ショウコノコト 3

6月1日に『ハハキトクスグカエレ』の知らせから始まった今回の大騒動だが、誰も予想し得なかった大団円を迎えようとしている。

ショウコは危篤ではなかったものの重篤な状態で救急搬送され、医者から今後の一人暮らしは無理という判断を下され、医療ソーシャルワーカーからも早い時期に入ることのできる施設を探すべきと促され、これはもう施設の空きをただ待っている状態ではなくなったと覚悟を決め、年内に入居可能な所を探さなければならいと行動する準備にかかっていた。

ところが・・・ところがである。

ショウコは獣なみの回復力をみせ、2-3日後には病状も落ち着いて怪しくなっていたろれつも回るようになり、普段と変わらぬ食欲も取り戻してしまったではないか。

それでもさすがに今回のことがこたえたとみえ、次の冬を一人で越す自信がないと言うので、やはり施設探しはしなければならないと思っていた。

そのためには変更になるであろう介護認定の審査結果を待たなければならない。

今は要支援2というランクだが、2日間もベッドで寝たきりだったため足の筋力がすっかり弱ってしまい、一人で歩くことができなくなっているので要介護の認定になるものと思われる。

要支援と要介護では入れる施設の幅が異なり、選択肢がぐっと広がるため今まで探していたり入居待ちになっている施設以外も対象になり、早く入れる場所が見つかりやすくなるかもしれない。

逆に言えば、その審査結果と認定を待たなければ施設探しはできないということなので、行動できないまま今月二度目の帰省をする日になった。

15日に転院したのでリハビリの歩行訓練も中断となり、また歩けなくなっているのではないかと心配したが、なんと自力で起き上がってベッドから降り、歩行器を使ってではあるものの、病棟の端にあるトイレまで行って帰ってこれられるようになっているではないか。

足の筋力までも年齢の割には鬼のような回復力をみせているショウコだ。

前の病院には医療ソーシャルワーカーがいてくれたが、それは市立病院だからであって転院した個人病院ではどうなってしまうのかと少し戸惑った。

しかし、今は介護保険によって制度が充実したのか、個人病院にも地域医療福祉連携室の医療相談員という人がおり、前の病院の医療ソーシャルワーカーとの打ち合わせも完璧になされているし、地域包括支援センターとの連携も見事に引き継がれている。

リハビリの進み具合や退院の目処などが知りたくても携帯電話を持たないショウコとは日常の連絡が容易ではないため、叔母のレイコに聞くしか手段がないと思っていたが、医療相談員がいてくれるなら安心だし、連絡すれば状況を説明してくれるという。

サラリーマン時代、介護保険制度が始まって給料から天引きされるようになった時にブーブー文句を言ったものだが、今はこれほどありがたい制度はないと実感している。

その医療相談員と医師、看護師が協議したところによると、以前の病院では一人暮らしの継続は困難と通告されたが、一人暮らしは可能であろうし、その時期も思ったより早いだろうとの結論に至ったという。

・・・やはりショウコはスーパー婆さんである。

今回の審査で要介護の認定を受けるだろうが、それは一時的なものであってすぐに以前と同様の暮らしができるようになるに違いない。

当初はショウコも精神的にも弱っていたので、次の冬を越す自信がないと言っていたが、日に日に調子が良くなってきたものだから、次の冬くらいなら一人でも大丈夫かもしれないと言うようになった。

今住んでいるこの街で施設を探してショウコを呼び寄せる計画だが、顔を見に行くのに通いやすい方が良い。

もう一人暮らしが困難なのであればバスや電車で 30分圏内まで範囲を広げようか、1時間圏内で妥協しようか、どうしても見つからなかったら札幌でもどこでも、とにかくすぐに入れる施設を探さなければならないと覚悟していたが、本人が大丈夫だというなら年内、いや、雪が降るまでに決めなければと思っていた施設探しにも時間的余裕が生まれる。

前回の雑感では、とても忙しい2016年の後半になりそうだと書いたが、のんびりはしていられないものの少しだけ精神的ゆとりを持って行動し、過ごすことができそうだ。

それもこれもショウコが奇跡的な回復力をみせているからであり、超高齢者のわりには目も耳も、そして脳もしっかりしていてくれるからこそであろう。

そんなスーパー婆さんに、少しは感謝しなければなるまい。

故郷の風景

また今週も使いにくいタブレットで書いている。

そう、ショウコのことがあるので今月二度目となる帰省中だ。

ショウコが独り暮らしを続ける自信を失ったので、次の冬が来る前に転居先を探し、様々な処理を終わらせようと行動していることもあって、まだ何度も来ることになるだろうが、それが終われば故郷を失うことになってしまうのは少し寂しいように思う。

しかし、この街にはすでに友人もおらず、知り合いも叔母のレイコが暮らすのみであり、そのレイコも数年後には街を離れる腹積もりらしいので、それほどの未練がある訳でもない。

さらに、故郷の風景も大きく変わったので懐かしさも半減している。

通った小学校は何年も前に建て替わり、当時の面影などないモダンな校舎になっているし、中学校は建て替えどころか場所まで移転してしまってるので何の思い入れもなく、男子校だった高校も今は共学となり、校名まで変わってしまった。

子供の頃によく遊んだ廃車置き場も今はなく、うず高く積まれていた材木置き場も街のあちらこちらから消え、水遊びをしたり魚釣りをした川はコンクリートで固められ、広々とした原っぱには家が密集しており、アスファルトの道ができている。

こっそりタバコを買った商店も、不良仲間とたむろした喫茶店も、躍りにいった店も初めて酒を飲んだスナックも初めて殴りあいの喧嘩をした路地も今はない。

街の中心部も変わり果てている。

それは決して発展的な意味ではなく、過疎化が進行するゆえの縮小的な変わりようで、未来を感じられない悲しい様だ。

古くからの店は数えるほどしかなく、それ以外はシャッターが降りているか、福祉関連ビジネスの店舗になっており、加速度的に高齢化が進んでいることを実感させられる。

子供の頃に家族で行ったレストランも中華料理店もラーメン屋さんもなくなったので、思い出の味すら残っていないと思っていたが、前回の帰省の際に試しに行ってみた場所がある。

それは市役所の食堂で、職員だけではなく一般の人も利用できるのだが、そこは育ち盛りで常に腹を空かせていた中学校時代に何度となく行って腹を満たしていた場所だ。

和食、洋食から中華まで何でもある大衆食堂が作るからなのか、そこで出されるカレーライスはカレーうどんの出汁のような、とっても和風な変わった味がした。

しかし、その独特な味がクセになり、行けば必ずカレーを食べていたし、その味が脳裏の奥深くに刻み込まれていたので、自分でカレーを作る際にも鰹だしを入れてみたり、めんつゆを足してみたりして何とか再現してみようと試みたが、結局たどり着けなかったものである。

あの日以来、長い時を経て久しぶりに口に入れたカレーは、昔懐かしい、あの頃のままの味だった。

長い長い時間が経過し、あらゆるものが様変わりしてしまったが、市役所の食堂のカレーの味だけは変わっていなかった。

ただし、その味だけを求めてこの街に帰ってくることなどないと思われるが・・・。

ショウコトレイコノコト 4

まあ、今週はこの話題に触れない訳にはいかないだろう。

雑感というより、どちらかと言えば『管理人の独り言』に書き散らかしたことのまとめになるが。

レイコから『ハハキトクスグカエレ』の一報が届いたのは 06/01

実はその前にショウコが救急搬送されたという知らせを受けており、正直なところ、
「面倒なことになったな」
とは思ったが、俗に言われる嫌な予感とか胸騒ぎもなく、それほど大事にはならないと思っていた。

というのもショウコは超高齢者なので病院にかつぎ込まれるのは初めてのことではなく、骨折やら大腸炎やら何やらで年に一度くらいのペースで入院していたので、今までがそうであったように、今回も一週間程度の入院だろうと高をくくっていたのである。

ところが、それから約一時間後に受けた知らせが『ハハキトク・・・』。

さすがに頭の中が真っ白になり、ちょっと放心状態で受け答えしたのち電話を切り、『お買い物日記』 担当者に
「危篤だって」
と一言だけ告げた。

それからの行動は実に早かった。

いつも帰省する際にする荷造りに加え、仕事を長く休むことになる可能性があるので関係各所に事情の説明と休業をしらせるメールを一斉配信。

実は当日の午前中に買い物に行ってきたばかりだったので、食パンやヨーグルト、レタスなど賞味/消費期限の短いものをとなりの店や義兄夫妻に貰ってもらうように手配。

そして、普段は持たない喪服や数珠などの葬儀セット、遺産関連で必要になる可能性もあるので預金通帳や実印も準備。

実は翌週の 8日は自分が通院する日で、毎日服用している処方薬の在庫が底をつきかけていたのに加え、予定の日に病院に行けない可能性も高いので、故郷の病院で診察、薬の処方をしてもらえるよう『お薬手帳』や血液の検査結果など一通りの書類も用意。

どの乗り物を利用すれば最速で故郷に帰れるのかルート検索しまくり、いよいよ出発という段になって再び叔母からの電話。

もしかすると、意識が戻らぬまま母は逝ってしまったのかという思いが頭をよぎり、覚悟を決めて電話にでると妙にのんびりした口調のレイコ。

「あのねぇ、お母さん危篤じゃなかったわ」

・・・。

腰が抜けそうな安堵感と一気に頭に血が上るような怒りとが入り混じったが、一気にメーターを振りきって沸点をも軽く超えてしまったので、口からは今まで出したことのない量のため息と呆れ笑いが溢れ出てきた。

状況を整理すると、ショウコは前日から体調不良となって食べたものを嘔吐し、水も飲めないほど気分が悪くなっていたらしい。

翌日になってもそれが治まらないため午後に病院を予約し、そこに向かうためタクシーの予約も済ませた。

そこで気が抜けたのか、ソファーに横になったまま動けなくなったという。

午後になってタクシーが到着し、指名して毎回お世話になっている運転手さんが家のチャイムを鳴らして迎えに来たが、中からショウコの反応がないためドアを開けてみるとカギはかかっておらず、呼びかけてみてもまともな返事がないため心配になって家に入ってみると、意識もうろうとなって動けずにいるショウコがいたらしい。

その運転手さんの問いかけに対して応えるショウコはろれつが回っておらず、これは重症の脳出血かクモ膜下出血、または脳塞栓に違いないと判断した運転手さんが救急車を呼んでくれた。

そして、レイコにも連絡してくれ、今から救急搬送されるので病院で待っていてほしいということと、ショウコのろれつが回っていないという症状を伝えたとのことだったので、レイコも同様に脳関連の重病と判断したものと思われる。

救急搬送されたショウコがそのまま病室に向かわず、集中治療室に入ったのでレイコは『ハハキトク・・・』という情報を我が家にもたらしてくれたという訳だ。

結果的にショウコは急性の腎盂腎炎だったとのことで、腎臓のウィルスが全身に回ったため言語(ろれつ)も怪しくなり、高熱を発したことと、運動機能も麻痺したため動けずにいたらしい。

危篤が誤報だと分かったので、その日の移動はとりやめて翌日の早朝の高速バスに乗ることにした。

そして、到着後すぐに病院に行ってみると、ショウコはまだろれつが怪しいものの、コロッと太って顔の血色も良い。

少しするとレイコがやってきたが、口をきくと大喧嘩になってしまいそうだったので無視して病室を出てデイルームで本を読んだりスマホを使って時間をつぶした。

その日はバツが悪そうにシュンとしていたレイコだが、数日後にはしゃべりの達者な憎たらしい婆さんに戻り、転院の際には私が手続きなどしておくとか、もう一人で置いておけないのだから即入居が可能な施設を探せだのと色々と指図してくる。

『ハハキトク・・・』の大誤報を思い出し、はらわたが煮えくり返りそうになったものの、確かにレイコがいればこそ、ショウコのことを頼んで帰ってこれる訳なので怒りをぐっとこらえて丁重にお願いすることにした。

それからのこと、ショウコの回復ぶりなどは 06/03以降の独り言に記した通りだ。

必要以上に神経をすり減らし、もの凄く体力を消耗した今回の帰省。

前日に心配した通り、翌日の自分の通院、血液検査の結果は惨憺たるもので担当医がおろおろするような数値を叩き出した。

放っておけないほどの異常値も認められたので、処方薬を変更したうえで長い期間を置かず、24日に再び病院に行かなければならない。

しかし、その前の 16日から 21日まで、再び『お買い物日記』 担当者の通院と帰省という強行日程を組んでいるので次回の血液検査もどうなるものやらといったところだ。

ショウコは元気になる気満々だが、もう一人暮らしは困難だと思われる。

早急に施設をさがし、年内には転居を完了させたい。

やはり 2016年の後半は、とても忙しいことになりそうである。

表現法

スズキまでもが燃費計測で不正をしていたとの報道があったが、果たして『不正』という表現は適切なのだろうか。

確かに国が定めた基準ではない方法で測定をするのは正しくない。

正しくないことを日本語では不正と言うので、不正という表現は間違いではないのかもしれないが、フォルクスワーゲンも三菱自動車もスズキも十把一絡げにして良いものだろうか。

そもそも国交省が定める走行抵抗測定方法は古く、環境問題に関心が高まっている現在では時代にそぐわないものになっているらしい。

そこで、スズキは環境規制の厳しい欧州の燃費計測方法を採用し、その測定結果を基準としてしまったわけだ。

より厳しく、より正しい解を得られる方法であっても、国が定めた方法とは異なるため、それは正しくない、つまりは不正ということになってしまう。

しかしながら、結果が良くなるように不正に動くプログラムを組み込んだフォルクスワーゲンや、データを改ざんしたり勝手な計算方法でごまかしていた三菱自動車と同等に『不正』の二文字で片付けてしまうのはいかがなものか。

日本のみならず、世界各国が行方を心配していた田野岡 大和くんが無事に保護され全世界が安堵のため息をついた。

この件で幾度となく『置き去り』という言葉を耳にしたが、それは本当に正しい表現なのだろうか。

確かに子供をその場に置き、たとえ5分でも、たとえ500メートルでもその場を去ったのだから、日本語としては置き去りと表現しても間違いではないし、それ以上にしっくり来る日本語は存在しないのかもしれない。

しかし、聞き分けのない子供に反省させるための行為として、それほど常識から逸脱したものだろうか。

昔の親は、言うことを聞かない子供を押し入れに閉じ込めたり、家から外に出したりしたものである。

今回の件も、
「玄関の外に立ってろ!」
と子供を出し、5分後に見に行ったらいなくなっていたという状況と大差ないように思う。

子供が可哀想、親が悪いという構図がすっかりできあがってしまっているが、果たして本当にそうなのだろうか。

大和くんには申し訳ないが、どうも彼は普通の子ではないように思えてならない。

普通の子であれば、置いていかれそうになれば泣きながら後を追うものと思われるし、置いていかれたからといって直後にその場を離れるようなことはしないのではないだろうか。

反省の色なく、その場に残され、
「ちぇっ」
とふて腐れてどこかに行ってしまうなど、たいしたタマだ、見上げた根性だと、元不良の自分なんかは思ってしまう。

つまりは子供のゴネ勝ちであって、世間やマスコミから一斉に非難されるようになってしまった親の負けだろう。

これは単なる推測にしか過ぎないが、仮にそうだとするならば、やはり『我が子を置き去りにした親』というレッテルはそぐわないと思わざるを得ない。

今、この雑感は故郷で書いている。

パソコンではなく、使いづらいタブレットで書いている。

それというのも叔母のレイコが
「ハハキトクスグカエレ」
と大騒ぎしたからである。

命に関わる問題でもないのに危篤と表現するのはいかがなものか。

以前にショウコが骨折した際も
「これで寝たきりになることだってあるんだからね」
と脅し、ショウコが大腸炎で入院したときも
「体が衰弱してこのままダメになるかもね」
などと縁起でもないことを言うレイコである。

今後はレイコの誇大表現に最大限の注意を払わなければならないだろう。