帰省の成果

少し前の雑感に書いたように、今回の帰省では我が母にデジタルテレビのリモコン操作を教えるのも一つの目的だったが、それを果たすことができたのでちょっと満足している。

とは言っても天気予報を見たければ (d) ボタンを押し、もっと詳しく知りたければ赤いボタン、通常の画面に戻りたければもう一度 (d) ボタンを押すという、実に単純極まりない操作なので覚えられないはずはないのだが。

しかしながら、姉妹喧嘩の原因ともなるリモコン操作を覚えさせたのは一定の成果と言って良いだろう。

今回の帰省でも叔母の家に顔を出し、こちらで用意したみやげを持っていったのだが、到着した時はトイレ掃除の最中で、終わるまで待っていろと言う。

事前に電話して訪ねることが分かっているのだから、掃除を途中で切り上げるなり急いで終わらせるなりしてくれても良さそうなものだが、妙な気を使わないのも使わせないのも叔母の良いところであったりする。

しばらく待ってトイレ掃除が終わったはずなのに、今度は二階に上がっていって帰ってこない。

お買い物日記』 担当者と二人、放って置かれてしまったが、それもまた良しということでテーブルの上にあるリモコンを見たりしていると、デジタルテレビのリモコンに HDD/BDレコーダーのリモコン、それらの操作を覚えさせた学習リモンまで置いてあり、相変わらず最新機器を使いこなすスーパー婆さんぶりを発揮していた。

おまけに携帯電話まで所有しており、アナログ時代から半歩だけ前進できた我が母とは雲泥の差がある。

しばらくして二階から降りてきたと思ったら 『お買い物日記』 担当者を呼び、玄関でガサゴソと何やら始めた。

どうやら自分が履けなくなった靴を譲ろうとしているらしいのだが、どれもこれもサイズが合わず、とても残念そうにしている。

次に二階から運んできた衣類を広げ、どれもこれも片っ端から着てみるように命じ、『お買い物日記』 担当者の好みなど無視してサイズさえ合えば、いや、多少は合わなくても袖が通るものに関しては一つ残らず持って行けという。

それでも何点かは気に入ったものもあったようなので無駄ではなかったものの、みやげ物を配ってせっかく軽くなったカバンが膨らむ結果となってしまった。

我が母も急に何を思ったのか、若い頃に身につけていた宝飾品を引っ張り出し、
「どうせ使わないんだから全部持って行って」
などとぬかすが、ケース入りの指輪やネックレスなどかさばって仕方がない。

もともと宝飾品に興味を示さない 『お買い物日記』 担当者だが、法事の時などに使えそうなものだけ受け取ってカバンに詰め込んだ。

自分は食っちゃ寝ばかりしていたので今回の帰省で得たものは脂肪と贅肉だけだが、『お買い物日記』 担当者はある程度の戦利品を手に入れることができたようだ。

毎回の帰省で思うのだが、どうも自分より 『お買い物日記』 担当者のほうが優遇されているような気がしてならないのは、単なる気のせいだけなのだろうか。

真性雑感 第二版

真性雑感 ~目次~

なぁ~んにもネタが思いつかず、ゴールも決めずにダラダラと雑感を書いたのは 2007年のことで、だいたいはパソコンに向かえばネタが思いつき、昭和のコントで演じられるような頭をかきむしったり、原稿用紙を何枚も丸めて部屋中をとっ散らかす小説家のような悩み方をしたことがないのだが、今日は脳の調子が良くないのか、気分が乗らないのか、5分ほど画面を無表情に見つめて時間を浪費しただけであり、頭の中にポン!とネタが浮かばない。

そんな訳で今回もゴールが見えないまま、何の脈絡もなく思いつくまま、ただひたすらに文書化していってみることにする。

午前中、買い物に行ったついでに来週の帰省の際に着るものでも買おうかとブラブラ店をのぞいてみたが、売り場はすでに秋物に替わっており、いくら夏が短い北海道であっても来週はまだ夏服で良いであろうから購入対象となる商品が売られていない。

さらについでを思い出し、『お買い物日記』 担当者が求める下着も探したが、こちらもすでに秋冬用の暖か素材、暖か繊維で冬でもポカポカ的なものしか売っておらず、やっぱり購入の対象となるものが見当たらなかった。

お盆も夏休みも過ぎたこの時期に、ノコノコと夏物を買いに行こうというのが間違いであって、良く考えてみれば分かりそうなものではあるのだが、どうも我家の場合は二人とも抜けていて、その場に行って事実を突きつけられてから現状を把握することが多かったりするのである。

夏の終わりが近づいてきている目下のところ、我が家の一番の悩みは土日の麺類と、毎日飲むコーヒーがいつまで冷たくて良いのかということだ。

夏の初め、そろそろ頃合いだろうと冷たい麺を食べ、寒さの余り全身鳥肌状態になったのは記憶に新しい。

9月中旬、いや、頑張って下旬まで食べられるのか。

そして、現在飲んでいるアイスコーヒーも、その頃になればホットに切り替えるべきか。

コーヒー豆は挽いた状態での長期間保存は困難だと思われる。

アイスコーヒー用の豆は、あと何グラムくらい必要なのか。

実に難しく、悩ましい問題だ。

世の中にはもっと大きく、もっと深い悩みを抱えている人が多いだろうが、我が家の悩みなど所詮はこんな程度だったりするのである。

デジタル化の波 Signal-9

デジタル化の波 ~目次~

先月のことになるが、とうとうテレビは地上デジタル放送へ全面移行し、震災のあった東北地方の一部を除いてアナログ放送が終了した。

長く慣れ親しんできたゴースト現象、ちょっとザラつく画面、微妙に受信可能な映像をもう見ることができないのは少し寂しさすら感じてしまう。

大阪に暮らしていた頃、ビデオデッキ 2台を経由してテレビまで電波を引き回していたものだから、全国どこでも一定の感度で受信できるはずの NHKの画面が乱れ、ひどいノイズが乗った映像を見ていた。

もちろん、最初に電波を入力しているビデオデッキで見ると映像が綺麗なのは分かっているのだが、わざわざ電源を入れて入力切り替えまでして見るのは面倒だったのでノイズ乗りまくりの荒い画面を毎日見ていたのである。

それがデジタル放送になると一切のノイズがなく、今もレコーダー2台を経由してテレビに接続しているが、NHKを始めすべてのチャンネルがクリアに見えるのは実に喜ばしいことだ。

しかし、デジタルは 0 か 1、ON か OFF、つまり受信できるかできないか、どちらか一方しかないので、どんなに汚い映像でも良いから何とか受信したいという欲求には応えられない。

大阪では阪神タイガースの試合が見たくてKBS京都やサンテレビの映像を、ザラザラにノイズが乗り、ゴースト現象で選手が2-3人に分裂して見えるような劣悪な環境の中、目を充血させてまで見ていたものであるが、あのような微妙に受信できている状態というのはデジタルでは不可能なことだろう。

もう大阪に住んではいないので予想でしかないが、京都、神戸方面の放送を受信したければ、そっちに向けたアンテナが必要だと思われる。

あるいは SCテレビ放送に加入してタイガース全試合放送のサービスを受けるしかないだろう。

そういう融通の効かないのがデジタルであり、アナログのような寛大さがない。

ラジオのデジタル化に関しても随分前から議論はされているが、災害時、遭難時など、電波状態の良くない場所で何とか情報を得ようとするニーズは確実にあるはずなので、一定以上の電波品質がなければ受信できないデジタル放送は向かないのではないだろうか。

携帯電話にしてもそうで、アナログであれば例え山奥であっても微弱電波を拾って何とか連絡することができるかも知れないが、デジタルでは融通が効かない。

しかし今の携帯電話を考えると、メール送受信、Webページの閲覧など、通話以外の利用のほうが多いので、やはりデジタル化は避けられなかっただろうし、デジタル通信になったのは当然、必然の流れだったのだろう。

テレビのデジタル放送に話しを戻せば、双方向通信によって様々な情報が得られるなど、デジタル化のメリットは大きいが、それを享受できるのは操作を覚えられる人だけだ。

我が母は新しいリモコンのスイッチの多さに閉口し、業者さんに設定し直してもらった昔のテレビのリモコンを使い続けている。

したがって、リモコンにはデジタル情報を取得するための (d) ボタンなどない。

いつも天気予報を気にしている我が母だが、いつも見ている予報を見逃してしまい、同じ街に住む妹に電話をして明日の天気を尋ねたことがあった。

叔母は新しいものへの順応性が高く、ワープロだろうとデジタルテレビだろうと使いこなせるスーパー婆ちゃんなので、チャチャッとリモコン操作して予報を表示し、内容を我が母に伝える。

そして、単にリモコンの (d) ボタンを押すという 1ステップの操作でしかないので、我が母に操作を教えようとしたらしいのだが、説明を聞く前から
「私にはできない」
「古いリモコンを使っているからできない」
と言い張り、かたくなに教えを受けようとしなかったらしい。

さすがに叔母もキレたのだろう、我が母が何か言う途中でガチャリと電話を切ってしまっという。

たかがリモコンのボタンを一つ押すだけの操作を拒絶して覚えようとも聞こうともしない婆さんもどうかと思うが、それに対してキレる婆さんもいかがなものかと思う訳で、所詮は似たもの同士、同じ血が流れる姉と妹なのだと呆れ果ててしまう。

20日過ぎに帰省するつもりでいるが、デジタルの恩恵にあずかっていない我が母にリモコン操作を教えるべきか悩んだりしている今日この頃である。

ガリガリ君

08月04日の独り言に 『お買い物日記』 担当者が書いているガリガリ君を食べたことはあるのだが、それはずいぶん大人になってからのことだ。

ガリガリ君世代ではないのかと考えたこともあるが、実はピッタリ合致していたりする。

では、なぜ子供の頃に手を出さなかったのかといえば、それは単純に近所の駄菓子屋にもスーパーにも売っていなかったからだと思われる。

製造販売しているの赤城乳業が、北海道まで販路を伸ばせたのは最近になってのことではないだろうか。

何せ、北海道には雪印乳業という巨大な壁があった。

あの大事件があって以降、当時の支配力は見る影もないが、明治製菓やロッテなどの超メジャーブランド以外、その牙城を突き崩すことなど不可能に近かっただろうと容易に想像がつく。

また、流通も個人商店、地場のスーパーが経済の中心で、全国規模の大手スーパーなど存在しなかったことから、埼玉県にある会社の商品が北海道に流通することなど極めて稀なケースだったと思う。

したがって、コンビニ、スーパーチェーンが台頭するようになるまで、ガリガリ君が北海道の子どもたちの目に触れることはなかったに違いない。

1981年の発売開始以来、30年の時を経て一大ブランドに成長したガリガリ君は、他のメーカーにとって垂涎の的となっていることだろう。

これだけのネームバリューがあれば、新しい味の商品を発売しても最小限の宣伝広告費さえ投入すれば消費者が勝手に広めてくれるだろうし、アイスの季節がやってきても莫大な費用をかけて宣伝する必要もない。

そして、30年間も続く超ロングセラー商品など簡単に開発できるものではない。

おまけに最近では玩具メーカーからガリガリ君をカキ氷にする商品まで発売され、その人気には一点の陰りもないようだ。

話を最初に戻すと、自分はガリガリ君を食べたことがある。

ありはするのだが、それがいつのことだったか、普通のソーダ味を食べたのか、他の味を食べたのか、それをどこで食べたのか一切の記憶がない。

北海道の夏は短いが、涼しい季節になる前にもう一度食べてみようかと思ったりしている今日この頃である。