大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

トップページ
2004年 2月

モラルハザード モラルハザード

  モラルハザードとは、「倫理の欠如」 と言う場合使われ、「社会全体の利益を考えずに、自分の利益だけを追求すること」 という意味合いを含ませている。 もっと単純には 「非常識」 という意味で使われることが多いが、実際には言葉の持つ意味が違うようだ。

  正確なモラルハザード(Moral Hazard)は、保険関係の用語で、「危険回避のための手段や仕組みを整備することにより、かえって人々の注意が散漫になり、危険や事故の発生確率が高まって規律が失われることを指す」 らしい。 しかし、モラル(Moral : 道徳、常識)が、ハザード(Hazard : 危険にひんする)のだから、完全に使い方を間違っているとも言い切れないように思うのだが・・・。

  そんな訳で、一般的に使われている 「非常識」 に近い意味で、この言葉を引用すると、鳥インフルエンザのウィルスを撒き散らした(かもしれない)京都の養鶏場は、いったい何を考えているのか。 いや、何も考えていないからこそ、アホみたいな対応しかできないのかもしれない。 鶏が 2万も 3万羽も死んでいるのに 「鳥インフルエンザと思わなかった」 とは何事か。 これこそ、まさにモラルハザードである。

  日本、いや、世界全体が神経質になっている時期に、疑わない方がどうかしている。 ましてや、死んだ鶏の数が 10 や 20 ではなく、千とか万の単位であるのに。 そして、素人が育てているのではなく、専門に育てている業者でありながら、異常に気付かないはずがなかろう。 農水省も 「黙っていれば隠し通せるような病気ではない」 と不快感をあらわにしているが、その通りである。

  各社の報道を総合すると、鳥が異常死し始めたのは 20日からで、1日で千羽も死んだという。 24日には家畜保健衛生所職員が調査に訪れたが、大量死には触れずに 「異常なし」 と答えていたらしい。この件が表ざたになったのも 26日の匿名電話がきっかけと言うから、決して自主的なものではない。 その電話がなければ、死んだ鳥を極秘に処分し、何食わぬ顔で現在も出荷していたかもしれない。

  この非常識極まりない対応に、同業者からも強い怒りの声や風評被害を心配する声があがっていると聞くが、それは当然のことだろう。 イオンやダイエーを始めとする各スーパーは店頭から商品を撤去しているらしいが、事態はそれだけでは済むだろうか。 他の流通経路で出荷された卵が飲食店で使われることもあるだろう。 生卵を使う旅館、ホテルの朝食や、すき焼き屋さんも大変である。

  スーパーのイオンは、日本ハムの牛肉偽装が発覚した時、長期間に渡って店頭での販売を見合わせた。 そして、日ハムが役員人事も含めた徹底的な ”反省” をするまで販売を再開しなかった。 今回の件に関しても厳しい対応をすることだろう。 農水省が言っている通り、いつまでも隠しきれる問題ではないのだから、早めに届け出をし、販売店や消費者の信頼を得た方が良かったに違いない。

  このまま社会的信用を失ってしまえば会社の業績は悪化し、最悪の場合は廃業に追い込まれるだろう。 それが嫌なのであれば、今からでも遅くはないから誠実な対応をするべきである。 万が一、人に感染し、アジア圏で起きているように死者が出てからでは遅すぎる。 なぜ届け出が遅れたのか、今後はどのような対応をするのかを明確にするべきである。

  ・・・などと、偉そうなことを書き連ねているが・・・。 自分はと言えば、「肉も卵も断っているから、まあいいや」 などと思っている、まったく自己中心的な奴だったりするのであった。

2004 / 02 / 28 (土) ¦ 固定リンク

食料品売場 食料品売場

  昨日(2/20)の会社帰り、久々に阪神百貨店の地下食料品売場に立ち寄った。 2/19 の 『管理人の独り言』 にも書いてある通り、常食している味噌を買うためだ。 何年も前の雑感にも書いた通り、基本的には人込みが、特に女性が沢山いる場所は苦手なのだが、外でボ〜っと待っているのも何なので、意を決して店内に入った。

  金曜の夜ということもあって、込み合っているものと覚悟していたのだが、思ったよりも人は少なかった。 少ないとは言え、そこは阪神百貨店の地下である。 近所の店よりは、はるかに人が多い。 そして相変わらず店内の ”おば様達” は自分のことで精一杯らしく、人にぶつかろうと、おかまいなしに目的の売場や品物めがけて突進していく。

  もう、これはオバチャンの本能なのだろうと悟りを開いているため、オバチャンのヒジが当たろうと、お尻でグイグイ押されようと怒る気にはなれない。 むしろ、「あ〜今日も元気だな〜」 などと感心すらしてしまう。 彼女達はいつまでも元気に、そしてたくましく生きていっていただきたいものである。 景気は上向きと言っても実感がわかない今日このごろであるのだから、オバチャン・パワー全開で消費して GDP を押し上げていただければ幸いである。

  デパ地下に限らず、食料品売場をウロウロするのは嫌いではないのだが、販売員さんが少し恐かったりもする。 阪神百貨店の鮮魚コーナーからは、閉店近くになると威勢の良すぎる声が響き渡る。 遠くにいるお客さんに 「安売りが始まったのだな」 と気付かせる効果があるのだろうが、近くにいる場合は耳の奥がジンジンしてしまう。 チラっとでも商品に目をやったり、販売員さんと目が合おうものなら、個人的かつ、集中的に声をかけられる。

  意思の弱い自分としては、目をむき、大声で勧められると、ついフラフラと寄って行きそうになってしまう。 最近は無視して通り過ぎるようにしているが、過去には、それほど食べたいと思っていなかったものを買ってしまったことも何度かある。 たしかに品物は良いのであるが、もともと食べる気などなかったので、それほど嬉しくはない。 そんなこんなで後悔することが多いため、最近ではなるべく近寄らないようにしているのである。

  今回の話ではないが、以前に阪神百貨店で買いものをしていたとき、豚の角煮を売っているオバチャンが、ニコニコしながら手招きをする。 それが、自分の孫でも呼ぶような人懐っこい笑顔で、「おいで、おいで」 と呼ぶものだから、ついフラフラと寄って行ってしまった。 するとオバチャンは、「はい、食べなさい」 と試食用の角煮をくれた。 食べてみると、それは口の中でとろけるように柔らかく、味も悪くなかったので、まんまとオバチャンの作戦に引っかかって購入してしまった。

  何グラムのものだったか覚えていないが、あまり大きくはない一かたまりの肉で 1000円くらいしたと思う。 お金を払う段階になって、豚肉ごときに、なぜ 1000円も払わなくてはならないのかと思ったが、それはすでに後の祭りである。 オバチャンは機嫌よく 「ありがとーね」 と言ってくれたが、持ち帰って食べた角煮がどんな味だったのか、今となっては覚えていない。 やっぱり自分が食べたいと思う物を買って食べるのが美味しく、人から無理に勧められたものは、心から味わって食べることができないようだ。

  今回、デパ地下を歩いて気付いたのは、割と高級な品物を扱っている肉屋さんに人だかりができていたことである。 BSE 問題で輸入肉を国産と偽装表示して売る店が後を絶たないため、消費者心理とすれば、多少割高でも ”阪神百貨店” というブランドを信用したいのかもしれない。 安売りをしている訳でもないのに、ショーケースが見えなくなるほどの人が集まり、牛肉を買い求めていた。

  そんな人だかりを横目で見ながら、「肉を食えない体で良かった」 と変に安心したりしている自分がそこにあったのであった。

2004 / 02 / 21 (土) ¦ 固定リンク

説得力 〜 進化論編 〜 説得力 〜 進化論編 〜

  ダーウィンさんが進化論を唱えて長い年月が経過しているが、これだけ科学や技術が発達し、様々な調査も可能になったのにも関わらず、異を唱える学者がいないところを見ると、結果的にそれが正しいのかもしれない。 しかし、生物学などに ”ど素人” な自分にとって、進化論は決定的な説得力に欠けるような気がしてならないのである。

  専門的な話は抜きにして、単純には高いとことにあるエサを食べるのに便利なようにキリンの首が長くなったのが進化だと思うのだが、本当にそうなのだろうか。 単に最初から首が長かったから、高いところにあるエサを食べるのが楽だったのではないだろうかと思ってしまう。

  魚が海水から淡水に移り、水から陸に上がり、エラ呼吸から肺呼吸に変わって、手足が生えて・・・と、進化してきたとされているが、それが本当なのであれば、これだけ多くの種類の魚がいるのだから、今現在でも同様の進化をたどる魚がおり、続々と新種の生物が発見されても良さそうなものである。 そんな生物にお目にかかれないということは、進化論に根拠がないのか、地球上の生物が進化することをやめてしまったのか・・・。

  人間は猿から進化したのだというのが ”定説” だが、それは本当に正しいのだろうか。 進化というのは、生きるのに都合が良いように変化するものだと思うのだが、だとすれば、寒さや怪我から身を守ってくれる体毛が、一部を除いて無くなってしまったのはなぜなのだろう。 防寒のために服を着なければいけないのだから、かえって不便になってしまっているではないか。

  カブトガニやシーラカンス、ゴキブリなどのように、数億年前から姿形が変わらない生物がいるのは何故なのだろう。 逆に人間だけが短期間に猿から二足歩行をして文明を築き、言語を操り、科学まで手中にするほど進化できたのは何故なのだろう。 ホモ・ハビリス → ジャワ原人 → 北京原人 → ネアンデルタール → クロマニヨン → という過程を経て現代の人間に進化したとされているが、たかが 12万年程度で、こうも劇的に進化するものなのだろうか。

  疑問の方が多いから、人間は他の惑星から移住してきたとか、宇宙人による猿の遺伝子操作で誕生したとかいう、三流の SF に興味がいってしまう。 面倒なことを考えたり勉強したりするよりも、妙な説得力があるからだ。 宇宙人は時々人間社会に関与し、ピラミッドを造ったり、ナスカの地上絵を作成したと考える方が、どうやって造ったのだろう、なぜ造ったのだろうと悩むより簡単だ。

  進化は突然変異によってもたらされると言われているが、同時多発的、かつ同様の突然変異が発生しなければ、種を後世に残すことはできないはずである。 現代の人間に突然変異で新種の人間が誕生したとしても、誕生したのが一人だけなら一代で絶えてしまう。 あちらこちらでボコボコと新種の人間が誕生し、子孫を繁栄させなければ現代人に取って代わることはできない。

  そんなことが、過去において人間の世界で何度も起きたのだろうか。 それも、当然のことながら日本だけではなく、世界各地で同様の現象が発生しなければ、様々な国に、様々な人種の現代人が存在するはずがない。 そう考えると、ダーウィンさんの進化論よりも、安物の SF にある 「宇宙人が・・・」 の方が説得力があるような気がしてしまう。

  あまり詳しくはないが、一時期、『百一匹目の猿』 というのが広く伝わったことがある。 極々簡単な例を挙げると、九州に生息する猿が、エサを水で洗って食べるようになったと仮定する。 それが百匹に達すると、何も教えられていないはずの北海道の猿が何故かエサを洗って食べだす。 これが百一匹目の猿なのだが、どうやらこの話には科学的根拠は薄いらしい。

  しかし、この説が本当だとするならば、世界的規模で同時多発的に突然変異が発生し、人間が進化したという説にも説得力が出てくるのだが・・・。 結局は、ろくに勉強もせず、元々が頭の良くない自分が、いくら考えたところで理解できるはずがないのである。 偉い先生が言ったことを 「はいそうですか」 と受け入れていれば良いのかもしれない。

  でも、『百一匹目の猿』 は誰が考えた理論なのか分からないが、最近の鳥インフルエンザ騒ぎを見ていると、本当かもしれないと思ってしまう。 アジア圏だけで流行しているのであれば、渡り鳥が原因かもしれないが、鳥が移動するのは南北が主である。 東西に離れたアメリカで感染例が報告されたということは・・・アメリカの鶏は・・・百一匹目の猿ならぬ、鳥なのかもしれない。

2004 / 02 / 14 (土) ¦ 固定リンク

故人を偲んで 故人を偲んで

  『管理人の独り言』 でも触れているが、1/31 の夜遅くになって訃報が飛び込んできた。 以前勤めていた会社で、他部署の上司だった人である。 健康に不安を抱えた人ではあったが、これほど早く逝ってしまうとは、夢にも思っていなかったのでショックを受けてしまった。

  2/2 のお通夜には行けなかったが、翌 3日の告別式には参列させてもらった。 式場には懐かしい顔も何人かおり、故人についていろいろと話をした。 懐かしい話をして少し笑い、故人を思い出して悲しみ、近況を報告しあって少し笑い、また故人を思い出して悲しんだ。 それぞれが、それぞれに年齢を重ね、以前ほど無理はできなくなっているが、故人の分まで頑張らねばならない。

  世の中の上司には、大きく分けて 2通りのタイプの人がいる。 部下に命令をする際に、手順を含めてこと細かに指示を出し、完全に任務を遂行させようとするタイプと、結論だけを伝えて、手順などは本人に考えさせるタイプである。 故人は明らかに後者タイプの上司だった。

  仕事で解らないことを質問しても、「君はどう思うのか」 「君ならどう処理するのか」 と問いかけて考えさせる。 考えあぐねていると 「以前の似たような事例では、こう処理された」 と、ヒントは与えてくれるものの、「こうすべきである」 「このように処理せよ」 などと具体的な指示は出してもらえない。 人によっては上司としての資質に欠け、判断能力が乏しいが故に部下をコントロールできないという場合もあるが、故人は高い能力がありながらも、あえて部下に考えさせるように仕向けていた。

  細かく指示を与え、自分で結論を出す上司に仕えると、指示どおりに任務を遂行する人材は育っても、自分で手順を考え、自分で判断する能力を伸ばすことは難しく、結果的に指示されるのを待ち、指示がなければ動かない部下が育ってしまうことが多いが、故人のようなタイプの上司に仕えると、自分で考えて判断する能力が伸ばされるので、指示がなくても行動し、自分で仕事を見つける部下を育てることができる場合が多い。

  そういう育て方をするというポリシーを部下に宣言している場合は分かりやすいのだが、故人は自分のことを多く語る人ではなかったため、一部の部下に 「明確な指示を出せない上司」 と受け止められていたが、それはとんでもない誤解である。 故人ほど部下を思い、能力を伸ばそうと努力する上司には、なかなか巡りあうことはできない。 故人のような上司に仕えたことを感謝すべきである。

  故人は大手メーカーに勤めていたが、そこでリストラによる大規模な人員削減があった。 故人は削減される側の人間ではなく、削減する側の人間であり、労使交渉など困難な問題にも取り組み、会社側の要求どおりに人員削減を断行したのだが、「多くの人を解雇した人間が、会社に残るわけにはいかない」 と、人員削減を終らせた後、自ら辞表を提出した人である。

  故人となってしまったため、今さら確認することはできないが、リストラの対象になった人を見て、指示待ち型の部下を育ててはいけない、 会社にとって有益な人材を育てなければいけないと、痛感したはずである。 それが故に、一部の人間から誤解されようとも、自ら考え行動できる部下を育てることに徹していたのだと思う。

  直接の上司ではなかったが、そんな上司と知り合いになれて良かったと思っている。 以前の会社を退職した後も、故人にはお世話になり、様々なことを教えていただいた。 自分に能力が乏しいため、故人の教えを完全には消化できていないが、これからも教わったことを忘れずに、自分なりに身に付けていきたいと思う。 困難な局面に立った時に、もう相談することはできなくなってしまったが、今までの教えを基に自分なりに考え、そして行動したいと思っている。

  故人の教えに感謝し、心からご冥福をお祈りしたい。

2004 / 02 / 08 (日) ¦ 固定リンク

説得力 説得力

  NASA の探査車スピリットが火星で立往生している。 なんとか復帰して調査を続けてもらいたいものだ。 現段階までの調査の結果、残念ながらタコのような火星人は住んでいないようである。 しかし、地表には水が流れたような跡も確認され、水があるのであれば、微生物などが存在する可能性はある。 やはり、早くスピリットが復活して調査を再開してほしい。

  それぞれの専門家がいるので、それぞれの調査を同時に進めるのは当然のことではあるが、地球のことすら完全に解っておらず、人体の仕組みすら完全には解明していないのに、他の惑星や宇宙のことまで調査しようというのだから、人類の好奇心や欲求は果てしないものである。 まあ、外(宇宙)から地球を眺めて、初めて事の重大さに気づくという面も確かにあるが。

  地球の温暖化、砂漠化が進んでいると言われているが、衛星写真を見るとそれが実感できる。 数年前と比較して、明らかに氷河や北極、南極の氷の規模が小さくなっていたり、ゴビ、サハラなどの砂漠が大きくなっている。 温暖化に関しては、次々に新しい燃料やエネルギーが開発されているので、数年後には歯止めがかかるかもしれないが、森林伐採を止めなければ砂漠化は進行する。

  森林伐採を進め、国土を荒れ放題にし、慌てて植樹した杉などの花粉に苦しめられている日本人が環境保護を訴えても説得力に乏しいが、森林伐採と、それを燃やして二酸化炭素を排出することは、温暖化と砂漠化の両方にとって良くないということを発展途上国に伝え、止めさせる必要があるだろう。 ただし、日本は伐採した木材を大量に輸入してるので、やはり説得力に欠けるのであるが。

  衛星写真を見て、認識の違いに驚くのは大気圏についても同じである。イメージ的に大気(空気)が安定している層は、地球がバスケット・ボールくらいの大きさだとすると、1cm くらいはあるような気がするが、実際には地球の大きさに対して 100km くらいの厚みしかない。 100km など、すぐそこである。 バスケット・ボールに対しては 1mm にも満たないであろう。

  「そんな少ない量の空気を汚してはいけない」 という説得力を衛星写真は持っているが、高度成長期に空気を汚しまくった日本人には世界を説得する力がないのかもしれない。 いや、過去の反省も踏まえて、日本人だからこそ、説得力があるのか。 現在ではヨーロッパに次いで環境意識が高く、省エネに対する取り組みは世界一の日本だからこそ、「地球を大切に」 と言えるのかもしれない。

  エアコンにしても、冷蔵庫にしても、各社が 「省エネ No.1」 と謳い文句にしているが、複数の No.1 があるはずもなく、「いったいどれが No.1 なんだ!」 と文句の一つも言いたくなってしまうが、各社が競い合って省エネルギー化を進めるのは良いことである。 車の排出ガスも 「世界基準」 だの 「欧州基準」 だのと宣伝しているが、主導しているのは日本だということを誇れないものだろうか。

  排ガス規制などを盛り込んだ 『京都議定書』 は、間違いなく日本で作成されたのに、世界的には存在感が薄い。 世界最先端の環境技術を搭載した車は日本車であるのに 「世界基準」 だの 「欧州基準」 と謳ってしまうのは、自信のなさの表れだろうか。 世界に対してより、日本国内に対して 「世界基準」 の方が説得力があるからなのかもしれない。

  なにせ、未だに 「全米 No.1」 とかいうコピーに弱い日本人である。 環境問題に関しては日本の技術こそグローバル・スタンダード(世界標準)なのだと、もっと自信を持たなければ、いつまで経っても世界に対しては、説得力を持てないままではないだろうか。

2004 / 02 / 01 (日) ¦ 固定リンク

△ページのトップへ

Powerd by Bloq