嗚呼日本人 7

嗚呼日本人 ~目次~

  ここのところ、ずっと日本人の国民性を話題にしているが、難しい問題だけではなく、ごくごく身近にも日本人特有のことが多くある。 本で読んだのだが、海外から届いた郵便物に貼ってある切手がベタベタと適当に貼ってあり、中には明後日(あさって)の方を向いているものもあったと書いてあり、日本人であれば受け取る人に失礼のないように真っ直ぐに貼るだろうと文章は結ばれていた。

  確かに自分も複数枚の切手を貼る時は綺麗に並べて貼る習慣になっているし、切手が曲がって貼ってある郵便物を受け取ったこともない。「切手は真っ直ぐ貼りなさい」 と、親からも仕事の先輩からも教育を受けたことはないのだが、大多数の日本人は適当な貼り方をしないだろう。 切手などは取り扱い料金を間違いなく払っている証明でしかないのだから、どんな貼り方をしていても問題はないはずだ。 それでも曲がった貼り方を自他共に許さないのは実に日本人らしい。

  同じように、お金 (紙幣) をクチャクチャに丸めて出す人にも滅多にお目にかかれない。 若い頃、お客さん相手のバイトをしていて、延べ何千人、何万人という人からお金を受け取ったが、適当に丸められた紙幣を出した人は 2-3人しかいなかったように思う。 ものが通貨だけに粗末に扱う人は少ないのだろうが、洋画を観ているとポケットからクチャクチャになった紙幣を出すシーンを観ることが多い。 やはり国民性の違いなのだろうか。

  さらに洋画でよく観るのが受け取ったプレゼントの包装紙をビリビリに破いてしまうシーンである。 日本人でああいう開け方をする人はいないだろう。 貼ってあるテープを爪でコリコリしながら慎重にはがし、包装紙を破らないようにゆっくりと開いていく。 途中でピリッとでも裂けようものなら、親から叱られたものである。 親はその包装紙を綺麗に折りたたんで保管していた。

  「いつ必要になるか分からない」 というのが理由だったが、保管場所となっている引出しには包装紙があふれ、結局は使われることなく、まとめて捨てられる運命にある。 最後に捨ててしまうのであれば、開封の時にビリビリに破いてその場で捨てても同じことなのだが、特に人前ではそういうことができない。 考えようによっては一刻も早く中を見たいという感情がストレートに表現されているように思うので、プレゼントをくれた人の前でビリビリと包装紙を破くのも悪くはないと思うのだが。

  それに近い状況としてブランド物の紙袋の存在がある。 街で良く見かけるのは CHANEL(シャネル) とか GUCCI(グッチ)、COMME CA DU MODE(コムサデモード) などの小さな紙袋を持って、澄まし顔で歩いている女の子である。 本人はそれで満足しているのかもしれないが、その袋が使い回されているのは一目瞭然だ。 すでにヨレヨレになった紙袋を持って澄まして歩いていても情けないだけである。

  それでも 『同じ持つならブランド物』 という見栄があるのか、明らかに 『何度も使ってます』 というのが見え見えの紙袋を持って歩く感覚は、親世代が有名百貨店の包装紙を大切に保管して、何かの時に使おうとしていた感覚と変わらないではないか。 そういう意味では、親の行為を見て 「せこい」 などと、一方的に非難することはできないように思う。

  現在の日本にはモノがあふれ、不自由を感じずに生活することが可能になったが、日本人の DNA はこれからも確実に受け継がれていくのであろう。