記憶 Memory-13

過去の記憶

過去の雑感で何度か触れたように、実に腕白で実に野性的に育った自分は子供の頃から怪我が絶えなかった。

近所を走り回って転んだりするものだから両ひざはいつも傷だらけ。

草むらをかき分けて遊ぶものだから手足には葉っぱによる切り傷だらけ。

少し前に書いたように針金を振り回して負った傷が頬にあるし、神社の横の急な坂道を自転車で転げ落ちたときに負ったヒザの傷も未だに残っている。

自動車整備工場の裏にある廃車が積み上げられた場所など格好の遊び場で、ボンネットや屋根の上を飛び回り、足を踏み外して落下するなど日常茶飯事だった。

きれいに積み上げられた廃タイヤによじ登り、上から輪の中に入って遊んでいる途中でタイヤが崩れだし、頭から地面に落ちたこともある。

はしごが掛けられたままの家があれば屋根に登って遊び、中から
「こらぁーーー!」
と叱られ慌てて逃げようとして花壇に落ちたりもした。

冬になれば雪が積もってクッション代わりになるので、屋根から宙返りやバク転をしながら飛び降りて遊んだものだ。

今から考えると雪の中に何が埋まっているのか分からないのに 3メートルくらいの高さから飛び降り、背中や尻から着地するなど無謀極まりなく、万が一にでも大きな石があったり、杭が立っていたりしたら大惨事になったことだろうと背筋が寒くなる。

廃屋なども実に魅力的な遊び場で、壁を蹴って穴を開けたりして遊んでいたが、ある日ある時、長くて太いクギが出ている部分を思い切り蹴って足の裏から甲まで突き抜けたことがあった。

多少の怪我をして帰ろうと、いつものことなので気にも留めなかった母親も、この時ばかりはさすがに慌てふためき、破傷風にでもなっては一大事と病院に連れて行かれたが、サビも少なく比較的きれいなクギであったことが幸いし、簡単な治療をしただけで事は済んだ。

母親は怪我の程度が軽いと分かって安心したのと同時に怒りがこみ上げてきたらしく、帰宅後にこっぴどく叱られて足に釘が刺さった時より大泣きさせられることになってしまった。

ある時は吹き矢のおもちゃで怪我をした。

それはもの凄く大きなストローのような、セルロイドかプラスチックの筒を単に一定の長さに切ってある程度のもので、今の玩具のように安全性など全く考慮されておらず、口に当てる部分ですら何の処理も施されていない代物だ。

少し離れたところに恐竜のおもちゃを置き、それを狙って吹き矢を飛ばしていたのだが、何せ子供のことなので何が危険なのかなど分かっていない。

吹き矢の筒を口にくわえたまま走って矢を拾いに行くことを何度も繰り返しているうちに筒の先が壁に当たり、くわえた筒が喉の奥にまで入って肉をえぐった。

ドクドクと口から血が流れ出し、病院に担ぎ込まれる事になってしまったのは言うまでもない。

それでも粘膜質の部分は治りが早いのと、若い細胞の回復力で病院に到着するころには血が止まり、殺菌のためのうがい薬を処方されただけで帰宅した。

そんな怪我をしたにも関わらず、危ないからと吹き矢を捨てられてしまったことに腹を立てて親子喧嘩が勃発するような始末だ。

いつも怪我だらけだったが、そんなに傷を負っても命にかかわるような大怪我をしたことも骨折をしたこともないないのは、運が良かったのかもしれない。

そして、丈夫な体に産んでもらったことを感謝すべきなのかも知れない。

総選挙

どうやらクリスマス・イブの投開票は回避されたものの、暮れも押し迫って全国民が浮き足立っている時期の選挙など記憶に残っていないので調べてみると、1983年が 12月 18日で投票率は 67.94%となっており、その前(1980/6/22)の 74.57%から 6.63%も低くなっている。

やはり師走の忙しい時だと投票に行く人も減ってしまうだろうし、特に雪に閉ざされる地方では投票場に行くのすら一苦労という人も少なくないに違いない。

おまけに近年では投票率が低く推移しており、もう自民党には政権を任せておけないと普段は投票しない人まで参加したと言われる前回の総選挙ですら 69.28%でしかなく、今回のように自民もダメ、民主もダメ、第三極もイマイチという白けきった状況では 60%を下回る可能性だってあるだろう。

個人的にはどこが政権をとっても同じなのは官僚支配が行き過ぎているからだと思っており、それを打開することを民主党に期待していたのだが、結局はいいように丸め込まれてしまっているので、官僚機構を破壊する力を持った政党を支持したいと思っているものの、みんなの党は力不足、橋下・石原が率いることになった日本維新の会もまとまりに欠けるとなれば、どこを選べば良いのか分からない。

最終的には投票には行っても白票を投じることになってしまいそうな雰囲気が漂いつつも、日本の将来を考えると官僚支配になってしまっている政治を、この国を変えなければならないとは強く思うので、しっかりと状況を見据えて投票したい。

今にして思えば、色々とドス黒いこともあり、何だかドロドロもしていたが、昔の政治のほうが良かったのではないかという気がする。

小泉純一郎という政治家が残した多くの業績、断行した改革は評価しているが、官僚支配を強めてしまい、官僚をのさばらせるターニング・ポイントとなってしまったのではないだろうか。

官僚を恫喝したことを問題視された鈴木宗男氏が後に受託収賄、あっせん収賄、政治資金規正法違反、議院証言法違反の 4件で有罪となり、国会議員の立場を失うことになったのは官僚にとって好都合だったことだろう。

また、外務省幹部と多くの軋轢を生んだ田中眞紀子氏が大臣職から更迭された件においても官僚たちは溜飲を下げたに違いない。

彼らが正しいとは言わないが、昔の政治家のように官僚をアゴで使える人物が存在しなくなってしまったのが問題の本質であり、その流れを加速させたのが小泉政権であったように思える。

小泉・竹中路線が進めようとした構造改革は中途半端なものに終わってしまい、規制緩和も官僚の抵抗によって進められなかったものを多く残してしまった結果として、経済の立て直しも軌道に乗らなかったように思う。

小泉・竹中が格差社会を生んだと言う評論家も多いが、それは資本主義経済では当然のことであるから政治が原因ではないだろうし、バブル崩壊後、20年以上にも及ぶ経済の停滞が続いているのは規制緩和を推し進めることができなかった結果だ。

つまり、官僚が既得権益を手放そうとせず抵抗したからであり、近年においては小泉・竹中路線で進めた規制緩和策を押し戻し、代表例としてタクシー規制を再度強化するなど逆行現象まで始まっている。

それもこれも官僚をのさばらせ、さまざまな手だれで政治家を利用するすべを与えてしまった小泉政権の罪だったように思えてならない。

この状況を打開してくれるのは、本当に日本維新の会なのか、協力関係にあるみんなの党なのか分からないし、民主党のように政治主導、脱官僚依存を掲げながらも手のひらを返したように言いなりになってしまう可能性も高い。

それを実現するためには官僚に頼らなくても行政執行できるだけの経験と、国会運営するだけの実力がなければいけないが、その力量を持ち合わせている政党はどこなのか。

投票日までの 1カ月間、各党の主張に耳を傾け、本気で日本の将来を憂いていて本気で変革してくれそうな政党はどこで、政治家は誰なのかを吟味しようと思う。

自分解体新書 - 13 -

自分解体新書 ~目次~

■ 頭皮 その2

頭部の筋も張ったり凝ったりするものらしく、自分のこぶしでゴリゴリすると実に気持ちが良い。

握りこぶしを作って頭に当て、反対の手で押しつけるようにしながらグリグリと動かすと痛いような気持ちが良いような微妙な感覚で、肩や背中を揉んでもらっている時と同じような感じになる。

特に頭蓋骨の骨の継ぎ目あたりが効くように感じるので骨がズレているのではないかと思われ、機会があれば整体院で頭蓋骨矯正でもしてもらおうかと考えているところだ。

そこまでせずとも YouTubeの動画を見ながら矯正すれば良いのかもしれないが。

■ 頬(ほほ)

シミやソバカスのできるお年頃である。

いつの間にか頬の数カ所には薄いシミや濃いシミができているのだが、それは本当にいつの間にかであって、少しずつ濃くなってきたとかいう自覚がない。

自覚がない程度の薄さから加速度的に濃くなったので気づくのが遅れたのかも知れないが、ある日突然、あるはずのないものが急に現れてしまったという感じだ。

一番目立つのは左頬に点々と続くシミだが、実はそれは古傷だったりする。

幼い頃に針金を振り回りながら遊んでいて先が自分の頬の肉をえぐったのであるが、大量に出血するわ、危なく目に入るところだったわで母親は半狂乱の大騒ぎとなり、病院に担ぎ込まれる結果となった。

それでも若い細胞は怪我を物ともせず自然治癒し、顔を近づけてじっくり見なければ分からないほどの傷跡しか残らず、うっすらと皮膚の光沢が違っている程度のものだった。

ところが加齢とともに過去に傷ついた細胞をかばいきれなくなってきたようで、色素の崩壊が始まってシミのように赤黒く変色してしまったものと思われる。

年をとると様々なことが表面化するので、あまりヤンチャはしないことだ。

■ 手

季節要因も多分にあるとは思うが、手や指先がカサカサになってタッチ操作が必要な機器が扱いづらい。

まずは主にゲーム機と化しているスマホの操作だが、タッチしてもなかなか反応してくれない。

特にゲームは細かな操作、微妙な位置合わせ、素早いタッチが必要になるのだが、カサカサの指では反応が鈍かったり無反応だったりするのが困りものだ。

そんな訳で、最近ではいつでも快適な操作ができるよう、手の届く場所にハンドクリームを用意したりしている。

回転寿司のタッチパネルも反応が鈍い。

席についてすぐは腹も減っているので早く注文したいのだが、いくらパネルに触れようと、腹がたってグリグリ押してみようと反応しないことがある。

そんな時は仕方がないので用意されたおしぼりで指先を湿らせてタッチするようにしている。

そして、コンビニのレジでもタッチパネルが反応しない。

最近は電子マネーを活用しており、コンビニの精算でもスマホをかざすだけで決済できるのだが、そこで使用する電子マネーの種類をレジに付いているタッチパネルで選択する必要がある。

そこで何度画面にタッチしようが、触る角度を変えてみようが、指にハ~っと息を吹きかけてみようが反応してくれない。

ところがレジの若い店員さんが軽く触れるだけで機械はすみやかに反応し、何事もなかったように決済が完了するではないか。

そんな状況を目の当たりにし、カッサカサの手をした自分は
「へーへー、そうですか」
と、少しいじけてその場を去ったりしているのである。

ちょいサヴァ

自分はちょっとしたサヴァン症候群なのではないかと思う。

サヴァン症候群とは、知的障害があったり自閉症の人のうち、ごく特定の分野に限って優れた能力を発揮する者の症状を指す。

たまにテレビとかで紹介されるが、音楽を一度聞いただけで完全に覚えることができたり、歴史の西暦や電話番号、誕生日など数字に関連した膨大な情報を記憶したり、一度見たものを映像として細部まで記憶したりする能力の持ち主だ。

自分の場合は知的障害はないと思われるし、自閉症だと自覚していない。

いや、仕事以外で人付き合いするのは面倒だし、何時間でも何日でも人と話さなくても平気なので少し自閉症気味である可能性はある。

そんな自分にどんな能力があるかといえば、やたらと図形に強いことだ。

サヴァン症候群の人みたいに天才的ではないし、歳とともに衰えてきているので軽いサヴァン、ちょいサヴァといった程度ではあるが、明らかに人とは違っていた。

図形を細部まで瞬時に記憶することはできないが、長く見ていたものは確実に脳に刻まれる。

若かりしころに交通事故にあって頭を打ち、病院に運ばれた際に検査を受けたのだが、あまりにも項目が多くて面倒になってきたことと、相手の態度に腹が立ったこともあって質問に対して適当に答えていたところ、入院が必要と判断されてしまった。

慌てて非礼を詫び、真剣に答えるとすがってみたが、相手も態度の悪い自分に腹が立っていたのか許してもらえず、そのまま神経科に運ばれてしまったのである。

そこが大学附属病院だったのも災いし、まるで実験台のように次の日から鬼のような勢いで様々な検査をされた。

今から考えるとどう考えても不必要だと思われるのだが、地獄に堕ちたほうがましなほど痛い脊髄注射を何度もされ、かなりな量の脊髄液を抜かれたように思う。

脳波検査中に訳の分からない注射をされて気を失い、目を覚ました時には病室のベッドに寝かされていたこともしばしばだ。

検査中は 5-6人の若い男女が周りにいたが、それは白衣は着ていたものの大学の生徒といった感じで、検査というより実験を見学しに来ている雰囲気だった。

受けさせられた様々な検査の中に、まるで小学生に出題されるような知能検査があったのだが、国語、算数など平均でしかなかったのに図形に関しては飛び抜けて IQが高く、検査した側がその結果を信じられずに何度も何度も図形問題を解かされた。

実際の数値を書くと人からドン引きされるので伏せるが、アインシュタインのIQを軽く超える値だったのは間違いない。

その頃は絵の勉強をしていて毎日のように図形を書いていたことも影響していただろうが、他のことはすぐに忘れるくせに絵や図形に関してだけは確かにいつまでも記憶に残っている。

小学校の低学年のことは覚えていないが、一定以上の学年になってから、現在に至るまでに描いた何百、何千という絵はすべて記憶していると思う。

そして、コンピュータ業界に入ってから作成した膨大な数の CG、ドット絵も記憶に残っている。

今は記憶容量が増えたので手法がことなるが、以前のゲームは 255個の部品の組み合わせで背景を描き、255個の部品で動くキャラクターを構成していた。

体調を崩して仕事を休んだ時、どうしても分からないことがあると会社から電話があり、その説明をする際に右から何番目、上から何番目の部品と、あの部品と、この部品を組み合わせれば背景のどの部分ができるということをパソコン画面も見ずにスラスラ答えて驚かれたこともあった。

今まで作成した Webページのデザインもすべて覚えているが、どういうコードを書いたのか覚えていないので修正作業をする際にはコードを思い出すのに苦労をしてしまう。

年齢とともに以前ほどの記憶力がなくなったので今はビックリするほど IQも高くないだろうが、それでも図形に関しては人と違うのではないだろうか。

スマホにしてからゲームアプリを楽しんでおり、その中でも実に面白く 『お買い物日記』 担当者と遊びまくっているゲームがある。

それは人気のゲームでシリーズ化されており、すべて合計すると1000を超えるステージがあるのだが、その画面をすべて記憶していると思う。

パズル的要素があるゲームで、『お買い物日記』 担当者がクリアできずに困っていると、その画面を見ただけで自分がどうやってクリアしたのか思い出す。

などと自慢げに書き綴ってきたが、結局はその程度のことである。

多少は仕事に役立つこともあるが、多くの場合は必要とされない。

こんなことの能力が少しばかり高くても何の役にも立たなかったりするのである。