審判の日

審判の日は明日。

第45回衆議院選挙の投票日を迎える。

マスコミが騒ぐほど民主党の圧勝にはならないような気がするが、自民党が敗北するのだけは間違いないことだろう。

何年間も既得権益、私利私欲にまみれて国民不在の政治をしてきた罪に対する裁きを受ける。

今さら明るい未来を描いたマニフェストを用意して自民党なら、自民党だからできるなどと、うわ言のように連呼したところで誰も耳を貸すはずがない。

まるで決戦前から下野したかのごとく民主党批判を繰り返す選挙戦術は下品きわまりなく、窮鼠猫を噛みたくても噛めずにジタバタともがき、負け犬の遠吠えのようにギャーギャーわめいて声を嗄らしているのには哀れみさえ漂う。

ここまで徹底的に無残な姿をさらけ出すと若干の同情票が集まり、投票の当日になって有権者の意識に若干の変化が現れるかもしれないが、今の流れは強すぎて自民党に向かうのはごく僅かでしかないものと思われるので大勢に大きな影響を及ぼすことはないだろう。

民主党が主張する脱官僚は理想だが、政治家だけで国を動かすのも簡単なことではないのだから、上手に官僚を使いこなすか危機感を持たせることが重要だと思われる。

そういう意味からも政権交代は重要で、何も民主党が良いわけではないが、いつまでも自民党の顔色を見て仕事をし、自民党議員を手玉に取っていれば省庁は、国家公務員は安泰だという現実を打破することができる。

それが良いことか悪いことかは別にして、他国のように政権が変わったら官僚も総入れ替えになるくらいの大規模な人事異動をすれば良いのである。

自民党よりの官僚、民主党よりの官僚が総入れ替えになれば、次期選挙で敗北しないように、そして自分の身が可愛いのであればなおさら国を良くするように身を粉にして必死に働き、有権者の支持を得られるように頑張り抜くだろう。

くだらない税金の使い方をしたり、国民を馬鹿にするような政治や仕事をしていると次の選挙では政権交代となって議員はただの人となり、官僚も人事異動で首が飛ぶ。

官僚組織の中に自民派と民主派ができれば互いが互いを監視、悪く言えば足の引っ張り合いをするだろうから天下りや税金の無駄遣いも減るのではないか。

国民が納得し、支持が得られる政治、仕事をしなければ自分の立場がなくなるという緊張感を持てば必死に国を良くしようとするだろう。

そういう意味から有権者さえその気になれば、いつでも政権はひっくり返るのだと言うことを政治家や官僚に見せつけておかねばならない。

とりあえず今回は民主党政権になりそうな勢いだが、それが現実となったら私利私欲を捨てて必死に頑張っていただきたい。

来年には参議院選挙がある。

大きな緊張感とスピード感を持ってやらなければ国民は再び大きな決断をするだろう。

そうなれば衆院民主、参院自民という現在とはまったく逆のねじれ国会になってしまい、政権運営に大きな障害となって重くのしかかる。

政治家でいられること、第一党でいられること、官僚でいられ、税金から給料をもらえることは、すべて国民のための政治をし、国民のために仕事をしての結果だと言うことを胸に刻んでいただきたいものである。

想い出の居酒屋 其の玖

想い出の居酒屋 おしながき

その店に最後に行ったのは 1995年、実に 14年もの時が経過してしまっていたが、今まで数々の思い出を残したその店はどうなってしまったのか。

昨年の今日、つまり、2008年の 8月 22日は 『お買い物日記』 担当者の入院二日目で外泊許可がでた日で入院した場所は札幌、あの居酒屋のある町なので、晩御飯をかねて行ってみようと二人で話し合い、地下鉄に乗って最寄り駅に向かった。

その駅は通勤で使っていた駅なので通い慣れているし、駅構内も変わっておらず、出口から外に出て向かうべき方向も体が覚えている。

ところが目の前に広がっているのは記憶にない風景であり、離れていた 14年間で建物がすっかり建て替わって高層化が進んだようで、見える空の面積が極端に狭くなっている。

進んでいる方向に間違いはないはずなのだが、あまりにも町並みが変わってしまったので曲がるべき道が分からない。

店に行くには今進んでいる方向から右に曲がらなくてはいけないのだが、どこの角を曲がるべきか目標がないのである。

それでもそこは通いなれた道、目視に頼ることなく勘と感覚だけを頼りに先に進む。

ビル群を抜け、少し歩くと見慣れた光景が目の前に広がる。

そう、間違いなくあの店がある道だ。

この道をあと数百メートル進むと決して綺麗でもない小さな店があるはずだ。

しかし、ここまで来て急激に不安が胸いっぱいに広がる。

さんざん世話になった店とは言え、その業種は水商売、10年も 15年も続いている保証などあるはずがないし、加えてマスターとママは 『其の肆』 でも触れたようにママが 10歳以上も年上という夫婦であり、二人仲良く暮らしているとも限らない。

まして、この 15年の間にはバブル崩壊、ITバブル崩壊という未曾有の経済危機が日本を飲み込み、飲食店も大きなダメージを受けているので、それらを総合して勘案すれば、むしろ店が残っている確率のほうが極端に低いのではないかとさえ思える。

店に行くのが楽しみなので速く歩きたい気持ちと、もしものことを考えると気が重くて足取りまでも重く感じるような感覚とが入り交じった不思議な状態のまま歩を進める。

店の周りは変わっておらず、昔からあった建物や商店に明かりが灯っているが、目を凝らしてみても店があるはずの建物は薄暗く、看板に明かりが灯っておらず、赤提灯の明かりも見えない。

『お買い物日記』 担当者と二人、「やっぱり・・・」 と言いながら、それでも店がどうなっているのか確認だけはしておこうと近づいて行った。

すると暗い店の前でしゃがみこみ、鉢植えの花に水をやっている人の姿があり、なんとそれはママだった。

ほぼ同時にママもこちらに気づき、ただ呆然とこちらの顔をながめている。

「こんばんは」 と言うと、ママは店に飛び込み、大声で 「めずらしい人が来たよ~」 と叫んだ。

店が暗かったのは、まだ時間が早く仕込みの途中であったことと、折からの不況で少しでも節電しようという意識の表れだと言う。

店内は何ひとつ変わっておらず、マスターもにこやかに迎え入れてくれた。

そう、ここが心の故郷、どんなに小さくても決して綺麗ではなくても心から安心できる空間。

そして、色んな想い出が詰まり、あふれかえりそうな小さな空間だ。

様々な想い出話に花を咲かせ、久しぶりの味を思う存分に楽しんだ。

そして、札幌に来た理由を話すと、実はママもガンにかかり、大きな手術と抗がん剤治療を受けたのだと言う。

「今の医学だったら大丈夫、絶対に治るよ」 と勇気づけられ、「手術だけで済んだら一カ月後くらいにくる。来なかったら抗がん剤治療を受けるんだと思って」 と言い残して店を後にし、それから丸一年が経過した今も顔を出していないので治療を受けたのだと分かっていてくれることだろう。

来週、遅まきながらの夏休みをとり、帰省した帰りに札幌に寄って一泊する。

そのとき、一年ぶりに店に寄ってくるつもりだ。

店とのつながりが現在進行形になったので、もう想い出の居酒屋ではなくなってしまった。

これの続き、『想い出の居酒屋 其の拾』 を書くのはいつの日になることだろう。

老化の弊害

08/01の雑感にボケ度合いが進んでいることを書き、それでも二人同時にボケたなら、それはそれで良いのではないか的な意味合いで文章を結んでいるが、果たして本当にそうなのだろうか。

あれからまだ二週間しか経過していないのに、すでに色んなことを何度も忘れ、二人の頭の上には大きなクエスチョンマークがボヨンボヨンと浮かんでは消えたりしている。

今日の昼食は冷麺を食べたのだが、去年は冷麺を食べたのか食べていないのか。

お買い物日記』 担当者の入院などもあり、ただでさえ衰えた記憶力に忙しさが加わって食事のことなど余計に記憶が薄れている。

第一、2-3日前の食事を思い出すのでさえ時間がかかり、脳をフル回転させなければ記憶を引き出すことができないのに、一年前に何を食べていたかなど 1psec(ピコ秒) の記憶もあるはずもなく、逆立ちしたってヘッドバンギングしたって思い出せるはずがないのである。

どんなに記憶力が悪くなろうと、仕事や生活に支障がなければかまわないだろう。

仕事でプログラム命令のスペルを忘れても調べたら分かることだし、約束ごとも手帳にメモするとか携帯電話にでも登録しておけば忘れることはない。

普通に生活していて一週間前の記憶が定かではなくても、それが原因で大きな問題が発生することはないだろう。

しかし、普通ではない状態、たとえば何らかの事件に巻き込まれて犯人と疑われた場合、アリバイを聞かれたところで何も思い出せない可能性が高い。

3日前、一週間前なら油汗を 6ガロンほど流して考えれば何とか思い出せるかもしれないが、一カ月前ともなるとお手上げ状態だ。

おまけに自分の場合は自宅にこもりっきりで散歩とちょっとした買い物の荷物持ちくらいしか外出しない。

薄暗い警察の取調室、ネズミ色したスチール製の机に裸電球のスタンド、金属製の灰皿にはタバコの吸殻が山のようになっており、ネクタイを緩め、くわえタバコの刑事が脚を組んで
「一カ月前の 7月 15日、どこで何をした!?」
などという昭和の刑事ドラマ丸出しのシチュエーションで迫られても何も思い出すことはできないだろう。

「ずっと家の中にいました」
「外出はしていません」
「何を食べたのかも思い出せません」

そもそも家から出ることがないので、ずっと外出していないことを証明してくれるのは 『お買い物日記』 担当者のみであり、第三者がアリバイを証明してくれることなど有り得ない。

仕事に関する e-mail の送受信記録は残っているだろうが、何せデジタルな情報ゆえに本人ではなくても取り扱い可能なのが弱い点だ。

つまり、間違いなく自分が文章を作成し、その時間にみずからの手によって送信したことなど証明できない。

これで記憶が鮮明であれば、昼食は何時から始めて何を食べ、見ていたテレビでは何を伝えており、その時どんな会話をしたのかを事細かに説明し、なおかつそれが 『お買い物日記』 担当者の記憶と寸分の違いもなければ少しは信憑性も増すというものだ。

しかし、まことに残念ながらボケボケ二人組みでは、そんなことは望むべくもなく・・・。

自分の周りで妙な事件などが起こらないことを願うばかりである。

ヒロシマナガサキ

いつもは広島と長崎なのに、この時期は急にカタカナのヒロシマとナガサキになってしまう。

急に遠い土地、遠い国になってしまうような妙な感覚だ。

正直なところ、いつも考えている訳ではないし、いつも心の中にある訳でもない。

日本に原爆が投下されたその日。

その悲惨さや、その後の苦しみは想像以上のものがあるだろう。

その被爆体験はこの時期にテレビなどを通して伝えられるので急激に身近なものとなり、その破壊力や恐ろしさ、その後の土地の荒廃や人心の荒廃、長く続く後遺症など、二度と起こってはいけないことだと実感できる。

本来であれば、一度たりとも起こってはいけないことが日本の広島と長崎で起こってしまったのは、とても不幸なことであるし残念なことである。

核廃絶を唯一の被爆国である日本が世界に向けて訴えなければいけないことも理解しているし、それができるのは日本しかないことも分かってはいる。

そして、世界に向けて核廃絶を訴えるのは広島や長崎の人だけではなく、日本人全員の共通認識となるのが望ましいだろう。

しかしこの時期、広島と長崎がヒロシマとナガサキになってしまう感がどうしても否めない。

それはマスコミにも責任があるのかもしれないが、その地に住む個人の回想をいくら取り上げてもあまり意味がないように思う。

愛する人、愛する家族、大切な友達、思い出の品々を失ってしまった悲しみは良く分かる。

しかし、それは原爆ではなくても喪うものであり、それが病気であっても事故であっても火災であっても悲しみに差がある訳ではない。

原爆ではなくても、あの戦争で命を奪われた人は大勢いる。

戦争が所詮は人の殺し合いである以上、原爆がどれほどの大量殺りく兵器であったとしても仕方のないことだ。

原爆の罪は多くの民間人を殺害したことと、何年間も大地や水を汚染して多くの人に健康被害を与えたこと。

争点を整理して情報を発信しなければ相手に伝わるはずがない。

父親を喪った、子供を喪った、家族すべてを喪ったという話が前面に出て、その後に式典を見せられても、どこか冷めた思いがしてしまうのは自分だけだろうか。

誤解を恐れずに論ずれば、隣の家の法要を見ているようで、どうしても他人事になってしまう。

当人は亡き家族を思い出したりして悲しみもわいてくるだろうが、故人と深い親交でもないかぎりは隣の家で法要がいとなまれていても悲しみを共有することはない。

もっと上手に話を伝え、理解を深めなければいけないのにヒロシマやナガサキの人たちが最後に必ず使う捨て台詞。
「ここで暮らしている者にしか分からない」
「体験した者でなければ分からない」

その意識を捨てなければ。

そして内向きの話ではなく、外に向かって話しをしなければ。

原爆の何が罪なのか私心を捨てて考え、問い直さなければ日本自体が一枚岩になれないような気がする。

こんな時期にこんなことを考えてしまう自分が間違っており、心が冷たいのだろうか。

老化の進行度合い

少し前の雑感に書いたように著しく老化は進行している。

最近はそれに益々加速度がついてきたようで、昨夜食べたものすらなかなか思い出せない。

どちらか一方だけの症状であれば今後に関して大きな不安を抱いたり、相手に対して腹が立ったりするかもしれないが、自分も 『お買い物日記』 担当者も同じなので二人でボケボケ状態になって暮らしている。

昨日の晩御飯であればまだ何とか思い出せるが、二日前、三日前となるともうダメだ。

二人そろって頭の上に大きなクエスチョンマークを浮かべてボ~っと一点を見つめたりしている。

最近は何を食べても美味しいので、きっとその時も
「うんまーーい!」
感嘆し、二人そろって
「おいしいね」
と言いながら食べているはずだ。

ところが、その美味しかったものが何なのかがハッキリしない。

頭の中に霧がかかったようにモヤモヤしており、それがイライラするのと同時に底知れぬ恐怖が襲いかかってくる。

「本格的にボケてきたのではないだろうか?」
「このまま記憶が薄れて何も思い出せなくなるのではないだろうか?」
「そもそも物事を記憶することができなくなるのではないだろうか?」

そんな焦りを感じつつも、必死になって思い出そうとする。

人によって記憶を掘り起こすプロセスは異なるだろうが、自分の場合はボンヤリとした色が手がかりになることが多い。

黄色っぽいイメージであれば、卵焼き、オムレツ、オムライス。

赤っぽいイメージであればケチャップを使った料理。

ところが、この歳になると食べ物全般が茶色っぽい。

赤とか緑とかの華々しい色彩はサラダで食べる生野菜くらいなもので、そんな記憶をたどっても主菜にはたどりつかない。

茶色のイメージを増幅させてもなかなか食べたものにたどり着かず、煮物、煮魚、キンピラ、炒り煮とか漠然とした感じで脳が空回りする。

それでも食い意地が張っているのか、食べ物に関しては思い出すのを断念したことはなく、回転の鈍い脳を酷使して何とか思い出すに至るところまでは事態が進む。

問題なのは芸能人、それもカタカナ交じりだったりすると限りなくお手上げ状態だ。

『お買い物日記』 担当者との会話で誰かの名前を言おうとして思い出せず、話を中断して考えるのだが、二人とも 「う~む」 と腕組みしたまま固まっている時間が長い。

しばしの間、あーでもない、こーでもないと二人で手がかりを探し、やっとの思いで脳の奥底からひねり出したときには万歳三唱したくなるほどの喜びだ。

ところが、どこをどうやってひねっても、逆立ちして頭を振っても思い出せないこともある。

途中で思い出すのを諦め、思考も停止しているはずなのに、トイレの中、歯磨きの最中、入浴中など、2-3日後にひょんなタイミングで思い出したりすることもあるのが不思議だ。

しかし残念ながら、それを思い出したときには、もともと何の会話をしていたのか忘れている・・・。

なんだか惨憺たる状況であり、このまま脳がスカスカになってしまいそうではあるが、その進行が同じペースであって二人同時にボケたら介護に追われることもないと思われるので、ある意味では幸せなことなのかもしれないなどと思ったりしている今日この頃である。