ショウコノコト 6

昨日の独り言にも書いたが、あれだけスーパー婆さんだったショウコが普通の婆さんになってしまった。

誰でも歳はとるものなので、致し方ないことなのかもしれないが、ショウコの急激な変化に少し驚き、戸惑い、幾分かの悲しさも感じてしまう。

6/1の緊急入院から現在に至るまで、あまりにも様々なことが起こり、環境の激変に脳の処理が追いついていないのか、このわずか 4カ月弱で急速にショウコの記憶力は衰えてきたようだ。

緊急入院から数週間で別の病院に移ったのだが、最初に入院した病院の記憶が半分以上ないらしい。

自分が救急搬送され、点滴を受けたまま寝たきりで 2日間を過ごしたこと、何人もの人が心配して病室を訪れたこと、そして、自分と 『お買い物日記』 担当者が慌てて駆けつけたことすら記憶に残っていないという。

それは腎盂腎炎を引き起こしたウイルスが全身に回り、高熱を発して言語も怪しくなっていたくらいなので、ある程度は仕方のないことだとは思うが、それから先もショウコの記憶の曖昧さは続く。

叔母のレイコに買い物を頼んでおきながら、いつも世話になっている販売店の外商さんにも注文してしまったり、受け取ったものを受け取っていないと言ってみたり、大切な証書の置き場所を何度教えても覚えられなかったりと、以前では考えられない行動や言動が見られるようになった。

高齢者の場合、環境の激変が心や脳に大きなダメージを与えると聞いたことがある。

6月の入院、数週間での転院、退院直後に施設入居を決定、それからわずか一カ月で様々な手続きをして引っ越し、右も左も分からない町に連れてこられ、見たこともない建物で暮らし始め、初めて会う人たちと人間関係を再構築せねばならないという激動の数か月間は、自分たちですら記憶が曖昧になるほど目まぐるしく状況が変化し、山積する課題を一つずつ解決していかなければならなかったのだから、超高齢者のショウコにとっては年寄りの冷や水状態というか、ただでさえ入院期間に混乱した意識と記憶が大きくかき乱されてしまったかもしれない。

したがって、今は状況について来れていない脳も、落ち着きを取り戻せばまともになり、以前ほどではないにせよ少しは記憶力も戻って来はしないかと期待しているのだがどうだろう。

9/10にショウコが来てからというもの、毎日のように施設に行っているが、来週から少しずつ距離を置こうと考えている。

月末と月初は少なからず忙しいし、以前の独り言にも書いたように今月中に完成させなければならない Webページもあり、既存サイトのスマホ対応も次にやらなければならない。

ゆえにショウコばかりかまっている場合ではないのである。

ショウコには少しずつ慣れて落ち着いて、生活のペースをつかんで記憶力が戻ってほしい。

そして、自分たちも生活のペースを戻して疲れ切った頭と体を元に戻したいと心から願ったりしているところである。

望郷

つい先日、9/9に故郷に別れを告げてきた。

お買い物日記』 担当者が見せた前日の様子だと、町を後にする際には号泣するのではないかと少し心配したが、高速バスに乗り込んですぐに小腹が空いたと言ってお菓子をポリポリ食べたりしているうちに隣町まで進んでいたので、最後にゆっくり景色を眺めたり風景を目に焼き付けたりすることもなく、遥か後方に故郷は過ぎ去っていたので泣くヒマもなかったようだ。

その翌日にはショウコも生まれてから 80年以上もずっと暮らしていたその町を離れたが、きっとあの性格なので深い感慨にふけることもなく、あっさりと決別してきたに違いない。

以前の雑感にも書いたように、故郷を失ってしまうは少し寂しいが、深い悲しみが湧いてこないのが不思議だ。

失うとは言っても、すでに故郷には友達も懐かしい場所もなく、ショウコが町を出た以上は帰る必要がなくなり、たとえ何かの用事で行ったとしても、すでに実家もないので宿以外に泊まる場所もなくなってしまっただけの話であって、故郷が消失してしまった訳ではない。

たとえば福島県の一部の地域のように、第一原子力発電所の事故の影響で帰りたくても帰れない、行きたくても行けないという状況ではないし、大きなダムが建設されて故郷がダム湖の底に沈んでしまった訳でもなく、その気にさえなれば行ける状況にあるので、それほど深い悲しみを感じないのだろうか。

しかし、もしかすると一気にダム湖に沈んでしまった方が、美しく楽しいままの状態で思い出に残るだけマシかもしれない。

このままどんどん高齢化、過疎化が進み、賑やかだった町の中心部もどんどんさびれ、シャッター通りばかりが増えてさらに賑わいを失い、使う人が減って負の遺産となった公共インフラを支えるための税負担ばかりが増し、それに耐え切れず住民が流出して過疎化に拍車がかかり、町が自然消滅する過程や、町の末期を見るのは辛すぎる。

それよりも、できるだけ良い思い出が残ったまま縁が切れる方が良いのではないだろうか。

そう考えると、よほどのことがない限りは故郷に帰りたくない。

様々な想いがこもったまま封印してしまった方が良いように思える。

まだ叔母のレイコが残っているので何かあれば帰ろうとは思っているが、その時が来るまでとりあえずの区切りとして、さらば故郷・・・と言っておこう。

行く人来る人

今日の午後、無事にショウコが到着して施設に入った。

これでもう故郷に帰る用事も必要もなくなり、帰る家もなくなってしまったのは寂しいが、年に数度とはいえ、長時間の移動を強いられることがなくなったのは少しうれしい。

ショウコが施設に慣れるまで若干の時間を要するかもしれないが、いずれ馴染むことだろう。

ショウコがこの町に来たことで、超高齢者ではあるものの人口が一人増えたことになる。

しかし明日の朝、この町の人口が一人減ってしまう。

なんと、となりの店マユちゃんが家を出て兵庫県に行ってしまうのである。

それも、20歳の若さにして嫁に行ってしまうのだ。

婆さんが越してきて20歳の若者が越して行くのだから、この町の平均年齢にも少なからず変動を与えてしまうではないか。

今日の夕方、妹ちゃんと二人、わざわざ挨拶に来てくれた。

普段は豪快で底抜けに明るい妹ちゃんもさすがに今日は母親の顔で、大きな目にいっぱいの涙をためており、マユちゃんもポロポロ涙をこぼしながら旅立ちの報告・・・。

それでも年末年始には里帰りしてくることが決定しているというから、姿を見られないのは 3カ月間程度だが。

ほっとしたり、寂しかったり、何だか複雑な心境の週末である。

終活

いよいよ来週の今日、10日の土曜日にはショウコがやって来る。

施設に入ると決まった 8月10日から約一カ月、様々なことを通して人生の幕を下ろすために必要なことを学んだ。

生きている間は、あれもほしい、これもほしいと衣類や電化製品などを買ったりするが、最後の最後には邪魔になるだけだし廃棄するには費用まで発生してしまう。

まだ購入して数年しか経っていない一流ブランドの服や家具、新品同様の家電であればそれなりの金額で売れるだろうが、しまむらやユニクロで購入した服が売れるはずもなく、ニトリやホームセンターで購入した家具をお金を払ってまで持って行ってくれる業者などありはしない。

たとえブランド品であっても若いころに着ていた時代遅れの服や、使い込んだバッグなど 100円の価値もないだろう。

そう考えると物を大切にしないとか言われようと、高額で買ったものでも流行遅れになる前に売ってしまう方がよっぽど効率的だし損が少ないと言える。

先週の雑感にも書いたように、ショウコは躊躇なく衣類を取捨選択し、その数を大きく減らした。

同様な作業は昨年の 9月にも行っており、その時やり残したタンスの中の服なども合わせると、最後に残した服の数は 1/30、いや 1/50くらいになったのではないだろうか。

そうなのである。

おしゃれ番長のショウコですら、最後には本当に好きな服が手元に何着かあればよいのである。

我が家のクローゼットには二度と袖を通さないであろう服があり、いつか整理しなければならないと思ってはいたのだが、良い機会なのでショウコの引っ越しが終わって少し落ち着いたら処分しようかと思う。

若いころは見栄を張って有名デザイナーのスーツを着ていたが、今はでっぷりと突き出た腹が邪魔して着ることはできない。

若いころに好んでいた地味なデザインの服も、この歳になって着ると単なる爺さんになってしまう。

ショウコ並みに割り切って整理すればクローゼットの半分近くは空きスペースになるのではないだろうか。

叔母のレイコも終活を始めており、家の中の不要なものを廃棄し、ブランド品のバッグや靴などは姪っ子に譲ったりしながら身の回りを整理している。

それを少しずつ進めて 2-3年で終わらせ、以降は札幌にでも移り住むつもりでいたことは以前の雑感に書いた通りだが、ショウコが急に施設に入ることが決まったことが影響しているのか、今年中に今の持ち家を手放して高齢者が暮らしやすい集合住宅に引っ越すと言い出した。

その物件は同じ町にあるので単なる町内の引っ越しとなるが、一軒家からの移動となると持ち出せるものも限られるので廃棄作業などが大変だろう。

以前、レイコから
「葬式で飾られる写真が妙に若いと恥ずかしい」
と言い、年齢相応の写真を使ってほしいので 5年に一度は写真館で遺影に使える写真撮影をしていると聞いた。

次兄の遺影でも使いたい写真がなくて困ったこともあり、その話を聞いたのでショウコを連れて自分たちも含めた遺影候補の写真を撮影しておいた

これはショウコの終活でもあれば、自分と 『お買い物日記』 担当者の終活の一環でもある。

身の回りのことであれば不要なものを捨てたり必要なことをやっておけば良いが、面倒なのは先祖代々のものだ。

先週の雑感でも触れたように、大きな仏壇は施設にも我が家にも納まらないので魂抜きをしてもらい、位牌と過去帳のみ移動することにした。

現代日本の住宅事情を考慮すると、立派で大きな仏壇を相続するなど不可能に近い。

そこで今度は小さなものにしようと昨日の午後に仏壇店に行ってみたところ、対応してくれた女性が実に感じの良い人で、色々と思い悩んでいることをすべて話し、様々な解決策を教えてもらうことができた。

同じく先週の雑感に書いた『永代供養墓』の件は、ネットで調べたところ札幌にあることが分かっていたので話してみると、実はこの町にも合祀堂が存在し、宗旨宗派に関わらず永代供養してくれる寺があるという。

それならばお参りに札幌まで行かずに済むし、彼岸や盆にお参りするのも楽だ。

料金も札幌のものと大きな差はない。

それを聞いて喜んでいると、問題点も指摘してくれた。

今までのお寺さんとの関係を断ち、この町で同宗派のお寺さんとの関係を構築しない場合、母親や自分達が死んだときに誰がどこでお経をあげ、初七日や四十九日の法要を誰がやるのかということだ。

都会であればネットでレンタルお坊さんを呼ぶこともできるが、田舎町では難しい。

その永代供養墓をしてくれる寺では年間数千円を支払っておけば、いざという時にお経も上げてくれるし法要も営んでくれるとのことだが、それは事実上の改宗となってしまう。

前回はそんなことまで考えずに提案し、ショウコもいともあっさり同意したが、改宗となるとどうなるだろう。

そして、実家の仏壇にはなぜか位牌が 3つもあるのだが、そんなに必要なのか聞いてみると、亡くなってから一定年数を経過したら過去帳に記載して位牌は処分するものだと教えてくれた。

仏壇も小さくすることだし、これを機に位牌も整理しようと思うが、一応はショウコに確認をとらねばなるまい。

これは少子化が社会問題となっている現代、また晩婚化や生涯独身の人が増えている現代、子供がいなかったり女の子しかいなければ親自身が、一人っ子だったり長男だったりすれば自分自身が、いつか直面する問題である。

そして、先祖代々の代々が長ければ長いほど経済的負担も大きくなる。

永代供養墓に入るにしても料金は発生するが、それは人数分が必要だ。

つまり、墓や納骨堂に納められている遺骨が、例えば両親だけなら二人分、仮に一人 10万円だとすれば 20万円、両親と祖父母となれば 40万円、さらにその先祖となれば 60万円、その他にきょうだいなどが入っていれば・・・。

過去帳にどれだけの人数が記載されているか確認するのが恐ろしい。

格差社会と言われる現代、その経済的負担に耐え切れない人も増えるのではないだろうか。

今、母親であるショウコの代わりに墓や納骨、仏壇のことを心配し、色々と手を打っておくことは自分達の終活でもある。

服を整理し、その他の持ち物も整理し、定期的に遺影を撮影し、少しずつ終わりの準備をしていくべきなのかもしれない。