自分解体新書 - 6 -

自分解体新書 ~目次~

■ エクボ

実は両頬の同じ位置に、見事なほど奥に引っ込むエクボがある。

幼少の頃から若さ溢れる頃までは、それがチャームポイントとなって人からは可愛いと言われたものだが、今となってはシワの一部になりかけているし、オッサンの頬にエクボがあったからと言って何の魅力にもならない。

おまけに何の加減なのか、エクボからヒゲが生えてくるのが困りものだ。

過去に何度も書いているように一般男性より薄く、男らしい立派な黒々としたヒゲなど生えてこないのにエクボの穴からは10本くらいずつ芯のあるヒゲが伸びてくる。

その部分を剃り忘れたりしようものなら、ものすごくおかしな事になるので気を使ってしまうし、不精ヒゲを生やそうにも、せめてそこだけでも剃らなければエクボ部分がエライことになってしまう。

自分だけではなく、それがエクボのある人共通の悩みであるのか知りたいところだ。

■ 唇

若い頃は保湿力もあってプルルンとしていた唇もカサカサになって皮がむけるようになった。

ところがリップクリームとかが苦手なので血が吹き出しても自然治癒するのを待つのが常となっている。

カサカサと痛みに耐えかねてリップを塗ってみることもあるのだが、どうも皮が一枚増えたような、モッタリ感というかノッタリ感というか、あの違和感が好きになれない。

女性は口紅だ、グロスだと、よくあんなに塗りたくって気持ち悪くないものだと感心してしまう。

■ 舌

加齢と共に味蕾(みらい)が衰え、味覚に鈍感になるらしい。

その他にも喫煙、刺激物の摂取による衰えもあるという。

3年前に止めはしたが人に言われぬ年齢から喫煙を続けていたし、今では年に一度くらいしか飲まない炭酸飲料も若い頃はゴクゴク飲み、おまけにアルコールもバンバン飲んでいたので相当なダメージもあると思われる。

しかし、その割には味は良く分かっているつもりでいるのだが、もしかすると自覚のないまま味覚は衰えているのか。

我が家の料理は 『お買い物日記』 担当者の配慮によって薄味だが、加齢と共に味付けが濃くなるのは味覚の衰えに起因し、本来であれば気にしなければならない塩分や糖分の摂取量がどんどん増えてしまって体調をくずすという末路が待っている。

そういう意味からも味覚の衰えには注意が必要だが、外食したり既製品のものを食べたりすると異常に塩辛かったり甘ったるかったりするので、まだ味に鈍感にはなっていないのではないかと自負しているところだ。

■ 毛髪 -その 2-

また抜け毛の季節が到来し、洗髪の後、排水口に溜まる髪が水流でとぐろを巻くようになった。

抜けた量を十分に補えるかどうか定かではないが、とりあえず新しい毛もチクチクと生えてきているのが救いではあるが、どうも白黒のバランスがおかしい。

排水口に溜まるのは圧倒的に黒い毛が多いのだが、新しく生えてきている毛は圧倒的に白が優勢なのである。

浴室の床が明るい色なので白髪が目立たず、抜け毛の大多数が黒く見えるだけかも知れないと思い、排水口に溜まった毛を確認してみたこともあるが、やはりどう見ても 7:3 くらいの割合で黒い毛が多い。

このペースで生え変わったならば、あと数年すれば完全なる白髪になってしまうのではないかと予想される。

今でさえ同年代の男性より圧倒的に白髪が多いのに、まだ爺さんになる前に白髪になるのもどうかと思うが、それはそれでちょっと面白いかも知れないとか思ってしまう自分もいたりする。

最近の若い者は 4

最近の若い者は ~目次~

特に最近の芸能人、いや、お笑い芸人に多いのだが、自分の家族のことを 『お父さん』『お母さん』『お姉ちゃん』などと呼んでいる。

以前の雑感に書いたような事情で、自分も母親のことを直に呼ぶときは未だに
「お母さん」
と言ってしまうが、他人に話すときは 『母』 と言うし、『お買い物日記』 担当者や知人と話すときは 『お袋』 などと呼ぶ。

いや、それが常識であって社会人になると、いやいや、社会人になる前に学校で教えてもらったと思うのだが、今はそのような教育をしないのだろうか。

これが年端も行かない子役とかジャリタレだったらまだしも、20や30歳にもなって言っているようでは、まともな言葉遣いも出来ない良識に欠ける人物と評価されてしまうだろう。

学校で教わらなくても社会に出れば、それがたとえ芸能事務所であろうと何だろうと一般常識くらいは教えるべきだし、せめて先輩は注意すべきではないだろうか。

おとうさんは父、おかあさんは母、おねえちゃんが姉、おにいちゃんが兄、そして、祖父、祖母、おじ、おばなどなど、身内を呼ぶ場合と、社外の人に対しては、例え上司、社長であっても社内の人間は呼び捨てで良いという最低限の教育くらいは最初に行っていただきたい。

このまま社会の代謝、世代交代が続けば、おかあさんと呼ぶのが常識となってしまいそうだ。

それどころか社内の人間を呼び捨てにしたりすると、非常識な人間だと思われる日が来てしまうかも知れない。

かなり以前にも書いたが、芸能人、女優、話すことを職業とする人でさえ、語尾上げ、語尾伸ばし、食べられるを食べれるという『ら』抜き、マクドナルドの店員みたいに
「ご意見の方、お待ちしております」
などという『ほうほう』言葉、最近になって流行り始めた
「◯◯じゃないですかぁ」
という表現を使い、それがメディアという力のある媒体に乗って常識となりつつあるのは実に嘆かわしいことである。

まだ若い子が言っているのなら我慢もするが、40にも50にもなったオバチャン、大勢の部下を持つ管理職のオッサンまでそんな話し方なのには腹立たしさすら覚える。

そんなオバチャンの話しなど聞きたくもないし、そんな話し方をする管理職がいる会社とは取り引きもしたくない。

イライラして精神衛生上もよろしくないので、そんな話し方や言葉づかいをする輩は絶滅して頂きたいと心の底から願っている。

記憶 Memory-07

過去の記憶

両親共稼ぎだったので、生まれて間もなくの頃から他人に預けられて育った。

当時は今のように乳幼児の保育施設など充実しておらず、核家族は自身の親に我が子の面倒をみてもらう訳にもいかなかったが、まだ住民同士のコミニュティは機能していたので血のつながりのない子供を預かるなどというのは珍しいことではなかったのである。

最初に預かってもらったのはマエダさんというおばあちゃんの所で、0歳から2歳くらいまでの頃だったと聞いている。

さすがにハッキリとした記憶はないが、その面影や部屋の造りなどは何となく、そしてボンヤリとした映像として残っている。

昔の人は子だくさんで、言わば子育てのプロのようなものだった。

我が母が相手の機嫌を損ねぬように恐る恐ると
「そろそろミルクではなく離乳食にして頂きたいのですが」
と切り出したところ、
「もう一カ月も前から離乳食にしてるんだよ」
という回答であったという。

知らぬは我が両親だけでマエダさんはさっさと次の段階に進んでおり、間に立たされた自分は日がある間は離乳食、夜になればミルクを飲まされるという実に妙な食生活を一カ月間も強いられる羽目になったのである。

今の時代であれば、
「親の知らぬことを勝手にされては困る」
とか、
「誰に断って離乳食にしたんだ」
とか一悶着ありそうなものだが、昔は身内であれ他人であれ、年長者のすることは往々にして正しく、まだ若かった我が両親も
「へへぇ~、おみそれ致しました」
と頭をさげるしかなかったようだ。

マエダさんが体調を崩したのか、他に理由があったのか覚えていないが、3歳になる前に預け先がオキザキさんという老夫婦の家に変わった。

二人は実に穏やかな夫婦で、実の孫のように、いや、それ以上に可愛がってくれた。

おじいさんは今で言う潔癖症に近い人だったようで、人が口をつけたものは、それが自分の子供であっても実の孫であっても口に入れようとしなかったらしいのだが、他人の子供である自分が口をつけたものは気にせず食べていたという。

おばあさんは絵が上手で、馬とか犬、うさぎなどとリクエストするとササッと描いてくれたものだ。

それが影響してか、子供の頃からオッサンになった今でも絵を書くのが好きで、一時期は絵で生計を立てようと本気で考えたこともあったほどである。

その優しい老夫婦のことは、本当のおじいちゃんとおばあちゃんだと信じて疑わず、自分にだけは父方、母方の他にもう一組、計六人の祖父がいるものだと思っていた。

老夫婦の家の隣には息子夫婦と本当の孫が暮らす家があり、その孫は自分より二歳上の女の子、一歳上の女の子、一歳下の男の子の三人だったのだが、その三兄弟と
「私たちのおじいちゃん、おばあちゃんだっ」
「いーや、おれのじいちゃんとばあちゃんだっ」
と真剣に大喧嘩したこともある。

おじいさんは早くに亡くなってしまったが、おばあさんは実に長生きしてくれて、亡くなったのは大阪で暮らしていた頃だ。

訃報を聞いたとき、実の祖母が亡くなったような悲しみと寂しさにつつまれたが、仕事の関係で残念ながら葬儀に参列することは叶わなかった。

それでも、その数年前、『お買い物日記』 担当者と一緒に会いに行けていたのが心の救いだ。

その時に会ったおばあさんは、幼児の時から数十年も経過しているのに少しも変わらず、あの時のままのおばあさんだったのが今でも不思議でならない。

時間

時間というのは地球の自転から割り出されたものであって数学のように全宇宙共通のものではなく、26時間かけて自転する星であれば 1日は 26時間となるし、18時間で一周すれば 1日は 18時間だ。

いや、単に地球と時間の流れが異なるだけで、どんなに自転が遅かろうと早かろうと、一周する間隔を 24で割れば 24時間ということになり、1時間を 60で割れば 1分、また 60で割れば 1秒となるか。

この星と、あの星では 1秒の長さが異なるだけのこと。

つまり、物理的なようであっても実は論理的な事象でしかないのが時間という概念であり、それを受け止めるのが人間のあやふやな感覚であるから時は長くも短くも感じるのだろう。

子供の頃は長く感じた時間も、加齢とともに短く感じるようになるジャネーの法則に関しては以前の雑感にも書いたが、それだけでなく精神状態の有り様によっても時間の流れは変わってくる。

楽しいことをしていると、時間などあっという間に過ぎてしまうが、肉体的、精神的苦痛を伴う場合は時間の経過が遅く感じる。

心に深い傷を負ったり精神が病んだりすると、辛く苦しい状態が未来永劫に続いてしまうような、このまま自分だけが時の流れに置いて行かれてしまうような不安にかられるほど時間が重くゆっくりと流れたりするものだ。

ここのところ、毎日、毎週、毎月がビックリするようなスピードで過ぎ去り、気づけば一年の折り返し地点を過ぎてしまっているような有様で、このままではビックリする間もなく爺さんになってしまっているのではないかと心配にすらなってしまう。

この時の流れの早さに閉口し、『お買い物日記』 担当者と二人でニコニコ笑って過ごすだけでなく、たまには苦悩に満ちた日々でも過ごさなければいけないのではないだろうかと真剣に話し合ったほどだ。

そして、時間というものは環境によっても流れが変わって感じるもので、ハワイや沖縄などのリゾート地に行くと、時間がゆっくり流れているように感じる人も多いだろう。

実際、大阪で流れていた時間と北海道で流れている時間は 2倍以上の差があるように思える。

日本一歩くのが早い大阪人の歩行速度になど到底およばず、ゆっくり歩く人が多いのは言うまでもなく、車が一台も通行していなくても赤信号では立ち止まって青に変わるのを待つ。

帰ってきた当初は思わず渡ってしまいそうになることもあったが、今は信号無視をすることもなくなり、目の前で信号が赤になてもボ~っと待っていられるし、待つのに何の苦痛も感じなくなった。

信号のない道路を渡ろうとすると自動車のほうが止まってくれる。

時々、あまりにも遠くから速度を落として交差点を渡るのを待っていてくれたり、自転車に乗っている自分が通り過ぎるのを待っていてくれたりするものだからこちらも気を使わねばならず、急いで横断するハメになる。

それは、先に述べた信号待ちが苦にならないのと同じように、ドライバーも歩行者が通りすぎるのを待つのが苦にならないのだろう。

それだけ心に、体内時計の刻む流れに余裕がある。

すっかり北海道の時間の流れに慣れてしまったが、いまだに慣れることができないのは約束の時間だ。

仕事関係であればなおさら、訪問の時間を告げた場合は早くて 5分前、遅くても定刻には相手先に到着していなければならないというのは社会人としてのルールだと教えられてきた。

ところが、こちらでアポを取って定刻に訪ねると、相手が慌ててスーツに袖を通しながら現れることが多い。

打ち合わせ場所に、5分や 10分くらい遅れて現れるのはザラである。

どうやら都会とは違う時間が流れているらしいと感じたり 『お買い物日記』 担当者と話したりしてはいたが、少し前の雑感に書いた屋根の修繕工事でそれは決定的となった。

工事自体は 3-4日で終わったのだが、それが始まるまでの見積りやら準備やらで一カ月以上も経過したし、工事が終わったのは6/26なのに、今日になってやっと最終点検しに来て工事の完了を告げて行った。

実にのんびりしたものである。

そして、今朝、最終点検に来るとの連絡があり、15分くらいで到着するとのことだったのに、業者さんが現れたのは 30分以上も経過してからだった。

それをネタに雑感を書こうとしただけなのに、こんなに長文になってしまったのは、やっぱり時間がたっぷりあるからだろうか?

マサルノコト scene 30

マサルノコト目次

マサルとの関係は社会人になってからも続いていたが、ノブアキを含めた三人で遊ぶことは盆暮れに帰省した際に会って酒を酌み交わす程度となってしまった。

それでも年に二回程度は会い、何時間も懇々と話し続けたものである。

酔った勢いで旧友に電話して呼び出してみたり、中学時代の担任に電話したこともあった。

そのまま話しの流れで翌日に遊びにいく旨を告げたものの、当日になってみれば面倒だったり会って話すことも思いつかなかったりですっかり気を削がれてしまい、担任に会いに行くのを取りやめたのだが、もともとマサルと自分のだけの担任であってノブアキは最初から関係ないという事実があったりする。

他の地域では馴染みが薄いだろうが、当時は北海道が発祥のパークゴルフというスポーツがブームとなっていた。

使用するのはボールの他にクラブ一本と、道具に高額な費用がかかる訳でもなく、短いクラブで低反発のボールを打つため危険が周りに及ばず、子供たちが遊ぶ公園内でも練習や競技が可能、そしてルールが単純であることからゲートボール愛好者、競技者数をあっというまに追い越して、今現在も競技者数が増加し続けている高齢者の人気スポーツだ。

ノブアキは親に連れられてパークゴルフを経験したらしく、酒を飲みながらそのゲームがどれほど楽しいかを力説したことがある。

ゲートボールと同様にお年寄りのスポーツという印象が強かったマサルと自分は、ノブアキの話しを右の耳から左耳に流しながら
「ふんふん」
とか
「ほぉ~」
とか適当に相づちを打っていたが、あまりの力説に屈し、爺さんになる前でも三人が一定以上の年齢に達したら一度集まってプレーしようということで話をおさめておいた。

とにかく三人で飲む酒は楽しく、言い争いをしたことも自慢話をしたことも苦労話をしたこともなく、最初から最後まで笑いっ放しの明るく健全な時間が流れたものだ。

しかし、ただ一度だけノブアキが店の人にキレたことがある。

居酒屋で食事がてらの酒を呑み、良い気分になって二軒目の店を探し、初めて入る小さなスナックに腰を落ち着けた。

三人とも酒に弱くはないのでチビチビと水割りを頼むよりボトルを入れてしまおうということになり、ボトルキープというよりは飲み干すつもりで一本注文して乾杯などしながら飲み始め、カラオケで一曲歌い終わったところで店のママさんが
「そろそろ閉店なんですけど」
と言い出した。

それまでの所要時間は 20分足らずであり、頭の中が真っ白になってポカーンとしてしまったが、ノブアキの血は瞬間湯沸かし器のように一瞬にして煮えたぎり、怒りをぶちまけ始める。

ただし、酔ってはいるものの、それは実に理論的で、店に入った際に閉店時間を告げるべきであるということと、残り時間が短いのであれば、ボトル注文を受け付けず、水割りなどを勧めるべきであろうという内容だ。

そこでママさんが素直に詫びれば良かったのだが、ツンと横を向いてしまったのでノブアキの怒りに拍車がかり、文句を言う内容も言葉遣いも乱暴になってきた。

一人がキレると周りは不思議なほど冷静になるもので、確かにノブアキの言っていることは筋が通ってはいるが、酒の勢いもあって収まりがつかなくなってきたのも事実であるから
「また次に来たときにボトルを飲めばいいから」
とマサルと二人でなだめながら店を出た。

筋の通らないことが嫌いな性格ではあったものの、人に対してあれほど強く意見をしたり詰め寄ったりするノブアキを初めて見たし、10年以上の付き合いで知らなかった一面を見ることになったことに少なからず驚いたりしたものだ。

あの日、あの時、ノブアキがどうして激情したのか謎である。

そしてその後、気分なおしに三軒目の店に向かったのか、空気が悪くなったので解散してしまったのか、記憶が定かではない。