過去の雑感に何度も書いているように驚かされるのが苦手である。 何かが急にドバー!っと出てくるような映画は観られないし、急に大きな物音がしても驚いて体が数 cm は浮き上がってしまう。 そんな体質と、眠りが浅いのとが重なって、乳児のころから育てるのが大変だったと親は今でも愚痴る。
なんでも、寝かしつけるのに相当の時間を要し、やっと寝たと思っても小さな物音で飛び起きてしまうので慎重かつ、ゆっくりと行動しなければならなかったのだと言う。 新聞のページをめくる音ですら目を覚ますので、父親は他の部屋に移動したり、外に出て新聞を読んでいたらしい。 自分が寝ている間は食事の用意もできず、ただひたすら息を殺して機嫌よく起きるのを待つことになる。
それは幼児になってもオッサンになっても変わっていない。 在宅勤務生活になってから、ある程度は寝つきが良くなり、布団に入ってから 30分ほどで眠れるようにはなったが、物音で目が覚めてしまうのは相変わらずだ。 近くを車やバイクが走る音、鳥の声、『
お買物日記』 担当者がカーテンを開ける音、その他もろもろで目が覚める。一度も目が覚めずに朝まで寝られるのは月に一度あるかないかだ。
それでも生まれてからのことなので辛いと感じたことはないし、慢性的に寝不足なのも今に始まったことではないので慣れてしまっている。 未だに耐えられないのは急に発せられる大きな音や、何かが急に出てくる映像を観ることである。 主人公が敵に見つからないように潜入するシーンや、何かが急に姿を現すホラー映画などはドキドキして観ていられない。
これも子供の頃からなので体質なのだろうと思っていたのだが、成人に達してから受けた精密検査で自分の体が人とは違うという事実を医者から告げられてしまった。 それは会社で受けた健康診断だったのだが、それはおざなり的な健康診断ではなく、割と細かなチェックを受け、胃や肺のレントゲンまで撮影する本格的なものだった。
数日後、結果を聞きに病院に行き、団体で受診したので一度に部屋に通されて、他の人の結果も見ながら自分の番を待っていた。 いよいよ自分の番になったので医者の横に座る。 医者は書類に目を通しながら大きな問題がないことなどを説明してくれており、その間に看護士さんが後ろからライトで照らされているボードにレントゲン写真を貼っている。
一通りの説明が終わり、医者がレントゲン写真をボールペンで指しながら 「これが胃ですが、潰瘍もないですね」 と説明し、肺の写真に目をやる。 すると 「ん?」 と言ったきり動かなくなってしまった。 「ドキドキした」 「父さん、先生が動きません」 「何か大きな問題が発生しているものと思われ・・・」 と、頭の中が 『北の国から』 風のナレーションでいっぱいになる。
そして、先生は 「君、心臓どこにやった?」 と聞いてくる。 そんなことを聞かれても、家に忘れてくるはずもなければ自由に取り外せる訳でもないので 「えぇ!?」 と聞き返した。 どこにやったと言うのは冗談だったらしいのだが、普通は体の左側にある心臓が体の真ん中にあるため、肋骨の陰になって写真に写っていないのだそうだ。
愕然としながら説明を聞き、「で、どうなるんですか?」 と質問すると、「ちょっと人より心臓が弱いかもしれないけど、こういう人は 1000人に一人くらいいるから大丈夫だよ」 と言う。 それを聞いて少し安心したが、自分の体の構造が人とは違うというのには少なからずショックを受けた。 悲しみにつつまれながら後ろを見ると、順番を待っている他の社員が腹を抱えて笑っている。
腹が立ったので跳び蹴りをおみまいしてやったが、気分は晴れない。 社会人として異端児であることは自覚していたのだが、体の構造まで人と異なるとは思っていなかった。 それでも慣れとは恐ろしいもので、オッサンとなった今では何も気にすることなく生活している。 心臓が左にあろうが右にあろうが真ん中にあろうが、生活に支障を来たすことはないのである。
しかし、「そんなことを気にしていたら、ただでさえ強くない心臓が余計に負担がかかる!」 と、やっぱり少し気にしながら生きていたりするのである。