ところ変われば

北海道に帰ってきて 1年と 7カ月が経過したが、今でも時々は大阪に住んでいるような感覚を覚えることがある。

それがどういうタイミングで感じるのか定かではないが、例えば買い物をしているときなど周りの買い物客の会話が耳に入ってくることがあり、その言葉を聴いたときに関西弁ではないのを不思議に思う瞬間があるのである。

ここは北海道であり、大阪から帰ってきたのだと実感できる瞬間だ。

この町にも様々な土地からやってくる人があり、稀にではあるが関西弁で話す夫婦もおられるので、その会話を聞いてひどく懐かしく感じたりもしている。

一般的な生活をしていると関西弁に触れる機会などそうあるものではないが、テレビを見るとそこには関西の言葉が溢れている。

テレビ局自身が番組制作能力を失い、ジャニーズ事務所やら吉本興業が企画制作する機会が多いので、おのずと関西人の露出が多くなる。

おまけに以前の独り言にも書いたように北海道では多くの関西ローカル番組を見ることができるので、ここでも関西弁を聞くことができる。

そして極めつけは日本ハムファイターズの野球中継、ファイターズにまつわるテレビ番組だ。

北海道に帰ってきて驚いたのだが、ファイターズの扱いが関西における阪神タイガースの扱いとほぼ同等であり、デーゲーム、ナイターを問わず試合があればテレビ中継されることが多く、その結果を伝えるファイターズのためのテレビ番組もあり、北海道ローカルのワイドショー、バラエティ番組にはファイターズのコーナーもあるし、深夜には録画の試合を放送していたりする。

「こんなことになっていたのか」 と愕然とすると同時にもう一つ驚いたのが、2006年に現役を引退して阪神を退団した片岡篤史がシーズンの間、ほぼ北海道に常駐してテレビに出まくっている。

さらに大阪府八尾市出身でバリバリの関西人である岩本勉も片岡以上に北海道に入り浸り、テレビでの露出度は極めて高い。

二人ともファイターズ出身であるとは言え、すっかり北海道に根付いてレギュラー番組まで持つ超有名人となっているのは驚きだ。

大阪に住んでいたころ片岡は阪神タイガースで現役だったし、2005年に引退するまで岩本の姿もテレビで良く見ていた。

そんな二人を北海道に帰ってきてまで見ることになろうとは、誰が想像し得ただろうか。

昔から 「ところ変われば品変わる」 と言い、土地が違えば、それに従って風俗、習慣、言語などが違うものであるし、水も空気も食べ物も変わるものである。

食べ物に関しては少し前の雑感に書いたように味の違いを実感しているが、近所づきあいも少なく家にこもりっ放しで会話も少ない自分には言葉の違いを実感する機会が少なく、テレビから流れてくる言語は圧倒的に関西のものが多いので、いまだに北海道で暮らしていることを忘れる瞬間があるのだろう。

それにしても関西人恐るべしである。

記憶 Memory-01

先月、9年ぶりに帰省して母親と会ってきたが、実は久々の再会を楽しみにするより、ちょっとした恐怖心というか若干の抵抗というものがあった。

何せ会うのが 9年ぶりのことであり、ということは当たり前のことながら、お互いに 9年の歳を重ねたということであり、いったいどれだけ老け込んでしまっているのかと思えば顔を見るのがちょっと怖くもあり、憂鬱でもあったり。

しかし、長いこと顔を見せない親不孝をしていたのは自分であるからして、たとえどれだけ老け込んでヨボヨボの婆さんになっていようと現実として受け止めなければならないのであり、今さら帰省を取りやめることなどできるはずもないのだからと覚悟を決めて実家に乗り込んだ。

実際に会ってみると見た目は以前とさして変わらず、さすがに多少は老けた顔をしているものの、覚悟していたような老け込み方はしていなかったので少し安心したり拍子抜けしたりした。

見かけはさほど老化は進んでいたなかったものの、悲しいかな確実に老化は進んでいるようで、帰るたびに同じ話を何度も聞かされるのは仕方のないことか。

そこで 「それは前に聞いた」 とか 「何回も同じ話をするな」 と言うから喧嘩になるのであって、とりあえず聞いているふりをしていれば丸く収まるということを最近になって学習した自分は聞き役を 『お買い物日記』 担当者に任せてテレビを見たり持参したパソコンに向かったりしていた。

それでも時々は聞こえてくる会話に耳を傾けると自分が子供の頃、赤ん坊の頃のことにまで話が及んでいる。

聞くとはなしに聞こえてくる会話ではあるものの、思考は生まれたばかりの遥か以前の記憶をたどっていた。

たぶん、生を受けてから今までで最も古い記憶、それは目の前に鉄格子のような柵があり、その向こうで父親が床に広げた新聞をあぐらをかきながら読んでいる記憶。

そして、自分がいる場所のすぐ右側からは食器のカチャカチャいう音がする。

たぶん台所があると思われるのだが、位置関係からそれを見ることができない。

その鉄格子を越えて自由に動きたいとか、父親のそばに行きたいとか感じている訳ではなく、ただボ~っとその光景を眺めている記憶。

それは母親に言わせると、生まれたばかりのときに住んでいた官舎であり、台所のすぐ横にあった二階に上がるための階段のことではないかと。

台所仕事をしている時にチョロチョロと動き回ってストーブを触ったりしてはいけないと、ちょうど寸法が一緒だったベビーベッドの柵を外して階段の上り口に取り付け、その中に自分を入れておいたのだという。

まだ自力で階段を登ることはできず、ベビーベッドの柵も越えられないので中に入れておけば安心だったのだそうだ。

それをしていたのは生後半年くらいから一歳半くらいまでの間だったとのことで、母親は 「そんな小さい頃の記憶があるはずがない」 と疑うが、自分の脳にはハッキリとした映像と音声が刻み込まれているのである。

生まれ育った町に帰り、その陽射しを浴び、その空気を吸うと様々な記憶がよみがえってきた。

自分が歳をとって忘れてしまわないうちに、これから少しずつ書き留めておくことにしようと思う。

老いたるは

09/08 の独り言に書いたように、最近は目の疲れが激しく、とうとう目薬に頼るような有り様だ。

7-8年くらい前までは視力の衰えなどそれほど感じておらず、むしろ目が悪いということが何であるかすら分らずに困っていたくらいだったが、今は人に聴かなくても 『見えない』 という状況がどういうことであるかを思い知らされるように経験しているし、パソコン画面から視線をずらすとなかなか焦点が合わなかったり、夕方になると目がかすんできたりするのも嫌と言うほど味わっている。

数年前から視力の衰えと疲労感は意識していたので毎朝のヨーグルトにブルーベリーを入れて食べたりしていたが、ここのところは目の老いる速度が効果を遥かに上回り、一日にブルーベリーを 326オンスくらい摂取しなければ間に合わないのではないかという勢いに迫っている。

そこで目薬の登場と相成ったわけであるが、それまで滅多に使ったことなどないので使用法が分からない。

いや、いくら何でも目薬の入れ方くらい分かっているのだが、一日に何度くらい使って良いものやら見当もつかないのである。

家にあった目薬は何年前に購入したものか分からないが、説明書はおろか外箱も捨ててしまっているので手がかりすらなく、ネットで調べてみても成分などは表記されているものの用法までは載っておらず、あちこちのページを閲覧していたら余計に目が疲れるという間抜けな結果になってしまった。

とりあえず夕方と就寝前の 2回くらい使ってみることにしたのだが、その効果はてき面で、点眼したとたんに視界が広がり、少し離れている物もくっきりとクリアに見える。

日に 2回も使用して良いのか悪いのか手探り状態で点眼していたが、幸か不幸か目薬の残量は思いのほか少なく、すぐに使い切ってしまったので薬局で新しいものを買い求めた。

その際に選択したのは、もちろんオッサン用の目薬であり、若者が 「キターーッ!」 とか叫ぶような刺激の強いものではないが、その説明書を熟読してみたところ、日に 6回、つまり 3時間に一回くらい使っても良いことが分かった。

ならばビクビクしながら点眼する必要などなく、ちょっと疲れたと思ったらドバドバと眼球に流し込んでやれば良いのであり、別に恐れる必要などないのである。

一日に 12時間もパソコン画面を見ていなければならないのは、それが商売であるにせよなかなか過酷なことであり、それを 20代から続けていて良く今まで持ちこたえたものだと思う。

外を歩いたりテレビを見たり、本を読んだりパソコンに向かったり、普通に生活するぶんにはまだメガネを必要とするほどではないので、変な話ではあるが目は丈夫なほうであったのだろう。

2001年の雑感にも書いたように警戒すべきは視力の低下よりも老眼だったのだが、恐ろしいことに確実に老化は我が眼球にもおよび、近くのものが見えなくなってしまったのである。

普通の生活をしていて唯一困ること、それは爪を切るのに時間がかかることである。

何せ近くが見えないものだから、おのずと爪を切る手と切られる手が徐々に目から離れていく。

しかし、あまり離れすぎると今度は遠くて細かな部分が認識できない。

ほとほと自分の目に愛想が尽きて困ってはいたのだが、できることならば最後の手段はとりたくなく、必死に目を見開いて指先を見つめ、怪我などしないように心がけながら爪を切っていたのだが、あまりにも時間がかかって爪切りを握る手が疲れでプルプルと震えだす始末であり、焦点を合わせるためにどんどん遠ざけていた手も伸びきってしまい、これ以上は遠くにできなくなる日も近いのではないかと思われる。

こうなればもう致し方ないだろうと、先日の買い物でとうとう覚悟を決めて老眼鏡を購入した。

自分がどの程度のものであるのかを試すために生まれて初めて老眼鏡をしてみたところ、全身に衝撃が走り、愕然とその場に立ち尽くしてしまった。

手元がもの凄く良く見える。

今まで郵便局や市役所、銀行などの書類を記入する場所に 「ご自由にお使いください」 と老眼鏡が設置されているのを見ても 「ふんっ」 と小馬鹿にしていたものだが、この衝撃を体験してしまうと馬鹿になどしていられない。

まだ書類を書く際に老眼鏡は必要ないが、近い将来、いや、もしかすると明日からでも必要になったりするのかも知れず、その場に設置されていることを感謝するかもしれない。

ついにオッサンの目薬、ついに老眼鏡。

急に衰えを実感できるようになった今、少しずつ自分の体をいたわりながら過ごしていこうと静かに思ったりしているところである。

夏の終わりに

そろそろ本格的な秋に向かいつつある北海道。

急に寒くなるわけではなく、これから 10月の下旬くらいまで少しずつ、少しずつ日が短くなり、気温も低くなってくる。

大阪に住んでいた頃、何度となく 「春が短い」 とか 「秋が短い」 と 『管理人の独り言』 に書いたものだ。

実際、昨日まで寒かったと思ったら今日は急に暑いとか、昨日まで暑かったのに今日は急に寒いとかいうことがよくあった。

それは北海道の気候は気持ちの良い時期が長いため、余計に感じていたのかもしれない。

ゴールデンウイークあたりから 7月中旬までの 2カ月半、ギンギンに暑くなることもなくポカポカとした陽気に包まれる。

そして 8月中旬から 10月下旬までの 2カ月半、極端な残暑も寒さもなく暖かい太陽の光が射し、乾いた空気が大地を駆け抜ける。

もちろん、日によって多少は暑かったり寒かったりするが、全般的には気持ちの良い気候が続く。

本当に暑く感じる夏は 7月中旬から 8月中旬の約一カ月間だが、それでも真夏日になるのはほんの数日で、猛暑日になることなど数年に一度くらいなものだろう。

冬は 11月から 4月まで半年間も続くが、ずっと寒いわけでもずっと雪があるわけでもない。

以前から言っているように寒さに対しては厚着をするなり暖房するなりして対抗する手段がある。

ところが暑さに対しては薄着にも限度というものがあるし、さらには冷房の空気が苦手な自分にとっては抵抗のしようがない。

つまり自分は暑い場所より少しくらいは寒い場所のほうが生息に適している訳である。

いくら涼しさを好むとは言え、今年の気候は本当に異常だった。

7月は気象庁が異常気象と認定するくらいの日照不足と降雨量で、太陽の姿を見たことなどほんの数日しかない。

8月の後半は例年に近づいたものの、前半は曇りや雨の日が多かった。

お買い物日記』 担当者も独り言に書いているように、せっかく扇風機を準備したのに一度も使わないまま夏が終わってしまった。

寝苦しい夜に備えて冷凍庫にはアイスノンがキンキンに冷されているが、暑くて眠れない夜など皆無である。

いくら暑さに弱いとは言え、やっぱり夏は夏らしく、多少は暑くなってもらわなければイマイチ気分が盛り上がらない。

来年の夏は、異常気象と呼ばれない程度にしっかりと暑くなってもらいたいものである。