冬支度

いよいよ明日から 11月。

北海道ではそろそろ冬の準備にとりかかる。

この時期、店を賑わすのはクリスマス用品、ケーキの予約、おせち料理のパンフレットというのが定番だが、北海道の場合はそれよりも広いスペースを割いて漬物コーナーが設けられる。

漬物を漬けるのに必要なタル、大量の塩、味噌、たくあんを漬けるための米ぬか、北海道ならではの漬物を漬けるために必要な身欠きにしん、米麹。

そして白菜、キャベツ、大根などが大量に積み上げられ、店の出入り口付近の特等席に陣取る。

その圧巻とも言える光景は決して大阪では見られなかったものだ。

ホームセンターの入り口付近にも、いったい誰が使うのか不思議に思えるほどの巨大なタル、必死にならなければ持ち上げられないような大きな漬物石が売られている。

そして、北海道の家庭には欠かせない除雪道具。

あ~冬が目の前まで来たんだなぁ~と実感することができる。

車を持つ人は冬に向けてタイヤ交換。

これから春になって雪が消えるまで、ずっとスタットレスタイヤを装着したままになる。

そしてワイパーの交換。

冬は雨だけではなく雪をも相手にしなくてはならなず、普通のワイパーでは歯が立たないし、昼間に解けた雪が夜中に凍り、ワイパーと窓が凍り付いてしまうこともあるので雪や寒さに強い樹脂製のワイパーを使う。

我が家には車もないし、漬物を漬ける習慣もないのでどちらもあまり関係のない話であったりするのではあるが・・・。

我が家の冬支度といえば重ね着用のフリースやら暖かいソックス、ニット帽に手袋、冬靴、外出用のモコモコの上着くらいなものだ。

除雪の用具はすぐに取り出せるところに保管してあるので本格的に雪が降ってから玄関に移動すれば良い。

実に簡単な準備であるが、最大の問題は暖房を準備するタイミングだ。

この家はオール電化となっており、暖房は深夜電力を利用して熱を蓄積し、翌朝になってそれを放出する仕組みになっている。

つまり、寒いからちょっとストーブを点けて・・・という訳にいかない。

昨年は北海道に帰ってきて初めての冬で、大阪の建物より構造がしっかりしている寒冷地仕様の家であるため室温はなかなか下がらず、11月 20日になってやっと暖房を使い始めた。

周りの人からは
「死ぬよ」
と脅されたり、
「お願いだから暖房つけて」
と懇願されたりしていたが、当の本人たちがひどく寒いと思っているわけではないので平気な顔をして生活していたものである。

大阪では真冬に部屋の中が 10度を下回ってもエアコンの暖房機能など使わず、厚着をし、コタツに入って暮らすのを 10年以上も続けたのですっかり慣れてしまっていた。

そして二度目の冬。

今日から三日間くらは最低気温が 0度付近、最高気温も 5度前後という日が続くので、ちょっと寒さが身にしみたりしているが、それを過ぎればまた最低 10度、最高 15度前後の日が続く。

せっかく大阪で身につけた寒さへの対処法、今年も 11月の中旬くらいまで暖房なしで乗り切ってやろうとか思ったりしている今日この頃である。

デジタル化の波 Signal-1

デジタル化の波 ~目次~

なんでもデジタル化され、世の中が便利になりつつも既存のビジネスが成り立たなくなっているケースも多い。

ヨーロッパではインターネットの台頭とフリーペーパーの存在によって大手新聞社の発行部数が激減し、経営が立ち行かなくなるケースが増えている。

フリーペーパーとは無料新聞のことで、地下鉄や電車の駅前など人が多く行き来する場所に置かれている。

そのフリーペーパーだって文字や写真がデジタル処理できるパソコンの普及で発行が容易になり、参入障壁が低くなったことによって数が増えたのだろう。

昔であれば新聞記者が現場に行って取材し、会社に帰ってから撮ってきた写真を現像にまわし、取材メモを見ながら原稿を書いて校正などチェックを繰り返した後に文字写植をして印刷所でゲラが出来上がり、それを最終チェックしてから印刷するという膨大な作業があった。

ところが今では現場でパソコンを使って記事の原稿を書き、撮影したデジタル写真の中から最も良いものを選んて添付して Eメール送信すれば会社のサーバに蓄積され、各所から集まった記事をパソコン上で貼り付けたりレイアウトを整えたりして誤字脱字などがないかプログラムでチェックして印刷所に送信し、そのデータをそのまま印刷すれば新聞の出来上がりである。

このデジタル化によって原稿の締め切り時間が圧倒的に遅くなり、夜中の 1時や 2時のできごとが、その朝の新聞に掲載されていたりするので新聞を発行する側も読む側も受けた恩恵はかなり大きい。

ただし、それほど巨大な組織じゃなくてもコンピュータさえあれば新聞の製作が容易になったのでベンチャー的刊行物も増える。

新規の新聞を一軒、一軒営業して発行部数を増やすのは容易なことではないので、それならばと無料でばら撒いてしまい、購読者を一気に増やして露出度を高め、それを武器に広告を獲得して収入源とするのがビジネスモデルである。

最初は大手の新聞社も高をくくって見ていたが、あれよあれよと言う間に市民に受け入れられて発行部数を伸ばし、新規参入が増えて内容を充実させる競争が激化した結果、記事の質も向上して有力紙とそん色ないレベルに到達するに至り、もはや市民は料金を払って新聞を購読する必要がなくなってしまった。

慌てふためいたのが有力各紙で、びっくりするような勢いで購読者数が減っていく。

そこで発行元各社が選んだ道は自社の新聞も無料化することだ。

有力紙のネームバリューがあれば数あるフリーペーパーの中でも手にとってもらえる確率が高く、多くの人が目にするようになれば離れていったスポンサー広告も戻ってくるに違いないという目論見だろう。

しかし、記事の質が高まって信頼を得るようになった新規のフリーペーパーも多いことから、目論見どおりに行くか神のみぞ知るというところだろう。

遥か昔、新聞というビジネスの勃興期に星の数ほど生まれた新聞が勢力を競い合い、淘汰されて生き残ったのが現在の新聞社だ。

今から始まるのは戦いの延長ではなく、新たなフィールドでの戦いだと思ったほうが賢明であり、いくら有力紙といえどもスタートラインは他紙と一緒である。

これから数年後にどこが生き残っているのか分からない。

そんな厳しい戦いの時代は、おそらく日本にもやってくるだろう。

今の新聞各社、戦いの準備はできているのか、心の準備はできているのか、少なくとも戦略くらいは練っているのか。

読売新聞のナベツネはいつまでも偉そうにふんぞり返っていられないことを自覚せよ。

その戦いはいつ始まるか分からない。

もうすでに、誰かが水面下で準備しているかもしれないのだから。

時事ネタ

ネタがない訳ではないのだが、まだ体が本調子ではなく、少し鼻がグシュグシュしていてあまり集中力もないので、ここは本来の意味である雑感に立ち返り、ツラツラと思ったり考えたりしていることを書いてみようかと。

まずは JR西日本の腹立たしい件だが、『JR福知山線脱線事故』 が発生したころは大阪に住んでいたこともあって今も深く記憶に刻まれているし、被害者やその家族ほどではないにせよ、事の重大さは十分に認識できた。

部外者である自分ですら重大性を認識できるというのに、その後の JRの対応、態度はいったい何だ。

どこまで真剣に考えているのか分からないが、のらりくらりとしたまま 4年も 5年も経過してしまったように思えてならない。

おまけに調査報告書が公表される前に裏から手を回して内容を調べたり、その報告書を取りまとめている有識者と呼ばれる旧国鉄OBに金を渡して裏工作したり、その報告書の前に作成された 『事実調査に関する報告書』 も裏から手を回して入手したりと好き勝手にやり放題だ。

その件について、いくら被害者に対して謝罪と説明会を行ったところで二度と信頼、信用されることなどないだろう。

愚行とも奇行とも言える組織運営しかできないのであれば、日本の政治と同じく役員から役職者までゴッソリ入れ替えるしか体質改善はなされないような気がする。

日本の政治といえば、先の衆院選で民主党が圧勝し、日本の政治が大きく変わろうとしている。

「大きく変わった」 と、まだ断言できない段階ではあるが、少なくとも変えようと、変わろうとしている意気込みだけは伝わってくるので、もうすこし様子を見てやっても良いのではないかと思う。

自民党は政党の活動を助成する目的で国庫から交付される資金、それは税金そのものでもある政党交付金を 40億円以上も使って民主党に対するネガティブ・キャンペーン、つまりは相手のイメージを落とすような宣伝、広告を打ちまくってまで敗北するという惨憺たる状況で、「金返せ」 と言いたくもなるが、あまりにも惨め過ぎて同情してしまう部分もある。

しかし、新総裁を選ぶ段になっても妖怪のような長老議員が幅を利かせて自民党自体は何も変わらない、変われないことを国民の目にさらけ出し、結果選ばれたのがジジイたちの奴隷のような谷垣という有り様を見るにつけ、民主党が余程のポカとしない限りはこれから先、何年もの間にわたって再度の政権交代は有り得ないだろうということが脳裏をよぎる。

数年後には自民党など影も形もないくらいに瓦解し、民主党が 2党に分離して、そっちで二大政党制となっている可能性だってある。

ここは本当に危機感を持って対処しなければいけないということを古い政治家は分かっていないのだろう。

ひるがえって民主党は旧政権である自民党が残した負の遺産が大きすぎて、なかなか思い描いていた通りの政治ができずに苦労しているようだが、ここは毅然とした態度で、まずは自民党が残した負の遺産の整理、腐った部分の除去を行い、その後に民主党が掲げる政治を実行して世の中を作り変えると宣言すべきで、マニフェストに書かれた時間軸が多少はズレて工程表に遅れが出ても仕方ないのではないかと思う。

分かりやすく説明さえしてくれたら国民は多少の時間を民主党に与えるだろう。

それでも少し前の雑感に書いたように、ある程度のスピード感をもって臨まなければ来年の参院選でゆり戻し的現象で大敗する危険性もあるので、あまり時間をかけられないという悲しい事実もあるにはあるのだが。

この難局を乗り越え、国が良くなってきたことを国民が実感できるようになれば、民主党の黄金時代は当面の間続くものと思われる。

似たもの

長いこと同じ環境で生活すると外見やら性格やらが似てくるものらしい。

それは人間同士でもそうだし、動物と人間にも同じことが言えるように思う。

我が家の場合も同様で、『お買い物日記』 担当者と自分は似ても似つかぬ顔をしていたはずなのに、大阪に住んでいた頃に
「二人はきょうだい?」
と聞かれたことがある。

それはどっちが年上に見られたのかなどという問題はさておき、似て見えたのが顔なのか雰囲気なのか。

長年連れ添った夫婦は顔も似てくるものなのかも知れないと思わされるのは楽天ゴールデンイーグルス現監督の野村克也夫妻。

人はどう思うか知らないが、自分の脳の中では二人の顔が完全に一致する。

監督の人相をとことん悪くして、思いっきり厚化粧をすれば見事な野村沙知代のできあがり。

恰幅の良い男性の横に線の細い女性がいて、それが夫婦ということもあれば、もの凄いパワフルなオバチャンの後ろからヤギのようなオッチャンがトボトボと付いていくような夫婦もいるので一概には言えないと思うが。

しかし、ペットに関しては間違いなく飼い主に似ると思われる。

一説によると飼っている間に似るのではなく、飼い主が自分に似たペットを選んでしまうということもあるらしい。

そう言えば千里丘に暮らしていた頃に近所で飼われていたお気に入りの黒い犬はとても大人しい犬だったが、飼い主であるお父さんもとても静かな人だった。

いつも元気な五郎くんのお母さんもとても元気な人だった。

線路沿いのお宅で飼われていたパグのお父さんは失礼ながらパグにそっくりな顔をしていた。

過去を思い起こしても友達の家で飼われていた犬たちは、それぞれ何となく性格だったり顔だったりが友達に似ていたように思う。

猫を飼っている人は何となく雰囲気が犬系よりも猫系だったようにも思う。

現在、隣のお宅で飼われている犬は狸顔で何となく奥さんと似ているような気がしないでもない。

そして、千里丘で住んでいた借家の斜め向かいの家には実に変わった性格の人が住んでいたのだが、そこで飼われている犬も本当に性格が悪かった。

何度顔を合わせても慣れずに吠え続ける奴で、それも飼い主の足元に隠れるようにしながら卑屈な顔をして吠えている。

今までの様々な実体験からも、ペットは飼い主に似る、または飼い主は自分に似たペットを選んでしまうという説には心から共感できる。

子供の頃、実家で飼っていた犬は言うことを聞かず落ち着きがなく、しょっちゅう脱走して 2-3日は帰ってこないという駄犬を絵に描いたようなバカ犬だったが、あれは誰に似たのだろう・・・。

マサルノコト scene 24

思い出そうとしても、それがどういう理由だったのか定かではないのだが、マサルとノブアキの二人が自分の住むアパートを訪ねてきたことがあった。

三人とも暮らす場所はバラバラだったのに、どうしてマサルとノブアキがその町で合流したのか、そして、何の用事があって尋ねてきたのか。

とにかく何だか良く分からないが久々に三人が集まったのである。

最初は思い出話や近況など報告しあい、話しに花を咲かせていたのであるが、なにせ男同士なのでペチャクチャと話すこともそれほど続かない。

ましてや尋ねてきたのが昼間であり、酒が入っているわけでもないので余計に話が盛り上がるはずなどないのである。

そこで何となく家庭用ゲーム機で遊び始めたのが間違いの始まりだったのかもしれない。

選んだソフトはプロレスのゲーム。

無類のプロレス好きであるマサルは目の色を変えて遊びに没頭し始めた。

自分はゲーム制作会社に身を置いていたのでテレビゲームなど毎日目にしていたが、普段はゲームなどしないマサルとノブアキにとっては新鮮だったようで、どんどんゲームの世界にのめり込み、必死になって戦いを繰り広げている。

その戦いは終わることを知らず、どちらが勝っても負けても
「もう一回!」
と、どんどん深みにはまっていくようだ。

時間はどんどん経過して、ついにあたりが暗くなり始めた。

その日、我が家で少し遊んだ後はマサルの運転する車にノブアキを乗せて、三人共通の故郷まで帰省する予定でいたのだが、すっかりゲームに夢中になってしまった二人は予定を変更して泊まっていくと言い出した。

そのころの我が家には常に誰か彼か友達が遊びに来ており、夜を徹して遊ぶことなどざらだったので二人が泊まっていくのに何の支障もない。

とりあえず晩御飯がてら居酒屋に行き、しこたま食べて飲んで語り明かした。

帰宅後は再び戦いが始まり、それは深夜にまで及んだので翌朝早くに出発できるはずがない。

何となくテレビゲーム機の電源を入れ、戦いが始まるともうだめだ。

「もう一回!」
が部屋にこだまし、エンドレスに戦いは続く。

結局、マサルとノブアキが何泊したのか、どうやって帰省したのか、はたまた本当に帰省したのか今となっては思い出せもしないが、それからしばらくの間、マサルの母親から
「君と遊んでばかりでさっぱり家に帰ってこない」
と責められたものだった。

自分の場合もそうだが、帰省して親の小言を聞いているより友達と遊んでいるほうが楽しいに決まっている。

そんな訳で帰省のたびに三人で会い、酒を酌み交わす日々はまだまだ続いていくのであった。