記憶 Memory-18

過去の記憶

あれはいったい誰だったのだろう?

自宅から小学校を通り過ぎて反対側に住んでいた友達。

いや、本当に友達だったのだろうか?

彼とは夏の思い出しかなく、寒い時期に遊んだ記憶が皆無だ。

頭に浮かぶのは、いつも半ズボンに白いランニングシャツの姿。

キッチョと呼ばれていたが、その意味は分からない。

苗字が木村とか木下とか、名前が公章とか公彦など、とにかくどこかに『き』が含まれていたのかもしれないが、彼の本名を知らないので実のところは分からないままだ。

あの暑い夏の日、材木置場で朽ち果てた木の中からクワガタムシやカブトムシを掘り出すのに誰もが必死になっていた。

あまりにも真剣だったので楽しく会話をした覚えもないが、彼はなぜかそこでは輝く存在だったのである。

もちろん虫を探していない時は話しもしたし、一緒に原っぱを駆けまわって遊んだ。

ヘトヘトに疲れて家に遊びに行くと、彼のお母さんがオレンジジュースを飲ませてくれた。

小学生の一時期、とても仲良く過ごしたが、今から考えるとあれは誰だったのか。

同じクラスでもなければ他のクラスにもいなかったので同級生でないことだけは確かだ。

下級生だったのか、上級生だったのか。

いや、もしかすると、かなり遠くまで遊びに行っていたので他校の生徒だったのかも知れない。

子供同士というのは、たとえ初対面であっても最初のうちは警戒したり様子を見あったりするものの、小一時間もしないうちに距離が狭まり、打ち解けて仲良く遊んだりできるものである。

実際、学区内とは程遠い公園で見ず知らずの子供同士で遊んだりしていたし、同じ学校だったとしても同学年だけではなく、上級生や下級生が入り乱れて遊んでいた。

今から思えば、あの時の経験で上下関係を学んだりコミュニケーションの方法を学んだりしたと思う。

中学では足の速さを買われてスカウトされ、一応は入部したものの一週間も経たないうちに練習が面倒になって部活動に参加しなくなった典型的な幽霊部員で、高校時代は何にも属さずにいたので体育会系の厳しい上下関係を学んだことはない。

それでも社会に出てから先輩後輩、上司と部下の立場をわきまえることができていたのは小学校時代の経験と、不良時代の経験が大きく影響したものと思われる。

不良などやらない方がマシだが、幼少期に様々な年齢を相手に遊ぶのは大切なことなのではないだろうか。

現代っ子は外で遊ぶ機会もなく、小学校低学年から塾に通い、きょうだいもなく温室で大切に育てられるので広い年齢層と一緒に過ごす機会に乏しい。

それゆえにコミュニケーションの方法を知らず、上下関係に疎い、社会人としては実に欠陥の多い人種が量産されることになってしまっているような気がする。

話しを元に戻せば子供時代の夏の思い出に欠かせないキッチョというアダ名の彼。

帰省の際、買い物に行くタクシーの中からあの頃の風景を探してみたが、そこにあったはずの材木置場は見当たらなかった。

立ち並ぶ家も変わり、あったはずの原っぱも見つからない。

あれは誰だったのだろう。

キッチョと呼ばれていた彼は今頃どうしているだろう。

自分解体新書 - 23 -

自分解体新書 ~目次~

■ 毛髪 その4

白髪化の進行に歯止めがかからない。

そりゃあ、ここまで白髪頭になってから黒くなるなどとは思っていないが、加速度的に進行していて今は全体の 65%ほどが白いものと思われる。

後頭部は黒さをある程度は維持しており、それは前頭部から頭頂部に密集しているため、正面から見ると 80%以上が白髪という訳だ。

何カ月か前の事になるが、長兄夫妻と一緒に買い物にでかけ、屋外駐車場から店まで歩いている時、店舗の良く磨かれたガラスに映った自分の姿を見て愕然とした。

それは思っていた以上、自覚していた以上に髪が白く、それはすでに『真っ白』と言って過言ではないほど太陽光を見事に反射していたのである。

家の洗面所で見る鏡、散髪の際に見る店の鏡でも、そこまで白く見えてはいない。

屋内の照明の下で見え方と、屋外の太陽光に照らされた際の見え方がこんなに違うとは。

そして、白髪化によって余計に地肌が目立つということもあるが、確実に本数も減って薄毛化も進行中だ。

となりの店のお兄ちゃんは
「まだ大丈夫だよ」
と言ってくれるが、散髪後にシャンプーしてもらって濡れた頭を見ると、以前よりも確実に地肌が露出しているように思えてならない。

以前から、ハゲたら変に隠さず、思い切って短髪にしてやろうと思っており、それはお兄ちゃんにも伝えてある。

散髪中に
「そろそろ短くする?」
と、いつ言われるのかドキドキするお年頃になってしまった。

■ まつ毛 その7

白髪化はまつ毛でも進行している。

以前までは 3-4年に 1度くらいの割合で白いまつ毛が生えてきたが、それが年に 1本、数カ月に 1本と徐々に間隔が短くなり、今では常に生えるようになってしまった。

右目の端、左目の端、どういう訳か左右対称の同じような場所にそれぞれ 1本ずつある。

今のところは 1本だが、それが 2本、3本と増え、そのうちに頭髪と変わらぬ白さになるのではないかと思わないでもないが、まつ毛が真っ白な人など見たことがないので、そこまでには至らないであろうと信じているところだ。

■ 指 その3

以前にも書いた、硬くなってボコボコになっていた指だが、もう少しで完治というところまで改善してきた。

何にでも効くと信じてやまないオロナインH軟膏を塗り、綿手袋をして就寝してみても期待したほどの効果は得られなかったが、それならばと昨年の 5月に 『お買い物日記』 担当者が皮膚科に行って処方してもらった塗り薬を試してみたところ 2日目の朝には効果を実感でき、そのまま続けていたところ今は人差し指と中指の先の先、本当に極一部に硬さは残っているものの、それ以外は綺麗に治っている。

中途半端にしてぶり返すと困るので、このまま完全に治りきるまで薬を使い続けるつもりだ。

■ 脚

ここ数年、ずっと左足が痛い。

正確には左の腰から尻、太ももに膝裏、ふくらはぎの横を通って足先に至るまで、ピリッと電気が走るように痛いこともあればジンジンと鈍痛を感じることもある。

ぶつけた覚えもひねった覚えもなく、まして怪我をした覚えもないので加齢による現象だろうと放っておいたのだが、ある日テレビを見ているとファイザー製薬の CMで武田鉄矢氏が登場し、語り始めた症状がまさにピッタリだった。

同サイトによると、日本では『痛みを我慢するのが美徳』とされてきたが、我慢することで痛みが慢性化してしまうこともあれば、我慢できなくなるほど痛みが強くなってからの治療だと薬の量が多くなってしまうと書かれている。

しかし、痛みを感じはじめて早くも 2年、痛みが増しているかと言えばそうでもなく、変な意味で安定的な痛みが続いているので悪化はしていないのではないだろうか。

それだけに、病院で診てもらうほどのことなのか判断が難しかったりするのであった。

デジタル化の波 Signal-19

デジタル化の波 ~目次~

5年半前にもテレビ離れについて書いたが、各局が必死に視聴者を惹きつけようとする努力にもかかわらず視聴率の低迷、業績の低迷に歯止めがかからないでいる。

そもそも努力の仕方が間違っているので回復するはずもない。

インターネットの普及、スマートフォンの普及によって動画視聴が当たり前となり、いわゆる違法アップロードなどによってテレビ番組が不当に視聴されているというのがテレビ業界の認識で、それを打破しようと『民放公式テレビポータル』を立ち上げ、ユーザーをそちらに誘導して動画再生させ、動画広告の収入を得ようとしているが、ユーザーはそこまでして番組を見たいとは思っていないだろう。

これは音楽業界が音楽配信や違法アップロードによって CD販売が低迷していると主張していた十数年前に酷似している。

デジタル配信の普及によって、いわゆる版権や原盤権を持つレコード会社の利益は激減したかもしれないが、著作者に支払われる対価が不当に減っていない限りはビジネスモデルが大きく変化しただけのことであって、ネットの普及や違法行為が問題なのではない。

つまり、流通の中間マージンを省いた物品販売と同様に、今まではプロダクションやレコード会社を仲介し、さらには CDをプレスして製品に仕立てる業者、CDの卸業者まで仲介してCDショップに並んでいた楽曲が、作者の手からダイレクトにネット販売業者の手に渡るようになり、間に入る業者が一掃されたに過ぎない訳だ。

そして、音楽プレーヤーを持ち歩かなくてもスマホに何千曲も入る時代になっては、CDというメディアを必要としなくなるのは当然だろう。

そんな単純なことに気づかず、ただネット憎し、違法アップロード許すまじと叫んでいた業界は衰退して当然である。

話を元に戻してテレビ業界。

ネットが業績低迷を引き起こしているのではなく、ネット時代について行けていない業界の古い体質そのものが問題であることを認識したほうが良いだろう。

それはネットで番組を見られるようにするとか、ネット連動型のテレビ番組を制作するとか、そういう小手先の解決法では決してない。

もう番組作りそのものが古く、見る側にとって何の魅力もなくなってしまったことを自覚すべきだ。

良質なドラマ、良質な歌番組、良質なドキュメンタリーはまだテレビで放送すべきコンテンツだと思われるが、すでに解決したり、もうすでに発生している事件などを伝えるニュース番組はネットニュースを見ている人たちにとって何の価値もない。

アメリカの CNNやイギリスの BBC、カタールのアルジャジーラのように、24時間ニュースを追い続け、今起きていることをリアルタイムに伝えるようなメディアでなければ生き残るのは難しいのではないだろうか。

そもそも、今の時事にしても芸能ニュースにしても、ネットで話題になったり、芸能人がネットで発表したことを後追いで放送しているだけなので報道でも何でもない。

それの原稿を書き、定時になって放送する時には多くの人がすでに知っているのでニュースでも何でもないではないか。

今はまだネット難民と呼ばれる人が存在し、テレビやラジオのニュース、新聞でしか情報を得られないこともあるが、現在 40代以下の人たちは、ほぼ 100%がネットでの情報取得が可能だと思われるため、あと2-30年も経たないうちに後追いのニュースは必要なくなるものと思われる。

それまでに海外のように 24時間ニュースチャンネルを軌道に乗せておかなければ新聞社、テレビやラジオのニュース番組は壊滅状態になるのではないか。

それ以外のテレビ番組も実につまらない物が多いのに加え、昔ながらの手法で視聴者を惹きつけようとするものだから見ていて鬱陶しくて仕方がない。

よく使われるのが俗に言われる CMまたぎというやつだ。

最近は報道番組もバラエティー化が進んでいるため、事件を伝えている途中、
「犯人の心の闇に迫った」
とか
「はたして犯行の動機とは」
などと盛り上げておいて CMに行く。

そして、CDが明けると心の闇に迫るとか言っておきながら高校時代の知り合いに話しを聞いてみたり、小学校や中学校の卒業文集に犯人が書いていた内容を紹介する程度だったり、結局は犯行の動機など分かるはずもなく、近所に住む人が最近は少しイライラしていたみたいだという程度の情報でお茶を濁す。

そんなことの繰り返しなので、CM前にどんなに話しを盛り上げてもバカバカしさしか伝わってこない。

ましてネット世代は解を求めて検索し、できるだけ早く答えにたどり着こうとする。

そんな世代を相手に CMまたぎなどの手法で惹きつけようとするのは無理だろう。

早く知りたいのに気を持たせるようなことをされては反感しか覚えない。

スポーツニュースも同様で、そのスポーツに興味のあるネット世代であればすでに結果は知っている。

それなのにサッカーであればシュートを放った瞬間、野球であればピッチャーが投げた瞬間、またはバッターが打った瞬間に
「結果はどうなるーーっ!」
と CMに行かれても
「アホかっ!」
と思われるだけだろう。

他のバラエティー番組でもそうだが、盛り上げに盛り上げておいて CMまたぎという手法は今の世代には通用しないし、逆効果だということに早く気づいたほうが良い。

パソコン、スマホを駆使する世代は途中経過など無視してでも早く結論にたどり着きたいのである。

そういうことを理解した上で、どのような番組作りをすべきか検討すべきだと進言しておくことにしようと思う。

ファン

酒井法子しかり、その他の芸能人もしかりだが、たとえ法を犯しても芸能活動を再開できるのはファンの存在があるからだろう。

今回の騒動で SMAPが解散危機を乗り切ったのもファンの力が大きいものと思われる。

元プロ野球選手の清原が薬物所持で逮捕された。

以前から良からぬうわさ話が聞こえてきては消え、消えては聞こえということを繰り返していたが、とうとう逮捕されることになってしまった訳だ。

特に清原のファンだった訳ではないが、彼が高校生の頃からずっと見てきただけに少なからず心が揺れる。

清原ファンも多かっただけに実に残念なことではあるが、彼の場合はもう業界復帰は無理なのではないだろうか。

高校球児の頃からの付き合いである桑田真澄氏はテレビのインタビューで
「人生でも逆転満塁アーチを」
と応えているが、それは無理な話しだろう。

音楽関係の芸能活動をしていれば、これから先も大ヒット曲を生み出して一発当てることも不可能ではないし、芝居関係であれば大ヒット映画、ドラマの主役を務めて演技を評価されることもあるかもしれないが、彼のように野球解説、たまのバラエティー番組出演というポジションでは一発当てようがない。

ましてやオリンピックの代表監督、ワールド・ベースボール・クラシックの代表監督など依頼されるはずもないので、スポーツ関連で一発当てるのも無理だと思われる。

そして、アスリートだった彼のファンはいても、バラエティー番組に出演している彼、野球解説をしている彼のファンは多くないであろうから、これから先の人生で逆転満塁アーチを打つことは不可能だろうし、芸能界への復帰すら極めて困難なのではないだろうか。

少なからずいるであろう彼のファンがいくら望んだとしても、今後は報道以外でテレビ画面に登場することはないものと思われる。

BSE問題でアメリカ産牛肉の輸入が全面禁止になった時、吉野家は牛丼の販売を中断する決定を下したが、ファンは再開されるまで待ち続けた。

ペヤングソースやきそばにゴキブリが混入してしまった件にしても、ファンは販売の再開を望み、再開を待ち、再開されると売り切れの店が出るほど買い求める客がいたらしい。

それに引きかえマクドナルドの凋落ぶりは目を覆わんばかりだ。

中国の食品工場を舞台とする鶏肉の扱いが問題となり、その対応に追われ、その渦中にでさえ次々に異物混入が発覚したことによって食の安全に関わる信頼を失ってしまい、マクドナルドがいくら安全を宣言しても、いくら新メニューを投入しても、一向に客足は戻らない。

ついにはアメリカのマクドナルド本社が日本マクドナルドの持ち株を売却し、外部の力による再生を期待する事態にまで発展している。

離れてしまった客が戻らないのはハンバーガーを食べようとする際、それがマクドナルドである必要がないからだろう。

ハンバーガー業界のトップに君臨していたのはファンの支持ではなく、単に安いことと店舗数が多いことだけだったのか。

我家の場合は、もう何年も前から大好物だと書き続けている通り、ハンバーガーを食べるのならモスバーガーと決めている。

この街のショップは朝モスを実施していないので、ごく稀に朝の散歩の途中でマクドナルドに寄って朝マックすることはあったが、昼食、夕食代わりにマクドナルドのハンバーガーを食べることはなかった。

たまに無性に食べたくなってケンタッキーフライドチキンに行き、ついでにハンバーガーを買って食べることもあれば、札幌に行った際にはこの街にはないロッテリアで食べたりすることもあるが、年に一度程度の朝マック以外はマクドナルドが選択肢に入ることすらない。

そして、やはり我が家も世間と同じで、あの一件以来マクドナルドには一度も行っておらず、つい最近になって始まったアホみたいに長い仮名の商品が発売になろうと一切の興味を失ったままだ。

それでもマクドナルドが進める改革の閉鎖対象になっていないところをみると、この街の店舗は極端な不採算店ではないのだろうか。

すぐ近くに学校があり、その店には学生客が多いので何とかやって行けているのかもしれない。

学生にとっては価格が優先であり、過去の一件に関しても気にしていないのだろうが、子の体を心配する親たちの心境はいかばかりであろう。