超多忙につき

雑感を書くヒマがなかったので更新するのをやめようかと思ったりしたのではあるが、せっかく毎週の更新を休まずに続けていることであるし、ここで更新が途切れるのもいかがなものかと考え、やっぱり数行でも何か書いておくべきであろうという思いに至り、こうして適当なことを綴っていたなら何か面白い話題でも浮かぶのではないかと期待したものの、そんな甘い期待は淡くも消え去って楽しいネタなど思いつかぬまま、ただいたずらに文字数だけをかせいでいる状態であるのは誰の目から見ても明らかだったりするのであって、これ以上は時間の無駄だったりハードディスクの無駄遣いだったりするのであろうから、「いい加減にしろ!」 と叱られる前にやめておいた方が良さそうな気がしないでもない。

一過性のものかも知れないが、とにかく今は超多忙なのである。

犬たちのいる風景 2010年冬の2

今年は例年になく雪の多い年なのだそうで、何度も除雪しなければならないことと、その雪の捨て場所の確保に困り、ずっと格闘が続いている。

しかし去年もそうだったように、今年の冬も雪が積もって楽しいことだってある。

家の前に積もった雪には去年と同様にお母さんと犬の足跡が残っている。

いつも必ずある足跡なので、それがないと心配になってしまうくらいだ。

実はその足跡を目で追うと、隣の家の敷地に入って行く跡と、そこから出てくる跡がある。

お買い物日記』 担当者が隣の奥さんに聞いてきた話しだと、その犬とお母さんは以前の雑感に書いた隣で飼われている狸顔の犬と友達なのだそうで、いつも立ち寄っては少し遊んで帰っていくのだそうである。

で、その狸顔の犬は独り言に書いたようにカラスが怖い。

悪いことに隣の家の角がごみステーションになっているため、ゴミの日となると何羽ものカラスがやって来て塀の上や電線にとまっている。

そうなったら狸顔の犬はもうダメで、「くぅ~ん、くぅ~ん」 と実に悲しげな声で奥さんを呼び、なんとかして家の中に入れてもらおうと必死になるのだ。

散歩帰りにいつも犬小屋を見るのだが、ちょうど同じ頃に散歩に出かけていることが多く、なかなか姿を見ることができない。

逆に奥さんが外にいてゴミ出しの準備をしていたり除雪をしていたりすると犬小屋にいるということになるので、朝の挨拶もそこそこにジッと小屋に視線を送ることが多くなってしまう。

隣の奥さんもそれに気づいているらしく、つい先日も朝の挨拶をした後に犬小屋を見ていたら 「今日は寒いから玄関に入れているの」 と先回りして言われてしまった。

玄関にマットを敷いてあげて、その下に使い捨てカイロを入れてやったところ、ことのほかそれが気に入ったようで、犬はその上でジッとしたまま動かないそうだ。

猫はコタツで丸くなっても犬は喜び庭駆け回るものである。

それがホカホカのマットの上で丸くなって動かないとは何という奴か。

そして、この近所で飼われている犬は血統書などない雑種でもみんな可愛がられて幸せそうだ。

近所にある薬屋さんで飼われていた犬も雑種ではあるもののとても可愛い犬だった。

家の裏の広い範囲が金網で囲まれ、その中で自由に動き回っている犬だった。

昼間は日当たりの良い庭につながれ、夏の日差しが眩しい日などは木陰て昼寝している優雅な暮らしぶりの犬だった。

あまり番犬としては役に立たないだろうが、一度も吠えられたことはなく、ほんの数回しか声を聞いたことがない犬だった。

どこかボーっとしていて横を車や人が通ろうが気にすることなく、いつも遠くを見ている犬だった。

餌を食べていると周りをカラスが取り囲み、すきを狙って横取りされるような間抜けな犬だった。

あまり機敏に動くほうではないのに朝の散歩で通りかかると体を斜めにして家の裏からこちらを見てくれる犬だった。

・・・。

この冬、その犬が姿を消した。

・・・。

例年になく寒い日が続いたので、最初は家の中に入れてもらっているのだと思っていた。

一週間が過ぎても二週間が過ぎても犬は姿を表さなかった。

そして犬が飼われていた場所に雪が積もり、二度と足跡がつくことはなかった。

・・・。

とても大好きな犬だっただけに、居なくなってしまったことはとても悲しいし寂しい。

しかし、愛情いっぱいに育てられたのだから、幸せで満足できる飼い犬生活だったことだろう。

生あるものには必ず死があるのだから現実として受け止めなければいけない。

そして、その他の犬たちには一日でも長く生きてもらって楽しませてくれることを願うとしよう。

犬たちのいる風景 2010年冬の1

この町に住み始めて二年、ずいぶん顔なじみの犬が増えた。

ずっと続けている散歩で良く顔をあわせる犬もいれば、近所で飼われている犬もいる。

散歩帰りに会うのは独り言に何度か書いたポメラニアンだが、最初の夏は毛を短く切られ、生まれたての熊ようにも見える何だか犬種の分からない妙な奴だったのだが、今はフサフサの毛をなびかせて歩く立派なポメラニアンとなった。

片足を上げてマーキングした後に、そのまま逆立ちをして進むのは相変わらずで、もうすっかり見慣れた光景となっている。

小さな体で短い足を高速回転させて狭い通りから姿を表し、次の四つ角までたまに逆立ちしながらチョコマカと進み、少し立ち止まって引き返したかと思うと近くの草むらでプリッと糞をして、後ろ足で土を蹴ってあらぬ方向に飛ばして満足気な顔をしつつ帰ろうとする後ろで、お父さんはせっせと糞をひろってビニール袋に入れて持ち帰る。

その距離、たかだか 100メートルくらいなものだと思われるが、体が小さいので散歩の距離としては満足できるのかも知れない。

なかなかタイミングは合わないが、たまにポメラニアンの帰りとすれ違い、すぐ横を通る際には自分より 『お買い物日記』 担当者に興味があるようで、必ず寄ってきては顔を見上げてみたり、前足で触ってきたりするのが可愛らしい。

そのポメラニアンと別れた後、脇道を通って帰路に着くのだが、その細い道にある家のベランダの窓から、いつもヨークシャー・テリアが外を眺めている。

最初の頃はワンワンと吠えられたが、最近は見慣れたのかジーッとこちらを見ているだけだ。

この犬を可愛がっているのは家のご主人なのだが、たまに散歩帰りの姿を見かけると犬は自分で歩かず腕に抱かれて帰宅する。

トコトコ歩いている姿を見かけたこともあるので決して老犬で足腰が弱っているという訳ではなく、単に甘えているものと思われるのだが、飼い主は抱っこを要求されると半分は仕方なく、そして半分は喜んで抱いているのだろう。

以前の雑感にも書いた近所にある美容室の横で飼われている実にボーっとしており、いらぬ心配をさせられた犬は相変わらずボーっとはしているものの、とりあえずは元気そうだ。

以前は顔を見る度に 「ぼふ」 っと吠えられたが、今年になってからなぜだか吠えられなくなった。

いくら吠えて威嚇してもニコニコと手を振っていたので、「ダメだこりゃ」(©いかりや長介) と諦めたか呆れてしまったかしたのかも知れない。

家の人には相変わらず可愛がられており、雪が吹き込まないように犬小屋の前に塀を作ってもらったり、とても寒い日には中に毛布まで敷いてもらっている。

ところが朝の散歩の時に見ると入り口から毛布が蹴り出されていることもあったりするのだが、寝ていて暑く感じるのだろうか。

朝の散歩の第二コースにいる美形な犬も、少しボーっとしているが相変わらず元気そうだ。

ごく稀に会うゴールデンレトリバーや、まるで熊のようにモコモコで大きな犬も元気にしている。

ただ一匹の犬を除いては・・・続く。

マサルノコト scene 26

北海道に帰ってきたのが原因なのか、このところ良く少年時代のことを思い出す。

やはり強烈な印象として残っているのはマサルと同じクラスで過ごした中学二年と三年のころで、他のどの時代よりも楽しく、そして虚しく、心も体も子供から大人に変わるその期間、生や性について考えたり悩んだりしたものである。

自分は生と死に関して深く興味を持ちつつも当然のことながら答えなど見つかるはずもなく、いろいろ考えているくせに命を大切にする訳でもなく、「いつ死んでもいいや」 などとうそぶきながら不良仲間とムチャクチャなことをして遊んだり優等生のマサルと付き合ったりと実に不安定な生活を送っていた。

徹底的に悪くはならないように自分を引っ張ってくれたり叱ってくれたりしながら見守ってくれたのは以前に書いた通り当時の担任とマサルだった。

そのマサル自身に悩みがなかったのかと言えば、同じ思春期を過ごす者として一人だけ安穏とした日々を送っていたはずもなく、マサルはマサルなりの悩みがあったに違いない。

常に自分のお目付け役を演じ、実年齢も精神年齢も上であったマサルに何か相談されることなど数えるくらいしかないが、こと恋愛に関してはとことん臆病で慎重であるがゆえに何度か相談されたことがある。

修学旅行で行った先の宿、みんなが寝静まってからもマサルと二人、延々と話し続けて空が白々と明るくなってきたこともあった。

宿についてから食事をとり、就寝前までは恒例のマクラ投げやら何やらでドタバタと暴れまくり、他の同級生たちは疲れきって眠ってしまった。

何せ担任が火災報知器を指差し、「あれはホコリも感知するんだから暴れたら警報が鳴るぞ」 と脅かされていたのを無視し、天井にある器具にビニール袋をかぶせてテープで固定し、ホコリを遮断してまで騒いでいたのである。

おまけに深い時間になると電気を消して廊下に見張りを立たせ、有料テレビの硬貨投入口に針金を突っ込んで操作しながらアダルトビデオを鑑賞し、夜遅くまで目をランランと輝かせていたのである。

深夜の時間帯になると一人、また一人と脱落者が現れはじめ、とうとう起きているのはマサルと自分だけになってしまった。

そこでボソボソと話しをしていて同級生を起こしてしまうと申し訳ないことと、あまり人に会話の内容を聞かれたくないこともあり、二人でそっと部屋を出て各部屋にある玄関のような狭い場所にあぐらをかいて話し続けた。

今から思えば実にたわいのない話しだったり悩みだったりするのではあるが、マサルが想う彼女の真意がどこにあるのか、仮に彼女がああ思っていたら、こう思っていたらなどと、現実と想像、妄想の中で遊んでいた。

当たり前のことではあるが、その会話で答えなど見いだせるはずもなく、鳥のさえずりを聞いてから布団にもぐりこみ、それから泥のように眠った。

翌日からの移動中や観光地めぐりなど、一切の記憶が残っていないのは言うまでもない。