遺伝

本当に遺伝というものがあるもので、『お買い物日記』 担当者は上二人の兄とよく似ている。 長兄は母上の遺伝子を、次兄と 『お買い物日記』 担当者は父上の遺伝子を多く受け継いだ顔立ちなので、とくに次兄と 『お買い物日記』 担当者は良く似ており、社内旅行の現地で次兄と再会した際、誰にもそのことを伝えていないのに 「お兄さんが来てるよ」 と言われたという逸話があるくらいだ。

長兄と次兄の顔はそっくりというほどではないが、きっと骨格は極めて類似しているのだろう。 ある夜、テレビを見ていて何かのタイミングで長兄が笑ったのだが、その笑い方、笑い声とも次兄にそっくりで驚いてしまったことがある。 骨格が似ているため声も似ているものと思われる。

そして、その三人は寝姿がまるで一緒だ。 両手を挙げてバンザイしながら眠っている。 次兄のことは詳しくないが、長兄も 『お買い物日記』 担当者も、片方の手を下ろしてやると自動的に反対の手も下ろすという特性を持つ。 さすがに真冬の寒い時期に手を上げて寝ることはないが、少し暖かくなってくると自然に手が上がるという季節要因も併せ持つ。

まだ深夜から朝方にかけては寒い時期、ふと目を覚ますと 『お買い物日記』 担当者の両手が上がっている。 触ってみると冷た~くなっていることも多く、布団に入れてやろうと静かに手を下ろすと、やっぱり反対側の手も連動して静かに下りてくる。 夜中に笑いをこらえるのは大変だ。

思わず声を出して笑ってしまったのは、三人がそろって両手を上げて寝ているのを目撃したときだ。 全員が同じ姿勢、同じ角度に手を上げてスヤスヤと眠っている。 長兄の奥さんである義姉とそれを見て腹の底から笑ってしまった。

自分の場合は過去にも書いたように白髪が多いのは母親ゆずり、姿勢が悪いのと骨格は父親ゆずりだ。 そして床にゴロンと横になり、くつろぐ体勢も完全に父親ゆずりであり、両手を頭の後ろで組み、ひざを立てて足も組む。 まったく意識も自覚もしていなかったのだが、リラックスすると体がその体勢を望むようだ。 何年かぶりで帰省した際に父親が同じ体勢でくつろいでいたので驚いたことがある。

背丈も体型も骨格も父親と似ているが、父親の死後何年かして残されていた服を着てみたら、どれも小さすぎて体に合わない。 残っている記憶では身長も同じくらいだったはずなのに、実際には自分より小さかったのが少し悲しく思えた。

残念ながら着られなかった洋服だが、今は 『お買い物日記』 担当者の体を温めている。 背も体も小さいのに、なぜだかサイズがピッタリだ。 父親もまさか自分の残した服を息子の嫁が着ることになろうとは思わなかっただろうが、きっと遠くで照れ笑いしながら見ていることだろう。

文字に触れて

活字離れが叫ばれて久しいが、厳密に言うと活字とは活版印刷された文字のことなので、電子写植が100%近い現代では活字など存在しない。 とりあえず、世の慣習に従って活字と呼ぶことにするが、自分の場合その活字に触れる機会は割と多い。 以前の雑感や独り言にも書いたが、定期購読している雑誌があるので毎日かならず目を通す。 それが読み終われば何冊かの小説を読みながら次週の雑誌が届くのを待つ。

独り言を毎日書いたり雑感を書いたりしているので文章を書くのが好きなのかと問われることもあるが、実際はひどく苦手だった。 小学生のころから作文、感想文などは大の苦手で、頭の中にあることをどうやって文章にしたら良いのかさっぱり分からなかった。 それは基本的に文章を読まなかったからであり、基本的なことが何も分からないから苦手だったのだと思う。

もの心ついて初めて触れた文字はグリム童話だったか何だか忘れたが絵本だった。 それがとても面白ければ本を読むのが好きになったのだろうが、その内容は刺激に乏しく、テレビでアニメやヒーロー物を観るほうがはるかに楽しかったので読書量が増えるはずがない。

それ以来、教科書以外は文字に触れることもなく、初めて文庫本を買ったのは中学二年生のときだった。 友人のマサルが本好きだったのでその影響を色濃く受けてしまったことが事の始まりだ。 最初は推理小説から始まり、歴史物、ノンフィクション、エッセーなど手当たりしだいに読むようになった。

時には理解できるはずもない不確定性原理なる本や、宇宙物理学の本まで買ってできの悪い頭から煙を噴出しそうになったりしていた。 海外の小説は登場人物の名前を覚えられないという欠点があったが、それでも推理小説に始まり、ツルゲーネフ、カフカ、ヘミングウェイなどなど、およそ自分のキャラクターに似合わないものまで読んだ。

いくら読んだとはいえ、それが何も身に付いていないのが自分の情けないところで、教養になった訳でもなく、人生訓を得られた訳でもなく、それによって文章を書くのが上手になった訳でもない。 少なからず良かった点は漢字を覚えたことくらいで、少し面倒な漢字も何とか読むことができる程度か。

で、話を元に戻せば今でも文章を書いたりするのは決して得意ではなく、書き出しと結末に整合性がなかったり、言葉遣いが変だったり、誤字脱字の嵐だったりして文章の体をなしていない場合が多い。 それでも書き続けている理由は何だろうと自問自答を試みても明確な答えが見つからない。

少なくともこの雑感は自ら課した義務のように捉えているし、独り言は日記のようなものであり、過去の記憶があやふやになった際に読み返せば解を得られるというまことに便利なツールであると理解している。 そして何より上手ではなくても文章を書くのが嫌いではないのだろう。

実はこのサイト意外にも複数のブログサイトなどを運営しており、毎日複数の場所で駄文を垂れ流している。 大変だと思う日もあるが、それほどネタに詰まることなく長続きしていることからも基本的に嫌いじゃないことが伺われる。 要は相変わらず自分で自分のことが良く分かっていなかったりするだけなのだが、負担に感じていないからにはもう少し続けていくことができそうだ。

想い出の居酒屋 其の陸

想い出の居酒屋 おしながき

例の通り、仕事の話禁止令が発動される中、ただひたすらにくだらない話で盛り上がり、酒と料理で胃袋を満たす日々。 それが何年も続くとさすがに話題にも事欠き、同じ話を何度も繰り返す事態に発展してくる場合も多い。

それは酔いのせいもないことはないが、ほとんどの場合は漫才や落語のネタのように毎度おなじみのパターンであり、水戸黄門でいつも決まった時間帯に助さんや格さんが印籠を出すのにも似た偉大なるマンネリズムのようなものだ。 第一、しらふであっても仕事以外はくだらない話に終始していた。

グリコ森永事件が世間を震撼させていた頃、店でチョコレートを指差し、「気をつけろ!このチョコに毒が入っているぞ」 とネタをふり、「それイチゴ(苺)って読むんです」 という会話も常態化していたし、「港(みなと)じゃ有名な話だ」 などと巷(ちまた)をわざと読み違えたりもする。 そんなグダグダな仲間が酒を飲むと、もっとグダグダになってしまうのは言うまでもない。

条件反射の代名詞として 『パブロフの犬』 という実験がある。 必ず犬に餌を与える前に鈴を鳴らしていると、犬は鈴の音を聞いただけで唾液を分泌するようになるというものだが、いつも決まったパターンの会話を続けていると、ツッコミもパターン化しており、「お前はパブロフの人間か」 と攻めると 「あ~、あの犬が餌食っているの見ると鈴鳴らしたくなるやつ」 という返しのボケまでパターンに組み込まれる。

たまにボケではなく本当に間違えることもある。 月面への第一歩を踏み出したのはアームストロング船長だが、それを 「ルイ・アームストロング船長」 と言って大笑いされたやつがいる。 実に惜しい。 正確にはニール・アームストロング船長であり、ルイ・アームストロングはサッチモと呼ばれた 20世紀のポピュラー音楽における偉大ななミュージシャンである。

その間違いが縁で彼はルイ・アームストロングの CD を購入し、愛聴することになったが、そこまでを 1セットとして酒を飲みながら長く語り継がれることになった。 『ツーと言えばカー』 という言葉があるが、我々の間では 『ツーと言えばヨヒョウ』 というのが定番だった。 ご存知、『夕鶴(鶴の恩返し)』 という物語の主人公で、鶴の化身である 『つう』 と夫の 『与ひょう』 からきたものだ。

とにかく一時が万事、まともとは思えず、普段から酔ったような会話を続けており、そこに酒が入ると訳が分からなくなる。 店の大将も呆れ顔で見ていたが、そんな若者たちをよく面倒見てくれたものだ。 店の売り上げにもある程度は貢献していたと思うが、一週間の疲れを笑って吹き飛ばすため、その店では週末の夜に果てしなき狂宴が長く続けられることになったのであった。

年金問題

消えた年金問題も収束しないうちから、新たな火種となるデータ消失問題まで発覚して社保庁は対応に追われているようだ。 まだ年金を受け取っていない現役世代に影響がある記録は約 300万件にもなるそうだ。 我が家にはまだ届いていないが、現役世代に対する 『ねんきん特別便』 の発送も開始された。

この問題で国会が紛糾し、参議院選挙で自民党が大敗を記した際も、どこか現実味がなく自分の年金について考えることもしなかった。 今まで支払いを拒否したことなどないが、積極的に支払った記憶もない。 いったい自分の年金がどうなっているのかさっぱり分からないし、むしろ興味すらなかった。

若い頃は年金に無関心であったし、受け取る年齢に達するのはまだまだ先のことなので今も切迫感がない。 こんな人は少なくなかっただろうし、お年よりは自ら行動しなくても自動的に支払われると安心していたはずだ。 国民の関心が寄せられたという点においては騒ぎになったのも悪くはなかっただろう。 だたし、それは無事にすべてが解決できればの話である。

10年ほど前、勤めていた会社が倒産した際に年金、健康保険などの手続きなどを自分でやらなければならなくなった。 その年は空梅雨で、6月だというのに異常なまでに暑い中を様々な手続きをするため大阪市内を駆けずり回った。

失業保険の手続きをするためにハローワークにも行ったりしたが、どこの役所でもヒマそうにしているオッサンとかネエチャンがおり、汗を流しながらバタバタと動き回っているこちらをよそに、冷房の効いた館内で一点を見つめながらボワ~としている奴もいれば、訪れる人を眺めながら印刷物を一枚一枚、それはそれはゆっくりと折り、ときどき薄ら笑いをうかべている奴もいた。

その時も人の税金で給料をもらっているくせに何という態度かと思っていたが、そんな奴らが単純な作業すらまともにできていないと分かったのだから余計に腹が立つ。 組織には、優秀な人が 2割、普通の人が 6割、パッとしない人が 2割という構成になりやすい 2:6:2の法則があるが、あの官庁は 1:1:8 くらいの構成ではないだろうかと疑いたくもなってくる。

もっと合理化し、コンピュータ化も進めば人員を半分にしたところで何の問題もないことだろう。 いや、税金の無駄遣いでしかないのだから訳の分からない奴は即刻クビにすべきである。 『全国健康保険協会』 とか 『日本年金機構』 などという新しい公法人を設立したところで中の人間が同じであれば何も変わらないに違いない。

インターネットで自身の年金加入記録をいつでも閲覧できる 『年金個人情報提供サービス』 などを慌てて開始してご機嫌とりをするヒマがあったら、さっさと記録の整合性を保ち、問題の解決に全力を傾けていただきたいものである。

で、自分の年金であるが、20歳を過ぎても学生をしていたりフラフラしていた時期もあり、最初の会社は契約社員として働いていたので、まともに年金を納めだしたのは人よりかなり遅いと自覚しており、受取額が低くなってしまうことを覚悟していた。

ところが最近になって年金手帳を確認してみたところ、若い頃から支払われていることが分かった。 仕事をする以前は親が、契約社員として働いていた会社も年金だけは払っていてくれたみたいだ。 この先どうなるか分からないし、支給額だって思いっきり引き下げられる可能性も大きいが、とりあえずは人並みに受け取れることになりそうである。

今は親と最初に勤めた会社に感謝しなければなるまい。