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嗚呼日本人 6

嗚呼日本人 ~目次~

  先週の雑感に日本人が過剰品質を要求する国民であるということを書き、それが日本人であるとも書いたが、正直なところ 「ちょっと異常だな〜」 と思ってしまうこともある。 どれくらい前からか分からないが、日本人はやけに清潔な民族になってしまったようだ。 不潔にしておくよりは清潔な方が良いのは当然であるが、あまり過剰に反応するのもいかがなものか。

  身だしなみは清潔なのに越したことはないが、やれ顔にダニがいるだの、口の中(舌)に雑菌が繁殖しているだのと、心理的に人を追い詰めて商品を買わせようとするのもいかがなものか。 たとえ雑菌が繁殖していたとしても自分の体内の話である。 他人を病気にしてしまうならまだしも、多くの場合は自分自身にすら大きな影響を与えない。”菌” という言葉で不安をあおるのはやめていただきたい。

  いったい何の菌が繁殖するのを前提にしているのか分からないが、やたらと抗菌加工した商品も多い。 浴室のカビを防ぐとか、ある程度は納得できるものもあるが、中には抗菌ソックスだの抗菌タオル、抗菌スーツ、抗菌ストッキング、ボールペン、鉛筆、消しゴムなどなど 「どうだ!!」 と言わんばかりの勢いである。 そんなものに抗菌加工して何になるのだろうと不思議に思ってしまう。

  次から次へと商品化されるところをみると、それなりに売れているのだろうが、そんなに菌を排除したら抵抗力がなくなってしまわないか心配である。 子供の頃から清潔で雑菌のない環境で育てられると、ちょっとした菌にすら抵抗できなくなってしまうのではないだろうか。

  食品でも賞味期限の表示が義務付けられ、それを過ぎると捨ててしまう人も多いだろうが、賞味期限が過ぎたからといって食品が腐るわけではない。 あくまでも風味を損なわず、美味しく食べるための目安でしかない。 ゆえに捨てる必要などないのである。 日本では食べ残しなどによる食物の廃棄が 40%に達しているという。 多くの食物を輸入に頼り、その 40%を廃棄しているのだから訳が分からない。

  自分が子供の頃は、年寄りに育てられたこともあって、食パンにカビが生えた程度では捨てることはなかった。「カビた部分を取れば食べられる」 とか 「焼けば菌は死ぬ」 とか、しまいには 「青カビはペニシリンの材料だ」 などと言いくるめられて、仕方なしにボソボソと食べたものだが、確かにそれが原因でお腹をこわしたことなどなかった。

  今はさすがにカビの生えたパンを食べることはなくなったが、それが果たして良いことなのかは分からない。 廃棄される 40%の食物には、家庭から廃棄されるものもあれば、外食産業から出るものもあるが、コンビニの弁当類が特に多いと聞く。 コンビニでは鮮度を売り物にするため、店舗に陳列して一定以上の時間が経過すると廃棄処分となる。

  世界のあちらこちらで飢餓に苦しんでいる人がいるのに、こんなことで良いのだろうか。 日本の食物の自給率は 40%くらいで、それ以外は輸入しているのだが、そんなに大量に廃棄しているのであれば輸入量を減らして自給率を高めることくらいできそうなものである。 何でも輸入に頼っていると BSE(狂牛病) 問題で牛肉が輸入できなくなったり、残留農薬やら衛生面の問題でアジアからの食品が輸入できなくなったら大問題である。

  いろいろと不安ながらも、深刻な事態にならなければ行動を起こさないのも、日本人らしいと言えば日本人らしいのではあるが。

歯医者三軒目-終章-

過去に通った歯医者

その歯医者には回数にして 四十数回、期間にして半年間も通う羽目になってしまった。元はと言えばボロボロになるまで放置しておいた自分が悪いのであり、『身から出た錆び』 とか 『自業自得』 という言葉を身にしみて思い知らされたのであったが、よりによってこんな歯医者に長く通うことになるとは・・・。しかし、歯医者を選定したのも自分であるため、それも自己責任ではあるのだが・・・。

最初はオシャレな雰囲気に圧倒されたり興奮していたりしたのだが、何度も通ううちに変なことが気になりだした。待合室の大型 TV に映し出されている映画は 『ボディーガード』 など当時ヒットしていたものも多かったが、『プレデター 2』 などのような猟奇的、暴力的なものが多い。それが何度も何度も ”上映” されるので長く通っている人などは画面を見ずに本を読んだりしている。

待合室の片隅には熱帯魚が飼育されていたのだが、よく見ると水槽の上に 「院長作」 というカードが立てられている。何が 「院長作」 なのだろうと思い、近くで見てみると水槽の中には古代遺跡のオブジェが沈められており、その影からバルタン星人のフィギアがこちらを見ている。日によって古代遺跡がローマ神殿になったりバルタン星人がウルトラマンに変わったり変化を楽しんでいるようだが、とても気持ち悪い。

医者たる者は内科医であろうと外科医であろうと歯科医であろうと落ち着いた雰囲気の人が個人的には望ましい。しかし、院長と呼ばれるその先生は激情型のとってもヒステリックな人だった。患者の目の前で助手さんを平気で叱り飛ばす。その他の技師さん達にもネチネチと嫌味を言っている。その先生が主たる要因だとは思うが職場(院内)の雰囲気がギスギスしていてとても暗い。

『キレイなお姉さん』 と思っていた受付の女性が院長の奥さんなのか愛人なのか恋人なのか分からないが、助手さんたちに対する態度がやたらとでかく、高圧的に叱りつけたり何事かを指示したりしている。そこに勤めていた女医さんなどは院長に嫌味を言われても無視してみたり、悔し泣きしながら治療を続けていた。そんな状況であったから人の入れ替わりが激しく、仕事に慣れる前に辞めてしまう人が多い。

次々と新しい人が来て、一から仕事を覚えなければならないため、院長がまたイライラするという悪循環に至っていたようだ。そういったことで一番の被害を被るのは患者である。口の中の水や唾液を吸引する器具の使い方を教えるのも患者が実験台で、「吸い出すときは横から」 とシュゴゴ〜とやって見せる。「奥まで入れすぎると」 と器具を突っ込まれた時は 「おえっ!」 となってしまった。

人が 「おえっ」 となっているのに 「ほら、こうなるから」 などと説明している。「何するんじゃ〜!」 と言ってやりたかったが、その後の治療で痛くされてはたまらないので、じっと耐えるしかなかった。家族も被害にあっている。歯茎を縫い合わせる糸は抜糸の必要がないように自然に溶けてしまう 「高級な糸を使ってますからね」 などと患者に自慢するくせに、助手さんがその糸を長く使用してしまった。

すると糸の両端を持ち、横に広げながら 「もったいない」 と助手さんを叱りつけるのだが、歯茎と繋がったままの状態でそれをやるものだから唇の両端がジョリジョリされて赤くなってしまった。仕事に慣れない人ばかりのため患者として辛かったのは歯の型をとる作業である。ピンク色のデロリ〜ンとしたものを入れられ、それが固まるまで待ち、ゆっくりと外して型を抜くのだが、外し方が悪いためか何度も失敗する。

一本の歯の型をとるために 5回も 6回もやり直しである。一緒に通っていた家族は何度失敗されたか 「12回目までは数えていたけど、面倒になってやめた」 くらいなのだ。それで精巧な型がとれるのならまだしも、できて来た差し歯が合わずに取れてしまうこともあった。そんな時は再治療、差し歯の作り直しである。こちらに責任がなく、技量が未熟なために再治療になったにも関わらず金はとられる。

電化製品などのように歯にも保証期間を設けるべきだと心底から思ってしまった。そして、そんな歯医者に通うのはとても嫌だったが、カルテ類の一式を患者が入手し、他の歯医者で続きの治療を受けることは不可能なため、一度通い始めると最後まで続けなければならないという不条理きわまりない慣習である。それに加えて嫌でも通い続けて早く治療を終わられなければならない事情ができてしまった。

会社から大阪本社への転勤を言い渡されてしまったのである。その 8月は実父が入院中で余命いくばくもなく、年を越せるかどうかという状態だったので、「転勤は春まで待ってもらえませんか」 と陳情したが受け入れられず、10月の転勤が決定してしまった。そうなると 9月中に治療を終わらせなければならない。それからは滅多に使ったことのない有給休暇を乱用し、毎日のように歯医者に通った。

そして引越しを翌週に控えた 1994年 9月 22日 木曜日 最後の治療が終わった。長く辛い地獄の日々から開放された記念すべき日である。10月、引越しも無事に終わり大阪府民になった。治療が終わってから一年目の 9月・・・前歯がポロリと抜け落ちた・・・。

歯医者三軒目-序章-

過去に通った歯医者

長らく虫歯を放置していたため、折れたり崩壊した歯は 10本以上になった。前歯もガタガタになり、二ッと笑うと見える範囲で 3本も抜けている。人から 「歯医者に行かないんですか?」 と聞かれても 「これはチャームポイントなんだ!」 と言い張り、「何の特徴もない顔なんだから、これが唯一の特徴だ」 とまで言ってのけて頑ななまでに通院を拒否していた。

人と会う機会の多い仕事であれば、それなりに気を遣って治療したであろうが、当時の仕事は外部の人との接触がなかったために本人さえ気にしなければ、それほど問題はなかったのである。周りの人間も見慣れてしまっていて歯医者通いを促されることもなかった。それどころか歯の抜けた部分にタバコを挟んでみたり、その部分から煙を吐いてみたりと笑いをとるのに役立てたりしていた。

何年間かの時を経て、現場の仕事から外部の人との折衝へと仕事内容が変わり始めた頃、会社の社長に 「歯を治せ」 と言われた。その時も 「これはチャームポイント・・・」 と言って逃れようとしたが 「何がチャームポイントだ!つべこべ言わずに行って来い!」 と叱られてしまった。しかし本社は遠方にあり、社長とは滅多に会わないので 「は〜い」 と良い返事だけして、それからも放置し続けていたのである。

それからも会う度に 「まだ行ってないのか!」 と言われ続けたが、「今の仕事が一段落してから」 とか 「帰りの時間が不規則だから通院は・・・」 などと、のらりくらりと言い訳しながら引き延ばしてしていた。何度目かに会ったとき、ついに 「歯医者に行かなかったらボーナスなしじゃ!」 と言われてしまった。特にお金を使う予定もなかったが、ボーナスが貰えないのは悲しいので、仕方なしに通院する決断をした。

何年も通ったことがなく、どのように歯医者を選定すれば良いのかも分からないので、色々な人に聞いて回ったところ、人生経験豊かなご老人から 「新しい歯医者は開業資金を回収しなければならないのと、評判を良くするため一生懸命やってくれる」 との情報を得た。帰りの時間が不規則なのは本当のことだったので 『夜遅くまで診察している』 という条件を併せて探したところ、自宅の近所に該当する所があった。

自宅から徒歩 3分、開業して間もない、美容室と見まちがうようなお洒落で立派な造り、診療時間も夜 9:00までと申し分ない条件である。早々に電話で予約を入れ、通院する手続きを済ませた。通院初日、ドキドキしながらドアを開けると、そこには 「本当に歯医者か?」 と疑いたくなるような待合室があった。床はフローリング、黒い革張りのソファ、大型の TV 画面には字幕入りの洋画なんぞが映し出されている。

受付にはバッチリ化粧をし、髪をフワフワにカールさせた ”お姉さん” がすまし顔でたたずんでいる。革張りのソファに座ると体をやさしく包み込むような座り心地で頭の中には 「高級」 の二文字が浮かんできた。辺りを見渡すと床だけが木目調で、その他の調度品、壁などはモノトーンな色調に統一されている。待合室の隅には観葉植物が置かれたりしていて、これから歯の治療を受けることを忘れそうである。

名前を呼ばれ診察室に入ると待合室と同じようにモノトーンな世界が広がっていた。診察用の椅子もゴツイ感じのものではなく、お洒落でデザイン性の高いものが使われている。とにかく何から何まで 「おっされ〜」 な雰囲気なのだ。こんな場所でボロボロの歯を見せて良いのかと躊躇してしまったが、ここは間違いなく歯医者であるので 「全部治してください」 と言って口を開けた。

その歯を見た先生は 「ありゃ〜」 と言ったまましばし沈黙し、「どこから手をつけましょう?」 と言う。とりあえずは目立つ前歯からとリクエストしたものの、先生は腕組みしながら 「う〜む」 と考え込んでいる。結局その日はあらゆる角度からレントゲンを撮り、今後の計画を練って診療を終えた。帰りの受付には、さきほどとは違うが化粧をバッチリ決めた ”きれいなお姉さん” が座っていた。

自宅に戻り家族に対して、いかに ”おっされ〜” な歯医者であったかを興奮して話した結果、家族共々で通院することになった。そして、それが間違いの始まりであった。それから長い間、地獄と恐怖の苦しみを味わう事になろうとは予想だにしなかった。その歯医者の実態というのが・・・。

歯医者ネタでこれほど引っ張ることになるとは思わなかったが長文になってしまったのでまたまた続く。

歯医者停滞期

過去に通った歯医者

その始まりは先週の雑感に書いた歯医者が原因だった。あまりにも治療がヘタで、血も通わぬ問診を繰り返すような所へは行きたくなかった。しかしそれは第二の理由で、本当は遊ぶのに忙しくて歯医者通いは面倒だったというのが最大の理由である。友達と遊ぶ時間を割いてまで歯を治療したいとは思わず、徐々に進行していく虫歯を放置していたため最後には悲惨なことになってしまった。

人間には自然治癒力というものがあり、体調を崩しても怪我をしても回復するのであるが、歯だけは自然に治るものではない。理屈では解っていても痛みが去ると通院する気が失せてしまう。再び痛くなってくると通院すべきか悩むのであるが、痛い部分を氷で冷したり、正露丸を直接つめたりしているうちに痛みが治まり、再び通院する気が失せるという繰り返しだった。

最初は左上の奥歯に小さな穴が開いた。初期段階は冷たい物を口にすると、しみる程度だったが穴は徐々に大きくなり、ズキズキと痛み出した。それでも痛みには周期があり、一定時間を我慢していると嘘のように治まってしまう。それを繰り返しているうちに痛くなることがなくなってしまったので歯医者に行かずに放っておいた。もちろん虫歯は進行したままである。

それ以来、食べ物を噛むのは右側だけになったのだが、今度は右上の奥歯が腐り始めた。そこで痛みもなくなった左側で噛むようにしていたところ、今度は奥から二番目の歯が崩壊し始めた。次に噛むのを右側に戻していると右側の奥から二番目の歯が駄目になり・・・。だんだん噛む場所がなくなってきたので物を良く噛まずに飲み込む癖がついてしまった。

そんな状態になっても歯医者に行かず放置したまま生活していると、虫歯は前歯まで広がってきた。後で知ったことだが、虫歯はミュータンス菌によるもので ”菌” というくらいだから当然のことながら感染する。じつは、生まれたばかりの赤ちゃんの口の中には、虫歯菌(ミュータンス菌)はいないのだそうだ。もし、そのまま大人になれば虫歯で苦労することもない。

どうして虫歯菌が住みついてしまうのかというと、それは身近にいる親からもらってしまう。赤ちゃんが使うスプーンをうっかりなめたり、親の箸で一緒に食べさせたりすると虫歯菌が赤ちゃんの口の中に移っていくことになってしまう。虫歯になると 「丁寧に磨かないからだ!」 と叱られたものだが、実は親に原因があるので子供から 「お前のせいだ!」 と反撃されかねないのである。

そんなことはさて置き、前歯まで広がった虫歯は左側の犬歯を壊滅状態にしてしまった。すると土台を失って安定感を失ったためか、隣の挿し歯がとれてしまったのである。いよいよ歯医者に行くべきかとも思ったが、やはり面倒なので瞬間接着剤でくっつけてみた。接着剤の威力は絶大で見事に歯は固定されたのだが、少し斜めについてしまった。格好の良いものではなかったが、「まあいいや」 と再び放置。

それから少しして前歯の一本が折れてしまった。原因は虫歯が進行していたのはもちろんだが、ボキッと折れた直接の原因は喧嘩だった。殴り合いの喧嘩をしていて顔面にパンチをくらった時に弱っていた歯は衝撃に耐え切れずに、もろくも崩壊してしまったのである。折れた歯を再び瞬間接着剤でくっつけようと試みたが、断面が合わずにあえなく失敗に終わってしまった。

それから数日後、折れた歯の残りの中心部から何かがぶら下がっている。食べ物が詰まっているのかと思い、楊枝でコリコリしてみると異常な痛みが走る。何だろうと思いつつも気になってしかたないので爪ではさむようにして思い切り引っ張った。そのとたんに電流のような痛みが体を走り、脊髄までしびれた。今から考えると ”あれ” は神経だったのかもしれないが、痛みで三日間ほど寝込んでしまった。

ここまできたら、いよいよ歯医者・・・と普通の神経の持ち主であれば考えそうなものだが、『自分で神経を抜いた男』 はこんなことではめげないのである。それからも長らく歯科医の門をくぐることはなかった。笑うと前歯がなく、それ以外の歯もガタガタだったので、とても人様にお見せできるような姿ではなかったと思うが、本人は臆することもなく平気な顔をして生活していた。

そんな自分にも転機が訪れ、やむを得ぬ事情により二十数年ぶりに歯医者に通うことになった。ところがその歯医者というのが ・ ・ ・ ・ ・。 次週につづく。

歯医者二軒目

過去に通った歯医者

その歯医者は極端な商業主義だった。いささか唐突ではあるが、先週の続きである。いつも行っていた歯医者が廃業したため、次に通う歯医者を探していたところ、「知り合いが勤めている」 という理由だけで紹介された歯医者に行くことになった。腕が確かとかいう理由ではないのに少々不安を感じないでもなかったが、せっかく教えてもらったことでもあるので行ってみることにしたのである。

ましてや当時は小学生だったため、自分で歯医者を選別する見識などあるはずもない。親に 「行ってこい」 と言われれば 「は〜い」 と従わざるを得ない。なんとなく嫌な予感もしたのだが、親の命令に従い渋々ながらも通うことになってしまった。小さな町ながらも市の中心部にその歯医者はあった。それまで通っていたところとは異なり、近代的な建物である。

中に入ってみて患者の多さ驚いた。大きな待合室にたくさんの人がいる。歯医者は予約制であるから多くの人が待っているなどとは考えもしなかったし、それまで行っていたところでは他の患者さんに会うことすら少なかった。たまに待合室に座っているのは前の人が精算を待っているくらいのものである。ところが目の前には 10人以上の人が座っている。

呆気に取られながらコソコソと空いている席に座り、目だけ動かして周りを見ていると、次から次に名前が呼ばれて診察室に人が入り、次から次へと治療を終えた人が吐き出されてくる。「なぜだ?」 と考えはしたものの頭の良くない小学生に理解できるはずもなかった。考えるのをやめて足をブラブラしたりしていると名前を呼ばれた。診察室のドアを開け、中を見て驚いてしまった。

そこには数多くのイスが並び、歯医者さんが何人もいる。看護婦さんだか助手さんだかわからないが、医者の数以上の人たちも忙しそうに動き回っている。これだけの人を一度に治療できるのだから患者の回転が速いのも当然だと納得しつつも、その圧倒的な白衣の数にたじろいでしまった。「こちらですよ」 と奥の奥にある席に案内され、座って待っていると先生がやってきた。

メガネをかけた先生は感情を持っていないような冷たい目の持ち主で、子供相手だというのにニコリともせずに 「どうしました?」 と、これまた感情のこもらない冷たい口調で聞いてくる。何となく怖かったので声に出さず、イ〜っとして虫歯になっていた下前歯を指差した。その歯をいろいろな角度から見て何事かを側に立っていた助手さんに告げ、先生は立ち上がって行ってしまった。

どこに行ったのかと思えば今度は違う席で別の人の歯を診ている。なるほど医者の数より治療用のイスが多いわけだ。医者の行き先を見ていると助手さんがニコニコしながら寄ってきた。手に注射器を持ち 「麻酔しますからね〜」 などと言う。突然の出来事に驚き、口を閉じてイスにへばりついたが、そんなささやかな抵抗も空しく、口を開けさせられ歯茎に針を刺されたのだが、どうもおかしい。

その助手さんは新人だったのか、注射がとても下手で針が歯茎を突き抜けている。それに気付かないものだから注射器の液体がチュ〜っと口の中に入って来る。「大変だ〜!」 と叫びたかったが、針が刺さっているので口を動かすこともできない。針が抜かれた後でゲホゲホとむせ返ってしまい、少し薬を飲み込んでしまった。「どうしたの?」 と聞かれ事情を説明すると、「まあ!それじゃあ・・・」 と言う。

あやまってくれるのかと思ったら 「ごめんなさい」 も言わずに、もう一本注射されてしまった。二本目の注射では恐怖のあまりに体がカチカチに硬くなった。それからの治療も大変で、先生の腕はともかく、麻酔薬を飲んでしまったのがいけなかったのか 「うがいしてください」 と言われてもノドに感覚がなく上手にできない。水も口の横からデロリ〜ンとこぼれてしまった。

家に帰り、歯医者での出来事を事細かに親に報告したが、「治療が終わるまで行け」 と言う。子供にとって恐怖でしかない注射を二回もされて悲惨な目に会ったというのに 「何という言い草か!」 と思ったが、親には逆らえなかったため、仕方なく最後まで通院した。そして、その歯医者を最後に、どんなに歯が痛くなっても、どんなに虫歯でボロボロになっても 20年以上もの間、歯医者に行くことがなかった。

20年以上にも及ぶ壮絶な歯との戦いは激烈を極めた・・・が、続きは次週にすることにする。

歯医者一軒目

過去に通った歯医者

最近では少しでも歯の調子が悪くなると、すぐに歯医者に行くことにしているが、以前は長い間 ”ほったらかし” にしていた。何せ 20年間ほど歯医者に行かなかったものだから、もうこれ以上は悪くなり様がないだろうというくらいボロボロだったのである。知り合いに歯医者で治療されるときの 「キュイ〜ン」 という音と、歯を削られる感覚が好きだという人がいる。あまりにも気持ちよくて寝てしまうのだそうだ。

そんな人は珍しいのだろうが、自分は歯医者で治療を受けるのは決して好きではないが、眉をひそめるほど嫌いというわけではない。痛いのはもちろん嫌いだが、治療のときの痛み程度は我慢できる。だったら、もっとマメに通えば良さそうなものだが、歯医者の難点は通わなければいけないというところである。一回の治療で治るのであれば面倒ではないが、一本の歯が完治するまでに何度も通わなければならない。

若い頃は金がなかったのと、遊ぶのに忙しいという理由で、歯医者には行く気になれなかった。子供の頃は自分に行く気がなくても親が勝手に予約を入れて無理矢理にでも通わされた。記憶の限りでは最初に歯医者に行ったのは小学校の二年生くらいだったように思う。

その歯医者は腕(技術)には定評があるものの無愛想なことでも有名なところだった。大人でさえ 「あの先生は怖い」 と言うのだから、子供にとってはゴジラよりも怖い存在だったのである。歯医者まで一緒に来るような親ではなかったため、一人でトボトボと向かう足取りは重い。行ったことにして帰ってしまおうかと考えたことも一度や二度ではなかったが、そんな嘘はばれるに決まっているので勇気をふり絞り、重い足を引きずるようにして通ったものである。

行く前に一応は歯磨きをして行くのだが、そこは子供のやることなので、どうしても磨き残しがある。それを見つけるとマスクの奥で 「ん゛ー!」 と声を出し、器具でガリガリと削りながら叱られる。「ちゃんとキレイに磨きましょうね〜」 などと優しく諭す人ではないのである。治療中も 「はい、うがいしてください」 などとは言わない。小さな声ながらも鋭く 「うがい!」 と命令される。

長く口を開けていると疲れてきて、少しずつ開きが小さくなってくる。そんなときもアゴをワシヅカミにされて 「ん!」 と口を開けられる。まるで拷問にあっているような、軍隊で絶対服従させられているような恐怖の時間が過ぎていく。いくら怖くても声を出して泣くこともできず、恐怖におののき、目に涙を溜めたまま、時間が過ぎるまでただひたすら耐え忍んでいた。

ところが、ある日を境にその先生の態度が一変した。子供を恐怖のどん底に叩き落し、大人にでさえも恐れられていた先生が、「はい。あ〜んして」 とか 「はい。ガラガラ〜ってうがいして」 などと、とても優しい。子供ながらに気味が悪く、違う意味で恐怖を感じたりしてしまった。その変貌ぶりを家に帰って親に報告したところ、「孫ができたからかね?」 と言う。

鬼のような先生も自分に孫ができてみると 『子供は可愛い』 と感じるようになったらしいのである。当時聞いた話によると、子供に対する態度だけではなく、大人にも優しくなったらしい。人は何かのキッカケで変われるものだと、今になって思ったりしている。それからは、「腕は確かだけど偏屈な先生」 という評価から 「腕も確かで優しい先生」 という評価に変わり、多くの患者をかかえる評判の歯医者になった。

それから長らく黄金期は続いたのだが、先生が高齢になり、後を継ぐ人もいなかったのか廃業することになってしまった。残された患者は大変である。通う歯医者は簡単にコロコロと変えられるものではない。人から評判を聞いたり右往左往しながら次に通う歯医者を探すことになってしまった。

次に通うことになったところが、それから 20年もの間、自分を歯医者から遠ざける原因となった因縁の歯医者なのだが、その話は次の機会に譲ることにしようと思う。

想い出の居酒屋 其の参

想い出の居酒屋 おしながき

想い出の居酒屋シリーズも其の壱其の弐を経て今回で第三弾になった。その店には語り尽くせないほどの想い出が詰まっているのである。其の弐でも触れたが、酒の席で仕事の話はご法度としていた。酒は楽しく飲むものであって、仕事の話などすると 「酒がまずくなる」 というのが第一の理由だ。

  どうしても仕事の話をしなければならない場合、飲み代は経費で落とすか、上司が全額負担すべきである。酒の席で部下を説教し、飲み代は割り勘などというのは ”もってのほか” だと思う。部下にしてみたらマズイ酒を飲み、金を払ってまで説教など聞きたくないはずだ。

  そして第二の理由は酒の席で仕事の話などしても 「どうせ次の日になったら覚えていない」 と思われるからだ。重要な話であれば尚のことシラフで話をするべきである。普段は気が小さいくせに酔った勢いで部下に説教しても、部下は心の中で 「ふんっ!」 と思っているだろうし、酔った勢いで気が大きくなり、「職場の雰囲気や仕事の仕組みを変える!」 などと上司が宣言したところでシラフになると何もできないに決まっている。第一、その席で話したことなど次の日には半分以上は忘れていることだろう。

  以前から何度も書いているように、その店には本当に世話になった。金のない若いサラリーマンの憩いの場所だったのである。仕事の都合で二週間ほど店に行けないと、心配して電話をかけてくる。ある日など 「上等なカニが入ったんだ」 と誘いの電話があった。喜び勇んで店に顔を出すと、出てきた料理は沢蟹の唐揚だった。

  「あのな〜!カニっていうのは毛蟹とかタラバとか松葉とか・・・」 と文句を言うと 「カニには違いないんだから文句言わずに食え!」 などとぬかす。そんなことにも大笑いしたり、文句を言ったりしながら結局はバリバリと音を立てながら味を楽しんでいた。

  ある年には忘年会(会社とは別)で、超低予算にも関わらず 「いつも来てくれるお礼」 だと言って豪華な料理を用意してくれたことがある。店に行くとすっかり準備は整っており、テーブルには店のメニューにはない料理が山のように並べられている。「お〜すごい!」 と一同驚き、我を忘れて貪り食っていると空いた器が片付けられ、次から次へと新しい料理が運ばれてくる。

  「なんと素晴らしい店か」 と店長や従業員を誉め称え、腹がはちきれんばかりに食べて飲んだ。旺盛な食欲を満たし一息ついたところでテーブルを見渡すと ”お造り” の大皿に何かを模ったワサビがある。「これ何?」 と従業員に聞くと 「店長が張り切って造ったんだよ」 と言う。「これは何ぞや」 とみんなで相談したが、なんだかよく分からない。

  どうやら ”鳥” らしいのだが、ずんぐりした東京銘菓 『ひよこ』 まんじゅうのようにも見える。少し立てて見るとペンギンにそっくりだったので 「それに違いない」 という結論に達し、爪楊枝を刺して足をつくり、皿の上に立たせておいた。そこにニコニコと店長が登場。皿の上に立っているワサビを見て 「なんだそりゃ?」 と言うので 「ペンギンはやっぱり立ってなくちゃ」 と答えると、急に不機嫌な顔をして 「それはウグイスだ!」 と怒り出した。

  そこでまた大爆笑となり、「何で年末にウグイスなんだ〜!」 「春告鳥とも呼ばれるくらいだから今は時期じゃないよ」 と口々に罵っていると 「うるさい!」 と言ってどこかに行ってしまった。かなり可笑しかったが、せっかく我々のために造ってくれたのだから少し申し訳ない気分になり、”足” をはずして皿の上に置いておいたが、話の途中でそれが目に入るたびに笑いが込み上げてきたのだった。

  あの頃、どんなに悲しいことや面白くないことがあっても、その店に行ってお腹が痛くなったり涙が出るほど笑っていた。時間がゆっくりと流れ、その時代がいつまでも続くようにも感じていた。しかし、ある日のこと、店長と従業員の一人が店を辞めて独立することになった。そして、その後は店に行くことはなくなってしまった。ここから先の想い出の居酒屋は新しく開いた店に舞台が移っていくことになる。

嗚呼日本人 5

嗚呼日本人 ~目次~

  まだまだ続くと覚悟していた暑さも一段落したようで、ここのところ涼しい日が多くなってきた。ここで油断していると急に気温が上がってグッタリしてしまうのだろうが、失いかけていた食欲も復活しつつあるようで、なんでも美味しく食べられるようになってきた。

  ただし、問題なのは調子にのって食べ過ぎてしまうことである。三度の食事はもちろんなのだが、昼食から夕食までの間や夕食から就寝までの間にも何かを口にしたくなってしまう。もともと間食をする方ではないのだが、この季節はどうしても口が卑しくなってしまうようだ。この夏の間に 2kgほど落ちた体重も復活していくのであろうが、体形を気にする年齢でもないので自然にまかせることにしている。

  何を食べても美味しい季節にはなったものの、日本国内は相変わらず食の安全に対する信頼が崩壊したままである。雪印の食中毒事件に始まり、BSE(狂牛病)問題、鶏肉問題、無認可の添加物問題、残留農薬問題などなど挙げればきりがない。生産段階や製造段階でのトラブルだけではなく流通や小売の段階でもラベルの偽装などがあるため、何を信じて購入すればよいのか解らなくなってしまった。

  それにしても、いつから日本人はこうなってしまったのだろう。以前の雑感にも書いたとおり昔の日本社会は性善説で成り立っていたはずである。悪いことやズルイことをするはずがないという信頼関係があり、売っているものの賞味期限がごまかされているとか、産地が偽装されているなどと考えたことすらなかった。何の疑いもなく売っているものを購入し、口に入れていたのは間違いだったのだろうか。

  造ったり売ったりする側のモラルが低下しているのと同時に消費者側の考えにも変化が現れはじめた。以前であれば消費者の立場が弱く、購入した商品にトラブルがあっても泣き寝入りすることが多かったが、最近では使ってみて気に入らなければ返品したり、その商品が原因で事故が起こった場合はメーカを訴えたりしている。それは当然のことなのだが消費者が保護されるようになったのは最近のことである。

  そして、もうひとつの変化は不祥事を起したメーカの商品が一斉に撤去されることだと思う。毒性のあるものが混入していたのであれば商品撤去は当然だが、雪印や日本ハムが輸入肉を国産とごまかしていた事件のように食品の安全性とは直接的に関係のない場合でも商品は撤去される。主体となっているのが販売店ではあるが、店頭に商品が並んでいても購入しない消費者は多いと思われる。これは ”不買運動” に近いもので、以前の日本では考えられないことだった。

  アメリカとかであれば商品そのものに問題はなくてもメーカの不祥事や体質までも問題視して不買運動が起こることがある。日本では人気の衰えないメーカのひとつにスポーツ用品などを販売する NIKE(ナイキ)があるが、1997年にナイキが委託するベトナムなど東南アジアの下請工場で、強制労働、児童労働、セクハラなどの問題があることが暴露されたとたんに、アメリカでは反対キャンペーンが起きて、ナイキ製品の不買運動、訴訟問題にまで発展した。

  それに比べると日本人は 「まあまあ」 と言ってウヤムヤにしてしまうことが多かったのだが最近は様子が違う。不祥事を起す会社のものは安心して消費者に提供できないという考えから取引を中止するところが多い。今回の日本ハムの件で、身近なところでは 『ケンタッキー・フライド・チキン』 や 『牛角』 が仕入先の変更を検討しているし、学校給食からも外されそうな勢いだ。

  日本ハムが食肉流通の営業を再開できたとしても以前のような売上げは不可能だと思われる。雪印が消費者離れを食い止められずに解体に追い込まれたのと同様に日本ハムも無傷ではいられないだろう。最近になって ”顧客重視” や ”消費者重視” の目標を掲げる企業が増えてきたのは、消費者が怒るとどれだけ大変な目にあうかということが身にしみて実感した結果だと思う。

  「最近の日本人(消費者)は強くなったんだな〜」 と思う反面、不祥事を起してしまう企業を見ても 「やっぱり日本人なんだな〜」 と思ってしまう。BSEでは先進国であるイギリスでも国による買取り制度がある。そして、やはりインチキをして金を騙し取る事件も発生している。しかし、日本と決定的に違うのは事件を起すのが企業ではなく個人だということだ。

  個人の利益のために個人が犯罪を犯すのは許されない事ではあるものの、ある程度は理解することができるらしいのだが、個人には何の利益もないのに会社のために犯罪を犯す日本人をイギリスでは理解できないらしい。アメリカにしてもヨーロッパにしても個人主義であるわけだから 「そんなことをして何の得があるんだ?」 ということが先にきてしまうのだろう。

  いままでの日本は終身雇用、年功序列が前提となっており、経営者を頂点に擬似的な家族関係が形成されることが多かった。会社を守ることが生涯に渡って自分の身を守ることにも繋がった。会社(家族)を守るためなら犯罪にも手を染め、身代わりに逮捕されるのも厭わなかったのだろう。しかし、終身雇用制や年功序列が前提ではなくなってきた今、そしてこれからは会社を命がけで守ろうとする日本人は確実に減っていくことであろう。

嗚呼日本人 4

嗚呼日本人 ~目次~

ワールドカップでは日本も健闘したが惜しくもトルコに敗れてしまった。いかにも日本的だったのは 「よく頑張った」 「夢をありがとう」 など賛辞の言葉ばかりで敗戦の理由を冷静に分析することを忘れている。問題点というのは明らかにするから解決できるのであって、放っておけば解決できない。よく頑張った日本代表チームを称えるのは当然として、何がいけなかったのかも分析してほしかった。

  ゴルフの試合で一打目をミスショットし、そのホールをボギーとしてしまったにも関わらずギャラリーから 「ナイス・ボギー」 という声援があがったのを外国人選手が不思議な顔をして聞いていたという話がある。ギャラリーからすると 「あれだけのミスをよくカバーしてボギーで終わらせたね」 という意味の 「ナイス・ボギー」 だったのだろうが、そんな浪花節的な発想では更に上を目指すことは難しいのではないかと思う。

  かと言って、何度も書いているように自分はサッカーに詳しいわけではないので敗戦の理由を分析することなどできない。したがって、「よく頑張ったね」 とか 「次回(2006年)に向けての重要な経験ができたね」 などと典型的な日本人思考になってしまう。結果的に偉そうなことは言えないのである。

  スポーツの世界で ”たら” とか ”れば” を使ってはいけないそうだが、もう少しだけ頑張ってい ”たら” もう少し長く夢を見られたのに・・・。あの時のトルコ戦で日本が勝ってい ”れば” 今日(06/22(土))は大阪での試合だったのに・・・。ワールドカップに気を取られていて気が付けば阪神はズルズルと順位を下げているし、大阪府民のテンションは下がりっぱなしである。

  この雑感で予想した通り、にわかファンが溢れ出てきたことと、熱しやすく冷めやすいのは何とも日本人らしい。にわかにサッカーファンとなり、熱病にでもおかされたように騒いでいたくせに日本が敗退すると急に冷めてしまったようだ。日本が負けてしまったことで 、にわかサッカーファンの 70%は冷めてしまったのではないだろうか。そして ”ベッカム様” 率いるイングランドが負けたことで更に 20%程度の人が冷めてしまい、これからもサッカーという競技そのものを楽しむ人は 10%程度ではないだろうか。

  勝手な推測で申し訳ないが、その 10%の人で Jリーグの試合会場に足を運ぶ人は何人いるだろうか。世界の中でもレベルの高い試合を見たあとで Jリーグの試合を見て満足できる人が何人いるだろうか。そしてこれからもサッカーという競技そのものを楽しむ人はどの程度いるのであろう。サッカー人口が増えて Jリーグの組織やチームの運営が楽になると良いのだが、大きな効果は期待できないような気がする。

  日本人らしいといえば、イングランドのキャンプ地だった淡路島の津名町では小学生がベッカムから貰ったサインを津名町教育委員会が取り上げてしまったらしい。単純に「サインが貰えない子供がかわいそう」 ということなのだろうが、なんでもかんでも公平にすれば良いというものでもなかろう。もらえる人もいれば、もらえない人もいる。勝つ人もいれば負ける人もいる。

  最近の小学校では運動会の時もみんなが手をつないで一緒にゴールさせたりしているらしい。それも 「負けた子がかわいそうだから」というのが理由なのだろうが、そんなことをして何になるのだろう。スポーツに限らず何にでも勝ち負けがある。勝者の陰には何人もの敗者がいる。小さな頃から負け方もきちんと学習しておかなければ、ロクな大人になれないと思う。

  なんでも公平に平均的にしていると、少しでも平均から外れたり負けそうになった時の対処法が身に付かないではないか。このままだと人が持っているものを自分が持っていないなど、ちょっとした理由で ”キレる” 人間や何かに負けた時に過剰に精神が反応してしまい、人を傷つけたりする人間が増えてしまうのではないだろうか。大人はバカなことばかりしていないで勝者を尊敬したり勝者に敬意を払うことを子供に教えるべきだと思う。

  人と競わないのであれば競技ではなくなってしまう。自分の子供が敗者になることを嫌って一緒にゴールさせたりするくせに勉強や進学先は平気で競い合わせている。どこか矛盾していることに気がつかないのだろうか。津名町の件は結果的には生徒達にサインを返すことで落ち着いたらしいが、過保護にするのはいいかげんにして、これから先の人生にも無数の勝敗が待ち受けていることを教えてやった方が良いと思う。

  今回のワールドカップでは日本人の恥ずかしい部分も見えてしまった。6月14日、日本が決勝トーナメント進出を決めた夜。共催国である韓国も決勝トーナメント進出を決めた。TVには日本と韓国両方のサポーターが喜ぶ姿が映し出されていた。インタビューを受けた韓国人サポーターの多くが 「日本と一緒に決勝トーナメントに出られて嬉しい」 と答えていたが、日本人サポーターで 「韓国と一緒に・・・」 と答えた人を見なかった。

  韓国人サポーター達が集まって昼間におこなわれた日本の試合を TVを観ながら応援している姿があったが、その夜の韓国の試合を応援する日本人サポーターの姿は見ることができなかった。実際には 「韓国と一緒に・・・」 と答えた人や夜の試合で韓国を応援していた日本人サポーターもいたと思いたいが、それが TVに映し出されることはなかった。

  6月18日、日本がトルコに敗れたその日の夜、韓国が無理と言われていたイタリアに勝利した。しかし、それを喜び、素晴らしい試合をした韓国に敬意を払う日本人サポーターの数は極少数だった。東京にあるリトルコーリア(韓国料理の店が建ち並ぶ地域)では韓国の人が熱心に自国の応援をしていた。そこに日本代表ユニフォームを身に付けて韓国を応援する日本人サポーターがいたことに少しだけ救われた思いがしたが、その数はあまりにも少なすぎた。

  もちろん韓国人が嫌いな人もいるだろう、アメリカ人が嫌いな人もドイツ人が嫌いな人もいるだろう。しかし、韓国人に特別な感情がない人は共催国でもあるのだから、もう少し韓国の応援をしても良いのではないかと感じてしまった。”あの” イタリアに勝利したのだからもっと韓国チームを尊敬しても良いのではないだろうか。日本が負けたあとの一番の関心事はベッカム率いるイングランドに移ってしまったのが悲しかった。

  考え方は人それぞれだろうが、自国のこととアイドル的有名選手にしか感心を示さない日本人はあまりにも心が狭く 「やっぱり島国根性しか持ち合わせていないのか」 と、とても残念に思えてしまった一週間だった。そして・・・。韓国がスペインに勝った今日(6/22)、我家では日本戦より控え目ながらも小さくパチパチと拍手なんぞしたりしているのであった。

嗚呼日本人 3

嗚呼日本人 ~目次~

  ワールドカップまで 20日を切り、いよいよ秒読みの段階に入ってきた。サッカーファン、試合会場やキャンプ誘致先を含む関係者の間では、さぞかし盛り上がっているに違いない。もちろん放映権が絡んでいる TV局なども準備に余念がないところなのであろうが、逆(マイナス)の意味で警備に当る人たちや警察関連も緊張が高まってきているに違いない。

  大阪は阪神が好調で、そちらに気を取られているせいなのか大きな盛り上がりを見せていないような気がする。実は自分もそれほどサッカーに興味がある訳ではないので TV各局が 「ワールドカップまであと◯◯日!」 などとムードを盛り上げようとしているのを見ても 「ふ〜ん」 と思う程度なのである。

  確かにワールドカップが自国で開催されるのは数十年に一度しかないことなので、生きている間に二度とはお目にかかれない行事なのであろうが、サッカーという競技そのものに魅力を感じないのでイマイチ気分が盛り上がらない。同じように感じている人はきっと大勢いると想像できるが、いざ大会が始まると、そこは日本人の ”悲しい性” で ”にわかサッカーファン” が巷にあふれ出すのであろう。

  普段はサッカーのことなど話もしないのに誰々のアシストが良かっただの悪かっただのと、さも詳しいように語り出す奴が湧いて出てくるに違いない。まあ、日本人である以上、日本のチームが勝ち進んでくれた方が嬉しいし、試合がある以上は結果も気にするのであろうが、始まるのを心待ちにしているのとは程遠い。それどころか、あの耳障りな実況を聞かされると思うと逆に憂鬱になってしまうくらいなのだ。

  以前の雑感にも書いたが、サッカーに限らずスポーツの中継はいつからあんなに騒がしいものになったのだろう。あまにもウルサイので TVの音を消して中継を観たくなるほどだ。オリンピックの中継を観ていても頭の悪そうな解説者までが 「やった〜!」 とか叫んでいる。どこぞの ”おやじ” が茶の間で晩酌をしながら TVを観ているのと変わらないではないか。

  それはさておき、自分が何故サッカーに興味が持てないのかと考えてみたところ、サッカーに限らず時間制の競技にはあまり関心がないことに気がついた。バスケットボール、アイスホッケーなどなど、ゲームの終わりが時間で区切られているスポーツにはあまり関心がない。ボーリングであれば 10フレームで終わり、ゴルフであれば 18番ホール、野球であれば 9回までと決まっている。

  それらのスポーツは過去にブームになったことからも日本人の体質や気質に合っているのかもしれない。回数やステージに制限があり、その中で相手とどのように戦うのかを観るのが好きなのだろう。サッカーなどは ”時間” という制限があるものの、状況がどうであれ時間になれば 「ハイ、終わり」 「勝ったのはコッチ」 という感じなので味気がないような気がする。

  時間に関係なく 「次が最後の攻撃」 とか 「ここで点を入れられたら終わり」、「このパットを入れれば優勝」 などと勝敗の結論がハッキリしている方が観ていても緊張感がある。野球であれば 4点差、5点差があっても最終回で逆転することはある程度可能だが、サッカーの場合は 4点も 5点も差があり、それを残り時間 10分で逆転するのは不可能に近い。

  したがって試合終了近くに、今は勝っているけど逆転されるかもしれない。逆に負けているけど逆転できるかもしれないという醍醐味が得られないように思う。サッカーファンに石を投げられそうだが、個人的には嫌いではないにせよ、そんなこんなの理由からイマイチ没頭できないのだろうと分析している。

  勝敗の結論がハッキリしているにも関わらずバレーボールは好きになれない。「先に何点入れた方が勝ち」 と決まっていて、大きな点差があっても逆転が可能であるから、上述した分析の結果から言っても好きになって当然のスポーツなのであるが、これは数あるスポーツの中で唯一 ”嫌い” なスポーツなのだ。特に競技そのものが嫌いなわけではなく、中継と観客が嫌いなのである。

  国際試合の場合、双方とも ”はなはだしい” ほど日本の応援しかしない。日本に点が入ると会場は 「キャ〜!」 とか 「ギャ〜!」 とかいう黄色い声に包まれる。逆に相手国が点を入れると会場は 「し〜ん」 と静まり返り 「う〜」 という溜息とも唸り声ともつかぬ ”音” が充満する。応援のため遠路はるばる足を運んで来たその国の人だけが僅かに 「パチパチ」 と拍手をする程度である。声援まではしないにせよ、せめて拍手くらいはするべきではないだろうか。

  観客もそうならば、中継をしているアナウンサー、解説者までが同じように日本寄りの発言しかしない。日本に点が入ると絶叫し、相手が点を入れると 「あ〜今のスパイクには高さもスピードもありましたね〜」 「ええ、そうですね〜」 と、おざなりな事しか言わない。そんな会場の雰囲気や中継が世界各国で放映されていると思うと顔から火が出るほど恥ずかしくなってしまう。

  試合に勝つと観客はお祭り騒ぎになり、中継も絶叫と共に 「よかった、よかった」 と連呼するくせに、負けたとなると葬式の会場のような暗さが漂ってしまう。会場から沸き起こる拍手は勝った相手国を称えるものではなく、負けた日本に対して 「負けちゃったけど、よく頑張ったね」 という労いの拍手が圧倒的に多いと思われる。中継も同じで相手国を誉めることはなく、「いやぁ〜日本も頑張りましたね〜」 「そーですね〜この悔しさをバネに・・・」 などと言っている。

  日本人には対戦相手を尊敬したり称えたりする心が不足しているように思えてならないのだが、それが凝縮した形で典型的に表れるのがバレーボールの試合のような気がする。もうすぐ始まるワールドカップでは、そんな ”みっともない” 姿をさらしてほしくないと願うばかりである。日本は空港使用料、宿泊費、食費などの物価が他国と比べて異常に高いので、海外からの応援客はそれほど多くならないと思われる。

  圧倒的な人数の差で日本しか応援しないような観客を見せられ、騒がしいだけの実況を聞かされたならば、興味がないどころかサッカーそのものが嫌いになってしまうかもしれない。