マユちゃんの進路

となりの店スーパー女子高生マユちゃんは高校三年生で来春には卒業となる。

つい最近まで中学校の制服を着て友達と通学していたと思ったら女子高生となって電車通学となり、自転車で駅まで通うようになったと思ったらもう卒業だ。

木曜の午前中、マユちゃんの伯父であるお兄ちゃんに髪を切ってもらい、世間話の中で
「今年はマユちゃんも大学受験で大変だね」
と話しを向けると、
「いやぁ、もう試験は受けてきたんだよねぇ」
と答える。

まだセンター試験も始まっていないのに試験が終わったとはどういうことなのか尋ねると、なんとマユちゃんは美容師になることにしたのだという。

とても優秀な娘さんで、高校側からは大学への推薦入学も可能と打診されているにも関わらず、本人の希望で美容専門学校に進むことにしたのだそうだ。

当然大学に行くのだろうと思っていたし、彼女であればそれは可能であって労せず進学することもできるのに祖父母や親と同じ道を歩むことを選んだということである。

太陽のように明るくキラキラした子なので、遠くの大学に行ってしまったら寂しくなると 『お買い物日記』 担当者とも話しをしており、東京の大学どころかマユちゃんの語学力があれば海外の大学に行ってしまうかもしれないと他人事ながら不安になったり心配したりしていた。

それが美容師になるというのでさえ驚きなのに、マユちゃんが入学を希望している専門学校が札幌だというので親である妹ちゃんも祖父母であるお父さん、お母さん、そして話をしてくれたお兄ちゃんもさぞかし嬉しいことだろう。

最初は東京の専門学校が念頭にあったらしいのだが、昨年の 3月に発生した東日本大震災で思うところがあったのに加え、最近になって南海トラフ地震の話題が頻繁に取り上げられたり南関東直下地震の発生リスクが 70%を超えていることもあって東京に住むのが怖くなり、札幌の学校に行くことを決めたらしい。

帰宅して早々にマユちゃんの進路が決まったことを 『お買い物日記』 担当者に伝えると、我が娘のことのように喜び、涙ぐんたりしていたので本当に嬉しかったのだろう。

その日は就寝するまでずっとマユちゃんのことを思い出しては
「よかったねぇ~」
と二人で何度も喜んでいた。

となりのお兄ちゃん曰く、美容師になっても帰ってくるかどうか分からないとのことだが、卒業して何年かは修行してもきっと帰ってきてくれるだろう。

美容室の乱立が続き、今もこれからも厳しい時代が続くだろうから都会で店を持って経営するのは困難を極めるに違いない。

となりの店であれば地元の固定客をがっちりとワシづかみにしているので、それを継ぐのが一番だと思われるし、以前の雑感にも書いたように三代そろって店に立つ姿をぜひとも見てみたいものだと心から思う。

しかし、今のマユちゃんはスーパー女子高生であるし、何でも上手にできそうな気がするので、もしかすると全国に名をとどろかせるカリスマ美容師となって東京で仕事をすことになってしまうかもしれない。

もしそうなったらこの町に帰ってくることもないだろうが・・・。

いや、人の娘さんのことをあれやこれや心配していても始まらない。

今はただ、マユちゃんの進路が決まったことを心から喜ぼうと思う。

フラフラの理由

今週はフラフラになってしまった。

それほど大きなダメージを受けている訳ではないが、ずっと寝不足続きでフラフラしている。

スマホのゲームが面白く、夜遅くまで起きているのが原因なので自業自得ではあるが、昼間にボ~っとしたり仕事に若干の影響が出始めていることと、もう若くはないので夜更かしばかりしている訳にもいかないので、来週からはせめて30分くらい早く就寝するように心がけたいと思う。

Webサイトで更新されたファイルを定期的にダウンロードし、それを含めてパソコンのバックアップをするという一連の流れを自動化するプログラムを作成して放っておいても土曜の夜に自動実行するようにしていたのだが、一部のプロセスに問題があって 7月中旬を最後に正常動作していないことが判明。

偶然の作業からそれに気づき、泣きながら修復したのは月曜日

週の初めからそんなことをしたこともあってか、今週はひどく疲れて後半はフラフラになってしまったのである。

子供の頃から貧血気味で、入浴直後に脱衣所で倒れたり体育の授業中に倒れたり、全校集会で校長の長話を聞かされて倒れたりしていた。

それは今でも変わらず週に何度か立ちくらみをしてしまうが、何十年もの経験値と慣れがあるため、さすがに倒れることはない。

フラフラし始めてこれはマズい!と思えばすかさずしゃがみこんだり何かにつかまったりする習慣が身についているので、たとえ目の前が真っ暗になったとしても意識を失いかけても倒れて怪我をすることはないだろう。

とっても低いわけではないが、どちらかと言えば低血圧で、平均して上は 110前後、下は 70くらいであり、上が 100に届かず、下は 50台ということも珍しくない。

血圧測定をした医者から
「フラフラしませんか?」
と聞かれるが、貧血でのフラフラと区別がつかないのである。

芸能人や女性が
「私ってば低血圧で朝がとっても弱いの」
などと言っているのを聞くが、自分の場合は眠りが浅く朝も目覚ましの音にビクッと反応して飛び起きるので、影響は少ないように思ってはいるものの、トイレに行ったり着替えたりしている間は少しフワフワ、フラフラしているので実際には低血圧に影響されているのかも知れない。

この歳になれば体のアチコチにメンテナンスが必要となり、3カ月に一度の通院、処方薬が欠かせなくなっている。

現在処方されている薬は 3種類なのだが、そのうちの一つに若干の副作用があり、目まいを生じる危険性があるという。

確かに薬を飲み始めてからフラフラする回数が増えたように思わなくもないが、自分にその副作用が現れているのか定かではない。

今週はフラフラになってしまったと冒頭に書いたが、ここまで触れてきたように多くの原因があるので、自分が一体どれでフラフラしているのか分からないことがよくある。

そもそも、人生そのものがフラフラしているのでそれが主因かもしれないが。

何も思いつかないときは

雑感を書くのにあまり苦労をしたことがなく、何も考えていなくてもパソコンの前に座れば適当な題材が思い浮かび、それを頭の中でまとめもせずキーボードを打ち始めるので、たまに支離滅裂な文章になったり始まりと終わりで内容が変わってしまったりするのはご愛嬌だ。

週一なので年間 50回くらいの更新となり、それを12年以上も続けているので 600本以上のネタを書いたことになる。

たぶん 10本にも満たないと思うが、そのうちの数本はパソコンの前に座っても何も思いつかず、どこかにネタはないかと検索しまくり、余計なことに興味を持ってしまって無駄に時間を消費したりしながら苦労してかいた。

それでも 600本分の数本のことなので、雑感を書くのに苦労はしていないと言っても過言ではないだろう。

そして、しかし、ところが今日である。

今日はパソコンの前に座り、う~むと腕組みしながら思考を凝らしても、ポンっと頭の上で電球が光ることもなく、ネタ探しにネットサーフィンしてみても、興味をそそられるようなニュースがないので何も思いつかぬままとりあえずキーボードを打っているところだ。

今一番の興味はタブレット端末で、アップル社が発売した iPadを皮切りに一気に市場が広がり、各社がこぞって新機種を発売している。

しかし、同じ 4-5万円を支払うのであれば機能を真似た他社製品を購入する必要などなく、やはり iPadを手に入れたい。

数年前に買ったネットブックと呼ばれる超小型のノートパソコンがあるし、今ではスマートフォンも使っているので外出先でもネット接続して様々なことができるのはできるのだが、やはりスマホだと画面が小さすぎて見づらいのと、文字入力にも慣れていないので時間ばかりかかってしまう。

そして、ネットブックは超小型ではあるものの、すでに 5年前の製品であるため小型化、薄型化、軽量化に限度があり、長時間駆動を実現するために大きなバッテリーを搭載しているので意外に重いのに加え、OSが Windows XPで CPUも古いので処理速度が遅い。

そう考えるとタブレット端末の快適な操作性と携帯性は実に魅力的であり、どうしても食指が動いてしまう。

それでもネットブックとスマホでひどく不自由を感じているわけではないので 4万も 5万も出す必要はないだろうと、自分自身に言い聞かせてきた。

しかし、先ごろ Google社から発表された nexus(ネクサス)7は常識をくつがえす 19,800円という価格で、動きを止めていた食指が再び活動を始める結果となってしまったのは言うまでもない。

しかし、しかし、言うなればそれは Android端末でしかなく、『お買い物日記』 担当者の使うスマホが大きくなっただけのことである事実は変わらない。

わざわざそれを購入する必要があるのかは疑問だ。

それでもやっぱりタブレット端末には触れてみたい。

そんな結論の出ないことをつらつらと考えたりしている土曜の午後だ。

今現在の頭の中を書いただけなので、この雑感にオチなどない。

記憶 Memory-12

過去の記憶

世の中広しと言えども、裸馬に乗って遊んだ経験の持ち主は多くないだろう。

過去の記憶に書いた三歳の頃に両親が建てた一軒家は、周りに何もない土地を購入して建築したものだったので、すぐ裏に地主さんの家がある以外は辺り一面の田んぼで、夏の暑い日に窓を開けていたらカエルの鳴き声でテレビの音が聞こえないくらいだった。

数百メートル離れたところに一軒の家があり、そこには小学校の同級生が住んでいて稲作と畑作、酪農と、農業の多角化を進めている家庭だった。

小さな頃から畑の中を走り回り、のどが渇いたり腹が減れば生っているトマトを採って食べ、再び遊びに没頭するということを繰り返していた。

春には畑に蝶が飛び交い、育てているキャベツには青虫がモゾモゾしていたし、雨上がりの畑の土にはミミズがニョロニョロしていた。

夏の田んぼにはアメンボが浮かび、秋にはトンボが群がる。

都会であれば昆虫採集も一苦労だろうが、夏の終わりに田んぼを歩き、稲穂に向かって石を投げれば太陽光がさえぎらられて暗くなるほどのトンボの群れが空に舞う。

冬を前に枯れた牧草を刈り取り、サイロと呼ばれる貯蔵庫に運ぶ。

それは、その家で飼われてる馬や牛の冬の餌となる。

刈ったばかりで太陽の匂いがいっぱいの干し草を運び、馬のところに行くと実に美味しそうに食べるので、どんな味がするのか気になって 1-2本ほど口に入れてみるが、それが美味しいはずもなく直後にペッペッと吐き出したりしていた。

その馬は若かりし頃、北海道特有の競馬、ばんえい競走に出ていたほどの実力で、とても大きく力強い体躯をしているが、子供の頃から調教されていたので人懐っこく、何をしても怒らない優しい目をした本当に大人しい馬だった。

地面においた干し草を食べるには頭を下げなければならないが、その体勢になったらこっちのもので、馬のたてがみを握り、首に足をかけ、体をよじ登って背中に乗ろうとしても、その間も馬はじっとしている。

小さな子供の体重とはいえ毛を引っ張られたら少なからず痛いだろうに、それでも友達と自分の二人が背中にまたがるまで動かずにいてくれるような馬だった。

馬の背中は広く大きく、体温でポカポカと温かい。

馬は子供を喜ばせようとでも思っているのか、しばらくするとパカパカと歩き出し、柵で囲われた中を何周も回ってくれたりする。

その揺れがあまりにも気持ち良く、馬の背中で寝てしまったことも一度や二度ではない。

ふと目が覚めると周りが馬糞だらけの場所で立ち止まったりしており、降りるに降りられなくなって必死に馬の尻を蹴ったりして歩かせようとするものの、無視されて途方に暮れたりしたこともあった。

それでも暗くなる前にはパカパカと歩き出して柵の近くに止まり、子供が降りると馬小屋に向かって歩き出すという、まるでそこまで送り届けてくれたような、そして遊んでやったと言わんばかりの雰囲気を漂わせる不思議な存在だった。

抜けるような青空のもと、干し草香る乾いた空気と優しい日差しに包まれながら遊び、疲れ果てて寝るという毎日。

それが、とても贅沢な時間だったと思える。

今の子供達には経験できない貴重な時を過ごしたものである。