経済っぽいこと

もちろん経済など学んだことはないので面倒な話しはできない。

そこで、以前から何となく思っていることをツラツラと。

まずは以前から不思議に思っていることになるが、それはアメリカと日本の株価の動きである。

日本では平均株価が 1日で 500円も値下がりしようものなら株価暴落などとマスコミが騒ぐ。

しかし、アメリカでは500ドルの値下がりなど日常茶飯事だ。

500ドル、同じ500でも円とは大きく違い、今日現在の為替レート 1ドル 121円だと6万500円になる。

ダウ平均株価は16,466ドル(1,992,386円(日経平均は17,518円)いずれも今日(2016/01/30)現在)と、圧倒的に母数が異なるとは言え、平気で 6万円も上下するのだから経済のダイナミズムの違いを思い知らされる。

これだからアメリカには株長者が存在し、株価の変動で一喜一憂するのだろう。

ひるがえって日本。

500円程度の変動で一喜一憂するのが馬鹿らしくならないのだろうか。

世界第二位の経済大国という地位も中国にあっさりと抜き去られ、アジアにおける発言力も何も失ってしまった日本は、これから益々アジアの隅っこに追いやられてしまうことだろう。

海外から安価に輸入していた肉や魚、野菜などは中国の台頭によって国際市場で買い負け、輸入量が激減しているので国内市場では値上がりが続いている。

日銀や政府がインフレ目標を設定し、ゆるやかな物価上昇になるようにコントロールしようとしているが、賃金上昇との組み合わせによる健全なインフレではなく、このままでは単に日本の国力低下による値上がりになってしまう。

鶏や豚、牛の餌となる飼料も輸入品が主であるため高騰し、国産肉の価格も上昇、輸入肉も値上がりとあっては、とても健全なインフレとは言えない。

コーヒー豆からカカオ豆、砂糖やバターに小麦、ありとあらゆるものの国際価格が高騰しているため企業努力だけでは吸収しきれず、じわりじわりと値上がりが続く。

今はまだジワジワという感じなので、健全ではないにせよ政府はインフレ目標に向かった動向と主張しているが、実は政府や日銀なんぞではコントロールできない次元で値上げ圧力が強まっているだけなのではないだろうか。

そして、いつかどこかでバランスが崩れた時、ハイパーインフレとなって物価が10倍、100倍と歯止めがかからなくなる危険性をはらんでいるような気がしてならない。

また、全く逆のシナリオで世界同時デフレの兆候も見られる。

以前の雑感にも書いたように、デフレ克服には最低でも何十年、長ければ百年のスパンを必要とするらしい。

そして、全世界がデフレになるかも知れないという懸念がある中、日本だけがデフレ脱却などと声高に叫んでいるのは恥ずかしくもあり、滑稽ですらある。

景気の気は気持ちの気と言うので、何となくデフレ克服、景気浮揚と連呼していればみんながその気になって経済が上向くと思っているのだろうか。

そんな馬鹿らしいことに付き合っているヒマなど、忙しい日本人にあるはずがないのだが・・・。

規制

どういう訳か、飛行機事故が発生すると各地、各国でも同じような事故が起きる。

地震や火山噴火であれば同じ地殻で連鎖するのは当然だと思うが、なぜ事故も連鎖するのだろう。

ここのところ続いているバス事故も同様だ。

北海道において JRの事故が多発したのは単にJR北海道の体質や管理体制が腐っていただけだったが、今回のバス事故は一社によるものではない。

昔の人は、こういう時に何かのたたりとか、何かに呪われているとか思ったりしたのだろう。

しかし、そのような現象などあるはずがないと現代科学は答えをだしている。

しかし、しかし、なぜ事故が連鎖するのかは現代科学をもってしても答えを導き出せていない。

それはさておき、このような事故が頻発すると、知識人と呼ばれる人たちは過度な規制緩和がもたらした結果であるため、やはり一定の規制は必要だと言い始める。

数年前、タクシー料金の自由化、参入障壁の撤廃が進んだ結果、過度な価格競争と過重労働、運転手の賃金低下を招いたとして再び規制が復活してしまったが、それは果たして正常なことだろうか。

あのまま続ければ一時的な痛みはあるにせよ、競争原理が働き、自然淘汰が進めば業界は落ち着きを取り戻したに違いない。

そして、適正な料金に落ち着き、それを基に労働時間、賃金が導き出されるようになったことだろう。

それを待たずして、ちょっと問題が出たからといってすぐに規制を強化するのはいかがなものか。

価格競争にさらされ、合理化を進め、それでも一定の労働条件と賃金を維持している業界は山ほどある。

熾烈なシェア争いをしている携帯電話キャリアも然り、インターネット・プロバイダーも然りだ。

今回のバス事故の多発によって、また規制は強化されるだろう。

しかし、タクシー業界のように自由参加の機会まで奪うような規制はやめてほしい。

日本の官僚は、業者が平身低頭で足繁く通ってくるのを偉そうな態度で接することに優越感を覚え、その状況を続けたいからなのか、厳しい態度で処分すると言いながら行政処分にとどまる。

そんな行政指導だの処分だのをちんたらやっていないで、大きな問題を起こした会社は市場から退場させるべきだ。

問題の多い業者は実名を公表した上で世の中から抹殺する。

つまり、法人格に対する死刑判決、死刑執行を行えるようにすれば良い。

とんでもない原子力事故を引き起こした東電など死刑宣告した上で一時的にでも国有企業とし、今回の電力自由化で希望者に売却すれば良かったのである。

訳の分からない勝手なことをやっていた化血研にしても、30日間の業務停止命令など甘すぎるではないか。

こんな組織は死刑にして一時国有化し、営業権を他社に売却したら良い。

あるいはアメリカやヨーロッパのように10兆円くらいの課徴金や追徴金の支払いを命じ、それが払えずに倒産するなら勝手にどうぞという姿勢で臨むべきだ。

そうすれば業界に緊張感が生まれ、アホなことをする会社も減るのではないだろうか。

特定の業界の参入障壁を高くしたり、経営や業務の自由度を奪うような規制ばかり強化していないで、労働基準法に違反したり不正を働いたり、人命を奪うような大問題を起こした場合の制裁強化のほうがより効果的だと思うのだが、どうだろう。

真性雑感 第十八版

真性雑感 ~目次~

■ SMAP

たかが芸能人、もう中年となった元アイドルグループが分裂の危機にあるとかないとかで世の中は大騒ぎしている。

割りと身近である台湾が中国の軍門に下ってしまう道を選ぶのか、あくまでも独立を目指すのかを決める重要な選挙があったり、ついにアジアもISによるテロ攻撃の標的になってしまったとか、様々な重要な案件を吹き飛ばすほどの勢い、重要性が高い国民の関心事がSMAPとは、日本がつくづく平和だと思い知らされた。

自分にとってSMAPなどどうでも良く、事務所を移籍しようが解散しようが関係もなければ何の問題にもならないし、まったく気にならない。

どこかの経済専門家に言わせると、SMAPが一年間に生み出す経済効果は 6百数十億円であり、それは阪神が優勝した場合の効果に匹敵しているため、それを失うとなると日本にとって経済的損失は計り知れないということだ。

例えそうであったとしても、いつまでもSMAPが存続するとは限らないし、今後何十年も人気を持続できるか未知数であることから、恒久財源であり得るはずがないではないか。

■ ベッキー

SMAP騒動で話題がそれたのはベッキーにとってラッキーだったか。

今まで浮いた噂の一つもなく、芸能人の間でも業界関係者の間でも評判がよく、一般人からの好感度も高かったのに初スキャンダルが不倫とは。

最近、たまたまベッキーのお相手である『ゲスの極み乙女。』をテレビで見る機会があり、川谷絵音の異才ぶりに驚いたところだったので少なからず興味を持って、いや、SMAPの件より高い興味を持って報道を見ていた。

現在伝えられていることが本当で、結婚半年で離婚危機 → 元カノとの一悶着 → ベッキーとの不倫が事実なのであるとすれば、それはもう突き抜けており、昔の歌舞伎役者、若かりし頃の石田純一、火野正平と同レベルだと思えるので嫌悪感どころか実に愉快な人物に思えてくる。

昔から『浮気は男の甲斐性』というが、彼らにはその甲斐性があるのだろう。

補足になるが、この言葉の意味を取り違えている人が多い。

浮気をするのが男の甲斐性であると。

それはまったくの逆であり、甲斐性のある男が浮気できるのである。

つまり、甲斐性のある男にのみ浮気をする権利があり、甲斐性なしは浮気などしてはいけない。

だから自分は浮気をしないし、浮気などできないし、浮気などしてはいけないのだ。

■ テレ東化

以前の雑感に我が家では見る番組の 90%がテレビ東京系だと書いたが、そのテレ東が好業績を収めている。

以前は釣り番組と旅番組しかないなどと他局から嘲笑されていた同局が個性的なヒット番組を連発した結果、小馬鹿にしていた他局の平均視聴率を上回り、その独創的な番組内容からスポンサーも獲得しやすく、視聴者の満足度も高いことから業績低迷にあえぐ他局を尻目に一人勝ちになっている。

恥も外聞もないのがテレ東をあざ笑っていた他局だ。

吉本興業やらジャニーズ事務所、その他の番組制作会社が持ち込む企画に依存しすぎて自局での企画能力を失ってしまったため打開策すら出せずにいる。

その結果、あれだけ笑いものにしていたテレ東の番組を丸パクリし始めた。

外国人、職人、日本の技術、旅先での人とのふれあいというテレ東が得意とするキーワードを詰め込み、職人さんの手によって生み出される日本の技術力の結晶を外国人に見せて驚いている様を放送したり、今までは寄り付きもしなかった地方の街をぶらり旅してみたりと全局がテレ東化してきている。

まったく、彼らは恥というものを知らないのだろうか。

ショウコトレイコノコト 3

我が母ショウコが一人暮らしを続けることを断念したのは昨年10月のこと

ついては施設を探してほしいとのことだった。

この街の自治体に連絡し、窓口で説明を受けて地域包括支援センターの存在を知り、早々に連絡してみたところ、対象者、つまりショウコが現在どういう状態であるかを確定する必要があるとのことだった。

その状態とは、支援が必要か、介護が必要か、そして必要な場合はどの程度かという、いわゆるランクのようなものである。

数年前にショウコは『要支援 1』だと認定されているが、骨粗しょう症による背骨の圧迫骨折を機に右下半身の痛みで歩行に支障をきたし、行動範囲が狭まって運動不足におちいり、ますます筋力が低下するという負のスパイラルが続いていたので、ランクは上がっていると予想された。

また、施設への受け入れは介護度が高い人ほど優先されるので、『要支援 1』では受け入れ先が極めて少ない。

そこで昨年の 10月に故郷の自治体に連絡し、要介護認定の申請をして審査が実施されたのが 11月。

結果がでるまで 3カ月程度と聞いていたので今年の 1月下旬か 2月になるだろと予想された。

昨年末に帰省した際、結果は 1月中に届きそうか確認したところ、
「もう来てるよ」
などとツラっと言ってのけるショウコだ。

あれだけ真剣に話し、ショウコの住む街の担当者ともやりとりしたのだから、結果が届いたなら何をおいても真っ先に知らせるのが筋というものではないだろうか。

さすがに母子だけあって、自分と同じように合理主義的なところがあるショウコにしてみれば、どうせ年末になれば会って話せるのだから電話連絡する必要はないと思ったのかもしれないが、それにしても何か一言くらいあっても良いだろうなどと腸が煮えくり返るような思いを抑えつつ封筒から取り出した書類に記載されていたのは『要支援 2』の文字。

以前と比較するとあれだけ弱っており、様々な病歴も増えてまともに歩けなくなってしまったので当然の事ながら『要介護』になるものと思っていただけに大きな戸惑いを覚えた。

それだけ元気な証拠と喜ぶべきなのかもしれないが、一段階ランクが上がったとは言え『要支援』では受け入れてくれる施設が一箇所しかなく、昨年末に確認したところその施設は入居待ちが 26人という状況だ。

それだけの順番を待つとなると間違いなく年単位の時間が必要となるだろう。

もう一人暮らしはしたくないというショウコをいつまでも待たせる訳にはいかない。

そうなると施設を予約しつつこの街に呼び寄せて入居できるまでの間、同居という選択肢はないのでサ高住と言われるサービス付き高齢者向け住宅にでも入居させるしかないものと思われる。

しかし、そのサ高住ですら入居待ちになっている可能性が高いので不動産屋さんに問い合わせなければならない。

その前に地域包括支援センターにショウコが『要支援 2』と認定されたことを伝え、ショウコの年収(年金受給額)などを加味した上で入居可能な施設を絞り込んでもらい、空き状況によっては順番待ちのリストに加えてもらうという作業も必要だ。

頭では理解しているのだが、正月早々にやることでもあるまいと今週はずっと放置していたが、来週になったら少しずつでも行動しなければならないだろう。

この話と関連するもう一つの懸案事項。

帰省の際に叔母のレイコの家にも遊びに行き、ショウコが街を出た後のことについて話をしてきた。

耳鳴りがひどくなってきたのか、会話をするには以前よりも大きな声をださなければならなくなってしまったが、それ以外に大きな問題もなく達者に暮らしている。

股関節が痛いと言った時にはさすがに足に来たかと思ったが、実は数日前に屋根の雪下ろしを何時間もやったとのことで、相変わらずのスーパー婆さんぶりを発揮しているようだ。

そして、いつものように一緒の街で暮らそうと言ってみたが、
「私は人の世話をするのには慣れているけど、人の世話になるのには慣れていないのよ」
などと言って首を縦に振らない。

「嫌だったら世話なんかしてやらないから」
と言おうと
「とりあえずはすぐに会える距離に住んでくれたら安心なんだけど」
と説得しても聞く耳をもたいレイコだ。

それでも今回、同じ街に住むことを提案しているのが自分たちだけではないということを知り、少しだけ安心することができた。

ショウコやレイコのきょうだいの息子や娘、つまりはレイコにとっての甥や姪が同じようにレイコを心配し、こっちに来ないかと声をかけているという。

レイコと違う籍を持つ自分より、同じ籍を持つ甥や姪のほうが遠慮も少ないだろうし、レイコがそれを選ぶなら仕方がないとは思う。

しかし、以前の雑感に何度となく書いたように、幼い頃から世話になったレイコにはひとかたならぬ恩義を感じているし、幾度となく自分を助けてくれたことに深く感謝している。

できることであれば、この街でレイコが余生を過ごしてくれることを願ってやまないが、いったいどうなることだろう。

旅の途中

14年ぶりに年末年始を故郷で過ごした。

母親も叔母も相変わらずだったが、今日は時間がないのでその話は後ほど。

今回は移動中に目にしたこと、思ったことをつらつらと。

まずは帰省のため実家に向かうバスの件。

この街から札幌に向かうバス、札幌で乗り継いで故郷に向かうバス。

冬期間は時間通りに運行するのかがとても気がかりだ。

札幌での乗り継ぎは待ち時間が 30分程度しかない。

吹雪や大雪で高速道路が通行止めになったり速度規制になりでもしたら次のバスに間に合わないという緊迫した状況だ。

今回は事前の天気予報はハズレて好天に恵まれたため問題なく乗り継げた。

札幌から故郷に向かうバスでは乗客の何人かが風邪をひいているらしく、ゲホゲホと咳き込む人、グシュグシュと鼻をすする人、くしゃみを連発する人などがおり、我が体内がウィスルに侵食されないか気が気でならなかった。

到着してから知ったのだが、前日の 28日は悪天候のため高速バスが運休になったらしい。

そんな影響もなく順調に帰省できたのは晴れ男の異名を持つ自分のパワーか。

29日の午後から今日まで実家で過ごし、今度は帰路の話し。

いつもは空席が目立つ札幌行きのバスなのだが、さすがに帰宅ラッシュのピークといわれる 2日だけあって、何とバスが 2台停まっていた。

実家で過ごした数日間の疲れがどっと出てウトウトしているうちに札幌に到着。

バスの乗り継ぎまで 2時間ほどあるので、いつもなら色々な店をめぐって時間をつぶすのだが、果てしなく疲れていたのでベンチに座ったままじっと時間が経つのを待っていた。

バスを降りてからの移動、ベンチに座っている間、何組かの家族の同じような光景を目にする。

それは一様に小さな子どもを連れた家族なのだが、買い物に飽きて疲れてしまった子どもが
「家に帰りたぁい」
とグズっていた。

そこで思ったのだが、子どもが欲しがる物、例えば玩具でもお菓子でも良いのだが、それは最後の最後に買ってやるべきだろう。

大人の買い物の途中でグズりだしたなら
「もう少ししたら買ってあげるからね」
と説得できるだろうし、それでもグズグズ言うようなら
「じゃあ買うのをやめて帰る?」
と選択肢を与えることが可能だ。

そこで『待つ』を子どもが選択したなら少しは大人しくなるだろうし、『帰る』を選択したなら出費を抑えることができる。

そんなことを何となく思ったりスマホでゲームなどしているうちに時間となって、札幌から我が街までのバスは出発。

本当に直前まで・・・降車する 3分前まで雨混じりの雪が降っていたため、濡れて帰宅することを覚悟していたのだが、バスを降りるとすっかり雨は止んでいた。

ここでも晴れ男の面目躍如で濡れることなく帰宅できたのは実は幸いなことである。