革命とテロと暴動とクーデター

北海道洞爺湖サミットがいよいよ目の前まで近づき、各種交通機関や主要道路などは厳重な警戒態勢になろうとしている。 上空には頻繁にヘリコプターが旋回し、不振な動きを見逃すまいとしている。 それもこれも各国要人をテロから守るためなのだろうが、ふと (テロとは何ぞや) という疑問が頭に浮かぶ。

テロリズムとは 「一般に恐怖心を引き起こすことにより、特定の政治的目的を達成しようとする組織的暴力行為、またはその手段を指す。」 とあるが、革命との違いは何なのだろう。 革命とは 「主として民衆・被支配階級が意図を持って非合法的な手段によって国家・政府(支配階級)を倒し、国家体制を変更させること」 とあり、頭が悪いからか、そこに大きな違いを読み取れない。

暴力的行為に及ぶのがテロだとするならば、革命だって群集心理から暴力にまで発展することはある。 数日前に大阪の西成区あいりん地区であった暴動も、中には祭り気分だった馬鹿もいたようだし、逮捕された活動家が扇動したのだとしても、元をただせば労働者たちに大きな不満が渦巻いていたからだろう。 それに対する抗議活動がエスカレートした場合は単に 『暴動』 という言葉でくくられてしまうのか。

無血革命など稀であり、テロにしても暴動にしても血が流れて誰かが命を落とすのが常だ。 どこからどこまでが革命であり、テロであり、暴動であるのか。 そんなことは有り得ないが、仮に西成の暴動で抗議された警察が 「私達が悪うございました、今後は体制を入れ替えます」 と言ったら暴動は革命とみなされるのだろうか。 世界各地で起こっているテロもその政治的目的が達せられた場合、テロリストたちは革命家と呼ばれるようになるのだろうか。

ここにクーデターの概念が加わるともう分からない。 結果的に成功を収めたことからロシア革命だとかカーネーション革命などと呼ばれているが、失敗していたなら単なるクーデターとして片付けられていたであろう歴史的事例も多い。 革命とテロ、クーデター、暴動の間には何が存在するのか分からない。 単に成功すれば革命、失敗すればその他でしかないのか。

いろいろと考えていると頭が痛くなってくるので今回は早めに切り上げることにしようと思うが、国の威信もかかっているのだから、近く始まるサミットでは何事もなく無事に終わってくれることを祈るばかりである。

プルキニエ現象

人間の視覚のクセをプルキニエ現象と呼ぶことを初めて知った。 明るいところでは赤をはっきり認識できるのに暗いところでは認識しづらく、逆に明るいところで暗く見える青が暗いところでは遠くからでも認識しやすい。 これらは網膜の視細胞の働きによるものらしいのだが、そういう理由で交通標識に青が多く使われているのかと納得してしまった。

色は人間の心理にも大きな影響を与えるようで、太陽が赤く見える夕焼けに心がときめいたり、ざわめいたりするのも同現象が原因なのだという。 光の量や色が刻々と変化する夕暮れには心が不安定になりやすいもので、事故や犯罪もおきやすく、さらには衝動買いをしやすくなったりもする。 店がタイムセールをするのも在庫処理だけが理由ではなく心理を利用しているというから大したものだ。

赤は人間の生理作用に強く働きかける色で、興奮作用を起こす神経が刺激されて血圧や体温を上げ、気分を高揚させる働きがあるということだ。 実際に、赤いサイフと他のサイフを持ち比べると赤のほうが支出が多くなったという実験結果も出ているという。 そうなると夕焼けが綺麗な時間に赤い財布を持って出かけると、とんでもない事態を引き起こす可能性がある訳だ。

必要もないものを大量に購入してしまう危険性が高いと思われるので、決して 100円均一の店などに行ってはいけない。 ましてや赤を基調とした色で内装されている店などには足を踏み入れてはいけないのである。 それを逆手に取るならば、店を赤い内装にして夕方にタイムサービスを実施すれば売上げが伸びるかもしれない。

しかし、赤には憎しみ、怒り、恨みなどのネガティブなイメージもあり、他者にとって攻撃的になる色という一面を持っているので何でも赤くすれば良いと言うものでもない。 かなり以前に住んでいたアパートの近くに壁から椅子まで赤いファミレスがあったが、味も悪くなく値段も手ごろだったのに一年も経たず閉店に追い込まれたのは赤が持つ負の力が作用してしまったからか。

逆に青色には人の副交感神経に作用して落ち着かせる鎮静効果と心理的に人を冷静にさせる傾向があり、スコットランドでは景観改善のためにオレンジ色の街路灯を青色に変えたところ、犯罪が減少する副次効果が現れたという報告がある。 青色を見ると血圧が下がったり脈拍数が減少するというような事が起こるらしいので、本当に人を落ち着かせる効果があるのかもしれない。

だとすれば店内を青基調の内装にすれば売り上げが減るのかという疑問が浮かぶが、そんな店を見たことがないので何とも言えない。 いや、青基調の店がない、または極端に少ないこと自体、青が商売に向かないことの証明であるかもしれない。 青は食欲を落とす色とも言われ、青い照明を使ったダイエット法まであるので飲食店などは特に注意が必要だ。

色が人間の心理に大きな影響を与えるのは分かった。 だとしたら、どうなんだ日本サッカー。 青基調のユニフォームを着る日本代表が、赤基調の韓国代表に毎回のように苦戦を強いられるのはサムライブルーが原因なのではないか。 スポーツをするのに、ましてや死闘を繰り広げているのに鎮静効果で落ち着いちゃってどうする。

冷静さは必要だが、なかなか士気が上がらなかったり攻撃的な面が抑制されたりする悪い作用が働いてしまわないかと、少し心配になってきたりもする。

酔っ払い

花見のシーズンはとうに終わってしまったが、毎年のように繰り広げられる酔っ払い軍団の痴態は今年も各所で見受けられ、それが映像となってテレビで放映されたりしたのだろうか。 引越しやら何やらで慌しかったこともあり、裸で踊り狂う馬鹿とか桜の木から池に飛び込む阿保が今年も出没したのか、それがニュースで伝えられていたのかさっぱり記憶がない。

今は交通機関を使っての通勤などしていないし、酒を飲みに出かけることもないので酔っ払いの姿を見ることがなくなってしまった。 見ていて楽しい酔っ払いもいることはいるが、その多くは見苦しく、腹立たしさを通り越して殺意すら覚えるくらいなのでお目にかからないほうが精神衛生上も好ましいことであり、今後二度と会わなくても何の差支えもないことではある。

自分の場合は度を越すほど飲まないようにしていることもあり、酒を飲んで記憶をなくしてしまったことなどなく、次の日になって何も覚えていないと言う人が不思議でたまらない。 自分がそういう体質であると自覚したら酒の量を控えればよいのであって、自制できないのであれば例え勧められたとしても最初から酒を飲まなければ良いのである。

酒癖の悪い奴に限って飲むのが好きで、後々のことを考えると一緒になど飲みたくないのだが周りが渋々ながら誘いに応じるというパターンが常であり、本人も少しは空気を読んで酒の誘いを自粛すれば良いものを空気が読めなかったり自覚が足りなかったりするゆえに顔面を引きつらせながら作り笑顔で誘いを断っているのを無視して強引に宴席を仕立て上げようとする。

以前の仕事仲間にもそういうタイプの奴がおり、酒が進めば気が大きくなるのと同時にデリカシーまで失い、人の嫌がることなどを言い放って傷つけたり、一人では帰宅すらできないほど泥酔するものだから誰かが送って行かなければならなかったり、海に落ちて死にかけたりしていた。 どれほど人に迷惑をかけたのかなど本人が記憶を失っているのでまるで自覚がない。

勝手に溺れ死ぬくらいなら自業自得というものだが、喧嘩して人を傷つけたり死なせてしまったりしては取り返しがつかない。 そこまで重大な事件、事故に至らずとも電車などで痴漢行為をはたらいたりする不届き者もいるわけであるからして、やはり酒の飲み方を考えるか最初から酒を飲まないくらいの自制行動は強く求められるのではないだろうか。

暴れたり痴漢をしたりして覚えていないなどもってのほかであるが、本当に記憶がないのか怪しい事例すらある。 酒のせいにしておけばある程度は罪が軽減されるとでも思っているのか、本当は記憶があり、単に気が大きくなってやらかしてしまっただけなのに 「酔って覚えていない」 と言い張る場合がそれだ。 以前の仕事仲間もそれに該当し、本当は毎回のように記憶をなくしている訳でないらしい。

そのくせ都合の悪いことは覚えていないと言い張る。 酒の席で暴言をはいたりくだを巻いたりしたことを翌日になって注意すると 「記憶がない」 と言い逃れするくせに、それ以降の出来事に話題が移るとちゃっかりと話に乗って調子を合わせてくる。 それどころか自ら昨夜の出来事に触れて会話を続ける。 「記憶がないんだろ?」 と突っ込むと、しどろもどろになって訳の分からないことを言う。

酒癖が悪い上に卑怯な性格の持ち主とは二度と酒など飲みたくない。 そいつとはもう何年も会っていないが、あの性格からすると今でも自制することなく酒を飲んでは人に迷惑をかけたり不快な思いをさせたりしながらも、都合の悪いことの記憶だけを失い、楽しい部分だけを誇張して顔を引きつらせている周りの空気を読まず、身勝手に酒の誘いを繰り返していることだろう。

マサルノコト scene 20

いよいよ中学生活も 3年目に入り、当然のことながらクラス替えが行われた。 それまで何をするのも一緒だったノブアキとは別のクラスになってしまい、教室も一階と二階に別れることになった。 それで疎遠になってしまったかと言うと決してそんなことはなく、休み時間にはお互いのクラスを行き来したり、放課後に一緒に遊ぶ生活が続いた。

そしてマサルとの腐れ縁は三年生になっても同じクラスになることで続き、その一年間はいつも席が近かった。 進級したからと言って自分は何も変わらなかったが、周りの同級生たちは明らかに高校受験を意識し始め、一緒に授業をサボっていた奴も寝てばかりいた奴も少し真面目に授業を受けるようになってしまった。

そうなると一人で遊んでいてもつまらないので、寝ている以外は必然的に授業を聞くことになる。 前の席に座っているマサルにちょっかいを出してみても 「うるさい!」 と叱られるだけだし、田舎町なので人通りも少なく、ボ~っと外を見ていても変化がなくてつまらない。

何となく授業を聞いているうちに少しずつ内容を理解し始め、それまで白紙で提出していたテストにも答えを記入するようになった。 今は順位をつけると親が大騒ぎして教育委員会をも巻き込む大問題へと発展するが、当時はテスト結果を廊下に貼り出されたり、点数順に答案用紙を返されたりするのは日常茶飯事だったものである。

今思い出しても不思議なのは、全教科を白紙で提出していたにもかかわらず成績がビリではなかったことだ。 同学年は 300人近くいたと記憶しているが、必ず自分より下に 2-3人の名前がある。 同じ 0点だった場合、あいうえお順にでも並んでいるのかと思ったが、それとは明らかに異なる。 それではクラス順なのかと言えばそれとも違う。 あの結果だけは今でも謎だ。

そんなことはさておき、ビリから数人目だった成績は少しずつ良くなり、それまで 「高校に行けなかったらどうするんだ!」 と言われ続けてきたが、親からも教師からも何も言われなくなった。 実際のところは高校進学などどうでも良く、受験のために勉強をしている訳でもなく、いままで何もしていない上にテストを白紙で提出していたのが授業を聞いて答えを書いているのに過ぎなかった。

自分では何も変わっていないつもりだったが、二年生のときに付き合いのあった不良仲間とはだんだん疎遠になり、マサルとかノブアキのような優等生と一緒にいる時間が長くなった。 結果的に少しずつ更生の道を歩み、決して優等生などではないが、普通の生徒として中学を卒業することとなる。

卒業後しばらくしてマサルから本当のことを聞かされた。 三年生に進級する際、二年生のときの担任だった教師からマサルは呼び出され、三年になってもマサルと自分は同じクラスになることを事前に知らされたらしい。 そして、その教師から 「あいつのことを頼む」 と言われたのだと。 その指示をマサルは忠実に守り、自分のことを卒業するまで面倒をみてくれたのである。

以前に書いた転校していく友達を授業を抜け出して見送ったのに、それを本気で叱らなかった担任、本気で叱り、時には殴られもしたが、小さなことには目をつぶってくれた担任、そして自分を見守り面倒を見てくれたマサルには、前回の最後にも書いたように感謝しているし、ある意味の恩人であるからして足を向けて寝られない。

しかし、二人がどっちの方角で暮らしているのか良く分かっていないので、何も気にすることなくゴロゴロしたり就寝したりしている今の自分だったりするのである。