げんかつぎ

いつの頃からか、プロ野球では期間限定ユニフォームとか復刻版ユニフォームで試合をする機会が多くなった。

それは観客を喜ばせる意味もあるだろうが、実のところは様々なデザインを用意してファンにレプリカを買わせようとする実にビジネスライクなことなのだと思う。

メジャーリーグでは、その復刻版ユニフォームを着るのを拒絶して出場停止処分になった選手がいる。

球団や野球機構としては選手が着用することによって宣伝効果を発揮するため、有名選手にほど着てほしいという事情があるだろうし、ビジネスなのだからそれは分からないでもない。

しかし、スポーツ選手、勝負師には験担ぎ(げんかつぎ)する人が多い。

好調が続いているときは、なるべくパターンを崩したくないだろう。

相撲でも連勝中の力士がヒゲを剃らないことが多いし、高校野球でもずっとヒゲを剃らない選手、監督もいるし、大会中は断酒する監督も多い。

また、一躍有名になったラグビーの五郎丸選手が、ペナルティキックやコンバージョンキックの前に必ず行う動作や、メジャーリーガーのイチロー選手がベンチを出てからバッターボックスに入るまでに行う十数種類の一定の規定動作はルーティーンとして知られているが、それは集中力を高める動作であると同時に一定のげんかつぎもあるのではないかと思われる。

中継ぎや抑えのピッチャーでマウンドに向かう際は絶対にラインを踏まない人もいるし、バッターボックスに向かう際に素振りしていたマスコットバットの置き方にこだわる人もいるのは、すべてその人の決まり事だったりげんかつぎな訳だ。

調子が良かったとき、運が向いていたときに行った動作や、食べたものなどがあれば、げんをかついで次の機会にも同じ動作をするし、試合前に同じものを食べたりしたくなるだろう。

そういうこだわりは一般人よりも多いのだろうから、復刻版ユニフォームを着るのを拒否する人がいても不思議ではない。

それなのに 5試合の出場停止と 1万2700ドル(日本円約 150万円)の罰金処分は厳しすぎやしないだろうか。

この選手、クリス・セール投手の場合、復刻ユニフォームの着心地が悪いと感じたので球団に訴えたところ激怒されて強制帰宅を命じられたらしく、それに対して怒りが爆発してハサミで予備のユニフォームを切り刻んだというのだから、げんかつぎとは少々異なったりするのだが・・・。

それにしても、冒頭に書いたように日本のプロ野球もコロコロとユニフォームを変えているが、連勝中のチームやピッチャー、打撃好調な野手など、せっかく調子がよいのだから今はユニフォームを変えたなくないと思うことだってあるのではないだろうか。

球団事務所なのか社長なのか、それとも広報なのか分からないが、変えたくないと思っているところを無理に着替えさせ、調子が悪くなって恨まれでもしたらどうするのだろう。

クリス・セール投手のニュースを見て色々と考えさせられた。

自分の場合、それほど大きなこだわりはなく、勝負もしていないのでげんかつぎもしない。

夜に口笛は吹かないとか、夜に爪は切らない、北枕で寝ない、ズボンは右足から履かないなど、言い伝えとしてやってはいけないと言われていることはやらないくらいなものだ。

そういえば若気の至りでマージャンやパチンコに明け暮れていたころは、なにがしかのげんかつぎをしていた。

パチンコ屋で席に着いたら最初にタバコに火をつけ、ライターとタバコはいつもの位置に置くようにしていたのも、マージャンを始める前には必ず手を洗っていたのも、すべて以前に大勝ちしたときにやったことである。

やはり、勝負師というのはげんをかつぐものだと思われるので、あまりにもコロコロとユニフォームを変えたりするのはいかがなものかと、ペナントレース後半に入った日本プロ野球で今年も阪神 vs. 日ハムの日本シリーズは実現しないと実感しつつ思ったりしているところだ。

真性雑感 第二十版

真性雑感 ~目次~

■ 東京都知事選挙

北海道に住んでいるが、東京都知事が誰になろうと関係ないとも言ってはいられない。

3代続けて任期を全うせず、猪瀬、舛添氏にあっては金銭がらみのドロドロした内容で事実上の辞任に追い込まれた形になっているので、今度こそはクリーンで任期の最後まで勤め上げられる人が選ばれてほしいものだ。

小国の国家予算に匹敵する税収がある東京の行く末は、日本の未来を左右することになるだろうし、それだけの首都の長が選ばれるということに世界の関心も一定程度は集まっている。

自分には投票権がないので何を言っても無駄だが、有力三候補である鳥越俊太郎、増田寛也、小池百合子(立候補届け出順)のうち、言っていることに現実味や妥当性があり、実務能力も兼ね備えていそうなのは増田氏くらいなものだが、やはり知名度の高い鳥越氏と小池氏のトップ争いになるのだろう。

石原伸晃氏はつまらない意地を張ったり過去の確執にこだわったりしないで、素直に小池氏をかつげば良かっただろうし、自民党本部も得意の「まあまあ」作戦で玉虫色に染め上げ、候補を一本化すべきだったのではないか。

自民党員、支援団体の票が割れ、増田氏と小池氏が取り合えば、いくら野合と批判しようと一応は結集した野党連合に負ける危険性が高いものと思われる。

鳥越氏が文春のスキャンダル報道を切り抜け、身の潔白を証明できたなら、今の勢いを保持したまま一気にゴールを駆け抜けるのではないだろうか。

■ アメリカ大統領選挙

色々あるがトランプ氏の勢いが止まらない。

強いアメリカ、アメリカの利益、アメリカのための政治を最優先事項としているあまり、彼が大統領になった場合には外交戦略の見直しを余儀なくされるかもしれない日本も含めた世界各国は、選挙戦の行方を固唾を飲んで見守っている。

日本で大問題になりそうなのは TPPと防衛だが、特に防衛に関しては本気で心配しなければならないだろう。

単純にはアメリカに守ってほしければ費用を全額負担せよ、それが嫌ならアメリカ軍を撤退させるから自衛せよ、核の傘がなくなるのが不安なら核武装せよというのがトランプ氏の言い分だ。

もし仮に、本当にそうなって日本が
「はいそうですか」
と言って核武装した軍隊を持つことにでもなったらどうするのか。

そうなって困るのはアメリカそのものであり、周辺各国も半狂乱になるに違いない。

事実、先月の20日にアメリカ副大統領のバイデン氏が
日本は実質的に一夜で核武装する能力がある
と発言しただけで世界がざわついた。

トランプ氏が大統領になったら困るのは、日本よりも中国だろう。

そして、何よりそれを恐れているのは北朝鮮に違いない。

なにせ彼は金正恩書記に対して
「こいつは悪い独裁者野郎だ」
「暗殺以上に最悪の運命が待っているだろう」
などと毒を吐いているし、
「北朝鮮問題を解決しないなら、中国を潰してしまえ」
と息巻いている。

そして、軍撤退、核武装などの話しを持ち出すのは日本に対して北朝鮮攻撃を期待している表れではないかととらえる向きもあるらしい。

そうなってはたまらないはずの北朝鮮メディアが『賢い政治家』のトランプ氏を『支持』と表明したのは褒め殺し作戦なのだろうか。

ヒラリー・クリントン氏も人気のない政治家の上位にランキングされているので支持はイマイチ広がらないが、中国、韓国、北朝鮮が必死にトランプ氏の当選阻止を図るだろうから少しだけ有利なのではないかと思われる。

■ ポケモンGO

昨日の独り言にも書いたが、いよいよ日本でもポケモンGOの配信が開始となった。

妖怪ウォッチに押されつつも、いまだに人気のキャラクターだけに子供から大人までを巻き込む一大ムーブメントとなることだろう。

家庭用ゲーム機の不振で業績低迷が続いていた任天堂だが、ここにきて一発逆転の大ヒット作品が生まれて一息ついているのではないだろうか。

しかし、ハードウェアからソフトウェアに軸足を移したとなると、いかに全世界でヒットする作品を作り続けられるかが存続の鍵となる。

任天堂にとっての勝負はこれからだろう。

大丈夫

最近、また気になっている言葉がある。

「~じゃないですか」
とかも相変わらず気になるというか、耳障りではあるし、
「ほぼほぼ」
とかも気にならないではないが、2-3年前から芸能人が使い始め、今では民放各局はおろか、NHKのアナウンサーまで使うようになったので、すっかり市民権を得た言葉なのだろう。

二度繰り返すのが正式な『ぎりぎり』が『ぎり』と短く使われるようになったのも最近のことで、
「ぎり助かった」
とか
「ぎり間に合った」
などというのは頻繁に聞かれる。

それとは逆に、繰り返さないのが正式な『ほぼ』が『ほぼほぼ』と繰り返されるようになったのは、
「ほぼ正解」
よりも、もっと答えに近い、それこそギリギリ、すれすれで実に惜しい状態を
「ほぼほぼ正解」
と言ったりするのか、そのさじ加減がおっさんには分からないが、『ぎりぎり』が『ぎり』と簡略化されたように、『ほぼほぼ』も簡略化され、いつか正解の『ほぼ』に戻ったりするかもしれないと思ったりしているところである。

それはさておき、今の段階で最も気になっているのは『大丈夫』の使い方だ。

『大丈夫』とはそもそも立派な男子を指す言葉として中国から伝わり、『非常に強い』『非常にしっかりしている』『非常に健康である』といった意味へ派生し、さらに『間違いない』『確かである』という意味でも使われるようになったものである。

テレビの料理番組を見ていると
「大根は輪切りにして面取りしていただければ大丈夫です」
とか、
「10分ほど煮ていただければ大丈夫です」
などと、やたらと『大丈夫』という言葉が出てくるし、その使い方も変なので気になって仕方がない。

なぜ普通に
「大根は輪切りにして面取りしておいてください」
「10分ほど煮たら火が通ってやわからくなります」
と言えないのだろう。

それとも本来の意味の通り
「大根は輪切りにして面取りしておけば間違いない」
「10分ほど煮たら確かである」
と言いたかったのだろうか。

そんな言い方をするのは、きっとその料理の先生の口癖だからなのだろうと思っていたのだが、先月の『お買い物日記』 担当者の通院後に寄った薬局で、受付の人がお客さんに向かって
「座ってお待ちいただいて大丈夫ですよ」
と言う。

その時も
「何が大丈夫なんだ?!」
「立ったまま待つと大丈夫じゃないのかっ!」
「つまりは危険なのかっ!」
と激しく詰問してやりたくなってしまった。

なぜ普通に
「座ってお待ち下さい」
と言えないのか。

世の中どんどん言葉が変化していくもので、自分も若いころは大人たちに何という言葉を使っているのかと言われたり、言葉の乱れがどうたらとか言われたものだが、それは新語、流行語、略語を使っていたくらいなもので本来の意味をはき違えたり、間違った日本語の使い方はしていなかったように思う。

こんなことで日本は大丈夫なのだろうか。

誰も間違っているとか変だと思わず、みんなが使うようになれば大丈夫か。

きっと大丈夫だ。

大丈夫に違いない。

ほぼほぼ大丈夫。

大丈夫じゃないのは、それが気になって仕方のない自分くらいなものなのだろう。

涙腺

年齢のせいなのか最近は涙腺がゆるくなってきたようで、感動的なテレビや映画を見ると、涙がポロっとは出ないまでも瞳がウルっとはするようになった。

子供のころは感受性が豊かなのでアニメを見て泣いたりしていたこともあったが、アニメどころか感動巨編と銘打つ小説を読もうが映画を見ようが、涙がほほを伝うこともなければ深い感動を覚えることもなくなったのは中学生になったころからだろうか。

テレビを見ていると 3年前の供養とか、5年前、10年前、しまいには 70年前に亡くなった人を偲んで思い出話をしながらポロポロ涙をこぼす人がいる。

自分は冷血漢ではないと思うが、過去を振り返って泣くことはない。

決して感情がなくなった訳ではないのだが、祖父や祖母の死に直面しても、友人の死を知らされても悲しい、寂しいとは思うものの涙は出ないし、22年ほど前に父が他界した際も通夜、告別式を通して涙が流れることはなかった。

ところがここ数年、テレビを見ていてもちょっとしたことで感動するようになったし、感動的なシーンでは瞳がウルっとするようになったのは、人間らしくなったと喜ぶべきことなのか、それとも年をとったと憂うべきことなのか。

そんな多少の変化はあるが、だからと言って 22年前の父の死を思い出して泣けるかといえば決してそんなことはないし、たとえ 8年前のことであったとしても義兄の死を思い出しても涙は出てこない。

たとえば
「ファイト~ぉ!いっぱぁ~つ!」
リポビタンDの CMのように、危険極まりない場所で相手を助けようと手を差し出したもののギリギリ届かなかったとか、手を握って引っ張り上げようとしていたのに握力が限界になってしまって手がすべり、深い谷底に相手が落ちてしまったなど、トラウマとして残りそうなシチュエーションであれば何年経っても相手の死を悲しみ、己の力のなさを恨んだり自責の念に駆られたりして涙が出ることもあるだろう。

しかし戦後 70年を過ぎた今、遠く離れた戦地で命を落とした親とかきょうだいを想って泣ける人というのは、何を考え、どこのスイッチが入って涙が出てくるのか。

涙腺がゆるくなってきたこの身でも、何年も前に亡くなった人を想っただけで涙が出るスイッチは持ち合わせていない。

ただし、かなり以前の雑感に書いたように、相変わらずトイレでは号泣と呼べるくらいボロボロと涙をこぼしたりしている。

いったい自分の涙腺はどうなっているのだろう。

ショウコトレイコノコト

我が母ショウコと叔母のレイコは相変わらず仲が良いのか悪いのか、互いが互いを敬遠しながらも付かず離れずの関係を保ちつつ、いざという時には支えあったりしている。

いや、ショウコが一方的に頼っているだけであって、レイコがショウコを頼ることはない。

自分が子供ころから『おばちゃん』と呼んでいるので、ショウコもつられて実の妹のことを『おばちゃん』と呼んでいるが、レイコは
「私はあんたの叔母ではない」
と怒りつつもショウコに何かがあれば駆けつけ、面倒を見てくれている。

そんなレイコにすっかり甘えているのはショウコだけではなく、実は自分も頼りっきりにしている面があるのは否定できない。

今回の入院に関しても、『ハハキトク・・・』と大騒ぎして腹立たしい思いをさせられたものの、もしレイコがいてくれなければもっと大変なことになっていただろうし、世によくあるパターンのように 『お買い物日記』 担当者が自分の故郷に行って付きっきりで看病したりする場面だってあったかもしれない。

すぐには行けない自分たちに代わって入院の手続きから医師との打ち合わせ、入院に必要なものの運搬、毎日の見舞いなどもしてくれ、転院になった際も諸手続きなどすべてやってくれた。

そんなレイコにはとても感謝している。

とても感謝しているが、面と向かって話をしたり、電話で話すとついつい腹が立ってしまうこともしばしばだ。

以前の雑感にも書いたようにレイコの話が回りくどく、イライラしてしまうのも要因の一つだが、なんでも決めつけて話を進めようとするのも困ったり腹が立ったりする原因なのである。

今回の端緒であった『ハハキトク・・・』の件も、ショウコのろれつが回らないこと、動けなくなって発見されたこと、意識が混濁していることなどから医師の話を聞く前に勝手に重症の脳出血かクモ膜下出血、または脳塞栓に違いないと判断し、危篤状態になっていると思い込んでので大騒ぎになった。

そして、今はショウコの今後に関して勝手に話を大きくしている。

自分のことをいつまで経っても頼りのない、母親の面倒もろくに見ようとしない出来の悪い甥っ子だと思っているのが根本にあるのだろう。

確かに積極的な態度も行動も見せてはいないが、それはショウコとの話し合いの末であって決してショウコのことを心配していない訳でも見捨てた訳でもない。

入院当初は医師から一人暮らしはもう無理だと言われたが、幸いにしてショウコは人並外れた野獣的な回復力をみせており、みるみる元気になっていったので、その超人的回復力に驚いたり喜んだりしつつ、思ったより早めに退院できるようになった場合のことを考えて話をしておいたのである。

ショウコはできるだけ早く家に帰りたいので頑張ってリハビリに励むということ、もし自分たちが暮らしている街の近郊に良い施設が見つからなければ、あとひと冬くらいであれば頑張って一人暮らしするので、できるだけ通いやすい施設を探してほしい旨を宣言した。

施設探しには審査し直すことになった介護認定の結果が必要だ。

現在の要支援より、要介護の方が受け入れる施設も多いので選択肢が広がるのだが、なによりその認定がなければ具体的な行動に移すことができない。

レイコがあれやこれやと口出しするのでショウコもへそを曲げたのか、そんな細かなことを説明するのが面倒なのか、退院後はどうするのかという問いにハッキリとは答えなかったらしく、それは甥っ子である自分が何もしていないからだろうとレイコは考え、ショウコをどうするのかという電話をかけてよこした。

その電話でもレイコの話は回りくどく、何日に伝えたことをショウコが覚えていなかった、先週伝えたことも忘れていた、3日前のことも覚えていないなどと長々とショウコの記憶力があやしくなってきているのではないかということをしゃべり、
「それで退院したらお母さんのことどうするの」
と、最後の最後になって聞いてくる。

確かに寄る年波には勝てず、ショウコの記憶力が衰えてきているのは事実だが、生活に支障があるようなレベルではないし、必要なことは自分なんかより細かく記憶しているのでレイコが大騒ぎすることでもないと憤慨してしまったことと、退院後に関してはすでにショウコと話し合っているのでとやかく言われたくないという感情が入り交じったところに長話につき合わされた腹立たしさも加わってムカムカしてしまい、ついつい声を荒げて
「そんなことは言われなくても分かってるっ!」
と電話を切ってしまった。

その後もショウコのリハビリは順調に進み、もう室内を歩く程度までは足の筋力も回復している。

入院前から外出することもなく、キッチンやトイレまでしか歩いていなかったので、それはつまり以前と同等レベルまで回復しているということだ。

それを医師やスタッフは知らないので、もう少し歩けるようにと病院から出て外を歩くリハビリに移行することとなり、ついては外に出るための靴と服を用意してほしいと医療相談員から連絡がきた。

医療相談員の話では、思ったよりも順調な回復ぶりで、もしかするとあと 2-3週間で退院できるかもしれないとのことである。

その電話の際、レイコがくどくどと言っていた記憶力に関して相談してみると、医師との面談や看護師との会話、リハビリ中の会話でも記憶障害や痴ほうの症状はみられないが、これからも気を付けて見守ってくれると言ってもらえた。

やはり記憶の件に関してはレイコが気にし過ぎているのだろうが、問題は靴と服である。

それを実家から病院に届けるためだけに帰省するのも面倒だし、早ければ 2-3週間後の退院の際には行かなければならないので何度も往復するのは体力的にもしんどい。

で、ここはやはりレイコに頼むしかないと思われるし、よくよく考えてみれば冒頭に書いたようにレイコには散々お世話になっているにも関わらず、声を荒げて電話を切ってしまった反省から正確に状況を伝えるべきだろうと思い、昨日の午前中に電話をした。

心配していた記憶の件を医療相談員に伝えたこと、今は心配なさそうだということ、周りが思うより順調に回復していること、退院も早そうだということを話し、そのために次の段階のリハビリに進むこと、ついては靴と服が必要なので家から持って行ってやってほしいとお願いすると、レイコは快諾してくれた。

やはり持つべきものは面倒見の良い叔母である。

そしてやはり、レイコが元気でショウコのそばにいてくれることを感謝しなければなるまい。