自分解体新書 - 7 -

自分解体新書 ~目次~

■ 歯

以前はろくにメンテナンスにも行かなかったのでボロボロであったことは過去の歯医者に関する雑感で述べたとおりだ。

大阪では半年に一度の割合で検査してもらい、ついでに歯石を取り除いて汚れの除去もしてもらっていたが、『お買い物日記』 担当者の病気以降は歯医者に通うタイミングにズレが生じてしまい、今年の 6月は検査を受けずじまいになっている。

また、加齢と共に歯そのものと歯茎が弱り始め、定期的どころか頻繁に歯医者に通う必要があって余計に検査目的だけで行く機会を失ってしまった。

もう9月も終わりに近づいていることであるし、年末に検査を受けに行くことにしようと思う。

■ 鼻毛2

『お買い物日記』 担当者に言われて初めて気がついたのだが、どうやらヒゲだけではなく鼻毛も人より薄いらしい。

ある日のこと、あまり鼻毛を切りすぎてはいけないと注意された。

『お買い物日記』 担当者が大病をして化学療法を受けていた時、薬の副作用で全身のありとあらゆる毛が抜け落ちた。

鼻毛も抜けてツルツル状態になった時、障害がなくなった鼻水は迷うことなく一気に移動し、すする間もなく次から次へと流れでてきて困ったのだそうだ。

が、しかし、言われるほど鼻毛の処理はしていない。

人に不快感を与えない程度、鼻の穴からチョロリとでも見えそうになったものは切るようにしているが、必要以上には手を入れていないはずだ。

そう言われて鏡の前に立ち、思いっ切り鼻の穴をおっぴろげて中を見てみると、太くて立派な鼻毛は数本しかなく、地肌と鼻の奥が丸見え状態になっている。

どうやら圧倒的に本数が不足しているらしいことが、この歳になって判明した。

■ 頬(ほほ)

すでのオッサンであるから仕方のないことであるが、頬には見事なほうれい線が刻まれている。

しかし、これがいつ出現したのか定かではない。

もう何年も前からあるのは自覚しているが、いつごろから出始めて、いつごろから深い谷を形成し始めたのかということに関してはまったく無自覚だ。

仕事で疲れたある日、ふと鏡を見て自覚したときには顔面にカタカナの 『ハ』 の字がくっきりと浮かび上がり、二度と消えることなく居座り続けていたりするのである。

記憶の欠落

すっかり記憶力が衰えて芸能人の名前を覚えられないどころか二日前に食べたものさえ思い出せないような有様であるが、それは加齢にともなう衰えであるので世間的にも自分自身も仕方のないことだと認識したり諦めたりできることだ。

そんな欠陥が出始めた脳でも昔のことは良く覚えているものだという一説があるが、自分の場合の記憶はまだら模様であり、時期的に欠落している部分が多いのは、記憶をつかさどる脳の機能に問題があるのではなく、最初から情報を得ておらず、忘れてしまって記憶していないのではなく、元々インプットされていないという事柄が多々ある。

具体的には流行歌、その時代に流行っていた曲はところどころ抜けている。

最初に記憶がないのは中学生後半から高校くらいまでの流行歌で、不良仲間と遊ぶのに忙しく、テレビを見る時間などなかったのが原因でろうが、その頃に広く世の中に浸透していた時代を反映する歌を知らない。

次には 18歳から 21歳の 3年間ほど。

パチンコ、マージャンに忙しく、いわゆる J-POPなどさっぱり分からない。

パチンコ屋の BGMは懐メロ、入り浸っていた喫茶店の BGMは洋楽、いつも行く居酒屋の BGMは演歌、家には寝に帰るだけなのでテレビも見ない。

その後、コンピュータ業界に入ってからは帰宅時間が遅く、家のテレビもゲーム機と化していたので歌番組など見ることもなく、数年間は時代と共に流れた歌を記憶していない。

その次は 1992年からの数年間。

お買い物日記』 担当者の母親、父親、自分の父親が次々に入退院、闘病の末の他界ということが続いた上に自分の母親の入院、大阪への転勤、阪神淡路大震災、努めていた会社の倒産と怒涛の日々が続き、息つく暇もなく 5年が過ぎてしまったので、流行っていた歌などさっぱり分からない。

それから数年間も何かと気ぜわしく大阪で暮らしていたが、仕事先の事務所で FMラジオを聴くようになったので音楽と接する毎日を過ごしていたから思い出と共に音楽がある。

そして、北海道に帰ることに決めた 2008年、アメリカで暮らしていた 『お買い物日記』 担当者の兄の末期的病状の発覚、急遽の引越し、兄の他界と続いたかと思えば、今度は 『お買い物日記』 担当者自身の闘病生活。

それが落ち着くまでの 1年間、どんな曲が流行っていたのか覚えていない。

そんなこんなで流行歌に関しては断片的な記憶しかないのだが、今年に入ってからの情報量は実に膨大であり、邦楽から洋楽、K-POPに至るまで有料の衛星放送で聞きまくっている。

将来、過去のことを思い起こせば様々な曲を聞いたという事実だけは記憶しているに違いないと思われるが、問題は脳が老化しており、どれが誰の曲なのかさっぱり分からないことと、それが 2011年からのことであると覚えている自信がないことであったりするのである。

超常現象

最近になって不思議な光を見るようになった。

一カ月くらい前のことになるが、夜中に目が覚めてトイレに行き、中から出ると洗面所の床の一部がオレンジ色に乱反射している。

それは直径 30センチくらいの円形で、夕日に照らされオレンジ色の光を反射する川面のようにキラキラと、寝ぼけた目にはまぶしすぎるほど強い光を放っていた。

そんなところに水などあるはずもなく、きっと窓の外から光が射し込んでいるのだろうと思い、外を見てみようと一歩踏み出したとたんに忽然とオレンジの光は消えてしまった。

慌てて窓を見たがガラスの外は暗く、光があった様子も遠ざかっていく様子もない。

しばらくその場に立ち尽くし、今のは何だったのか考えてみたが答えなど得られるはずもなく、きっと寝ぼけていたのだろうと自分に言い聞かせて布団に入ったが、あの美しいオレンジ色のキラキラ輝く光が目に焼き付き、なかなか眠ることができなかった。

朝になって目を覚ますとそのことはすっかり忘れてしまっていたのだが、それから数日後になって再び光を見ることになる。

お買い物日記』 担当者のお供で自転車に乗って買い物に行く途中、右目の端にキラキラとオレンジ色に輝く光の映像が飛び込んできた。

何かと思って振り向くと、すぐ横をまばゆいばかりに光り輝く蝶がヒラヒラと飛んでおり、それがあの夜に見たものと同じオレンジ色であることを思い出す。

それは一瞬、いや、一秒くらいのことだったのだろうか。

目で追っていたはずの蝶は一瞬にして消え去り、忽然と姿を消してしまった。

そこで夜中に見た光のことを思い出し、さらに気づいたのだが、あの水面に夕日が乱反射してキラキラしているように見えたのは、実はたくさんのオレンジ色に輝く蝶が一箇所に集まっている光景だったのではないだろうか。

そう思えば思うほど、あの夜の光が蝶の集まりだったように思えてくるし、記憶として残っている映像も意思に引きずられて変化したのか、水面より蝶の集まりだったように見えてくる。

それから何事も無く過ごしており、そのことも忘れかけていた数週間後、前回とは違う店まで買い物に出かけた際に再びオレンジ色に輝く蝶が視界に飛び込んできた。

今回もやはりすぐ近くを飛んでいたかと思うと目の前でパッと消えてしまう。

一度ならず二度までも同じものを見たことを単なる錯覚とか妄想で片付けて良いものだろうか。

そして、もう忘れることはないだろう。

あの夜の出来事と昼間の二度の出来事を。

二度あることは三度あるはずなので、いつか再びオレンジ色に輝く蝶が姿を表してくれるのではないかと期待している。

精神や頭、目がおかしくなった訳ではない限り、それを見たのには何らかの意味があるはずであり、何らかの結論に達しない限りは何度も同じものを見るかもしれない。

今後、二度とオレンジ色の蝶を見なかった場合、2011年8月から9月の一時期、精神状態が不安定になって妙な幻覚を見てしまったと、この雑感か 『独り言』 に記すことにしようと思う。

マサルノコト scene 31

マサルノコト目次

それはひどく残暑の厳しい年のことである。

その日は仕事関係の付き合いで法事に出席するため和歌山県に行っていた。

一段落して近くの居酒屋で和歌山近海物の魚を食べながら酒を呑み、少し気分を良くしながらのホテルへの帰り路、同行していた 『お買い物日記』 担当者が携帯電話で自宅の電話の留守録を確認する。

少し怪訝な顔をしながら
「マサルさんからのメッセージなんだけど」
と言い、電話機を渡された。

聞こえてきたのは、いつものおどけた調子と異なり真剣で、どこか暗く沈み、少し震えるように
「何時になっても構わないから連絡して欲しい」
というマサルの声だ。

マサルの身に何か起きたのか、マサルの妹、両親に何かがあったのか、とにかくホテルに帰る時間も惜しみ、その場でマサルに電話した。

何度目かのコールで電話に出たマサルの声はやはり暗い。

「どうしたっ?」
「・・・」
「何があったっ!?」
「・・・それがよぉ」
「・・・」
「・・・」
「・・・何だよっ!どうしたんだよ!」

とても話しづらそうにしているマサルの口から出た言葉を、最初は正確に、いや、まともに理解することができなかった。

「・・・ノブアキが死んだ」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・なに言ってるだよ。」
「ノブアキが・・・」
「・・・何の冗談だ?」
「冗談でこんなことが言えるかっ!!」

昭和ドラマでありがちなセリフだと、妙に醒めた脳の一部で思いながらも、こういう状況になったときは本当にこんなセリフしか口からでないものだと、もう一部だけ機能している脳が納得する。

それ以外の部分の脳は完全に機能を停止し、何も考えることができないし、次に何を言っていいのかすら分からない。

『お買い物日記』 担当者に腕をつかまれ、
「ど、どうしたの!?」
と声をかけられて、そこが見たこともない土地の路上であること、そして、今はマサルとの通話中であることを思い出した。

ゆっくりと、そしてやっと再起動した思考でやっと口から出たのは
「ど、どうして?何が原因で死んだんだ?」
という気の利かない有りふれたセリフ。
「心不全としか聞いてないからよく分からん」
という怒ったようなあきらめたようなマサルの答え。

それから何を話し、なんと言って電話を切ったのか記憶がない。

『お買い物日記』 担当者に支えられながらホテルに戻り、ベッドに横たわったが酒が入っているのに目が冴えて眠ることが難しかった。

実感がなく、悲しみは湧いてこない。

まだまだ死を意識するような年齢ではなく、社会的には若手と呼ばれる世代であり、人生においても仕事においても、これから先は無限の可能性を秘めた未来が開けているはずだった。

まだ結婚もしておらず、東京から仙台に転勤になったばかりのノブアキの未来も同じように開けていたはずなのに、それが閉ざされてしまったという事実。

それから何日後だったのか記憶していないが、遺骨となって故郷に帰ったノブアキを偲ぶ集まりがあったので帰省し、マサルと一緒に出席した。

「わざわざ遠くから来て頂いて・・・」
と、ノブアキの伯母上が来てくれたので、以前から知りたかったことを思い切って訪ねてみた。

「実は知らされていないのですが、ノブアキ君は何が原因で・・・」
最後まで言い切る前に伯母上の顔色が明らかに変わり、何も聞こえなかったように場を去っていってしまった。

その夜、母親から聞かされたのは信じがたいウワサ。

ノブアキの父君は町の盟主であり、一定以上の地位に就いていたので、その子供の死については多くの人が詮索し、様々な話がもれ伝わっていたという。

そして、その多くはノブアキの死因が自殺であるということ。

中学生の頃から多くの時間を共に過ごしたのでノブアキのことを少しは分かっているつもりで、とても自殺などするとは思えない。

翌日、空港まで送ってくれるというマサルの車に同乗し、
「ノブアキに関する嫌な話しを聞いたぞ」
と、その話しを切り出した。
「たぶん同じウワサを俺も聞いたよ」
とマサルが応じる。

自分はまだ中学校からの付き合いだが、マサルとノブアキは小学校時代からの友達だ。

マサルは優しく、人間ができていて器も大きいので、以前の雑感にも書いたとおり、悩みを打ち明ければ毎日でも、何時まででも話しに付き合ってくれる。

自分など頼りにならないが、死ぬほど辛いことがあったのなら、どうしてマサルにだけは話さなかったのか、悔しさと腹立たしさが込み上げてきてノブアキを攻め立てることを言ってしまいそうだったので、空港に着くまでマサルと交わす言葉は少なかった。

ノブアキの身に何が起こったのかは今も分からないし、一人で何を苦しんでいたのか今となっては知るすべもない。

あれから何度の夏が過ぎただろう。

明日、九月四日はノブアキの命日である。