障を来たすことはないのである。

  しかし、「そんなことを気にしていたら、ただでさえ強くない心臓が余計に負担がかかる!」 と、やっぱり少し気にしながら生きていたりするのである。

2005 / 07 / 23 (土) ¦ 固定リンク

小心者 小心者

  阪神タイガースが好調を維持しており、今日(7/16)現在で貯金 16、2位の中日に 7.5ゲームの差をつけて首位を独走している。 例年であれば、ペナントレースを楽しめるのはゴールデンウィークまでで、以降は消化試合のようになってしまうのに今年はずいぶん楽しませてくれる。

  故障者も少なく、これだけチーム状態が良いのであれば、阪神ファンが 「優勝だ!優勝だ!」 と騒ぎそうなものだが、なぜか今年は大人しい。 一昨年前の 2003年に優勝し、次に優勝するのは 10年後か 20年後かと覚悟を決めていたのに、こんなに早く優勝の可能性がでるとは思わなかったのかもしれない。 しかし、余程の不運がない限り、今年は阪神の優勝できまりだろう。

  野球中継を見ていて試合の節目に代打が出たり、中継ぎや押さえのピッチャーが登場し、その選手が活躍できないとブツブツと文句を言ってしまうが、実はそういう選手のことを尊敬したりしている。 ああいう場面で登場し、平常心を保ってプレーすることなど自分にはできるはずがないからである。

  性格的に我がまま点は否めないが、きっとチームプレーには向いていないと思う。 子供の頃から野球、サッカーなどの団体競技にはあまり参加せず、走ったり跳んだりする個人競技の方が好きだった。それでも、文章的にこう書いているだけで、本格的なスポーツに取り組んだことなどないのではあるが。

  野球の試合で代打を告げられる時というのは塁上にランナーがおり、ヒットを打てば点数が入る場合が主である。 従って、代打には監督からも選手からも高い期待が込められる。 ましてやそれが最終回で、逆転サヨナラか、最悪でも同点延長などという場面だったら、受けるプレッシャーは並大抵のものではないはずだ。 チームの勝敗がバット一振りにかかっているのである。

  そんな場面で打席に立つことなど自分にはできそうにない。 「よ〜し!やってやるぞ〜!」 という気分になる前に、「打てなかったらチームに迷惑がかかってしまう」 という気持ちの方が大きくなってしまうに違いない。 「もし打てなかったら・・・」 「見逃しの三振などしようものなら・・・」 と不安は広がり、体がガチガチになって打てるものも打てなくなってしまうだろう。

  そんな状況でありながら悠然と打席に向かい、堂々とバットを構えることができる人は偉大だ。 いつも代打策が成功するわけではなく、凡打してしまったり三振してしまうことだって多い。 それを見ていて 「アホが!」 とか 「何やってんだか」 などとテレビに向って罵倒したりしているが、心の中では 「すごいな〜」 と感心することしきりなのである。

  それと同じ事がピッチャーにも言え、大ピンチになったときに限って交代を告げられる人がいる。 代打の時と同じように後ろ向きな心理状態になってしまうものと予想されるため、自分には到底できる仕事ではない。 従って、心の底では尊敬しているのだが、そのピッチャーが打たれたりするとテレビに向って毒づいている自分がそこにいる。

  きっと、そんなことではいけないのだろうが、これからも心の底では選手たちを尊敬しつつもテレビに向って 「アホ〜」 と言ったりしながら野球観戦を続ける小心者なのであろう。

2005 / 07 / 16 (土) ¦ 固定リンク

誤解 Episode-3 誤解 Episode-3

  先週の続きになるが、胸が痛かった同時期に体育で水泳の授業があった。 人より速く泳ぐことはできないが、とりあえずは沈まずにプカプカ浮いていることも、25m プールの端から端まで泳ぐことだってできた。 平泳ぎ、背泳ぎ、クロールなんでもござれだったのだが、その時は胸が痛くて 2-3m しか泳ぐことができなかったのである。

  泳げなかった者が急に泳げるようになることはあっても、泳げたものが急に泳げなくなることなどないので、先生は 「まじめに泳げ!」 と顔を真っ赤にして怒っている。 我慢してチャレンジするのだが、胸に激痛が走ってどうしても泳ぐことができない。「胸が痛い」 と訴えても、先週の縄跳びの時と同様に 「普段は手がつけられないほど元気なくせに嘘を言うな!」 と ”けんもほろろ” 状態だった。

  先生は泳げることを知っていても、同級生は去年まで自分が泳げていたことを忘れて、「あいつは泳げないのではないか」 と疑いの目で見てくる。 そして、タイミング悪く風邪をひいてしまったので水泳の授業を休むことになった。 以前の雑感にも書いたが、当時は本当に病弱で、年がら年中風邪をひいていた。 両親とも仕事をしていたので看病には相当疲れたと聞く。

  しかし、子供の身としては風邪をひいていても暑い日にはプールに行きたい。 共稼ぎで親が家に居ないのをいい事に、夏休みなどは勝手に ”海パン” を持って出かけ、朝から晩までプールで遊び、体が冷えきって夜には鼻水ズルズル状態になってしまう。 濡れたままの海パンが見つかってプールで遊んでいたことが発覚し、こっぴどく叱られる羽目になる。

  授業でプールに入るのも休みたくないので、こっそり海パンを持って登校したりしたものだから、親が職場から学校に電話をし、授業を休ませるよう連絡したりするのだが、その時もそうだった。 胸が痛いものの、プールには入りたいので授業を受ける気満々で登校したのだが、先生に 「今日は休め」 と言われる。 理由を聞くと親から電話があったと言うのである。

  仕方なくプールサイドで見学していると、同級生から 「泳げないから授業をさぼっているんだろ〜」 と馬鹿にされる。 放課後や休日は先生や親の目を盗んでプールで遊んでいるものだから、余計に 「授業だけ休んでいる」 と疑いの目で見られてしまうことになる。 しまいには先生までも、「授業以外だと風邪が治るのか?」 と言い出す始末だった。

  今から思えば疑われて当然の行動をしていたのだが、子供の頃はプールで遊びたい一心で、人からどのように見られるかなど考える余地もなかったし、真剣に泳ぐのでなければ胸に激痛が走ろうともプールの中でチャプチャプ遊んでいる分には何の問題もなかったのである。

  そして、いつしか胸の痛みは治まり、クロールをしても平泳ぎをしても激痛が走ることはなくなった。 ある日の授業で 25m を泳ぎ切ると、同級生は 「あれ?」 やら 「おぉ!」 やらと驚きの声をあげる。 先生は憎々しげに睨みながら 「う〜む」 と腕組みをしていた。

  「あいつは泳げない」 とか 「泳げないのが恥ずかしくて授業を休んでいる」 という同級生から貼られたレッテルは見事にはがすことができたが、時既に遅しで、何メートル泳げるか記録するという体育の授業は終了しており、3m という不名誉な公式記録だけが残ってしまうことになってしまったのである。

2005 / 07 / 09 (土) ¦ 固定リンク

誤解 Episode-2 誤解 Episode-2

  耳、いや、目にタコができるくらい何度も書いているが、自分は人から誤解されやすい。 もしかして、人が誤解するのではなく、自己表現が下手なために相手に真意が伝わらないのかもしれないと少し反省したりしているが、とにかく誤解されたり疑われたりすることが多いのである。

  子供の頃は万能ではないにせよ、割と運動関係は得意なほうだった。長距離は根性がないため苦手だったが、短距離走は速いほうだったし、飛んだり跳ねたりするのも得意だった。 小学生の頃、体育の授業で縄跳びがあったのだが、それだって平気で何度でも跳べるはずだった。

  ところが、その数日前から、遊んでいても何かの拍子に胸に激痛が走る。 大笑いしても胸がキリキリと痛み、涙がジンワリ出てくる状態だった。 その頃はガキ大将で近所を走り回ったり暴れまわったりしており、怪我などは日常茶飯事だったので、どこかで胸を打ちつけてしまい、それが原因で痛いのだろうと思っていたので親にも言わず、(そのうちに治るだろう) と放っておいた。

  期待に反して痛みは治まらず、とうとう問題の縄跳びの日になってしまった。 生徒一人ずつが縄跳びをして先生が跳んだ回数を記録していく。 一人 10回跳ぶのがノルマだ。 自分の番になったので跳び始めたのだが、1回目を跳んだだけで胸に激痛が走る。 我慢して跳ぼうにも、あまりにも痛くて我慢できず、3回目くらいで跳ぶのをやめてしまった。 すると先生は 「まじめにやれ!」 と鬼のようなことを言う。

  「胸が痛い」 と訴えたが、「普段は走り回っているのに何が胸が痛いだ!」 と相手にしてくれない。 そこで最初からやり直しになるが、次も同じで我慢の限界は 3回目くらいまでだ。 すると、ただでさえ恐い先生の顔が般若 (はんにゃ) のような形相になり、「ふざけるな!」 とゲンコツをひとつ貰ってしまった。

  「もう一度!」 という悪魔のような命令に従い、再度挑戦したが、結果は 5回くらいが限度だった。 当時は今ほど体罰が問題視されることはなかった。 先生から横っ面を殴られ、「まじめにできないんなら立っていろ!」 と罵倒されて体育館の隅で授業が終わるまで立たされてしまった。 それだけならまだしも、余程腹に据えかねたのか、「まじめに授業を受けない」 と親に注意までされてしまった。

  親からも、こっぴどく叱られ、「飛ぶと胸が痛いんだ!」 と話しても先生と同様に 「胸が痛い奴が暴れまわれるか!」 と聞き入れてもらえなかった。 今から考えると肋骨が折れていたのだろう。 人間の肋骨はとても弱く、くしゃみをしただけで折れることすらあるという。 きっと暴れまわっていて何かの拍子に折れないまでもヒビがはいっていたに違いない。

  今になれば冷静に判断できるが、子供には判断が難しいのと、普段の行いがよろしくなかったので本当のことを言っていると信じてもらえなかったのだろう。 結果、病院にも行かず、自然治癒してしまったので、今となっては折れていたかも定かではなく、縄跳び 5回という不名誉な記録だけが残ってしまうことになってしまったのである。

2005 / 07 / 02 (土) ¦ 固定リンク

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