au顛末記 – 1パケット目

それは 『お買い物日記』 担当者の不安げな声から始まった。

スマホの料金プランを間違って設定してしまったのではないかと言うのである。

我家の場合、Wi-Fi(ワイファイ)と言う無線ネットワークで通信が可能なため、家の中では携帯電話会社の電波を利用する必要がない。

そして、外出の際も電話さえできれば良いのであって、買い物などで近所をウロウロする程度であればネット接続できなくても大きな問題はない。

最近はセブンイレブン、ローソンなどが Wi-Fi接続のサービスをしており、店の近くに行けばメールの送受信も Webページの閲覧も可能だ。

帰省の際など、二人揃って遠出をする場合は Wi-Fi端末を持って行けば、その端末の通信費用だけで二人のスマホとノートパソコンもネット接続することができる。

つまり、一人分にも満たない通信費用で複数の機器が使えるし、携帯せずに家の中に設置している場合は端末を光回線に有線接続しているので電波を使用せず、費用は一切かからない。

したがって、『お買い物日記』 担当者が通院で札幌に行く月だけ必要に応じて auの料金プランを変更すれば良く、それ以外はパケット通信のサービスそのものを必要としないのである。

昨年の 11月までは月々1,000円分の無料通話ができるという理由で一応はネット接続も可能なプランを選んでいたが、外出することが少ないのでスマホで電話することなどないし、自分と 『お買い物日記』 担当者の通話は家族間で無料なので、その 1,000円すら減ることがなく、繰越で常に上限の 5,000円分まで使える状態になっていた。

それならば無料通話など必要ないし、ネット接続のパケット通信も必要はない。

そうなれば、そもそもスマホを持つ必要があるのかという根本的な疑問が生じないでもないが、そこはやはりイザという時のために所有している必要はあるのではないかということになり、であるならば最低限のプランで維持しようという結論に至った。

auのショップに行って使用環境を説明し、それならばということで月々 780円という最低のプランに変更すると伝え、手続きをしてもらった。

それから約 4カ月、何も気にすることなく使い続けていた所で冒頭の 『お買い物日記』 担当者の不安げな発言である。

調べてみると、プランを変更となった 12月分の料金から請求額が 6000円以上に跳ね上がり、それがずっと継続しているので不安になって自分の設定も調べてみると、なんと同じように 12月分から請求額が 6000円を超えていた。

どうなっているのかとネットで契約状況を調べてみると、なんと最大限にパケット通信を利用する最高額のプランに変更されているではないか。

これは 『お買い物日記』 担当者がスマホからの操作で誤ったプランを選択してしまったのではなく、auショップが間違た手続きをしたものと思われる。

最低金額を目論んだのに最高金額を支払わされたのでは意味がない。

auショップでは手続内容を確認して最後にサインをすることになっているので、きっと間違ったプランになっているのに気づかず二人で署名してしまったものと思われ、それに今さら腹を立てても仕方ないが、苦情の一つも言ってやらなければ気が済まないと、翌日になって店に行った。

11月に受け付けてくれた人とは違う人だったが、とにかく事情を話すと、こちらの手違いでプランを間違うことはない、きちんと内容を説明したはずだの一点張りで取り付く島もない。

しかし、我が家としては最低のプランを希望して相談し、最低金額で済むようにプラン変更するのが目的で店を訪れたのに、わざわざ最高金額に変更するはずがないではないか。

店員が丁寧に誠意を持って対応してくれるなり、申し訳ないの一言でもあれば渋々ながら引き下がるつもりでいたのに、こちらに間違いはない、最終確認のサインももらっていると冷たくあしらわれたことに腹が立ち、ついつい強い口調になり、語気を荒げて
「もういいから、さっさと最低のプランにせぇ!」
と言ってしまったのだが、店員は
「こちらは携帯電話のみ対応可能なプランで、スマートフォンではご利用になれません」
と、これまた初めて耳にする説明を始め、だから前回も話しが噛み合わず、間違ったプランを選択したのではないかと言わんばかりの態度だ。

とってもムカムカしたが、店内で大暴れするには歳を取り過ぎてしまったので、腸が煮えくり返りながらも憮然とした態度で店を出た。

・・・ au顛末記 – 2パケット目 に続く

巣立ちの時

北海道に帰ってきた時にはまだ中学生だったとなりの店マユちゃんも巣立ちの時を迎えた。

英語か習字を一緒に習っていた縁なのか分からないが、どういう訳だか下級生の女の子が毎朝迎えに来て一緒に通学するという中学生活で、毎朝の散歩の途中で顔を合わせるとニコニコとまぶしい笑顔で挨拶してくれたマユちゃん。

裏の自家菜園でできた採れたて野菜を持ってきてくれたり、ドライブがてらに狩ってきたイチゴ、店のお客さんからいただいた野菜などのお裾分けをニコニコ笑顔で持ってきてくれたマユちゃん。

高校生になってもグレることなく明るいままで、こちらが気づかなくても姿を見かけると大きな声で挨拶してくれたし、通学のため駅に向かう自転車で、元気に挨拶しながら散歩中の自分たちを追い越して行ったマユちゃん。

生まれた直後に両親が離婚したため父親の顔を見ずに生きてきたが、母親である妹ちゃん、伯父であるお兄ちゃん、祖父母であるお父さんとお母さんの愛を一身に受けて明るく元気に真っ直ぐ育ったマユちゃん。

そんな彼女がとうとう巣立って行く。

専門学校生となるのでまだまだ親掛かりではあるものの、生まれ育った家を出ての一人暮らし、自炊生活がいよいよ始まる。

就職活動、大学入学試験などがあるので年が明けた 1月から 3年生には学校の授業がなく、すでに美容学校への入学が決定していたマユちゃんにとっては事実上の休みに等しい。

その 1月はずっとマユちゃんの姿が見えず、とても心配しており 2月になって帰ってきたときは心底安心したものだが、その不在だった理由を妹ちゃんから聞いてきたお買い物日記』 担当者によると、校則が厳しく在学中は自動車の運転免許を取得することができなかったので、時間が自由になる短い期間に取ってしまおうと合宿免許に参加していたのだそうだ。

隣の誰かが夜な夜な外出し、主に妹ちゃんが乗っている車がいつもなくなっている日が続き、親戚かなにか体調の悪い人を看病に行っているのだろうかと 『お買い物日記』 担当者と話していたが、それも免許を取得したマユちゃんが運転の練習のために、毎晩妹ちゃんと車で出かけているのだということが同時に判明し、色々と心配したり疑問だったことがいっぺんに片付いた。

余計な心配を勝手にしていただけなので隣の一家には何の関係もないのだが、まるで我が子のことのように隣に住むオッチャンとオバチャンは気を揉んでいたのである。

ずっと笑顔で接してくれたマユちゃんが高校を卒業して家を出て、違う土地で一人暮らしを始める節目ということで、親戚でも縁戚でもないのは重々承知の上だが何かしてあげたいと思い、卒業祝いのプレゼントを購入した。

そして卒業式の日を迎えてもどうやって何のタイミングで渡すのかは決めておらず、2週間ほど部屋の中に置きっぱなしにしていたが、翌週の火曜日、買い物に出かけるついでにマユちゃんに直接手渡すことができた。

店のお客さんからも色々と戴き物を受け取ることが多いので、そういう時は妙な遠慮をすることなく満面の笑みで気持ち良く受け取ってくれる。

しかし、何の変哲もないコンビニのレジ袋に包装することなく無造作に入れたお菓子の下にはちょっとだけ高価なプレゼントを潜ませておいた。

高価と言っても高校の卒業祝いとして無難な線で、決して常識はずれな金額のものではなく、送り主が赤の他人でなければ妥当なところだと思われる。

が、やはり赤の他人からだと気兼ねするらしく、買い物から帰ってくると妹ちゃんとマユちゃんが二人揃い、あらためてお礼を言いに来てくれた。

しかし、本当に遠慮せず、気兼ねなく受け取ってプレゼントしたものを使ってほしい。

マユちゃんには金額なんかでは換算できないほど楽しい気分、幸せな気分にしてもらったし、祖父母や親と同じ道を歩むと決断してくれたことに他人事ながら本当に感謝している。

隣のオッチャンとオバチャンは、いつかマユちゃんが店を継いでくれたなら、一番最初のお客さんになろうと思ったりしているのである。

マユちゃんの巣立ちの時、それは明日・・・。

目が覚める頃には家を出てしまっているかもしれない。

大きく大きく羽ばたいてほしいと心から願っている。

言葉の変遷 3

言葉の変遷 ~目次~

時代とともに使われる言葉は変わっていくものだが、とくにカタカナ読みの陳腐化は激しく、一昔前の読みで話そうものなら若者から失笑されること請け合いであり、どんなに若いふりをしていても一瞬にしてジェネレーションギャップを肌で感じてしまうのは間違いないことだろう。

今でも社名や看板に残っているのはヂーゼル、ビルヂングで、これは今となっては誰も発音しなければ表記することもなくなってしまい、すべてディーゼル、ビルディングに置き換わっている。

昔、アメ車の Mustangはムスタングと読んだものだが、今はマスタングが常識となった。

少し前にテレビなどで良く言われたのは、今はディスコと言わずにクラブと言うということだったが、2000年代初期のユーロブームに乗せたパラパラという日本発祥の踊りが大流行したのを最後に飲んで踊るクラブも、枝分かれして大人の社交場となったディスコも衰退し、今となっては店そのものが存在しないものと思われる。

男女が一緒にいるのはカップルであって、アベックとは言わなくなった。

グッドデザイン賞 (Good Design Award) を代表とする、何らかの賞を与えるイベントに冠する Award は、デザインアワード、クリエイティブアワードなど、アワードと読まれることが多かったが、最近になってアウォードと発音することが多くなってきたようだ。

メインはメーンと表記されることが多くなってきており、バリバリ昭和生まれの自分としては、森田芳光が監督し、薬師丸ひろ子が主演した 『メインテーマ』 が 『メーンテーマ』 では間が抜けているような気がするし、『宇宙戦艦ヤマト』 で沖田艦長が
「メーンエンジン点火」
などと言ったら力が抜けてしまいそうな気がしてしまう。

仕事をしている人はサラリーマンからビジネスマンへと変わり、働いているのは男だけではなかろうということで最近はビジネスパーソンと呼ばれるようになった。

昔はサラリーマンに対して女性社員は OL(Office Lady(オフィス・レディ)) と使い分けられていたが、男女雇用機会均等法、差別、格差の撤廃によって男女問わず使える総称が必要になったのだろう。

その OLも昭和初期まで BG(Business Girl(ビジネス・ガール)) と言われていたらしいが、さすがにそれを耳にしたことはないので、前述したヂーゼル、ビルヂングと同時期なのだろうか。

読みが複数あるものの代表例は、吸うと鼻やノドがスースーするメンソールで、タバコの商品名では 100%近くメンソールと表記されているが、もう一つのメントールという呼び名もガムやキャンディー、アロマオイルなどで広く使用されている。

いつまで経ってもどちらかに統一されることがなく、どちらを使っても失笑されたりバカにされたりしない不思議な呼び名だ。

最近になって変化を遂げているのが Artistで、アーティストと言われるのが今でも体勢を占めているが、一部ではアーチストと発音、表記されるようになってきている。

一般的な感覚としてはアーチストが古い表記で、小さな 『ィ』 が入るアーティストが新しいと受け止められるだろうが、逆のパターンもあるのだと実感したりしたところだ。

確かに、日本人には何でもかんでも小さな 『ィ』 を入れたがる傾向があるようで、髪を固めるジェル剤をデップと発音すると失笑されることが多い。

しかし、デップ(Dep)はデップであって、決してディップではない。

デスクトップ(Desktop)パソコンがディスクトップではなく、デパート(Depart)をディパートなどと言わないのと一緒である。

そして、日本人はろくに知りもしないくせにカタカナを使いたがる傾向にあり、平気な顔をして堂々と間違っていることも多い。

最近特に多いのはフィーチャーをフューチャーと言う間違いだ。

音楽でよく使われるのだが、曲のタイトルなどに付けられている A featuring B は、フィーチャリングであってフューチャリングではない。

Aさんの曲に Bさんがフィーチャーリング(featuring(客演))するという意味で、それはフィーチャー(feature(呼び物、聞き物))であって、フューチャー(future(未来))することなど文法的にもあり得ないのである。

オッサンが若い二人を見てアベックと言うのを笑う前に、知ったかぶりをして妙なカタカナを使うのをやめていただきたいものだ。

自分解体新書 - 15 -

自分解体新書 ~目次~

■ 爪

昨年末、左手親指の爪の端が縦に割れ、そこが何かに引っかかり、今度は横にヒビが入った。

それが広がって爪が剥がれては一大事と、ネットで調べた瞬間接着剤とティッシュペーパーによるネイル強化などを試してみるも効果を得られず、仕方がないので絆創膏を巻いていた。

絆創膏は指先に巻くのには大きすぎるので粘着部分だけ切って使っていたが、それではあまりにも無駄だ。

そこで、包帯を留めておいたりガーゼを腕などに貼り付けておくサージカルテープを使ってみたのだが、これがなかなか具合がよろしい。

爪がギザギザになっている部分はテープが破れやすいので、最初に小さくカットしたテープを貼ってから長くカットしたテープを指に巻く。

最初はシワシワになったりしていたが、3カ月が経過した今となっては自分でも惚れ惚れするほど綺麗な仕上がり状態に巻くことができる。

これ専門の商売があればプロ級の腕前なのに、世の中にそんな商売がないのが実に惜しい。

横割れは爪の先から 5-6ミリの所にできていたが、爪の伸びとともに先に移動し、もう少しで切ってしまえそうな位置まで来ている。

明日の爪切りでひび割れがなくなり、サージカルテープ生活が終わることを期待しているのだが実際にはどうなることだろう。

■ 土踏まず

2月 6日の独り言にも書いたように、昨年の 9月くらいから痛くなった土踏まずの痛みが少しずつではあるものの緩和されてきている。

しかし、そのペースは実に遅く、2月時点で 8程度だった痛みが 7になった訳ではなく、まだ 7.5とかいう感覚だ。

土踏まずというくらいなので地面に接触することのない部分だが、何かの拍子に痛みが走る。

早く治ってほしいと切に願ってはいるが、焦っても仕方がないので、これからもじっくり付きあおうと思っているところだ。

■ 胸

男だって胸がたれる。

とくに女性は胸がたれただのバストトップの位置が下がっただのと気にし、それを矯正したり一時的にごまかしたりする下着も山のように売られているが、男だって下がるものは下がる。

入浴前に鏡の前に立つと、あるべきものがあるべきところになく、視線を下に動かしてやっとそれを確認できるという状態だ。

若いころ、まだプロレスラーのジャイアント馬場が健在で、寄る年波に負けることなくリングに上がり、老体にムチ打って息子のようなレスラー相手にノソノソと戦ったりしていた。

それをテレビで見て、
「どうしてジャイアント馬場の乳首はあんなに下にあるのだろう」
と、とても不思議に思っていた。

ところがである、あそこまで下がってはいないものの、若いころにあったはずの場所から明らかに乳首は落下し、もうすぐ馬場状態という段階に入ってきている。

女性と違って男の場合は矯正したりごまかしたりする下着がないし、あったところでそんなものを身につけて薄着をする勇気など持ち合わせていない。

ここは自然の摂理に従い、なされるがまま逆らわずに放っておくしかなさそうだ。

言葉の変遷 2

言葉の変遷 ~目次~

テレビで妙な言葉遣いが広まっていることを伝えていた。

会社で上司なり先輩なりに
「これコピーして」
などと言われると、
「ありがとうございます」
と返事をするのだそうだ。

教科書どおりの返しであれば
「かしこまりました」
と言うのが正しいのだろうが、確かにこれでは硬すぎるような気がしないでもないし、『かしこまりました』 などと、それこそかしこまった言い方をするのも妙にこっ恥ずかしいものと思われる。

しかし、『ありがとうございます』 はあまりにも的はずれな返事だ。

なぜ頼まれごとをされて礼を言わねばならないのか。

私だって忙しいのに雑用なんか頼んでくれて 『ありがとうございます』、他にも新人がいるのに私めなんぞを選んでいただいて 『ありがとうございます』 という嫌味だと受け取られかねない危険性を微妙にはらんでいるような気がするのは自分の性格がひどく歪んでいるからかもしれないが。

そこは素直に
「はい」
と返事すれば良いだろうし、良いお返事をするのが照れるのであれば、
「何枚コピーしましょうか」
とか言って場を繋げば良いだろう。

最近、特に気になっているのは
「~じゃないですか」
「~じゃないですけど」
というやつだ。

言葉を重んじるはずの民放はおろか NHKのアナウンサーまで使い始めており、それが耳障りで仕方がない。

前者は
「明日はひな祭りじゃないですか」
などと使うのだが、普通に
「明日はひな祭りですね」
と言えば済む話であるし、
「明日はひな祭りですけど、家で何かされますか?」
と続ければ良いだけのことである。

それをわざわざ
「明日はひな祭りじゃないですか」
と相手にふっておいて
「はい」
とか
「そうですね」
と返事をさせた上で
「家で何かされますか?」
と会話を続けることが実に多い。

中には
「私ってぇ、家事とかできないじゃないですかぁ」
とか言うアホもいたりするので、テレビ画面に向かって大声で
「そんなこと聞かれても知らんっ!!」
と言ってやりたくなる衝動を抑え切れない。

後者は本当であれば肯定すべきところを否定的に言うパターンで、
「後悔先に立たずじゃないですけどぉ」
「あの時あーすれば良かったとか思ってるんですよぉ」
と、否定したくせに後に続くのは前文を肯定する文言だ。

なぜ素直に
「後悔先に立たずで、あの時は・・・」
とか
「後悔先に立たずと言いますけど、私も以前に・・・」
と話せないのか。

これらは芸能人が使っていたものが若い人に広まったものだが、いつまでも若いふりをしたいオッサンやオバチャンにまで感染しつつあるのが恐ろしい。

今までも、私って、俺ってまだまだ若いでしょと痛々しさ丸出しの中年が若者に迎合して妙な言葉や文化が根付いてしまったことは多い。

きっと、この
「~じゃないですか」
「~じゃないですけど」
という訳の分からない日本語も定着し、肯定文なのか否定文なのかの判断を困難極まりないものにし、日本語習得を目指す海外の人の脳を混乱させることだろう。