第一印象

過去の雑感に何度か書いたが、第一印象というのは大事なものであり、自分の場合は人から冷たく見られたり、怖そうに見えたりするらしいのでとても損をしているような気がする。 それが誤解であって、実はとっても心優しく人情味あふれる素敵なオッサンであることはなかなか理解してもらえず、付き合いも長くなってから 「第一印象と違いますね」 と言われることが多い。

人に対してのものだけではなく、店であっても最初の印象で好き嫌いが決定してしまう場合もある。 主人や店員のちょっとした仕草や態度で店自体がとっても気に入ったり、「二度と来るもんか!」 と腹を立てたりすることすらあるので接客業は大変だ。

国も同様で、出会った人やその国で暮らす人々から受ける印象で好きにも嫌いにもなる。 そこでオリンピックという一大イベントを目前にした中国がマナーの向上に国を挙げて力を入れている訳だ。 行ったことはないが、伝え聞くところによると順番を守らず列に並ぶことも知らなければ、信号をも守ることも知らず、店で人が手にしている商品を横取りするような人たちらしい。

世界中から人が集まるオリンピック開催期間にマナーの悪さで国の印象まで悪くなれば、その後の観光事業にも影響が出かねないので必死になって人民を教育しようとしているらしいが、今までの蓄積でそれが常識になっているので、残り一年程度で改善するのは難しいかもしれない。 一党独裁の国だから人民への教育が徹底し、見違えるような成果をあげる可能性も否定できないが。

自分が初めて大阪の土を踏んだのは出張で大阪本社に来た十数年前のことだが、その時に受けた印象は今でも忘れない。 空港から一歩外に出ると地獄のように暑い。 シャトルバスの中で女性二人がずっと喋っていたのだが、それがまるで漫才のようだ。 本社のある日本橋でバスを降りるとドブのような臭いとレゲエのオッサンが発する臭いで鼻が曲がりそうになる。

仕事を終えてから酒を飲むことになり、ミナミを歩いていると様々な信じられない光景が目の前に。 ある店の前には自転車が生けてある。 放置自転車に業を煮やした店のご主人が腹いせに積み上げたのだろうが、それがまるで前衛作家の手による生け花のような雰囲気を醸しており、思わず立ち止まってうず高く積まれた自転車を見上げてしまった。

少し先に進むと電柱の足を掛ける突起物に自転車が吊るしてある。 それも普通では手の届かない高い場所だ。 誰が何の目的で吊るしたのか。 さらに道を歩くと交差点の中央分離帯にある白線が引かれた場所、つまりゼブラゾーンに車が停まっていた。 同行した人によると、「場所が開いてるからちゃう?」 ということ。 ナンバープレートもない車が道路脇に停められていたのは 「捨てたんちゃう?」。

なんともはや、凄まじいことである。 帰りはホテルまでタクシーに乗ったのだが、窓越しに見える光景もすごい。 三車線の道路の中央の車線に車が停められている。 昼間は二重、三重の路上駐車になっており、それらが発進してたまたま道路の真ん中にある車だけ残った結果だという運転手さんの話し。 それを聞かなければ普通は理解できない状況だ。

途中、高速に乗ったのだが、その道路の真ん中には日本髪のカツラが落ちていた・・・。

そんなこんなで、大阪の第一印象は決して良いものではなかったが、ここまでデタラメだと好きとか嫌いとかを超越して可笑しさの方が圧倒的に勝り、まるで異国のような感じすら覚えたものである。 縁あって、そんな大阪に暮らすようになって早や十数年。 今では少々のことでは驚かなくなってしまったが、あの時に受けた印象は今でもずっと心の中に残っている。

樹の精霊

童話やファンタジー系の物語には、森の主や長老として樹齢が何百年にもなる大きな樹が登場し、遠い過去から現在に至るまでの様々な歴史を見てきた生き証人として迷える主人公に助言を与えたり、森の動物達と意思の疎通を図ってくれたりするシーンがある。 実際は樹に感情があったり記憶力があったりするのか分からないが、人を落ち着かせる何かがあるような気がする。

過去の雑感に何度も書いたが、大自然に囲まれた田舎で育った自分は背丈ほどもある草むらの中を走り回ったり、小川に飛び込んだり樹に登ったりして遊ぶ野生児だった。 小学生の頃はガキ大将として君臨しており、その性格は粗暴、他校の生徒とも喧嘩を繰り返す手のつけられない悪ガキで、さぞかし親も苦労したことだろうと思う。

親からこっぴどく叱られたリ、喧嘩に負けて落ち込んだときなど、小学校の裏手にあった大きな樹の太い枝に幹をまたいで横になり、何時間でもボ~っとしたり昼寝をしたりして過ごしたものだ。 多くの子供が樹に登って枝を踏みつけるため、変形して適度に平たくなっているので横になっても安定感がある。 さらに幹を股に挟んでいるので少しくらい動いてもバランスが崩れない。

その樹は小学生の自分から見ると、それはそれは大きく、幹に抱きついても手は一周せず、三人くらいが手を繋いでやっと届くほど太かった。 樹の枝をつたって上まで登ると体育館の屋根と同じくらいに感じられるほど背が高い。 夏にはいっぱいの葉を繁らせるので枝で横になっていると日をさえ切ってくれて涼しい。 葉と葉の間からチロチロとこぼれてくる太陽の光が綺麗に見える。

その樹の枝で横になっていると、なぜだか本当に気分が落ち着いた。 粗暴な悪ガキすらも落ち着かせる不思議な力を持っているのかもしれない。 イタズラや喧嘩をしても樹は自分を叱ることもなく、ただ自然の力で包み込んでくれる。 ひどく悔しい思いをして泣きそうになったときも、樹に触れていると心が安らいだように思う。

これも過去の雑感に書いたが、母親の激怒から逃れるために繰り返した 『超プチ家出』 で、暗くなってからの逃亡先は叔母の家と決まっており、行動パターンが読まれているためすぐに御用となってしまっていた。 ところが昼間であれば、ぐんと行動範囲は広がる。 友達の家に逃げ込んでも良いし、外で遊んでいる仲間に合流すれば自然に時間は過ぎて行く。

ところが暗くなり始めると一人また一人と仲間は帰宅してしまい、最後には一人ぼっちになってしまう。 そんな時に頼りになるのは学校裏の大きな樹だ。 自転車が見つからないように近くの窪みに乗り捨てて、葉が覆い繁る樹の枝に寝ていれば誰にも知られずに済む。 そして心が安らぎ、あまりにも気持が良いので、そのまま朝まで寝ていたくなる。

しかし、そこは金を持たぬ子供の悲しさで、腹の虫がグルルと鳴り始めても食べるものがない。 お腹と背中がくっつきそうになり、仕方なく窪地から自転車を引き上げてトボトボと樹のそばを離れる。 振り向くと青白い空に樹が真っ黒いシルエットを浮かべ、優しく見守ってくれているような気がした。

家では母親が半狂乱になって自分を探し回っており、昼間の怒りに輪をかけて叱られる。 それでも心の中には、帰り際に振り向いて見た樹の黒くて大きな影が残っており、母親のガミガミ言う声もどこか遠くで響く。 樹に触れていた何時間かですっかり心が落ち着き、怒鳴られても叱られても大きく動揺しない強さが宿ったのかもしれない。

腹の立つことや悲しいこと、楽しい思い出もたくさん詰まって自分の記憶の中に刻まれている大きな樹だが、その樹には自分と接した記憶があるのだろうか。 通った小学校が数年前に建替えられ、以前は野原だった場所に移動した。 その際に、あの樹は伐採されてしまったのだろうか。 今、この雑感を書いていてとても気になり、その樹の存在を確かめたくなってきた。

今度はいつ帰省するか分からないが、実家に帰った折には樹を見に行き、実際にこの手で触れてきたいと思う。

歯医者三軒目-終章-

過去に通った歯医者

その歯医者には回数にして 四十数回、期間にして半年間も通う羽目になってしまった。元はと言えばボロボロになるまで放置しておいた自分が悪いのであり、『身から出た錆び』 とか 『自業自得』 という言葉を身にしみて思い知らされたのであったが、よりによってこんな歯医者に長く通うことになるとは・・・。しかし、歯医者を選定したのも自分であるため、それも自己責任ではあるのだが・・・。

最初はオシャレな雰囲気に圧倒されたり興奮していたりしたのだが、何度も通ううちに変なことが気になりだした。待合室の大型 TV に映し出されている映画は 『ボディーガード』 など当時ヒットしていたものも多かったが、『プレデター 2』 などのような猟奇的、暴力的なものが多い。それが何度も何度も ”上映” されるので長く通っている人などは画面を見ずに本を読んだりしている。

待合室の片隅には熱帯魚が飼育されていたのだが、よく見ると水槽の上に 「院長作」 というカードが立てられている。何が 「院長作」 なのだろうと思い、近くで見てみると水槽の中には古代遺跡のオブジェが沈められており、その影からバルタン星人のフィギアがこちらを見ている。日によって古代遺跡がローマ神殿になったりバルタン星人がウルトラマンに変わったり変化を楽しんでいるようだが、とても気持ち悪い。

医者たる者は内科医であろうと外科医であろうと歯科医であろうと落ち着いた雰囲気の人が個人的には望ましい。しかし、院長と呼ばれるその先生は激情型のとってもヒステリックな人だった。患者の目の前で助手さんを平気で叱り飛ばす。その他の技師さん達にもネチネチと嫌味を言っている。その先生が主たる要因だとは思うが職場(院内)の雰囲気がギスギスしていてとても暗い。

『キレイなお姉さん』 と思っていた受付の女性が院長の奥さんなのか愛人なのか恋人なのか分からないが、助手さんたちに対する態度がやたらとでかく、高圧的に叱りつけたり何事かを指示したりしている。そこに勤めていた女医さんなどは院長に嫌味を言われても無視してみたり、悔し泣きしながら治療を続けていた。そんな状況であったから人の入れ替わりが激しく、仕事に慣れる前に辞めてしまう人が多い。

次々と新しい人が来て、一から仕事を覚えなければならないため、院長がまたイライラするという悪循環に至っていたようだ。そういったことで一番の被害を被るのは患者である。口の中の水や唾液を吸引する器具の使い方を教えるのも患者が実験台で、「吸い出すときは横から」 とシュゴゴ〜とやって見せる。「奥まで入れすぎると」 と器具を突っ込まれた時は 「おえっ!」 となってしまった。

人が 「おえっ」 となっているのに 「ほら、こうなるから」 などと説明している。「何するんじゃ〜!」 と言ってやりたかったが、その後の治療で痛くされてはたまらないので、じっと耐えるしかなかった。家族も被害にあっている。歯茎を縫い合わせる糸は抜糸の必要がないように自然に溶けてしまう 「高級な糸を使ってますからね」 などと患者に自慢するくせに、助手さんがその糸を長く使用してしまった。

すると糸の両端を持ち、横に広げながら 「もったいない」 と助手さんを叱りつけるのだが、歯茎と繋がったままの状態でそれをやるものだから唇の両端がジョリジョリされて赤くなってしまった。仕事に慣れない人ばかりのため患者として辛かったのは歯の型をとる作業である。ピンク色のデロリ〜ンとしたものを入れられ、それが固まるまで待ち、ゆっくりと外して型を抜くのだが、外し方が悪いためか何度も失敗する。

一本の歯の型をとるために 5回も 6回もやり直しである。一緒に通っていた家族は何度失敗されたか 「12回目までは数えていたけど、面倒になってやめた」 くらいなのだ。それで精巧な型がとれるのならまだしも、できて来た差し歯が合わずに取れてしまうこともあった。そんな時は再治療、差し歯の作り直しである。こちらに責任がなく、技量が未熟なために再治療になったにも関わらず金はとられる。

電化製品などのように歯にも保証期間を設けるべきだと心底から思ってしまった。そして、そんな歯医者に通うのはとても嫌だったが、カルテ類の一式を患者が入手し、他の歯医者で続きの治療を受けることは不可能なため、一度通い始めると最後まで続けなければならないという不条理きわまりない慣習である。それに加えて嫌でも通い続けて早く治療を終わられなければならない事情ができてしまった。

会社から大阪本社への転勤を言い渡されてしまったのである。その 8月は実父が入院中で余命いくばくもなく、年を越せるかどうかという状態だったので、「転勤は春まで待ってもらえませんか」 と陳情したが受け入れられず、10月の転勤が決定してしまった。そうなると 9月中に治療を終わらせなければならない。それからは滅多に使ったことのない有給休暇を乱用し、毎日のように歯医者に通った。

そして引越しを翌週に控えた 1994年 9月 22日 木曜日 最後の治療が終わった。長く辛い地獄の日々から開放された記念すべき日である。10月、引越しも無事に終わり大阪府民になった。治療が終わってから一年目の 9月・・・前歯がポロリと抜け落ちた・・・。

マサルノコト scene 12

scene 11 に書いたようにマサルはとにかく真面目な奴で、それは真面目の上にクソが付くくらいなのだが、もの凄く短気でキレやすいのもマサルの特徴だ。 時には教師に向って攻撃的にでることすらあった。 当時不良だった自分とは異なり、最初から教師に対して挑戦的という訳ではなく、真面目な性格が災いしてか、理不尽なことに対しては異常なまでの拒否反応、過剰反応を示すのである。

マサルの天敵に社会科を教え、『カバレンジャー』 というあだ名を持つ教師がいたのだが、教科を担当していた一年の間に何度となくマサルとの抗争事件が繰り広げられた。 端緒となったのはテストが返される際の出来事である。 一人ずつ名前を呼ばれ、採点済みのテストを受け取りにいく。 マサルの名が呼ばれ、カバレンジャーからテストを受け取るときに誰かがマサルを呼んだ。

その声に反応して振り返るのとカバレンジャーの手からテスト用紙が離れるのが同時となった結果、少しだけ強い勢いで手から離れることになり、それに対してカバレンジャーが 「なんだ!その受け取り方は!!」 と怒り出した。 乱暴に取った気などないマサルはポカンとしていたが、カバレンジャーは 「やりなおせ!」 と言い、マサルからテスト用紙を奪って席に戻るように指示する。

その段階で少しカチンときていたマサルだったが、一応は大人しく席につき、再度名を呼ばれてカバレンジャーのもとへ行くと、うやうやしく両手でテスト用紙を受け取った。 そうされて逆上したのはカバレンジャーだ。 「なんだ!そのわざとらいしい態度は!もう一度やりなおせ!!」 と顔を真っ赤にしてわめき散らしている。 憮然とした表情で席に戻るマサル。

その段階でマサルの体内の血液は沸点に達し、完全に目が据わっている。 三度目の名が呼ばれ、席を立ったマサルはドスドスドスと音を立てながら歩き、カバレンジャーの手からテスト用紙をもの凄い勢いでひったくり、目の前でビリビリに破いて床に叩きつけ、ドスドスと自分の席に戻ってどっかと座り、腕組みをして 「何か文句でもあるか」 といった感じで睨みつけている。

カバレンジャーはモゴモゴと文句を言っていたようだが、あまりの迫力に押されてしまい、第一次抗争事件はウヤムヤのままブスブスと火種だけをのこして一応の決着をみた。 それからというもの完全に目をつけられてしまい、ほんのわずかな私語やアクビなど、ことあるごとにマサルを叱るカバレンジャーと、それに耐えつつも時々反撃に出て抗争事件を引き起こすマサルの姿があった。

中学二年当時、他のクラスの担任が 「君たちを受け持つ一年間、決して怒らない」 という約束をして、それを見事に果たしたのだが、その一年間の反動からか、翌年にはすぐに怒り出す暴力教師へと華麗なる変身を遂げた。 その事実をまだ知らない生徒は何が起こったのか理解できず対処に困っていたが、ある日の午後に事件は起きた。

数学を担当するその教師が教室に現れ、授業を始めようとしていたときに最前列に座るケンゾウという奴が隣の奴と話をしていた。 そこで注意すれば事は済むはずだったのに、その暴力教師は数学の授業で使う大きな三角定規でケンゾウの顔を往復で殴った。 それを目にして真っ先に反応したのはマサルであり、我々不良組みが 「オラオラ」 と言って席を立つよりも早かったのである。

そんなマサルの性格も大人になったら直るものかと思っていたのだが実際は変わらないものらしい。 今も勤める、その名を誰もが知っている大企業で、入社直後に受けていた研修の教官と大激突をやらかしてしまい、それが祟って日本の端にある小さな営業所に飛ばされてしまった。 マサルのことだから妙なキレ方をしたのではなく、自身の中にある正義感では許せない理不尽があったものと思われる。

人並みにズルく世間を渡ろうと思えば何も衝突までしなくても良いはずだが、それを許さないのがマサルらしいところであり、良くも悪くも性格が真面目すぎるから引き起こしてしまう騒動なのだろう。 今では互いにオッサンとなり、鋭くとがった角も丸くなって落ち着いたものと想像するが、マサルのことだから相変わらず上司と衝突を繰り返しているのかも知れない。

信じる者は

どこの国の、どの時代の哲学者なのか忘れてしまったが、「人は聞きたいと思っている話を聞くと信じる」 と言った人がいる。 それは正にその通りであって、単純には健康志向の人が 『みのもんた』 の話を聞けば 「なるほど」 と感心し、体重を気にしている人が 『あるある』 のダイエット特集を見れば、その信憑性など疑うことなく納豆を食べまくったりすることになるのだろう。

その他にも、良く思っていない人の悪い噂を耳にすれば、その情報の精度が低かろうと 「やっぱり」 と思ってしまうだろうし、自分の考えに近い意見を聞くと、それが正しいか間違っているかに関わらず 「思ったとおりだ」 と納得してしまう。 事が単純なものであれば大きな問題にはならないが、似たようなことがきっかけで大きなうねりの中に身を投じてしまう結果を招くこともあるので注意が必要だ。

欲の皮が突っ張り、利益を求めすぎた結果、誰がどう考えても怪しげな儲け話を信じてしまい、詐欺などに引っかかる人もいる。 去年の夏、自分にも怪しげな話を持ちかける人がいた。 プラチナやゲルマニウム、パラジウムなどのレアメタル (希少金属) の採掘現場 (国) から需要国まで運ぶ船を共同出資で借りると、40%以上の配当が得られるという儲け話だ。

そんなことにまったく興味がなかったし、40%以上という常識を逸脱した配当などあり得るはずがないので、口では 「へぇ~すごいですね~」 とか適当なことを言いつつも心のなかでは 「あほかっ!」 と馬鹿にしながら話しを聞いていた。 しかし、あまりにも熱心に勧めるのでイライラ感が MAX に達してしまい、矛盾点をいろいろ突いて相手を質問攻めにしてやることに。

それほど利益が上がるのなら、なぜ一人で儲けようとせず、複数の出資を募るのか。 それに対する答えは金額が大きすぎて一人で用意できる金ではないということで一応は 「なるほど」 と思える内容だが、その次がいけない。 この儲けをみんなで分かち合いたいから。 その時点で嘘臭さ 230%増しであり、そんなに徳のある人が儲け話など持ち掛けるか! と言いたくなる。

40%以上の配当の根拠はいかに? それに対する答は出るか出ないか分からない鉱石を今から採掘するのではなく、すでに出ているものを運ぶだけなので間違いがないこと、すでに売り相場も決まっているので価格変動リスクもなく、唯一のリスクは悪天候などで船が沈没することだけだと言う。 だとすれば保険をかけた上で銀行融資を申し込めば何も問題はなく、出資を募る必要がないではないか。

その後もグチグチと説明しようとしていたが、あまりにも腹が立ったので、この手の話を持ちかけるようであれば、今後一切、会うことも話すこともないと告げて席を立った。 その後、それとは違う事情で彼とは会っていないが、今頃どうしているだろう。 そして、あんなに怪しげな話に乗って金を出した人はいるのだろうか。 いや、金が欲しくてたまらない人は投資したりしたのかもしれない。

このような詐欺まがいのことだけではなく、自分が苦しくて助けを求めた結果、それがたとえカルト的宗教でも信じてしまう人がいる。 誰がどう考えても変な教えや、不必要なくらいの金品強要、しまいには空を浮遊することができるという非科学的な体験談を披露する教祖様まで現れる始末なのに、それを信じて疑おうともしない。 高額なグッズに身を包み、幸せそうな顔をしている。

一般常識から見れば、どんなに理屈に合わないことであれ、本人が幸せならばそれで良いのかも知れないが、それは一過性の心のよりどころでしかなく、現実に返った時には抜けるに抜けられず、たとえ抜けられたとしても、すべてを吸い上げられた後で金もなく、一般社会に復帰するのも大変な苦労を伴なうというのがオチである。

別に自分が冷静であるとは思わないが、何でも疑ってかかる性格なので、今のところは妙な誘いに乗らずに済んでいる。 しかし、それと同時に UFO の存在やツチノコの存在は信じて疑わなかったりするアンバランスな考えの持ち主であるのが困ったものであるのは自覚していたりするのだが・・・。

プロフェッショナル

プロ野球の中継を観ながら、応援しているチームの選手がエラーしたり、打って欲しいときに三振したりすると 「アホか!」 などと悪態をついてしまうことは多々あるが、実際にプロの野球選手として活躍している人は人並み外れた身体能力とセンスの持ち主であり、さらに日々絶え間ない努力によって更なる技術の向上と体力の向上を図っている訳である。

口では文句を言いながらも、自分には 150km/h の球を投げることも打つこともできないし、とてつもない速さで飛んでくる打球を横っ飛びでキャッチすることもできるはずがない。 それどころかバッターボックスから一塁まで全力疾走する体力すらないように思う訳であり、ちょっと足が遅くてアウトになった選手に対して文句を言える権利などないのではないかと反省したりする。

どんな職業であれ、その道のプロというのは尊敬すべき存在ではあるが、中には変な意味でプロを自認する人がいるので、そこが少し困ったものである。

知り合いに禁煙のプロを自認する人がいる。 過去に何度となく禁煙に成功しており、「その気になればいつでも止められる」 とタバコをプカプカふかしながら豪語するのだ。 何度も禁煙したということは、それが長続きせずに何度も喫煙を再開したということであり、つまりは失敗の連続ということになりはしないだろうか。 その点を突いてやると、ムキになって 「ちがう!」 と言い張る。

いつでも止める自信があるから現在はタバコを吸っているのだと。 もし、止める自信がなければ金輪際タバコは吸わないと主張する。 もしかしたら正論なのかも知れないと、あぶなく言いくるめられそうになってしまったが、やはりおかしい。 彼の論法からいくと、禁煙する自信がない人は二度と吸わず、自信がある人ほど喫煙を再開することになる。 つまり、自信がない人ほど禁煙に成功する訳だ。

それでも彼は頑として 「いつでも止められる」 と言い放つのだから、次の目標には 『二度と吸わない』 を付け加えると良いだろう。 そうすれば完璧な禁煙が成功するものと思われ、禁煙のプロを自認できなくなってしまうかもしれないが、人から突っ込まれたり笑われたりすることもなく、肺ガンのリスクからも開放されるので、そんなに良いことはないのではないかと。

以前に勤めていた会社の同僚にはダイエットのプロを自認する奴がいた。 過去に何度もダイエットに成功しており、「その気になったらいつでも痩せられる」 のだそうだ。 これも上述した 『禁煙のプロ』 と同じで、何度もリバウンドを経験しているから、何度もダイエットを試みなければならないのではないかと思われるのだが、本人はムキになって 「ちがう!」 と言い張る。

いつでも体重を落とす自信があるから今は好きなだけ食べるのだと。 ボクサーじゃあるまいし、何度も減量を繰り返す必要はないのだから、一度痩せたら体型を維持すれば良さそうなものだが、「痩せる自信がなければ、こうやって好きなものばかり食べない」 とドスコイ状態の彼は胸や腹を張る。

恐ろしいことにプロを自認する二人の主張や論調は同じだ。 過去の成功体験が彼らに妙な自信を与え、結果的に同じ間違いを繰り返すことになっている。 それは企業にも通ずるものがあり、過去に殿様商売をしてハードの性能向上に突き進んで自滅した任天堂がそれを猛烈に反省し、DS や Wii を開発して成功、復活したような例は稀で、多くは過去の成功体験を踏襲して失敗を繰り返す。

いろいろと勉強になったりする面はあるが、禁煙にもダイエットにも興味がないので、今の自分には教訓を生かすことができそうにない。

歯医者停滞期

過去に通った歯医者

その始まりは先週の雑感に書いた歯医者が原因だった。あまりにも治療がヘタで、血も通わぬ問診を繰り返すような所へは行きたくなかった。しかしそれは第二の理由で、本当は遊ぶのに忙しくて歯医者通いは面倒だったというのが最大の理由である。友達と遊ぶ時間を割いてまで歯を治療したいとは思わず、徐々に進行していく虫歯を放置していたため最後には悲惨なことになってしまった。

人間には自然治癒力というものがあり、体調を崩しても怪我をしても回復するのであるが、歯だけは自然に治るものではない。理屈では解っていても痛みが去ると通院する気が失せてしまう。再び痛くなってくると通院すべきか悩むのであるが、痛い部分を氷で冷したり、正露丸を直接つめたりしているうちに痛みが治まり、再び通院する気が失せるという繰り返しだった。

最初は左上の奥歯に小さな穴が開いた。初期段階は冷たい物を口にすると、しみる程度だったが穴は徐々に大きくなり、ズキズキと痛み出した。それでも痛みには周期があり、一定時間を我慢していると嘘のように治まってしまう。それを繰り返しているうちに痛くなることがなくなってしまったので歯医者に行かずに放っておいた。もちろん虫歯は進行したままである。

それ以来、食べ物を噛むのは右側だけになったのだが、今度は右上の奥歯が腐り始めた。そこで痛みもなくなった左側で噛むようにしていたところ、今度は奥から二番目の歯が崩壊し始めた。次に噛むのを右側に戻していると右側の奥から二番目の歯が駄目になり・・・。だんだん噛む場所がなくなってきたので物を良く噛まずに飲み込む癖がついてしまった。

そんな状態になっても歯医者に行かず放置したまま生活していると、虫歯は前歯まで広がってきた。後で知ったことだが、虫歯はミュータンス菌によるもので ”菌” というくらいだから当然のことながら感染する。じつは、生まれたばかりの赤ちゃんの口の中には、虫歯菌(ミュータンス菌)はいないのだそうだ。もし、そのまま大人になれば虫歯で苦労することもない。

どうして虫歯菌が住みついてしまうのかというと、それは身近にいる親からもらってしまう。赤ちゃんが使うスプーンをうっかりなめたり、親の箸で一緒に食べさせたりすると虫歯菌が赤ちゃんの口の中に移っていくことになってしまう。虫歯になると 「丁寧に磨かないからだ!」 と叱られたものだが、実は親に原因があるので子供から 「お前のせいだ!」 と反撃されかねないのである。

そんなことはさて置き、前歯まで広がった虫歯は左側の犬歯を壊滅状態にしてしまった。すると土台を失って安定感を失ったためか、隣の挿し歯がとれてしまったのである。いよいよ歯医者に行くべきかとも思ったが、やはり面倒なので瞬間接着剤でくっつけてみた。接着剤の威力は絶大で見事に歯は固定されたのだが、少し斜めについてしまった。格好の良いものではなかったが、「まあいいや」 と再び放置。

それから少しして前歯の一本が折れてしまった。原因は虫歯が進行していたのはもちろんだが、ボキッと折れた直接の原因は喧嘩だった。殴り合いの喧嘩をしていて顔面にパンチをくらった時に弱っていた歯は衝撃に耐え切れずに、もろくも崩壊してしまったのである。折れた歯を再び瞬間接着剤でくっつけようと試みたが、断面が合わずにあえなく失敗に終わってしまった。

それから数日後、折れた歯の残りの中心部から何かがぶら下がっている。食べ物が詰まっているのかと思い、楊枝でコリコリしてみると異常な痛みが走る。何だろうと思いつつも気になってしかたないので爪ではさむようにして思い切り引っ張った。そのとたんに電流のような痛みが体を走り、脊髄までしびれた。今から考えると ”あれ” は神経だったのかもしれないが、痛みで三日間ほど寝込んでしまった。

ここまできたら、いよいよ歯医者・・・と普通の神経の持ち主であれば考えそうなものだが、『自分で神経を抜いた男』 はこんなことではめげないのである。それからも長らく歯科医の門をくぐることはなかった。笑うと前歯がなく、それ以外の歯もガタガタだったので、とても人様にお見せできるような姿ではなかったと思うが、本人は臆することもなく平気な顔をして生活していた。

そんな自分にも転機が訪れ、やむを得ぬ事情により二十数年ぶりに歯医者に通うことになった。ところがその歯医者というのが ・ ・ ・ ・ ・。 次週につづく。