ショウコノコト 5

ここのところショウコのことばかり書いているが、今は時期が時期なのでしかたがない。

ショウコが施設に入ることになった発端から現在に至るまで、そのドライな性格に助けられたり驚かされたりし通しの毎日だ。

昨年の秋に帰省した際、みずから施設に入りたいと言ってきたのがことの発端だが、その時も故郷に帰ってきてほしいとか、この家で一緒に暮らしてほしいと言わず、介護などで迷惑をかけるつもりはないので、そっちで施設を探してほしいと淡々とした調子で言ってきた。

実はその裏では叔母のレイコが暗躍しており、
「子どもたちがこの街に来ても仕事なんかない」
「こんな冬の厳しいところで生活することはない」
「老々介護など悲惨きわまりないから子どもたちの手を焼かせるな」
「我々世代は年金が充実しているのだから世話にならなくても生きていける」
などと言い含めおいてくれたらしく、ショウコもそれはそうだと納得し、長年住み慣れた街を出て自分たちの住む街で入居できる施設を探してほしいと言ってきたものと思われる。

しかし、そこで変にゴネないで素直に施設に入る決断をするあたりはさすがと言えよう。

こちらの町で施設を探し、候補が見つかったので申し込んだと報告すれば、さっさと家の処分のこととか話を進めようとするので慌てて自制するよう言い渡した。

普通であれば 80年を超える生活の場であった町を離れるのは寂しいだろうし、半世紀以上も住み続けた家には愛着が湧き、離れがたい感情を持ちそうなものだが、そんなことは微塵も感じさせない行動には驚かされる。

今年 6月の『ハハキトク事件』によって長期入院を余儀なくされたショウコはすっかり足の筋力を失い、まともに歩くことができなくなってしまったため、鷹揚と施設に空きが出るのを待っていられなくなり、以前から第二候補と考えていた施設にダメ元で電話してみたところ、何と偶然にも空きがあるという返事だったので急きょ仮押さえして実家に向かったのは今月 9日のこと。

そういう施設というのは入居の意思を伝えてから一カ月以内に引っ越さなければならない。

つまり、9月にはもう長年住み慣れた町を出て施設に入居しなければならないということである。

あまりにも急なことなので、さすがのショウコも戸惑うのではないかと思いつつ、その件を 10日に退院したショウコに伝えると、これまたドライに入所を即決した

それからというもの、短いスパンで帰省して様々な処理をしたりしているが、その要所要所でショウコのドライな性格が垣間見える。

実家にはそこそこ大きな仏壇があるのだが、我が家の家系は自分の代で絶えることが決定しているので、今さら大移動をすることもなかろうという結論に至り、お寺さんにお願いして魂抜きをしてもらうことにした。

その段取りをショウコに任せはした、確かに任せはしたが、8月23日に実家に到着すると
「今朝終わったよ」
などと涼しい顔をして言うではないか。

普通、そういうことは家族がそろっている時とか、せめて長男と一緒にするように調整すると思うのだが、そんなことはお構いなしで、淡々と処理してしまう。

そして、今度は父親の遺骨の話しになるが、やはり絶えることが決定している家系なので、今さら同宗派の寺に墓を建てるのも納骨堂に納まって新たな関係を築くのも面倒なので、多くの人の遺骨と合祀して同じ墓に入る永代供養墓に父親の遺骨を納め、ショウコも自分たちも後に続くというのはどうだろうと、さすがに気を悪くするかもしれないと恐る恐る聞いてみたところ、
「へぇー、にぎやかでいいんじゃない?」
と、いとも簡単に言ってのけた。

翌 24日、わずかな荷物しか持って行かないショウコが家の中に残す全ての物を処分し、土地と家の売買まで一手に引き受けてくれる業者さんと打ち合わせした際も、長年住んだ家を手放す寂しさなど一切見せず、冬を越すと管理が大変だからなるべく早く売ってしまいたいなどと言い切る。

以前に淡々とした作業で選別した衣服だが、それでも施設に持って行くには多すぎるので 25日に更に選別をする作業をした。

今回もやはりソファーにどっかりと座ったショウコに一着ずつ見せ、要/不要の判断を仰ぐ。

そして、やはり前回と同様、
「着る」
「着ない」
に一瞬の迷いもなく、次から次に判断するのだが、あまりにも 『着ない』 のジャッジが多く、
「施設にはそんなに持って行けないんだからね」
と釘を刺しておいた手前、少々戸惑いながら
「もう少し持って行っても大丈夫だよ」
と言ってみたのだが、
「どうせもう着ないと思う」
「毎日どこかに出かける訳じゃないし」
「いっぱい持って行ってもしかたない」
などと言い、衣類の量を 1/10以下に絞り込んでしまった。

タンスに眠っていた貴金属類を指し、
「もう指輪もネックレスもイヤリングもしないから」
と、『お買い物日記』 担当者に使えと言う。

そして、
「デザインも古いし気に入らなければ売っちゃえば?」
などと言ってのける。

実はこの貴金属、父親がせっせと購入してショウコにプレゼントしたものなのだが、そんなことは気にかけていない様子だ。

別の棚を整理していると、若かりし頃の写真、同窓会で友達と集まった際の写真、きょうだいが集合した写真などが次々に見つかったのだが、どれを見せても
「いらない」
と言うショウコ。

そんなこんなで、実家には大量の洋服、写真、受け取った手紙などが残され、業者によって廃棄される。

夕方、家の周りの除雪などをお願いしていた業者さんが来てショウコと外で長話しをして行った。

聞こえてくるのは
「おばさん、元気で長生きしてね」
「本当に何から何までお世話になって・・・」
という会話で、さすがにしんみりしていると思ったら、部屋に帰ってきたショウコは
「よし、一件かたずいた」
などと超事務的に言い、
「あの人はとっても良い人なんだけど話が長くて・・・」
などとのたまう。

その日の夜、以前からの知り合いに電話して
「実は町を出ることになって」
「本当にお世話になって」
「今まで本当にありがとうね」
などという会話をして電話を切ると、
「うん、この件もかたずいた」
と言いながらメモを見ている。

いったいどこまでドライな性格なのだろう。

まだ数回しか故郷を訪れたことのない『お買い物日記』 担当者でさえ、家がなくなるのは寂しいとか最後に町を出るときは泣いてしまうに違いないとか言っているのに、ショウコはいったいどういう神経をしているのだろう。

あの調子だと、最後に家を出て町を離れるときも
「じゃぁねぇ~」
とニコニコしながら手を振りながら出てくるのではないだろうか。

まあ、メソメソ、ジメジメされたのではたまらないし、そのほうがショウコらしいのではあるが・・・。

ショウコノコト 4

契約が完了した。

午前中、ショウコが入る施設に行き、様々な説明を受けた上で契約書に署名捺印してきたので、もう安心である。

これで施設に入れることが 100%確定した訳であり、ショウコの気が変わらない限りは同じ町で暮らせるということで、故郷を失ってしまうのは少し寂しいが、年に何度かの帰省で体力を極端に消耗することもなくなる訳だ。

ただし、ショウコの移動が完了し、実家の処分が終わるまで、まだ何度か行かなければならないだろう。

とりあえず来週は帰省、翌週は家にいるが、次の週はまた帰省し、いよいよショウコが故郷を離れることになる。

来週の帰省では不用品の処分から土地と建物の売却まで任せる業者と打ち合わせしたり、引っ越し業者と打ち合わせして見積りしてもらわなければならない。

そして、タイミングを見て荷物を移動してもらってこちらの町で受け取り、もういつでも出入り可能になった施設の部屋で荷ほどきして受け入れ態勢を整える。

実家にある仏壇は移動できないので、お寺さんに魂抜きをしてもらって位牌などだけ移動できるように手はずを整えておく。

ショウコの移動手段をあらかじめ確保しておき、家の中の何を持って行かれても困らない状態にした後に家の売却をお願いする業者にカギを渡して町を出る。

それ以外にも寺の納骨堂にある父親の遺骨をどのタイミングで移動すべきかとか、家の売却が決まったら諸手続きのために行かなければならないが、その際にはもう実家に寝泊まりする訳にはいかないのでどうするかなどなど、やらなければならないことが山積みだ。

確かに言った。

自分たちが様々なことを処理するからショウコは何もしなくて良いと。

確かにそう言ったが、
「はいはい」
と素直過ぎる態度で鷹揚に構えていられると若干の腹立たしさを覚えないでもない。

しかし、年齢相応の記憶力になってしまったショウコに日程の調整やら引っ越しの段取り、細かな打ち合わせなどは困難だと思われるので仕方がないか。

前回の帰省の際、近所に住むショウコの友達が遊びに来た。

そもそもは、電話で退院を伝えようとしたのだが先方の電話機の調子が悪く、会話にならなかったため話を聞きに来てくれたのだが、その会話の内容をまともに聞いていると疲れてしまう。

まずはその電話機の調子が悪いという話、次にショウコが入院するに至った理由、その二点が延々と繰り返される。

互いに高齢化に伴う記憶力の低下から、同じ話を何度も繰り返すし、何度でも同じ話を聞いては
「あら、そう」
とか
「大変だったねぇ」
と、そのたびに新鮮なリアクションを示す。

二人の会話は 2時間近く続いたが、大まかにはその二点と、最後に歳をとると記憶力が悪くなるということしか話していなかったのではないだろうか。

そのおぞましい会話からも分かるように、今更ショウコに事務処理だのスケジューリングなどさせようと思っても無理だと諦めているので、実家を処分して施設に移り住む手はずや段取り、契約関係から本籍や住民票の移動から何から何までやってやらなければならないのである。

色々なことを考えて頭が爆発しそうになっていたが、今日の契約で一段落だ。

かなり肩の荷が下りて気分も楽になった。

しかし、安心して気が緩んでしまったのか、あちらこちらで冷房の風に当たったからか、鼻がグシュグシュし始め風邪のウイルスが体内で繁殖しているような気がする。

今夜はひとまずの祝杯をあげ、早めに寝ることにしようと思う。

ショウコトレイコノコト 5

元気になって退院したショウコだが、以前とは若干の違いがある。

どうやら記憶力が低下しているようだ。

痴呆の症状は認められず年齢相応だと病院で言われてはいるが、以前までが年齢不相応の記憶力の持ち主だったので、急に衰えてしまった感が否めない。

以前までであれば一度言えば覚えたことも、二度三度言わなければならなかったり、覚えたはずのことを翌日には忘れてしまうこともしばしばだ。

それでも相変わらず数字には強く、支払いが必要だった 3百数十円のことも忘れず、日時に関しても割りと正確に記憶し、それを忘れることもないらしい。

確かに呆けた訳ではなさそうだが、今までが今までだっただけに少し寂しい気がする。

そして、レイコは相変わらずだ。

少し耳が遠いのも相変わらずだが、いつまでもシャキシャキした婆さんである。

ショウコが入院していた約二カ月間、本当にお世話になった。

ショウコと 2歳しか違わない超高齢者なのに、雨の日以外は毎日かかさず病室を訪れ、洗濯したものを届けて汚れ物を持ち帰る。

たまに実家に来て郵便物の整理をし、重要そうなものは病室に届けてくれた。

そこまでやってもらっているにも関わらず、ショウコが女王様のように振る舞い、勝手なことを言うものだから、たまに細かなことでの言い争いになったりする。

そんな衝突の絶えない姉妹だが、長年続いたその関係も近く終わりを告げることになった。

そう、9月になればショウコは住み慣れたこの街を去り、自分達が暮らす町の施設に入る。

今は互いに気にしていない風を装っており、レイコなどはせいせいすると強がったりしているが、それもまた本心であろうとも、半世紀を軽く越える時を共に過ごし、寄り添ったり大喧嘩したりしながら歩んできた道が二手に別れてしまうことを多少は寂しく思っているだろうし、時が経つにつれ実感がわいてくるに違いない。

移動距離約 350km、車での移動は休憩なしで約 6時間。

簡単に会いに行ける距離ではない。

来月に迫った別れが、生きて会える最後の機会となってしまうものと思われる。

真性雑感 第二十一版

真性雑感 ~目次~

■ 東京都知事選挙

先月の雑感で鳥越氏が優勢になるようなことを書いてしまったが、予想通り、いや、予想以上に小池百合子氏は選挙に強かった。

そして、知名度はあれど鳥越俊太郎氏は予想以上に人気がなかった。

さらに、増田寛也氏は・・・さておき、醜態をさらしまくっているのは石原伸晃氏だ。

あれだけテレビカメラの前に立つのが大好きなくせに、都知事選でかついだ増田氏が惨敗すると急にメディアの前から姿を消した。

そのメンタルの弱さは以前から目立っており、2015年に彼の政党支部が国交省の補助金交付が決まっていた企業から寄付を受けていたことが発覚した際も、スーッとマスコミの前から消えている。

他の政治家の不祥事の際には説明責任を果たしていないとか、国民に事実を伝えるのが政治家だとか偉そうに言っておきながら、自分のこととなると逃げるわ隠れるわ説明しないわで、とても豪傑な石原慎太郎閣下のご子息とは思えない。

今回は姿を消しただけではなく、急に出現したと思ったら都議選での敗戦の責任は現在入院中の谷垣氏にあると記者会でほざき、それがしっかりと報道され、テレビで映像まで流れているのにも関わらず、2-3日前から急にそんなことは言っていないと弁解を始めた。

もうメンタルが弱いだけでなく、頭がおかしくなったか精神が崩壊したか、神経に異常をきたしたとしか思えず、自民党本部もそんな奴について増田氏を公認しなければ良かったのではないだろうか。

しかし、小池百合子氏と安倍晋三氏はキツネとタヌキのようにうまいこと相手をだましたり化かしあいをしながら徐々に良好な関係にもっていくことだろう。

小池氏は VS.自民本部ではなく VS.自民党都連という構図にいち早く展開したし、安倍氏は小池氏との会談で懐の深さを見事に演出できた。

これではっきりしたのは、任期を終えて小池氏が国政に復帰した際には女性初の総理大臣の道もうっすら見えてきたのに対し、石原伸晃氏は出世街道から大きく外れ、藪の中をかき分けてやっと目の前が開けたと思ったら崖っぷちだったという状況に追い込まれてしまったということではないだろうか。

■ ポケモンGO

社会現象とまで言われているポケモンGOだが、実はまだ遊んだことがない。

いや、正確には遊ぶことができなかったりする。

推奨されている動作環境が対応OS:iOS 8 – 9、対応端末:iPhone 5以上となっており、自分の iPhone 4sは対応外であるため遊べないことはないかもしれないが、保証はされていないので問題が発生したり大きなトラブルに見舞われるかもしれない。

このポケモンGO効果で中古スマホがえらい勢いで売れているという。

ゲームは激しく電力を消費するためポケモン専用機として買う人もいれば、子供に遊ばせるために買い求める親も多いらしい。

自分の場合、そこまでして遊びたいとも思わないし、今年の 12月には買い替えるつもりでいるので、あと 3-4カ月のことである。

若いころはあれだけゲームに熱中したというのに、今は小一時間もプレーすれば目はショボショボしてくるし集中力も途切れてしまう。

それに加えて家を出てウロウロ歩き回らなければならないのだから、体力的にも精神力的にもポケモンGOで遊ぶのは無理な年齢になってしまったと思われる。

何でもかんでもゲームのせいにしてほしくはないと過去に何度も書いてきた。

青少年による暴力的犯罪が発生すればゲームのせい、性犯罪もゲームのせい、イジメも引きこもりもゲームが悪いとマスコミが取り上げてきたが、ポケモンGOでは歩きスマホが増えたとか非常識な場所に立ち入った、交通事故を引き起こしたなどと騒いでいる。

しかし、その一方で好意的なとらえ方をしている報道もあった。

価格下落に歯止めがかからなかった任天堂の株が上昇に転じたとか、客離れによる業績低迷が続いていたマクドナルドもポケモンGOの運営会社と協力してイベントを仕掛けた結果、神風が吹いて客足が戻った上に客単価まで上昇したと伝えられている。

また、何年も引きこもっていた人がポケモンGOやりたさに家から出て、人とのコミュニケーション能力を復活させたという話も聞く。

様々な国や場所で、様々な影響を及ぼしているポケモンGOだが、この人気は一過性のものに終わらず持続させることができるだろうか。

自分が機種変更し、プレーできるようになる今年末までブームが続いているとは考えにくいが。