過激思想

現実社会では常識的に考えても実現不可能ではあるが、昨今の海外情勢、とくに日本外交に思いを巡らせた場合、あまりの不甲斐なさに呆れるばかりであり、その腹立たしさも手伝ってついつい過激な思想になってしまう自分がいる。

反日感情をあらわにする中国や韓国に対し、なぜニコニコしながら擦り寄らなければならず、首脳会談をもちかけ、けんもほろろに断られ、あたかも日本がすべて悪いような言われ方をされてシュンとしていなければならないのか。

経済界も中国を意識し過ぎであり、ブラジルやベトナム、タイといった途上国に軸足を移し、中国の購買力などあてにしない経営戦略をとるべきで、反日感情が渦巻き暴動で襲ったり略奪したりする品性下劣な国民を相手にすることなどない。

日本人の笑顔など海外から見ると不気味なだけであり、何を考えているのか分からないと言われるだけなのだから中国に対しても笑顔など見せず、擦り寄らず、相手から何を言ってきても当面は無視して放置してみてはどうだろう。

諸外国にとっては北朝鮮より不気味な存在となり、放っておけない存在となり、中国から直接ではないにせよ、アメリカ経由での接触が試みられることになるに違いない。

別に何をする訳でもないが、何となく自衛隊を日本海側に展開し、原発周辺地域に集中配置してみたら中国や韓国が狂ったようにギャーギャー騒ぎ出すに決まっているが、何をしているのかという問い合わせも無視して一切の外交を断ってやれば面白くなる。

すわ一大事とアメリカから特使がすっ飛んできて事情の説明を求められるだろうが、のらりくらりと女子高生ばりの対応で、
「え~、べつにぃ~、わかんなぁい」
とか要領を得ないことでも言って相手にしない。

そうすれば世界各国が戦々恐々となって面白くなると思われる。

つい最近、韓国人である国連総長が公の場で痛烈な日本批判をするという禁じ手をやってのけたが、その国連ですら存在意義が失われつつある昨今において、いつまでも多額の費用を投じてまで常任理事国になりたがっている場合ではないだろう。

ちょうど良い機会でもあるので、国連からの離脱を検討すべきだ。

誰がどう考えても制裁が必要だったりする場合でも決まって中国とロシアが反対票を投じて拒否権行使し、国連の意見がまとまらないことが常態化している。

今回のシリアへの軍事介入は反対意見があって然るべきかもしれないが、核実験するわ人権無視するわとやりたい放題の北朝鮮への経済制裁ですらなかなか賛成しない。

朝鮮戦争では韓国をバックアップするアメリカを敵国として北朝鮮に加担し、ベトナム戦争も影で支えてきた中国とアメリカが同席して平和維持しようというのが無理な話しだ。

そもそも第二次大戦の戦勝国で作った国連に日本が仲間入りしようというのが無理な話しだと思うし、もっと根本的なことを言えば、常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の 5カ国は、すべて核保有国である。

核保有国が集まって何の話しをするのか。

国連の正式名称である国際連合安全保障理事会とは、核の脅威で相手を威嚇しつつギリギリのバランスで互いの安全を保証したいという理想論の上に成り立っているだけのガラス細工のような組織であって、そもそも世界平和を維持する思想など持っていないのではないだろうか。

それなのに日本は多額の国連分担金を負担しているのはどういうことなのか、日本の政治家ではなく常任理事国に問いただしたい。

その額は本当に大きく、アメリカに次ぐ 2番目という規模であり、常任理事国である中国の 2倍、ロシアの 6倍に当たる 26,229,500,000(約260億)円に達する。

なぜそこまでの分担を強いられなければならないか。

この際だから来年度予算から国連分担金を削除し、国連からの離脱を検討し、非核保有国だけで本当の世界平和を目指す組織を設立したらどうだろう。

そして、その組織は核を保有した瞬間に除名、他国との戦闘行為、内戦が始まった瞬間に除名と、単純かつ明確なルールを定めて運営にあたれば良い。

・・・。

などなど、好き勝手なことを思ってはみても、どれも現実味に乏しく実現など到底不可能なことばかりなのは分かっている。

しかし、それでも日本の弱腰外交に辟易していることに変わりはない。

海でキャンプでバーベキュー

数日前、いつも仕事中に聴いているラジオから興味深い話しが流れてきた。

DJを務めているのは、東京在住であるにも関わらず北海道で週に一度のレギュラー番組を持っている女性芸能人なのだが、その彼女が札幌近郊の海岸で見かけたのはテントを張ってバーベキューを楽しむ人々の姿で、その光景にとても驚いたというのである。

それは彼女の常識という訳ではなく、その世代、あるいは北海道以外の人に共通するのかもしれないが、海水浴、キャンプ、バーベキューは個々に独立したものであり、泊りがけで海水浴に行き、海岸にテントを張っておまけにバーベキューまで楽しむとは何たる贅沢で、何とも羨ましく、何と楽しそうなことかという話しの内容だった。

そう言えば関東や関西で海開きというニュースや、海水浴客で混みあったなどというニュースを見ても、海岸にテントが張られているのを見たことがなかったように思う。

北海道の場合、若い男女、親子連れ、親子三代、職場の仲間同士など、ありとあらゆるグループが海岸にテントを張って一泊の海水浴を楽しむのは当たり前の光景であって、珍しいどころかむしろ常識的なことだったりする。

楽しみ方は人それぞれだが、一般的には午後から市内のスーパーなどで食材や炭、酒などを調達し、海についたらまずはテントを張って中で水着に着替えてひと泳ぎし、夕食時には炭に火をおこしてバーベキュー、暗くなったら酒を飲みつつ大人買いした花火をバカスカ上げて盛り上がり、そのまま就寝して翌日は午前中から泳いだり、本当は密漁になるのでいけないのだが素潜りでウニを獲ったりして遊び、昼は湯を沸かしてレトルトカレーやカップ麺で適当に腹を満たし、午後からまた少し遊んで渋滞を避けるために早めに帰路につく。

シーズンともなると浜辺はテントだらけになり、早めに出発しなければ場所がなくなることもあるくらい北海道では海でのキャンプは一般的だ。

誰が決めたわけでもないが、そこには一定の秩序があり、酒に酔って夜の海に入る人も滅多におらず、酔っぱらい同士の喧嘩も少ないし、他のグループに乱入する行為もあまりない。

寝ている人の迷惑にならないよう、あまり遅い時間には花火を打ち上げる人もいないし、大音量で音楽を鳴らす人もいない。

もちろん多くの人が集まるので多少のイザコザはなくもないが、びっくりするくらいマナーが良く、それぞれが他人に干渉せずに自分たちなりに楽しんでいるという印象だ。

以前の雑感にも書いたかもしれないが、自分も若い頃は体力と天気が許す限り、毎週のように海で遊んでいた。

当時は安くて酔えるウイスキーが全盛で、炭で焼いた肉や野菜を肴に夜遅くまで飲んだものだ。

何度も水割りを作るのが面倒になったことと、何度もキャンプをしていた経験からあみだした方法がある。

食器用洗剤でよく洗い、中をきれいにしたクーラーボックスを 2つほど用意し、最初の買い出しでコンビニやスーパーで売られている氷を入れる。

それは袋ごと入れて保存するのではなく、開封して中の氷をバラバラと入れておく。

それから時間が経って酒を飲み始める頃には調度良い具合に氷が解け、水が 7割、氷が 3割くらいになっているので、そこに直接ウイスキーをドボドボとそそいでクーラボックスごと水割りにしてしまうのである。

そこからコップで直接すくえば何もしなくても水割りのできあがりで、誰の手をわずらわすことなく次から次へと飲み続けることができるという実に画期的なシステムではあるが、欠点はついつい飲み過ぎることだ。

ここで北海道の夏の海あるある。

用意した肉は完食するが、野菜は必ず余る。

酔ってパンツ一枚で走り回るヤツを 2-3人は見かける。

バカスカ打ち上げ花火のあと、最後の線香花火は物悲しい。

テントに入らず、酔いつぶれて砂浜で寝ているヤツがゴロゴロいる。

二日酔いで入る海の水は異様に冷たく感じる。

二日酔いで昼近くまで寝ていたテント内は尋常じゃない暑さで嘔吐感が倍増する。

なぜか昼飯を食べると元気が復活する。

帰り道、運転手以外は全員寝る。

運悪く運転手になったヤツは地獄。

帰宅後、ありえない場所から砂がでてくる。

・・・といったところか。

北海道の夏は短い。

今年も砂浜では様々な人がそれぞれに楽しんだことだろう。

自分解体新書 - 16 -

自分解体新書 ~目次~

■ 腰 その2

疲れるのは歳のせいか。

高齢のかたが腰が痛いだのダルいだのと言うのを聞いて、それは力仕事や農作業が原因なのだろうと思ったりしていたが、加齢とともに足腰への負荷が気になるようになってきた。

今でも可能な限り毎朝の散歩は実施しているし、それ以外の運動、週に一度か二度の柔軟体操も続けているが、最近になって腰のダルさや鈍痛が気になるようになってきている。

脊髄系ではなく、あきらかに腰にある左右の筋が張っていたり痛かったりするので一般的に言われる腰痛とは異なるのかもしれないが、パソコンの前で同じ姿勢のまま長く座っていたり、テレビを見ながらゴロゴロしていた後に立ち上がろうとすると若干の鈍痛を感じてしまう。

祖父母はおろか、父親や母親までも立ち上がるときに
「よいしょ」
とか
「どっこいしょ」
などと言うのを耳にして、どうして黙って立てないのか不思議でならなかったが、今になって理解できるようになったと言うか、ある日ある時、自分も立ち上がるときに
「どっこいしょ」
と声に出していることに気づいて愕然としたものだ。

次なる不安は老化によって腰が曲がってしまうのではないかということだが、こちらに関しては筋力よりも骨の問題で、骨粗しょう症の進行で脊椎が圧迫骨折を繰り返すことによる湾曲らしい。

そうならないためにも魚などをたくさん食べてカルシウムの摂取に努めなければと心に誓ったりしているところだ。

■ 足裏

ずっと痛みが続いている。

そろそろ一年が経過しようとしているが、太ももから足の裏に移った痛みは今でも続いている。

昨年の11月には医者にも診てもらったが、痛みは一向に治まらない。

その時の診断は負荷による筋肉疲労とのことだったが、いくらサポーターをしていようと運動をひかえようと改善の兆候がみられないので、きっと筋肉のトラブルではなく神経系のものではないかと自己診断したりしている。

そのうちに別の病院で診てもらおうとは思っているものの、我慢できないような激痛でもなく、普段の生活、歩行に大きな支障はないのでズルズルと先送りしているのが現状だ。

今月末の通院で医師に相談してみようとは思っているが、内科が専門なので整形外科に行くように言われるのがオチなのだろう。

■ 腕

圧倒的に筋力がおちた。

元々そんなに腕力があるほうではないし、普段の生活ではタブレット端末より重いものを持ったことがないので筋力が落ちて当然かもしれない。

しかし、ここ数年の筋力低下には自分でも情けなくなってしまうほどだ。

今は心臓への負担を軽減させるため、あえて 15-6回しかしていない腕立て伏せも、もし心臓を気にしないでやったとしても 30回もできないのではないだろうか。

子供の頃は河原で石を投げたりして遊んだが、今は遠投などしようとした瞬間に腕から巨人の星の飛雄馬ばりの破滅の音がして二度と使い物にならなくなってしまうのではないかと思われる。

それほど心臓に負担がかからず、効率的に筋力アップを図ることができ、相撲の練習法でもある鉄砲でもすれば良いのかもしれない。

しかし、家に太い柱を立てる訳に行かず、ドスドスする場所が困りものだ。

■ 耳 その2

耳毛が生えるようになった。

ずっと気づいていなかったのだが、少し前に 『お買い物日記』 担当者から指摘され、自分にもビロ~ンと長い耳毛が生えていることを自覚したのである。

本数も少なく、毛も極細なので他人に知られたり不快感をあたえることはなかったと思うが、このまま本数が増えて毛が太くなり、数年前に勝手に文章を追加したの何だのと歌手である森進一氏と激しいバトルを繰り広げ、『おふくろさん問題』として世に知られることになった故川内康範(かわうちこうはん)氏のような耳毛になったらどうしようかと不安を覚えないでもない。

できるだけ放置しないで伸びてきたら抜くなり切るなりしたいところだが、耳の穴はどんなに首をひねろうと眼球を限界まで横に動かそうと自分で見ることはできないのが問題である。

これは定期的に 『お買い物日記』 担当者に確認してもらうしかなさそうだ。

・・・。

ここまで書いてきた腰の痛み、足裏の痛み、腕の筋力、耳毛のすべてが加齢、老化であることは誰の目にも明らかで、こんなことを発表している場合ではないような気もしないではないが、これは確実に衰えていく我が身の記録でもあったりするので今後も解体を続けていこうと思ったりしているところである。

記憶 Memory-16

過去の記憶

夏休みもまだ中盤で、子どもたちは真っ黒になって遊んでいると思いたいところだが、今どきの子供は外で遊ぶことも少ないので日焼けなどしていないかもしれない。

それでも最後の最後になって泣きながら宿題に取り組むのは今も昔も変わらないだろうから、まだまだ余裕で休みを謳歌しているだろう。

昔と違って今は簡単に渡航できるので海外で過ごす家族も多いだろうし、円安の影響から国内旅行を楽しんだり帰省する人も多いに違いない。

自分が小学生の頃は父方の祖父母も健在で、休みのたびに遊びに行っていた。

父親は 7人兄弟で、その末っ子はまだ高校生だったので祖父母の家で暮らしており、自分にとっては叔父にあたるその末っ子と遊ぶのが楽しみだったし、父親にとっては実家でのんびりできるので楽しみにしていたが、母親は色々と気を使うこともあって渋々ながらの帰省だったようだ。

できるだけ長く祖父母宅にいたい父親と自分、一刻も早く帰りたい母親だったが、両親共稼ぎだったので休める期間は限られており、長くても 2-3泊するのが慣例だったように思う。

最初は親と一緒に帰っていた自分だったが、家に戻ってもきょうだいがいる訳ではなく、友だちこそ多かったものの昼は一人で食事をしなければならないし、ちょっと家の中を散らかしたり外で遊んで泥だらけで帰宅するとガミガミと叱られたりする生活だったので祖父母宅にいるほうがずっと楽しかった。

まだ高校生の叔父は色んな遊びを教えてくれるし、野山を駆けまわってどんなに泥だらけになろうが、裏を流れる小川で水浸しになって遊ぼうが祖父母に叱られることもなかったので、子どもにとっては天国のような生活だったのである。

たぶん小学校の 3年生くらいだったと思うが、それまで文句も言わず両親と一緒に帰っていたのに祖父母宅を出る直前になって
「帰りたくない」
と言ったものだから母親は腰を抜かさんばかりに驚き、
「ななな、な、何を言ってるのっ!一緒に帰らなきゃダメでしょっ!」
と怒りで目を三角に吊り上げつつも、祖父母の手前、極めて冷静なふりをして必死に説得を試みたが、自分はまだ叔父と遊びたかったし、何をしても叱られない家で過ごしたかったのに加え、初孫である自分と一緒にいたい祖父母も
「そうだよね~まだ帰りたくないよね~」
などと参戦し、言い争いは泥沼の様相を呈する。

翌日から仕事の父と母はどうしても帰らなければならず、このまま押し問答をくり返しても仕方ないので、帰りたくなったら父親が迎えに来るという条件で合意に達し、一人で祖父母宅に残ることになった。

2-3日もすればホームシックになり、帰りたいと言い出すだろうと母親は高をくくっていたらしいが、待てど暮らせど我が子は自分のもとに戻らず、とうとう夏休みの最終日まで離れ離れの生活をすることになったのである。

それに味をしめた自分は行動が大胆になり、次の冬休みは年末年始の帰省を待たず、電車に揺られて 3-4時間の距離にある祖父母の住む街に一人で行くようになった。

御用納めが終わって両親が来ると、祖父母と一緒になって
「いらっしゃい」
などと言って母親から鬼のような形相で睨まれたりしながらも、すでにすっかり打ち解けた叔父とか祖父の後ろに逃げて影からべ~っと舌など出していたりしていたものだ。

大晦日、正月と実家で暮らし、親の休みが終わりになっても自分は一緒に帰らず、家の前に祖父母と並び、
「またね~」
などと父親の運転する車に手を振って見送った。

そして冬休みの終わりになると電車に揺られて親のもとに帰る。

次の夏休み、また冬休み、そしてまた次の夏休みも同様に、初めから終わりまで祖父母宅で過ごすという生活は小学校を卒業するまで続けた。

最初こそ祖父母と過ごすことを快く思っていなかった母親も、休み中の面倒は見てもらえて食事の心配もしなくてよく、気兼ねなく勤めに出られることを喜んでいたのではないだろうか。

祖父母は孫と一緒に過ごせて嬉しく、自分は小うるさい母親から解放されて伸び伸びと遊んでいられるのだから、それですべてが丸く収まっていたのである。

昆虫大戦争

それは 8月 1日の散歩での出来事。

夏休みで小学生の姿はなく寂しい朝。

静かに時は流れ、遠くから聞こえる鳥の声。

そんな朝の静けさを壊す出来事が我が身に降りかかる。

田舎町では珍しくないことだが、一匹の虫が視界の中をうろついていた。

単に通りすがりの虫だろうと気にもとめていなかったのだが、妙にしつこくまとわりつき、一向にその場を去る気配がない。

何度も手で追い払っているのに逃げないどころか、その動きは少しずつ激しくなり、顔のすぐ近くを飛ぶようになって大きな羽音まで聞こえるようになった。

その黒くブンブンと大きな羽音をたてる虫の正体ハチだ。

それほど大きなハチではないものの、黒くてシャープな体つきは攻撃性の高さを暗示している。

やっといなくなったと思ったら今度は 『お買い物日記』 担当者の周りを飛び始めたので帽子を使って追い払ったが、逃げるどころかさらに接近して目の前を横切ったりとなかなかの根性だ。

しばらくして姿が見えなくなったので、その場を立ち去ろうと一歩、二歩進んだ所で再び目の前に現れた。

たかが一匹のハチくらいなら思い切って叩き落とそうかとも考えはしたが、もしそれが特攻隊長で、仲間を呼び寄せ大群に襲われたらたまったものではない。

ここは穏便に済まそうと、なるべく刺激しないようにゆっくりと手を動かして追い払うものの、そのしつこさは一筋縄ではいかず、『お買い物日記』 担当者と二人、道路にしゃがみ込んで身を低くしたり、その場でくるくる回ったりしていたので横を通る車に乗った人は何事かと思ったことだろう。

その恐怖の時間はとても長く、5分にも 10分にも感じてしまったが、もしかすると 2-3分のことだったかも知れない。

やっとの思いでハチの威嚇攻撃から逃れ、妙な倦怠感や疲労感を覚えながら帰路を進んだ。

帰宅して散歩着から部屋着に着替え、手洗い、うがいを済ませ、いつもと変わらず朝食の準備をしていると、『お買い物日記』 担当者が室内を飛ぶ黒い影を目撃した。

何とそれは今朝のハチではないか。

黒っぽいポロシャツ、黒いジャージ姿で散歩していたので気づかなかったが、どうやら体にとまったハチを家まで連れて帰ってきてしまったらしい。

それにしても襲撃された地点から家までは徒歩 10分くらいの距離があり、途中で立ち止まったり早歩きしたりしたのにハチはじっと張り付いていたのは驚きだ。

いったいどうしてハチに目をつけられ、何の理由で家までついてきたのか。

とりあえず、こちらとしては同居する気などさらさらないので、さっさと退室願いたいものではあるが、相手がハチゆえに説得する訳にもいかず、ここは強硬手段をもってしてでも追い出すしかなさそうである。

殺虫剤を使うことも考えたが、まだ朝食の準備中であり、食器や食材が出されている状態だったため、少なからず毒性を含むものを噴霧するのははばかられる。

こちらとしては出て行ってくれれば良いのであって、殺傷するまでの恨みもない。

それならば捕獲してやろうと帽子をつかってみたが、そんなに簡単に捕まえられるものでもなく、右へ左へと追いかけ回したが体力を消耗するばかりだ。

しばらくして窓際まで追い込み、レースのカーテンでハチをくるむことに成功した。

さて、ここからが問題で、カーテンをぐるぐると巻き、雑巾をしぼるようにして圧死させることも可能だが、先にも述べたように殺生する気はないのでティッシュに包んで外に逃がしてやりたい。

『お買い物日記』 担当者が用意したティッシュを右手に持ち、左手で少しずつレースのカーテンを広げたその瞬間、左手親指に鋭い痛みが走った。

身の危険を感じたハチが最終手段の攻撃に転じたのである。

血管注射をしたような感覚に加え、同時に毒を注入されたものだから単なる刺し傷とは比較にならないほどの痛みに襲われ、思わずカーテンから手を離してしまったが、それが結果オーライで窓ガラスとカーテンの間にハチを追いやることができた。

カーテンの上から窓を開け、しばらく様子を見ているとハチは外へと出て行き、長い長い戦いに終止符が打たれる結果となったのだ。

しかし、終戦処理はこれからで、刺された指を応急手当てしなければならない。

ネットでハチ刺されを検索してくれた『お買い物日記』 担当者が次々に情報をくれる。
「冷水で洗うといいらしいよ」
「・・・もう洗ったよ」
「刺されたところをつまんで毒を出すといいらしいよ」
「・・・もうやったし、口でも吸い出したよ」
目をパチクリさながら 『お買い物日記』 担当者は
「どうして知ってるの?」
と不思議がっていたが、それは昔取った杵柄であり、子どもの頃、だてに野原を駆けまわっていた訳でなく、それなりの対処法、サバイバル術は年上の友達や父親から伝授されている。

最近の子どもや、その親であれば泣きわめいたりオロオロするばかりで病院に駆け込むのがオチであろうが、野生児のように育ち、ハチに刺された経験が二度や三度のことではない自分にとっては慌てるような事態ではない。

応急処置は終えたものの、もし毒性が強く指が腫れ上がっては仕事に支障がでるので、何か効く薬はないものかと物色してみたが、我が家に常備しているものでは効果がないようだし、唯一効能を謳っていたものは大阪時代に購入したものでとっくに使用期限切れとなっていた。

『お買い物日記』 担当者は心配してくれていたが、たかがハチに刺されたくらい放っておいても治るのだろうと何もせずにいたところ、ズキンズキンと指先で鼓動を感じるような痛みは夜まで続いたのであった。