大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

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2005年 2月

浅春の旅 余話 浅春の旅 余話

  今回の集まりで重要な任務となっていたものに、1/16 の独り言に書いた移植手術後のビデオテープの再生がある。 恐る恐るビデオデッキに挿入し、再生を開始してみたところ、テープは順調に回転を始めた。 その日は 2/9の平常日だったので自分は仕事をしていたので所々しか観ていないが、一部で画像や音声が乱れたものの、最後まで見ることができたようである。

  ただし、テープの巻き込みや切断を回避するために早送りなどの操作はすることができない。 通常であれば CM などは早送りでパスしてしまうのだが、その間も見続けなければならないというのが欠点である。 180分テープに 3倍速で録画していたので合計 540分、つまり 9時間分もある。 最初の部分は観終えていたとはいえ、7-8時間もの間、義兄はじーっとテレビの前に座っていた。

  もうひとつの重要な任務は 『書籍探し』 である。 アメリカに住む義兄は猫を飼っているのだが、来日している間の世話は知人に頼んでおり、その知人の依頼で日本で販売されている本を買わなければならない。 そして、その本と言うのが 『冬のソナタ』 関連なのである。

  そこからも分かるとおり、知人というのは女性なのだが、義兄は 「単なる友達だ」 と言い、「ふ〜ん」 という応えに 「ほ、本当だって」 と応戦し、こちらも薄ら笑いで 「へ〜」 と応える。 ・・・ いいオッチャンやオバチャンになっているくせに、まるで高校生のような会話である。 実のところは単に仲の良い友達らしいのだが、猫の世話をしていくれているお礼に、頼まれた本の大捜索が始まった。

  大捜索というのも、本屋さんに行ったら安易に入手可能であろうと思っていた 『冬ソナ』 の関連本がすっかり姿を消していたからである。 以前の独り言に書いたように、熱しやすく冷めやすい DNA を保有する日本人は、一部を除いて完全に 『冬ソナ』 のことなど忘れているようだ。 これにはヨン様もびっくりだろう。 しかし、これほど入手が困難になっているとは予想もしていなかった。

  千里丘駅周辺の本屋さんは全滅。 一時期はコーナーまで設けて大量に売られていた本が、どこにも見当たらない。 それならばと、法事で行った京都でも本屋さんを物色。 しかし、割と大きな本屋さんであるにもかかわらず目的の本が見つからない。

  翌日、市内観光の帰りに梅田周辺を探し回る。 まずは大阪駅構内の大きな本屋さんに寄るが収穫はなかった。 次に疲れた足をひきずりながら、どんな本でも売っている旭屋書店に行ってみたが、ここでも収穫なし。 その向いにある巨大な本屋さんでも目的の本は見つからない。 足は鉛の靴をはいているように重く、朝から遊んでいたので疲労も限界に達しようとしていた。

  「ここまで探しても見つからないのだから・・・」 と諦めかけたとき、国内から来阪し、茨木市のホテルに宿泊していた親類が 「茨木駅近くの本屋さんで見たような気がする」 と言い出した。 気力、体力ともに限界を越えつつあったが、最後の望みを託してオッチャン、オバチャン軍団は一路 JR 茨木駅を目指した。 その夜も千里丘で食事をすることになっていたが、千里丘駅を通り越して茨木駅へ。

  全員が改札を出る必要はないということで、そこで二手に分かれる。 そして、待つこと数十分。 なんと茨木の本屋さんには 『冬ソナ』 関連本のコーナーも健在で、目的の本数冊をそろえることができた。 人間、努力すれば報われるものである。 その夜は、あまりにも疲れていて空腹感もそれほどではなかったが、『くちコミ情報』 を頼りに行った店では凱歌を揚げ、野生に帰って山のように食べて飲んだ。

  元々は法事だったのだが、今回の大阪での集まりは、ある意味で有意義なものだった。 しかし、京都、大阪市内、本屋巡りと、普段以上に足も使い、毎日の散歩で鍛えているとは言え、翌日から数日間は筋肉痛になってしまったのは言うまでもない。

2005 / 02 / 26 (土) ¦ 固定リンク

浅春の旅 二日目 浅春の旅 二日目

  2月12日。 前日の疲れは残っているものの、二日目は市内観光である。 長いこと大阪に住んでいながら観光スポットなどまったく知らないので、親類に聞くと 「飛行機から大阪城は見た」 と言うし、通天閣に行っても、ただ登って降りてくるだけなので、希望を聞き入れて 『海遊館』 に行くことにする。

  きっちりと計画をたてて行動するタイプではないので、「なんとなく 10:00くらい」 というアバウトな感じで千里丘駅から電車に乗り込む。 さすがに休日ということもあって、なかなかの混雑具合だ。 大阪駅で環状線に乗り換え、さらに地下鉄に乗り換えて、なぜか地上をひた走る。

  天保山マーケットプレースに着いたのは 11:00くらいだったが、ちょうど 『中華まん博覧会』 が開催されていたので、混雑する前に早めの昼食にする。 しばし館内をウロウロし、目的の中華まん売場へ。 少し人が並んでいたが、大混雑する前に中華まんをゲットできた。 全国の有名な中華まんが売られている中、それぞれ好みのものをむさぼり食う。

  腹も満たされたところで、いざ海遊館へ。 やはり休日だからか、すでに大勢人が集まっていてなかなかの賑わいだ。 とくに入口付近に人が多く、子供の歓声やら親の声やらで騒然としている。 長いエスカレータで最上階へ。 そこでも人、人、人で水槽を見るもの一苦労だ。 先に進むにつれて判明したのだが、建物の中心に巨大な水槽があり、それの周りをぐるぐる回りながら地上に向う仕組みなので、先を争って水槽を見なくても良いのである。

  そんなこととは知らず、オバチャンや子供に負けてなるものかと人込みに突進したりしていたものだから、入場してすぐに疲れてしまった。 海遊館のシンボルにもなっているジンベエザメはヌボ〜っと泳いでいるだけだし、マンボウの口はずっと 「ウ〜」 と言っているようだ。 アザラシやイルカなども人気があるが、水中で見ていると動きが速く、あっという間に目の前を通り過ぎてしまう。

  ペンギンの子供はボワボワした灰色の毛で覆われ、写真で見ると可愛いのだが大きさは親と同じくらい大きい。 親と違って毛がボワボワしている分だけ親よりも大きく感じる。 そしてボ〜っと立っているだけなので、実のところはあまり可愛いものではなかったりする。

kame  そんな人気者より、口がずっと 「ン〜」 と言っているようなウミガメを見ている方が楽しかった。 狭い人工の岩の間に何があるのか、体を縦にして無理矢理に入り込み、底の砂に顔を埋めて何やらゴソゴソしていた。 それに飽きると泳ぎだし、向こう側からこちらが見えているのか、単なる偶然か分からないが、何度かこちらに近づいてきて、お互いに見つめ合ったりして親交を深める。

  先にも書いたとおり、先に進むと水槽の前の人もまばらになり、好きなだけ魚たちを見ていられるのだが、そのころには疲れもピークに達してしまったので、少しおざなり気味に水槽を見ながら出口へと向う。

  疲労困憊になってしまったので、各自コーヒーやらビールやらソフトクリームを補給して英気を養う。 次に見えたのが大観覧車だ。 観覧車などは何年も乗っていないし、若いカップルや子供連れで賑わっているので躊躇したが、せっかくだからということでオッサンとオバチャンの軍団も列に並ぶ。

  乗り込む直前になって記念写真を勧められたのだが、必要ないと思ってボ〜っとしていたら親族がニコニコして整列しているではないか。 仕方なしに一緒に並び、パシャリと撮影してもらう。 さすがに世界最大級と銘打っているだけに、頂点に達すると高所恐怖症でもないのに下を見ると背中がゾワゾワしてしまう。 15分かけて一周し、降りてから出来あがった写真を受け取る。

  ・・・ その写真は衝撃的なものだった。 自分で認識しているより髪が白い。 日々、鏡くらいは見るが、洗面所の照明の加減なのか、白髪が群生している部分があることは認識していたが、これほど全体的に白くなっているとは思っていなかった。 すっかりへこんでしまった心を奮い立たせ、標高 4.53m という日本一低い山である天保山の初登頂に成功する。

  そして、全員がフラフラになりながら千里丘に戻り、前日と同様に 『くちコミ情報』 を頼りに居酒屋に入り、一同逆上気味に食らい、酒を流し込む。 そして、これも前日と同様に大声で笑ったり話したりしながら旅の二日目の夜は更けていったのであった。

2005 / 02 / 19 (土) ¦ 固定リンク

浅春の旅 一日目 浅春の旅 一日目

  まだ寒さの残るこの時期に法事のために親類が大阪に集結し、京都へのお参りと市内観光をすることになった。 『管理人の独り言』 にも書いているように、こういう場合は大阪在住組が市内を案内し、大阪らしい食事ができるところにも連れて行かなければならないのだろうが、いかんせんながら出不精ゆえに何も知らないのである。

  法事に関しては、京都までの電車、京都駅からお寺までの交通機関についても何度か行ったことがあるので完璧だ。 長兄夫妻は茨木に宿をとっているので JR茨木駅で待ち合わせしたのだが、駅で一旦電車を降りて探しても夫妻の姿が見当たらない。 まだ駅に到着していないのかと思い、携帯電話で連絡すると今乗ってきた電車に入れ違いで乗ってしまったという。

  「それでは京都駅で」 ということなり、茨木で電車を待っていると再び携帯電話が鳴り、「高槻までの電車だったから高槻駅にいる」 とのこと。「それでは京都行きの電車の 5両目で」 ということで JR高槻駅に到着したが、これまた二人の姿が見当たらない。 どうやら前の電車に乗っていったらしい。 すったもんだのあげく、JR京都駅の中央改札で合流することに成功した。

  昼食には少し早い時間だったので、そのままお寺に直行し、先に法事を済ます。 お参りが終わって昼食時となったので、京都ではいつも利用する蕎麦屋さんに行くが、満席で入ることができない。 時間つぶしに清水寺にでも行ってこようということになり、空腹をこらえながら、ただひたすら坂を登る。 清水の舞台に立つなど何年ぶりのことだろう。 そこからの景色はやはり壮観だった。

  空腹と坂の上り下りでフラフラになりながら、やっとの思いで ”下山” して蕎麦屋さんに入る。 元気良く蕎麦を注文したところ、蕎麦を切らしていて、うどんしかできないと言う。 「蕎麦屋のくせに蕎麦がないとは何ごとだ〜!」 と言ってやりたかったが、疲れと空腹の方が勝っていたので大人しく 「ぞぞぞ〜」 とうどんを 食らう。 (どこかで食べたことのある味だ) と思っていたら、日清食品の 『どん兵衛』 をものすごく上品にしたような感じだった。

  大阪に帰るには少し時間が早かったので、京都駅にある手塚治虫ワールドに行ってみる。 他の記念館と同様に大掛りな施設かと思っていたのだが、『鉄腕アトム』 やら 『ブラックジャック』 やらの人形が数体あって漫画本が読める一角があり、みやげもの屋さんがあるだけの施設だったので拍子抜けしてしまった。 しかし、良く見るとアニメを上映している場所があったので、オッサンとオバチャンの軍団は、ちびっ子と一緒にアニメを観ることにした。

  これから行く人もいるかもしれないので詳細は割愛するが、ちょっとした仕掛けもあって楽しむことができた。 すっかり気分がよくなったところで土産を買うことにする。 食べ物やらキャラクター・グッズが山ほど売られている中、アトムなどの顔の形をした人形焼きなどを買って大阪に向う。

  まだ夕食には時間があったので、某店でタコ焼きを購入して一旦帰宅。 京都でのことを話しながらモグモグとタコ焼きを食らうが、どうも様子がおかしい。 なんとタコが入ってないのである。 購入した 20個すべてにタコが入っておらず、単なる ”焼き” になってしまった。 昼の蕎麦屋さんといい、そのタコ焼きといい、(今日は食べ物のツキがないかも・・・) と一抹の不安が胸をよぎった。

  しかし、食事 & 酒宴のために 『くちコミ情報』 を参考に入った店は、何を食べても美味しく、本当に満足することができた。 本来は法事で集まったのにも関わらず、大声で笑いながら春まだ早い旅の一日目の夜は更けていったのであった。

2005 / 02 / 13 (日) ¦ 固定リンク

テレビゲーム テレビゲーム

  『管理人の独り言』 にも書いたが、昨年末、久々にテレビゲームのソフトを購入して少しずつ遊んでいる。 過去の雑感に何度か書いたように以前はゲーム業界に身を置いていたので、当時はゲーム漬けの毎日だった。 仕事をしている時間も自宅に帰ってからもずっとゲームばかりしていた。

  そういう生活をしていると社員同士の話も必然的にゲームのことが中心になり、日常会話の中にもゲームのネタが織り込まれるようになってくる。 とくに仕事の締め切りが近くなり、徹夜続きになると神経がナチュラルハイになり、つまらないことにも大笑いしたりしていた。

  誰かに話し掛けても、相手が仕事に集中していて応えてくれなかったときは 「返事がない。ただの屍(しかばね)のようだ」(ドラゴンクエスト)という独り言で周りが笑う。 何かを取ろうとして手が届かなければ 「くっ。ガッツがたりない」(キャプテン翼一作目)と言えば誰かが笑う。

  ゲームをしない人には何のことだか分からないだろうが、それぞれはゲーム中に出てくるフレーズである。 フレーズを使わなくてもゲーム業界らしい会話もある。 当時、職場には嫌味で話の長い嫌われ者の上司がいたのだが、その上司に誰かが呼ばれると、「ダメージが大きいから(人生を)セーブ(保存)してから行った方がいいぞ」 という慰めとも激励ともつかない言葉をかけたものだ。

  ある日、いつも金のない同僚が言った。「働けど働けど なお我が暮らし楽にならざり ぢっとテトリス」。石川啄木が詠んだ歌の 「ぢっと手をみる」 を変えたものだが、生活が楽にならないからといって、じっとテトリスをしていても仕方がない。 彼がみんなに大笑いされたあとで馬鹿にされたのは言うまでもない。

  当時は家庭用ゲームの創世記で、研究のために海外製のゲームをプレイすることもあったのだが、なにせ表示されるのが英語なのでなかなか先に進めない。 英語を読んで、日本語で解釈し、英語で対応しなければならないので時間がかかってしまうのだ。

  画面に文字が表示される 「How old are you ?」 それを読む 「はうお〜るだぁ〜ゆ〜」 それを日本語へ 「あなたは何歳ですか?」。 再び画面に文字 「I am 24 years old.」 それを読む 「あいむにじゅうよんいや〜ずお〜るど」。 ・・・ 24を 「にじゅうよん」 と読んだ時点で英語ではない。 声を出して読んでいた奴がみんなから馬鹿にされたのも当然である。

  唐突ではあるが、動物のリスを英語で Squirrel (すくわーれる) という。 それを知ってから 「信じるものは Squirrel」 という訳で、ゲーム中に自分の都合の良い展開になることを信じて疑わないときは 「信じるものはリス!」 と叫び、それが転じて 「リス!」 と連呼するようになった。

  今から思うと、くだらないことばかり言っていたものだし、ナチュラルハイな状態ではなく、冷静に思えば面白くもないことではあるが、精神年齢が中学生程度の 20代の若者の集団だったので当時はそれで良かったのかもしれない。

  脳を使って話すのではなく、反射神経だけの会話も楽しかったものだと、少し当時を思い出したりしている今日この頃なのである。

2005 / 02 / 05 (土) ¦ 固定リンク

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