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雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

なまけ者 1なまけ者 1

自慢ではないが、自分は相当ななまけ者だったりする。

相手のいることであれば、それなりの責任感もあるし達成するための努力はするが、自分にはとことん甘いので辛いこともしなければ努力もしない。

たとえば仕事であれば夜遅くまで作業することも苦にならないし、お客さんの要求を満たすために努力するのは当然だ。

しかし、中年を過ぎてどんどん膨らむ一方の腹を引っこめようとか、増加した体重を減らすためのダイエットをする気などさらさらない。

食べたいのを我慢するとか、嫌々ながら運動するとか、そういったものには一切の興味がなく、ウザいCMと週刊新潮への厳重抗議で何かと話題の結果をコミットするライザップ(RIZAP)なども興味の対象外である。

最初にあのCMを見た時から、あれはライザップ側が提示した運動、食事制限などをすべてクリアできたら理想の体型になることをコミット(約束)するのであって、単に痩せることをコミットするのではないと思っていたし、2カ月であんなに体型が変わるにはどれほど辛い運動をし、どれだけ腹をすかせなければならないのだろうかと思っていた。

とにかく好きなことにしか興味がなく、辛いのが嫌な自分であるため、生まれたのが昭和で良かったと心から思っている。

それがなぜかと言えば、今の時代に生まれてきたなら超ダメ人間になる120%の自信があるからだ。

子供の頃に携帯ゲーム機があれば、勉強などそっちのけで遊びに没頭すること間違いなしだと思われるし、中学生にもなれば何だかんだと親を説得したり脅したりしてスマホを手に入れ、通話無料アプリのLINE(ライン)などで悪友と連絡し合い、音楽を聴きまくり、動画を見まくっていると思われ、勉強に必要だと強引にパソコンを買わせ、アダルトなサイトを見まくっているに違いない。

そして、だんだん部屋から出ることがなくなって引きこもり、学校にも行かず友だちの数も減って、ますますネットの世界を徘徊し、学校の勉強どころか人と関わって形成される社会性や協調性なども身につかず、精神が崩壊するところまで行ってしまうに違いないと自信を持って言える。

自分のことは自分でよく分かっているつもりだ。

楽な方へ、楽な方へと進み、興味のあること、楽しいと思えることしかしないという性格の持ち主であれば、面白くもない授業など受けるより、面倒な計算をしたり暗記をしたりするより、つらい思いをして受験勉強するよりパソコンやスマホをいじって遊んでいる方が良い。

そして、そこから抜け出す勇気もなければ、苦しく面倒な生活に戻る意志もなく、いつまでも延々と自堕落な生活を続け、引きこもりのニートとなって親を困らせ、生活態度を注意されようものなら逆ギレして暴れるという落伍者になっていただろうと容易に想像できる。

つまり、自分のようななまけ者は今の時代に生まれなくて良かったのだ。

古い時代に生まれたからこそ、友だちと話すにしても電話機は家に一台しかなく、それがリビングにあるものだから危ない話しなどできないし、長電話すれば親に叱られる。

テレビだって今のように24時間やっている訳ではなく、深夜になればほとんどの局が放送を終了するし、深夜ラジオを聴いていても部屋を暗くして目を閉じていれば眠くなる。

ヒマな時間はレコードを聴いているか、マンガを読んでいるくらいなもので、それだって同じマンガを何度も読んでいると飽きてしまい、とうとうやることがなくなって仕方がないから勉強でもするかという気になった。

ところが今の時代はテレビ局も24時間休まず、無料ゲームはダウンロードし放題、音楽も低額で聴き放題、ネットの世界をのぞけば青少年が興味津々のエロ画像や動画であふれ、掲示板やSNSで悪態をつくなど楽しく、そして忙しすぎて勉強などするヒマがない。

そんな世界にどっぷりと浸かる姿が見えるからこそ、今の時代に生まれてこなくて本当に良かったと、なまけ者を自覚している自分は胸をなでおろしたりしているのである。

ため息ため息

子供のころ、ため息をつくと幸せが逃げると親に叱られたものだ。

それが本当かどうかは分からないが、ため息には良い効果もあると最近になって分かってきた。


  1. 自然と腹式呼吸となる
  2. 体内ホルモン分泌腺を刺激し、正常な分泌促進効果をもたらす
  3. 血流量が増加する
  4. 副交感神経が優位になり、リラックス効果が生まれる
  5. 脳が不安を感じる回数を減らすことができ、ネガティブな感情を軽減できる
  6. 脳と体に新たな酸素を供給してくれ活性酸素を取り去る

などが挙げられるが、やはり

  1. 副交感神経が優位になりすぎ自律神経が正常に機能しなくなってしまう
  2. 周囲にいる人を不快にさせてしまう場合がある

などのマイナス効果もあるので注意が必要だ。

かなり以前に勤めていた会社の上司は日に何度もため息をつく人だった。

仕事中はもちろんのこと、雑談をしている時、昼食の時間、宴会の席と、まさに所かまわずといった感じで、正確に数えたことなどないが出社してから退社するまでの間に 30回以上はため息をついていたのではないだろうか。

最初は体調が優れないのか、仕事に行き詰まっているのか、家庭でトラブルでもあったのかと心配したりもしたが、あまりにも数が多く、それも年がら年中とあっては単なる迷惑行為でしかない。

人のため息を聞くとこちらまで気分が暗くなり、それが異常に多いと不快以外の何ものでもないので、昔親に言われたように
「ため息ばかりついてると幸せが逃げますよ」
と言ってやったが
「ふんっ」
と鼻で笑ったかと思うと横を向いて
「はぁ~」
とため息をついたりしていた。

その上司のため息は有名で誰もがそれを鬱陶しく思っていたのは、ネガティブな要素が強くて聞くと士気の低下が著しく、仕事に力が入らなくなってしまうからだ。

本人は無意識にやっている癖なのだろうが、周りまで暗くなるような行為は避けていただきたい。

ため息の中にはポジティブ要素の強いものもある。

根を詰めてやっていた仕事や作業が一段落した時、何らかの達成感が得られた時などはため息が出るし、緊張状態から開放された時や心配事が解消した時は安堵のため息をつく。

そしてもう一つ、とても美味しい物を味わった時にでるため息だ。

少し前に世界中でブームになっている和食に関するテレビ番組を見たのだが、そこでは日本独特の出汁(だし)について語られていた。

和食には出汁を使う料理が多く、このうま味なしでは日本食は考えられないと言っても過言ではないという内容だ。

しかし、このうま味と言うのは微妙なもので、味の基本 5要素である甘味・塩味・酸味・苦味・うま味のうち、『うま味』を感じ取れるのは東洋人、それも敏感に感じ取れるのは日本人だけだという。

うま味物質のグルタミン酸ナトリウムは 1908年に池田菊苗が昆布から発見した。

それは甘味・塩味・酸味・苦味のどれにも属さないことから、日本では古くからうま味を基本味に加えて認識していたが、欧米ではうま味を味わう料理が発展していなかったので長らくうま味を除く 4基本味が支持され続けたらしい。

うま味の存在が認められたのはつい最近のことで、世界がやっと気付いた味ということになる。

それに加えてこのうま味、人類共通のリアクションを引き出す物質でもあるらしい。

テレビを見ているとヨーロッパの人たちが昆布と鰹でとった出汁に少し塩と醤油を加えたものを味わった時、多くの人の口から
「はぁ~」
とため息がもれる。

どんなに美味しいイタリア料理を食べてもため息はでないだろう。

世界三大料理である中華料理、フランス料理、トルコ料理を食べたところで
「うまいっ!」
とは言っても、心の奥底から湧き出るようなため息にはならないものと思われる。

和食だけが持つ、あの不思議で独特な味はなんだろう。

フランス料理にもフォン・ド・ヴォーやブイヨンなどという和食でいうところの出汁は存在するものの、基本は肉や魚と野菜を長時間煮込んで味を抽出するものだが、日本のかつお節、味噌、醤油などは発酵が基本で、それを作るまでに気の遠くなるような手間ひまがかけられている。

これまたヨーロッパで大人気、品薄になるほど売れに売れている『スリミ』、いわゆるカニカマにしても、魚をすり身にして調味料を加えて練り上げ、それを蒸して特別な製法でカニの身のような食感を作り出すという手間のかかった食べ物だ。

豆腐にしてもコンニャクにしても、かまぼこ、竹輪などの練り物にしても日本には手の込んだ食材が多い。

海外では肉や野菜などを切って調理するだけだし、葉や実を乾燥させた調味料を加えて味付けするだけの料理が圧倒的だが、日本の場合は使う食材、調味料そのものがすでに手間ひまがかけられている。

そんな和食を口にして出るため息は、安堵のものか、感動からか。

どうやら日本人の DNAが反応して美味しい日本の味にため息をつくのではなく、全人類共通の何かに訴えかける力がうま味にはあるらしい。

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デジタル化の波 Signal-18デジタル化の波 Signal-18

デジタル化の波 ~目次~

以前に何度もデジタル化に関して書いているが、やはり映像、音楽のデジタル化に関しては世の中を劇的に変えたインパクトを持つものと思われる。

このブログや無数にあるWebページ、Facebook や Twitter など文字のデジタル化によって変わったことも多く、メディアのあり方までも大きく変えようとしているが、文字が発明され、石に刻まれることによって後世に歴史を継承できるようになり、それが紙に書かれるようになって印刷できるようになったことから書物として保存され、活字が生まれて書物の数が増え、ワープロの登場によって文字が電子化されて磁気テープ、フロッピーディスク、ハードドライブ、USBメモリー、クラウドサービスと保管場所が莫大な容量を持つところに置き換わったように、それは太古の昔から脈々と受け継がれる文字文化の変遷の一部でしかない。

しかし、音楽・音声や映像のデジタル化は、世に初めて蓄音機が登場した時のような、初めてラジオが登場して遠く離れたところで話している声が送り届けられた時のような、そして何より初めてテレビが発明されたときと似たインパクトを持つ。

古代文明から伝わる文字の歴史と比較すると音声が電波に乗ったのは 1900年、デジタル化され CDになったのは 1982年と、まだ 100年程度の歴史しかない。

それが映像となれば動画を電波で送受信できるようになったのは 1926年、動画のデジタル化に成功したのは 1983年と、また 80年程度のことだ。

文字が何千年もかけて進化してきたのと比較すると 1/10、1/100というごく短期間で劇的に進化しているが、人間というのは慣れるのが早いもので、今ではそれが当たり前のことになって誰もその恩恵をありがたいと思ってはいない。

少し前のことになるが、『お買い物日記』 担当者が ATMの順番待ちをしている際、小さな子どもを連れた母親が前に並んでおり、待ち時間が長くなってきたものだから退屈した子どもがグズりだしたらしいのだが、母親はバッグからスマホを取り出し、ササッと操作してアニメを再生すると子どもは大人しくなって画面に見入っていたという。

これが映像のデジタル化の恩恵でなければ何だというのか。

帰省ラッシュで渋滞する車の中でもそうである。

以前までなら退屈してグズる子どもの気を紛らわせる手段はなく、疲れて眠ってしまうのを待つしかなかっただろう。

ところが今は DVD、BD のようなコンパクトなメディアで持ち運べるため子供向け番組やアニメを流しておけば良い。

病院で診察の順番待ちをしている時、外食時に席が空くのを待っている時、子どもが騒ぎ出せばスマホでアニメを見せていれば大人しくなる。

親にとってこれほど便利なものはない。

いや、親だけでないだろう。

マージャンばかりやっていた若かりし頃、最低でも 2時間、長ければ丸一日と長丁場になる中で困っていたのは BGMだ。

以前はアルバムCDを聴くか、カセットテープに録音したものをリピート再生するしかなかったが、いくら好きなアーティストの曲であっても2周、3周すると飽きてしまう。

長距離ドライブの際も同様で、車で聴くものと言えば CDかカセットテープしかなく、同じ曲ばかり聴いて飽きると交換するということを繰り返した。

しかし、それでも数には限りがあり、結局は耳にタコができるほど同じ曲を何度も何度も聞く羽目になったものである。

ところが今は何千、何万という曲を小さなメモリーに保存しておき、それをランダムに再生することができる。

それどころか月額数百円という低料金で 1000万曲でも聴き放題とうサービスまで登場し、1曲約 4分と仮定してもすべて聞くまで 27,000日、76年もかかるという恐ろしい時代になった。

こんなシステムが以前からあれば、マージャンやドライブがより楽しかったことだろう。

それが当たり前となった今を思い、ピコピコいうビープ音しが出せず、8色しか使えない画像を画面いっぱいにに表示するまで 5秒ほど必要だったパソコン創世記を思い出し、時代の進歩、テクノロジーの進化というのは凄いものだと感慨にふけっている骨董品の自分がここにいる。

デジタル化の波

モテ期モテ期

誰にでも一度は訪れると言われているモテ期。

男性であれば女性に、女性であれば男性にちやほやされる時期が必ずあるという。

ところが自分の場合はモテ期があったという自覚がない。

以前からこの雑感に何度も書いているように、若かりし頃は線も細く最長で腰までとどくような髪をしていたことがあり、その頃は男性からもの凄い勢いで声をかけられたりしたが、それは同性からのことなのでモテ期とは呼べないだろう。

さっぱり自覚がないのにマサルは
「中学、高校時代のおまえはモテてたよなぁ」
と言う。

そんなことを言われても、モテた記憶は 1ビットもないのでポカンとしていると、
「おまえのこと好きだっていうやつ山ほどいたぞ」
とか
「なんかファンクラブみたいなのもあったし」
などと言うではないか。

それならそうと、なぜ当時の自分に言ってくれなかったのか。

中学時代だって高校時代だって女子から告白されたことなど一度もないどころか、好きになった女子に告白しては玉砕するという日々を過ごしていた。

楽しそうに交際しているカップルを見ては彼女ができない自分にため息をついたりする毎日だったのである。

今までの人生を通してバレンタインデーにバリバリの本気チョコをもらったことなど、たったの 2個しかない。

チョコをもらってニコニコしている奴を尻目に、そんなことで喜ぶなんぞ軟派なやつのすることだとうそぶき、その裏でチョコが入っていないかと机の引き出しにこっそり手を入れては、食べ残した給食のカビたパンを掴んでガッカリしたりしていたものだ。

もちろん彼女がいた時期もあり、その際にチョコレートをもらったりしてはいるが、すでに交際しているので限りなく義理チョコに近く、それを渡すことによって告白とみなすような本気度満載のチョコとは違う。

そして、人生において女性を振ったことはなく、いつも振られて終わりになっている。

そんなこんなで何も良い思い出などないのでモテ期があったと思えない。

そもそも、そのファンクラブなるものが存在していたのであれば、いったいどこでどんな活動をしていたのか。

本人が知らないところで秘密裏に活動しているアングラ組織的なものがあったとすれば、それは嬉しいどころか多少の不気味さを覚えてしまう。

モテた記憶も自覚もないのは、子供の頃から男女を意識することなく、誰とでも平気で遊んだりしていたことが原因なのだろうか。

あまりにも近い存在だったため、そしてあまりにも仲良くしていたため異性を感じることができず、結果として相手が何らかのシグナルやオーラを発していても気づかなかったのかもしれない。

いや、そうではないだろう。

いくら自分が鈍感であっても、それなりの態度を示してくれたら気付いたに違いない。

つまり、身近にいて仲良くしていた中に自分に恋愛感情を抱いていた女子はいなかったのだと思うし、大人になってからも
「実は・・・」
などと昔ばなしで好きだったと聞かされたこともない。

自分はモテないと思っていたし、自分に自信もなかったのに、はるか昔のことを今になって
「モテてたよなぁ~」
とは何事かっ!

あまりにも悔しいので、そのモテ期だったという時代に何とか戻れないものかと、一刻も早くタイムマシンが発明されることを願ってやまないのである。

小ネタ集小ネタ集

今週はネタがないので細かなことを。

■ 葉っぱ

植物の葉のことを 『葉っぱ』 ということがあるが、その 『葉っぱ』 の 『っぱ』 とは何だろうと疑問に思ったので調べてみた。

俗語辞書には草木の葉のくだけた言い方とあるが、『っぱ』 が何なのか説明がない。

YAHOO!知恵袋で下っ端と同じように端っこの、つまらないもの、取るに足らないものというような意味合いではないかとの回答があったが、それは個人的な意見であって論拠も根拠も示されていなかった。

葉がつまらないものでもなければ取るに足らないものとも思えないので、知恵袋の回答には賛同しかねる。

では 『っぱ』 とは何なのか。

その答えを求めて今日もネットをさまよっている。

■ 負けず嫌い

『負けず嫌い』 とは他人に負けることを嫌う勝気な性質のことだが、この言葉に若干の違和感を覚えてしまう。

単純には負けるのが嫌いということだが、『負けず』 とは負けないという意味ではないだろうか。

雨ニモマケズ風ニモマケズとは、雨にも負けない風にも負けないなのだから、『負けず嫌い』を素直に解釈すれば 『負けないぎらい』 となってしまいそうな気がする。

負けないことが嫌いなのであれば負けるのが好きということで、真逆の意味になってしまう。

その疑問を解決すべくネットで調べてみると 『負け嫌い』 『負けじ魂』 などと混同したものが、いつのまにか定着してしまったのではないかとう説があった。

『汚名挽回』 という汚名を挽回してどうするんだ的な間違い、『汚名返上』 と 『名誉挽回』 の混同と同種の間違いが定着したという解釈だ。

確かにそれもあるかもしれないが、もう一つ見つけた回答のほうがストンと腑に落ち、すんなりと受け入れられる。

それは 『食わず嫌い』 は食べもしないで、そのこと(食べること)を嫌うことだが、それと同様に 『負けず嫌い』 も、負けていないのに負けることを嫌うことであるという解釈だ。

これに関しては、きっとこちらが正しいのではないかと思われる。

■ ビックカメラ

ビックカメラ(BICCAMERA)の 『BIC』 とはなんぞや。

これに関してもネットで色々と調べてみたところ、多種多様な説があってなかなか正解にたどりつけなかったのだが、2005年に史上初めてビックカメラの公式見解が示されたとの記事を発見、その内容は以下のようなものだ。

かつてアメリカ領で使われていた言葉、「Bic」は「Big」に近い意味もありますが、見た目の大きさより中身を伴う大きさを表す言葉でした。

ただの大きな石ではなく、若く新しい感性を持った、小さくても光り輝くダイヤモンドのような企業になりたい。

そんな希望を込めて、ビックカメラは誕生しました。

冒頭に 『かつてアメリカ領で使われていた言葉』 とあるが、それを調べてみると旧アメリカ領オセアニア地方で使われていたスラングの 「BIC」 が由来ということが分かった。

どうりで生前の次兄がアメリカに暮らしていて英語が堪能だったので
「ビックカメラ(BICCAMERA)の 『BIC』 とはなんぞや。」
と聞いても
「知らない」
と言われた訳だ。

何にせよ、疑問に思ったことが簡単に調べられるのだからネットは偉大である。

またマスコミ批判またマスコミ批判

この雑感では何度もアホなマスコミのことを書いているが、やはり今回も納得できないことばかりで文句の一つも言っておくべきだろうと書き始めているところである。

なにはともあれ箱根関連のニュースだ。

あれだけ大騒ぎし、今日か明日にでも水蒸気噴火を起こして昨年 9月 27日に発生した御嶽山の噴火の時のように大きな被害になるかも知れない的な報道をしておきながら、風評被害で箱根観光への大きな影響が懸念されるなどとぬかしている。

「せっかく来たのに残念です」

「規制がかかっているので引き返します」

「こんなことになっているとは知りませんでした」

などなど、観光客がろくに景色も見られずに引き返していく様を何組も、そして何分間も放送しておきながら今になって規制されているのは半径 300メートル程度のごく限られた地域であり、周辺の温泉街、芦ノ湖には何ら影響がないのにも関わらず宿にはキャンセルが相次いでいるなどと伝えるのはどういう神経なのだろう。

まさに竜頭蛇尾というやつで、最初にアホほど騒いでおきながら終わりの方はショボショボになってしまっているし、マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消すというマッチポンプの典型である。

マスコミがギャーギャー騒いだ結果が宿泊のキャンセルという事態を招いているという自覚はないらしい。

同じく竜頭蛇尾の典型的なパターンとなってしまっているのが 4月 25日にネパールで発生したマグニチュード 8を超えると思われる大地震に関してだ。

あの加熱とも思われる報道はどこに行ってしまったのか、今でも被災者が増え続け、各国の救助隊が必至に作業しているというのにニュース番組で割かれる時間、新聞で割かれる紙面の大きさは縮小する一方となっている。

その惨状、現状も伝えず番組終わりに募金だけ呼びかけても視聴者の意識はあの大惨事から遠のいてしまっているのではないだろうか。

店の商品に異物を混入させたり万引きしたりする動画をネットに投稿し、警察を挑発しつつ逃亡して逮捕されたバカのその後がどうなったのかも分からない。

自宅に立てこもった元探偵が上階から物を落として暴れていた事件もどうなったのか。

そもそも人質もとらず、自宅にいる状態が立てこもり事件と呼べるのかという疑問はさておき、彼はなぜ暴れていたのか、危険ドラッグでもやっていたのか、心の病にかかっていたのか、単なる酔っぱらいだったのか、あの事件が起こったことだけは分かっているが結果も真相も伝えてもらっていないような気がする。

何かが起こったと伝えたのなら、結果がどうだったのか最後まで伝える責任がマスコミにはあると思うのだがどうだろう。

『ニュースバリュー(news value)』 とは、報道に値すると認められるニュースの重要性・価値のことだが、少なくともネパール大地震の被害は伝えるべき重要なことだと思えてならない。

収集癖収集癖

自分には収集癖というものがない。

子供の頃、切手収集している友だちに感化されたことがあるが、それも長くは続かず・・・というより、ごく短期間で興味を失い、わずかながら集めた切手を譲って収集をやめてしまった。

スナック菓子のおまけとして手に入るプロ野球カードも数十枚は持っていたが、存在するカードをすべて集めようなどという気はなく、その数十枚も集めている友だちに譲ってしまったし、仮面ライダーのカードもあったが結末は同じようなものだ。

以前の雑感にも書いたように子供の頃から芸能人の大ファンになることもなかったので、特定の人のポスターや CDなどを買い揃えたこともない。

ギリギリのガンダム世代で、確かにアニメは好きだったので複数のシリーズは見たものの、マニアのように DVDを買ったりガンプラと呼ばれるプラモデルを組み立てたり、何万円、何十万円もするようなフィギュアを買うこともなかった。

一から十まで揃えたものと言えば、ある作家の小説を単行本で何百冊も保有していたことはあったが、大阪から北海道に越してくる際に処分してしまったので今はない。

今は海外ドラマばかり見ており、中にはとても好きなドラマもあるが、録画したものを保存しているのは 2作品のシリーズのみで、その他のものはすべて消去してしまっている。

この、物に思い入れがなく、物に頓着しない性格は、どうやら親譲りらしい。

三歳の時に妹に死なれているため限りなく一人っ子に近いので、普通であれば溺愛されて宝のよう育てられ、ありとあらゆる思い出の品がありそうなものだが、そういったものは手元にも実家にも存在しないのは、親が自分と同じような性格だからなのだろう。

いや、この親にしてこの子ありといったところか。

実家を出て一人暮らしを始め、最初は年に何度も里帰りをしていたが次第に足が遠のき、一年に一度、二年に一度と間隔があいていった。

ある日、数年ぶりに帰省したところ実家が建て替わっている。

豪雪地帯に建つ実家の二階から落ちた凍り固まった雪が、一階の屋根に大きな損傷を与えてしまったため建て替えることにしたらしいのだが、そんな話しは聞かされていなかったので外観も変わってしまった実家に驚いた。

そして、さらに驚いたのは以前の家に存在していた子供部屋、つまり自分が子供の頃から実家を出るまで過ごした思い出の部屋もなく、そこに収められていた学習机やベッド、その他の置物や小物まで一切のものが残っていなかったことだ。

父親にも母親にも収集癖はなく、物に執着しないので我が子も同様であろうと勝手に処分した結果なのだが、それに対して自分は一瞬のとまどい、驚きを感じたものの、寂しさも腹立たしさもなかったので相談されてもされなくても結果は同じだったことだろう。

そして、それを機に処分したのか、最初から保存などしていなかったのか、子供の頃の成績表、持ち帰ったテスト用紙、卒業証書、学校で書いた絵、市が主催する絵のコンクールで最優秀賞をとった賞状、その時の絵、子供の頃の声が録音されているテープなどなど、ちょっと気の利く親、思い出を大切にする親なら保管しておくであろうものも綺麗さっぱりと無くなっていた。

さすがに我が子の誕生は嬉しかったらしく、生まれてすぐから小学校低学年までの写真は何枚か残っているが、それとてアルバム一冊に収まる程度の枚数でしかない。

そして自分も親と似たり寄ったりで、若かりし頃に遊びまくった友だちとの写真、仕事や社員旅行で何度か行った海外旅行の写真も残っていないし、そもそも撮影すらしなかった。

子どもの思い出の品を何ひとつ保存しておかないクールな親、それに腹も立たなければ悲しくもない子、やはり我が家には物に頓着しない血が流れているものと思われる。

消せない記憶消せない記憶

パラオ、ポーランドなど親日国は多い。

第一次世界大戦後に日本の統治領になったにも関わらず日本を好きでいてくれるのはパラオだが、それは日本人が現地の人に対し熱心に教育を行い、住環境整備とともに多数の学校や病院を建設したことと、第二次大戦で敗戦の色が濃くなり、いよいよ日本統治領、大日本帝国軍の前線基地でもあったパラオにアメリカ軍が攻撃を仕掛けてくるという段になると島民 899名全員を安全な場所へすみやかに避難させたことで、この中からひとりの犠牲者も出さなかったという歴史があるからだ。

ポーランドは第一次世界大戦後、ロシアに残留したポーランド人の孤児たちを日本赤十字社が救済したことが親日の理由らしい。

その他にも日本を好きでいてくれる国は多いが、その多くは戦争にまつわる話が主で、日本人に対して良い印象、記憶が残っているからだ。

昔のことを今でもありがたく思っていてくれる。

自分たちに良くしてくれたと今でも感謝してくれている。

・・・。

それを考えると、いつまでも日本を恨み続ける国があっても当然か。

中国、韓国の内政干渉、領土権の主張、歴史認識の問題視など、あまりにも過剰であまりにも執拗だと辟易することもしばしばだが、何年、何十年が経過しても親日でいてくれる国があるのと同様に、いつまでも反日な国が存在しても仕方がないのかも知れない。

事実、それだけひいどことを日本はしてきたし、一部で歴史をねじ曲げて自国の罪まで日本に押し付けている面が無きにしもあらずではあるものの、うるさいとか、しつこいとか、いい加減にしろなどと言えない立場であるのも事実だったりする。

先日、アメリカのオバマ大統領が国際テロ組織アルカイダによって人質にされていたアメリカ人とイタリア人を誤って殺害したと発表し、遺族に謝罪した。

近年のテロ対策や戦争では民間人の犠牲が問題視されているが、第二次大戦ではアメリカ軍による大空襲によって全国で 200以上の都市が被災し、死傷者数は 100万人にも及ぶと言われているし、2発投下された原爆によって 30万人近くの人が犠牲になった。

これが現代であれば世界から非難の的になるようなことであるし、大量虐殺と変わらない事実であるにもかかわらず親米でいるのは日本人がアホなのか、それとも寛大なのか。

嫌なことをいつまでも引きずらない、忘れっぽいのが短所でもあり長所でもある日本人は歴史すら水に流すことができる国民性なのかもしれない。

したがって、いつまでも感謝されると照れくさいし、いつまでも恨まれると鬱陶しい。

いや、消せない記憶があるのは分かっているのだが・・・。

レイコノコトレイコノコト

叔母は母親の二歳違いの妹、その名をレイコという。

そして、にわかには信じがたいことだが、レイコは漢字で冷子と書く。

可愛い娘に冷たい子と名づけるとは何と言う親かと思うが、実は王に令の玲子と命名したのだが、役所に届ける際に父親の字があまりに達筆すぎたのか悪筆すぎたため『冷』となってしまったという。

それにしても役所の人だって、よりによって我が子に冷子などと名づけるはずはないと常識的に考えれば分かりそうなものだが、昔の役所勤めしている人は特権意識が強く、一般市民を見下している人が多かったので、下々の者に正しい漢字を聞くのをためらったのかもしれない。

結果的に冷子と受け付けられ、冷子と受理されてしまい、その後しばらくは住民票も戸籍抄本、謄本を必要としなかったため、親としても我が娘が冷子として世に存在しているなどと夢にも思ってもいなかったのだろう。

たぶんその名が災いしたのだろうと思うが、レイコは結婚することなく生涯独身を貫くことになってしまった。

自分が子どものころからレイコは変わらず、今も昔も行動的だ。

為替が固定で 1ドル 360円もしたころに何度も海外旅行に行き、当時としては珍しい現地の食べ物や民芸品を買ってきてくれたりした。

今のように格安パック旅行もなく、ドルが高かった時代に好き勝手に旅行できたのは、結婚しておらず身軽だったこともあるだろうがレントゲン技師として病院勤めをしていたので高給取りだったのではないかと思われる。

病院で何かのライセンス取得の際に高卒の資格が必要になり、旧制度の学校しか出ていなかったレイコが通信教育で 4年をかけて高卒の資格を取得したのは 40歳を過ぎてからだ。

この街がさびれ、交通網が狭まり不便になったといって自動車の運転免許を取得しようと自動車学校に通い始めたのは、もうすぐ 60歳にならんとする頃で、仮免や卒業検定で落ちまくった結果、普通の人の倍ほどの費用をつぎ込むことになってしまった。

やっと免許を取得したレイコは中古の小さな車を買い、あちこち遠出をして楽しんでいたらしい。

最近は耳が遠くなってきたものの、まだまだ元気で洒落た衣装に身を包んでスタスタと遠くまで歩き回っているし食欲も旺盛、言語も明瞭なスーパー婆さんだ。

若い頃のレイコはとにかく行動的、活動的で理路整然とものを言い、どこかクールで簡単には人を寄せ付けない雰囲気の持ち主だった。

楽しく遊んでくれる訳ではないのに、なぜかそんなレイコのことが好きで、小さな頃はよく病院に遊びに行ったり自宅に遊びに行ったりしていたものだ。

幼稚園か小学校低学年の頃には N と M は怪しいながらも A~Z までアルファベットの読み書きはできるようになっていたし、Sunday から Saturday まで曜日を理解できるようになっていたのはレイコに教えてもらったからだ。

毛糸編みの鈎針で鎖編みするところまで教えてくれたのもレイコだし、干支の十二支を暗記させてくれたのもレイコで、ナイフとフォークの使い方を教えてくれたのもレイコだった。

そして、レントゲン技師らしく人間の骨の構造を教えてくれ、絵を描くのが好きだった自分は小学校 3年くらいの頃には頭のてっぺんから足の先までの人体骨格図をわりと正確に描けるようになっていたものである。

海外旅行ばかりしていたので世界地図を広げて行った場所を教えてくれたりしていたため、多少はいびつだったものの世界地図も小学校時代に描けるようになった。

骨や世界地図が描けるようになったからといって理科や地理の成績が良かったわけでもなく、アルファベットを早くに覚えたからといって英語が得意になったわけでもないので、教えたレイコとしては心底がっかりしたことだろう。

レイコが小学校五年生の頃から母親のショウコと姉妹で同じ街で暮らし、高度成長期の波に乗って栄え、活気にあふれて人口も増加し、町から市へとなった発展を見続け、ショウコの結婚、出産をも見守ってきた。

そして、生まれた自分の成長もずっと見てきてくれた。

共稼ぎの親が研修だの何だので家を留守にするときはレイコの家に泊まったし、子どもの頃は母親と大喧嘩するたびにリュックに荷物を詰めてレイコの家までプチ家出したりしたものだ。

そんなこんなで昔からの自分を知っているため、今でも口やかましく事あるごとに説教されたりしてしまう。

目下のところ、レイコの心配の種はショウコの体調である。

大阪に暮らしていた頃、冬道で転倒してショウコが骨折した時も電話してきて
「年寄りの骨折は怖いんだからね」
と開口一番に言い、
「このまま寝たきりになる事だってあるんだから覚悟しておきなさい」
と一気にまくし立てる。

そして、いつまでも年寄りの一人暮らしをさせておく訳にはいかないのだから大阪に呼んだらどうかと言う。

もちろん、そうしても構わないが、そうなれば今度は片田舎でレイコを一人にしてしまうことになり、子どもの頃から世話になっている自分としては心が痛む。

そこで
「一緒にこっちで暮らす?」
と聞いてみたが、
「あんたは○○家の人、私は△△家の人だから世話にはならない」
と言い張る。

その時はショウコも寝たきりにはならなかったので話は立ち消えたが、今度は北海道に帰ってきて最初の帰省の時だ。

北海道に帰ってきた年は 『お買い物日記』 担当者の大病のため帰省しなかったが、翌年には化学療法も終わったので帰省ラッシュの盆を避けて 9月になってから実家に帰った。

その際、食事の用意をしたからみんなで食べに来るようにというレイコからのお達しがあり、ショウコと自分、『お買い物日記』 担当者の三人で家に行き、それなりに楽しい食事をした後に待っていたのはレイコの説教だ。

自分に向かってではなく、ショウコに向かって
「あんただっていつまでも一人で暮らせる訳じゃないんだから」
と言いはじめ、
「あそこの施設に入るなら最低でもいくらが必要だ」
とか
「誰それさんが入っている施設は良いらしい」
などと、ショウコに聞かせるふりをして母親をどうするつもりかと自分に問い詰めている。

その時もショウコはそれほど弱っておらず、やはりショウコをこの街から連れ出せばレイコ一人になってしまうことが心に引っかかり、生返事をしながらレイコの言葉を聞き流していた。

その後も何度か同じような話があり、そのたびに話を聞き流したりしていたが、ついに今回の骨折騒ぎである。

今度は昼食の代わりに宅配ピザを頼んだなどと言いつつレイコは我が実家に乗り込んできた。

そして、登場するや否やショウコに向かって
「あんた!これから先どうするのっ!」
と説教を始め、
「もう一人で暮らすのなんか無理だからねっ」
と強い口調で迫り、
「私も一人で暮らすのが辛くなってきたから札幌に引っ越すよっ!」
と切り札のように言ってのけた。

その後、ピザが届いたので話題は途切れ、食後に世間話をしている時に、ショウコが今年は庭の改装と台所の窓の取替えをするつもりだと話すと、ショウコがまだこの家で一人で暮らす気でいることをレイコは悟ったようで、
「それじゃあ札幌行きはまだ先にするかね」
と言い残し、深いため息をつきながら帰っていった。

9人きょうだいの下から二番目であるにも関わらず、それも女手ひとつで実母の面倒を最後の最後まで看たレイコ。

姉を思う妹、老婆を心配するレイコ。

レイコの目には年老いたショウコの姿が痛々しく映っているのだろう。

・・・。

しかし、本人に自覚はないだろうが、冒頭に書いたようにレイコはショウコと二歳しか違わない超高齢者だったりするのであった。


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