大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

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2002年 4月

駅構内人間模様 駅構内人間模様

  以前の雑感で 「電車内人間模様」 を書いたが、少し範囲を広げて駅構内を見渡すと、そこにはもっと様々な人がいる。電車内で見られるのは同じ車両に乗り合わせた人たちだけだが、ホームや駅構内には他の車両にいた人たちや、他の電車に乗車していた人もいる。

  大阪駅のホームでよく見かける ”オバハン” はとても暑がりだ。皆がコートを着始める秋、電車内には暖房が入る。車内に設置されている温度計は 22℃を示しているのだが、そのオバハンにとっては暑いらしい。汗をダラダラ流しながらホームを歩き、最後尾にいる車掌さんに 「車内が熱すぎる!」 と抗議している。乗客のことを思って空調のスイッチを入れ、平均的に快適と思われるような温度を保っているわけだから文句を言われてさぞかし困っていることだろう。

  そのオバハンは皆がコートを脱げずにいる春にも顔面に汗を噴き出しながら 「そろそろ暖房はいらない!」 と車掌さんに抗議していたし、ついこの前は 「そろそろ冷房が必要だ!」 と抗議していた。電車内にいる人の過半数以上が ”暑い” と感じているのであれば抗議も当然かと思うが、多くの人は暑過ぎるとは感じていない。自分が基準であるかのように 「みんなも暑いと思っているはずだ」 と延々と抗議している横を通過した時に 「そんなことはありませんよ」 と車掌さんに労いの言葉の一つもかけたくなってしまう。

  駅構内は禁煙であるはずなのに電車から降りたとたんにタバコに火を付けて歩いている人を見かけることも多い。「駅構内は禁煙です」 という張り紙やアナウンスなど完全に無視している。駅の出入り口にある灰皿にタバコを捨てるのならまだしも、そのまま床に捨てて足でグリグリしたりしているのだ。駅員さんや業者の人が掃除をしているが 「おまえのための掃除係じゃない!」 と言ってやりたい気分である。

  もっとたちの悪い奴はガムをそのまま吐き捨てたりする。これは簡単に掃除ができないので見ていても大変そうだ。床にこびり付いたガムを金属製の器具でコリコリ剥がしている。そういう苦労する姿を見て何とも思わないのだろうか。普通の神経の持ち主であれば 「迷惑をかけているんだな」 と思い、次からは気を付けるものだと思うのだが、一向にガムの数が減らないところを見ると普通の神経は持ち合わせてないらしい。

  もう一つ嫌なのが ”タン吐きオヤジ” である。歩いている後ろで 「か〜〜っ!」 と聞えると思わず早足で逃げてしまう。その後の 「ぺっ!」 で自分の足元に吐かれたのではたまらないからだ。なぜ公衆の面前で醜い姿をさらすのか理解に苦しむ。ホームに立っていて線路に吐いているのはまだマシな方で、駅構内の通路とかでも平気で 「ぺっ!」 としているオヤジも多い。いったいどういう神経をしているのだろうか。

  タバコの吸殻やガムを捨てるのも、タンやツバを吐くのも普通の神経だとはどうしても思えない。”公共の場” などとキレイ事を言う気はないが、自分の持ち物ではない建物の中で平気な顔をしてそういう事ができる神経とはどういう構造をしているのか解剖して顕微鏡で見てみたい気分である。そういう奴の家に行ってガムを床に吐き捨てたり、タンを吐いてやったらどういうリアクションを見せるのだろう。

  機械の調子が悪くなるとすぐにバンバンと叩くのは関西人に多いらしい。自動販売機でもお釣が出てくるのが遅かったり、品物が出てこないと、とりあえずはバンバン叩いてみる。昔の電化製品は調子が悪くなると叩けば動く事も多かったが、最近の機械は精密部品の集合体であるわけだから、衝撃や振動を与えると余計に調子が悪くなるのである。

  この前も自動改札機を通り抜けて歩いていると後ろで 「ばんっばんっ」 と音がする。何ごとかと振り返ってみるとオッサンが自動改札機の上を叩いているのである。そのオッサンは首をかしげながら今度は側面から 「ばんっばんっ」 と叩きだした。駅員さんがあわてて飛んできて 「どうしました?」 と聞くと 「切符が出てこない」 と怒っている。「定期券ですか?」 という質問に対して 「大阪から千里丘までの切符だ」 というお答え。「ここまでの切符なら出てきませんよ」 と言う駅員さんに向かって 「なぜだ?」 と問い詰める姿には思わず笑ってしまった。

  駅員さんもさぞかし苦労が多いと思うが、先月の千里丘駅は修羅場と化していた。どこだかの駅で人身事故があったため、電車が遅れたのである。いつもならホームで電車が来るのを待つのだが、その日はすでに電車が止まっている。不審に思いながらも車内に入ると 「事故による遅れ」 とアナウンスが流れていた。さらには 「復旧の見通しは立っていない」 ともアナウンスされている。

  ところがである。「復旧の見通しは立っていない」 と言っているにも関わらず、ホームにいる駅員さんを大勢の人が取り囲み、「何時になったら動くのだ!」 と詰め寄っている。見通しが立たないということは、何時になったら動くのか分からないということである。日本語も理解できないのだろうかと呆れてしまう。その駅員さんの責任で電車が遅れている訳でもないのに声を荒げて文句を言ってもしょうがないのである。

  そういう人たちの対応に困り果てたのか、「快速電車は利用している線路が違うので、通常運行しています。お急ぎのお客様は反対のホームから茨木に行って快速電車をご利用ください」 というアナウンスが流れた。すると驚いたことに 90%くらいの人が反対側のホームに移動し始めたのである。「みんな真面目に遅刻しないで会社に行くんだな〜」 と思いながらガラガラになった車内で悠々と本を読んでいた。

  見る見るうちに人が溢れてくる反対側のホームを見ていると、「お待たせしました。間もなく発車します」 というアナウンスが車内に響きわたり、ドアがプシュ〜と閉まる。電車がゴットンと動き出すのを見て反対のホームにいる人達は 「あ゛〜!」 と指さしながら叫んでいた。その後の駅員さんの運命を考えると恐ろしい反面、先ほどの光景を思い出して岸辺駅まで一人でニヤニヤしてしまったのである。

  駅構内には嫌な人種ばかりいるのではない。つい先日のことだが、同じ車両に女子中学生が三人乗っていた。車内では男の子の話をしたり、子供のクセに 「ストレス溜まるわ〜」 などと言っていた。電車が千里丘駅に到着するとその女の子たちも降りたのだが、そのうちの一人が 「おとうちゃんや〜」 と大きな声で叫びながら走っていき、父親と腕を組みながら歩き出した。どうやら同じ電車に乗っていたらしい。

  娘と再会した父親も 「お〜」 と言いながら腕を組まれてちょっと嬉しそうだった。今時の女子中学生は父親を嫌ってろくに口も利かず、外で会うと嫌なものだろうと思っていたし、自分も中学生のころは家の中以外で親と一緒にいるなど絶対に嫌だったのだが、その娘はニコニコしながら父親と腕を組んで歩いているのである。娘は友達に 「バイバイ」 と別れを告げ、父親と共に雑踏の中に消えていった。

  その光景を見てなんとなく微笑ましい気分になり、仕事の疲れも消えたような感じがしたのである。

2002 / 04 / 28 (日) ¦ 固定リンク

報道の自由 報道の自由

  もう 1年以上も前にこの雑感にも書いたことだが、最近のマスコミの報道姿勢には呆れかえっていた。ここにきて ”メディア規制3法案” が国会の場で審議されようとしている。当然のことながらマスコミ関係者は反対の大合唱だが、自分としては 「自業自得だ!」 と思うことが多い。

  マスコミには決して繰り返してはいけない ”あやまち” が過去にある。国の思惑や命令などにあやつられて ”嘘” の情報を国民に与えていた戦争当時のことである。日本は敗戦の色が濃くなっていたにも関わらず国民の士気低下を防ぐために 「〇〇海域で大勝利」 だの 「〇〇を制圧」 だのと嘘の情報を流しつづけた。国民はそれを信じていたから突然の降伏に愕然となってしまった。

  時代は変わったので、そのような利用のされ方は二度とないと思うが、国がメディアを規制することが正しいこととは思わない。しかし、あまりにも過剰な取材合戦は見ていても気分の良いものではないし、取材される側の人も気のどくに思えてしまう。また、怪我をするのではないかとヒヤヒヤすることだってある。どう考えても行き過ぎだったわけだから、ある程度の規制も必要なのではないだろうかという気になってしまう。

  マスコミ各社は 「メディア業界が自主規制によって諸問題を解決できるよう十分な時間をかけて審議すべきだ」 とか 「メディアの自主的、自律的な努力にゆだねるべき」 としているが、問題があると認識していながら自主性を持って改めることができないから法規制の動きが出たのである。今ごろになって 「自主規制します」 「努力します」 とは何ごとか。「うっかり調子に乗って暴走しちゃったけど、これからは気をつけるように ”努力” するから規制しないでね」 と言っているのと同じではないか。

  とくに TV報道を見ていて納得できないことが多い。以前の雑感にも書いたが、事件や事故の被害に遭って亡くなった人の葬儀にまで報道陣が押しかけ、肉親が嘆き悲しんでいる姿まで放送する必要があるのだろうか?外務省や雪印、破綻した銀行にも押しかけて出社する一般社員を追いかけまわし、結果的には何も答えてもらえない映像を流す必要があるのだろうか?わざわざ中継を繋ぎ、誰もいないと分かっている家の前でインターホンを押したり、「窓は硬く閉ざされたままです」 という必要があるのだろうか?

  事件を起したのが未成年者だったら親の責任もあるだろうから取材するのもある程度は理解できる。しかし、30にも 40にもなる加害者の親に取材する必要があるのだろうか?親が取材を拒否すると 「世間に対して申し訳ないと思わないのか?」 などと言い放ったり、祖父母や親戚縁者にまで取材の手を広げる。「あの子はそんな事をするような子じゃなかった」 とか 「被害者に何と言ってお詫びしたらいいのか」 などと言っている姿を国民に見せてどうしようというのだろう。

  加害者の家族や親戚はただでさえ肩身の狭い思いをしているのだと思う。それに追い討ちをかけるように写真やビデオまで映し、それを放送する必要があるのだろうか?第一、被害者や世間に対して申し訳ないと思わなければいけないのは加害者本人である。大人が犯した罪を親の責任と言わんばかりの取材には呆れてしまう。

  個人に群がる報道陣も何とかした方が良いのではないかと思う。逮捕された容疑者の顔を撮影しようと揉み合う報道陣、最近はニュースのレギュラーになっている政治家に群がる報道陣などである。一番近い所で撮影しようと先を争って押し合っているが、将棋倒しにでもなって怪我でもさせたらどうするつもりなのだろう?そうなったら潮が引くようにその場を離れて知らないふりをするに違いない。

  今回のメディア規制問題に関して各マスコミはこぞって反対のための特集を放送したりしている。その中で、メディアの力によって解決に向かった事件も少なくないと強調していた。古くはロサンゼルスで発生した殺人事件、例の ”ロス疑惑” から ”桶川ストーカー殺人事件” や ”和歌山毒物カレー事件” などが代表である。確かにそれらはマスコミの取材によって疑惑が深まり、公安や司法が動き出し、事件が解決に向かったのは事実である。

  しかし、”松本サリン事件” に代表されるように無実の人を容疑者呼ばわりして多大な迷惑をかけたのもマスコミである。マスコミに言わせれば 「容疑者・犯人などとは一言も言っていない」 となるのだろうが、一般市民が誤解してもしかたのない文脈や論調で報道したのは事実だと思う。さすがにマズイと思ったのか、後になって当人に出演してもらってお詫びをしている TV局もあったが、自分達がどれだけ大きな間違いをしてしまったのかを掲載している週刊誌や新聞を見たことがない。

  新聞などで 「警察では近く参考人として事情聴取する方針」 という一節をよく見かけるが、そのまま解釈すると 「あ〜やっぱり悪い事をしてたんだな」 と思ってしまう。しかし、この一節はマスコミの見込みである場合が多い。警察に 「取材した結果かなり怪しいから事情聴取すれば?」 と促しているようなものである。また、警察関係者に取材して 「参考人として呼びますか?」 「そうですね。疑いが濃くなったら呼ぶでしょうね」 というやり取りだけでも 「近く参考人として・・・」 という一文になる。

  「表現の自由、言論・報道の自由に国家権力が立ち入るのは問題」 と今回の法案に反発しているが、客観性がなく主観で書かれる原稿を活字にしたり放送に乗せたりするすることまで表現や言論の自由の枠でくくって欲しくない。報道は公平で客観的なものでなくてはいけないと思う。真実や事実 ”だけ” を伝えるのが報道であり、表現の自由、言論の自由とは距離のあるものだと思う。

  論理学者は 「自由とは制限されたものだ」 と説く。自由には必ず義務が伴うと。自由とはそんなに窮屈なものかとがっかりする面もあるが、自主的にでも法的にでも規制がなければ暴走に歯止めがかからない。マスコミに対して否定的なことばかり書いてしまったが、報道の自由に国家権力が立ち入ることに対しては賛成できない気持ちは同じだ。

  マスコミもギャーギャー騒ぐだけじゃなく、各社で協議して自主規制を打ち出す姿勢を示せないものだろうか。「協議した結果、これこれの自主規制を設けました。したがって法規制の必要はありません」 と前向きな提案を国にすれば良いのでばないだろうか。それすらもできなく、自由を盾にして騒いでいるだけなのであれば、マスコミに自浄作用を期待するの難しいのではないかと思う。

2002 / 04 / 21 (日) ¦ 固定リンク

  何がどうなっているのか阪神が好調を維持している。去年までのことを考えると、まさに春の椿事だ。”椿事”は ”珍事”とも書くが、早春に花をつける椿(つばき)を用いたほうが桜も散った今の時期にはしっくりくる。桜の季節も終わったのに椿が花を咲かすほど珍しい出来事なのである。

  新聞の見出しに 「盛り上がる阪神ファン、盛り下がる中日ファン」とあった。名古屋の中日ファンは ”男星野”の心意気を理解し、暖かい気持ちで阪神タイガースへと送り出した。当然のことながら 「阪神じゃ大変だろうけど頑張ってね」という気持ちだったと思う。ところが今は 「誰がそんなに頑張れと言った!」という状態である。阪神は 1位を独走、中日は 5位、6位を迷走しているので、さぞかし複雑な思いをしていることだろう。

  しかし、何が原因で阪神は好調なのだろう?たしかに星野仙一という人は優秀な監督だと思うが、監督が変わっただけでチームが変貌するとも思えない。意識の改革はできても個人が持つ能力まで急激に向上するはずがない。野村監督時代に植え付けられた野球に対する考え方が浸透し、当時の若手選手の育成が実を結び、今年になって花開いたのだろうか?

  誰か忘れてしまったが、「野球は個人プレー。個人の技を磨くことが重要でチームワークなど二の次だ」 と言っているのを聞いたことがある。少々乱暴な意見にも聞こえるが、真意は別のところにあるようだ。例えば内野ゴロを処理するにしてもエラーをしない。そしてファーストが補給しやすい球を投げる。これはチームプレーでもあるが、突き詰めると個人の技が劣っていればできない芸当である。

  打撃にしても同様で、得点圏にランナーがいる時は誰でもヒットを打ちたい。そしてヒットを打って点を得ることでチームの勝利に結びつく。それこそが点と点が繋がって線となる、いわゆる打線というわけだ。しかし、それとて個人の技に頼る部分が多く、技術が劣っていては次に繋げることができず ”線” にはならない。

  ということは阪神の選手の技が磨かれたため、今年の好調に繋がっているのだろうか?しかし、監督が変わったからといって急激に・・・と、思考が無限ループしてしまう。星野監督がある雑誌のインタビューを受けて 「強力な戦力を持ちながら、個々の選手の力が 1つにかみ合わず、分断されている。そのために本来の力が発揮できないことがある」と巨人というスター選手が多い球団でさえ ”点” が ”線” にならなければ勝てないと指摘していた。

  ・・・とすれば、やはり個人の能力や技術が優れていても勝てないということになる。しかし、技術が劣っていれば確実に捕球したり送球したり、ヒットを打つことはできない。逆に個々の能力や技術が高くても、重要な場面で打てなかったり、エラーをしてしまうと、やはり勝つことができない。だとすれば、個人競技ではなく団体戦で勝つために最も重要なことは何なのだろう?と考え込んでしまった。そんなことが解れば誰も苦労はしないので組織を運営する人にとっては永遠のテーマなのであろう。

  野球の解説を聞いていると 「チームに勢いがある」という言葉をよく耳にするが、その ”勢い”とは何から生まれるものなのか。「チームのムード(雰囲気)が良い」とも言うので ”雰囲気”という、まことに抽象的なモノが重要ということになるのか。では、その雰囲気を良くするために重要なことは・・・。などと、くどくど考えても仕方ないのであるが、スポーツに限らず組織が成功するための秘訣は是非とも知りたいものである。

  前述のインタビューの中で、久万俊二郎(阪神オーナ)氏に 「阪神の低迷の責任は現場だけではない。人事も金庫も持っている以上、あなたの責任も大きいはずです。そこを認識していただけなければ、現場だけではチームの再建は難しいですよ」と苦言を呈したと言い、選手に対しては 「”負け犬根性”を洗い流し、ハートを鍛え、戦う集団としての心構えを注ぎ込む」と発言していた。

  阪神は 「球団(フロント)がアホ」 だの 「選手の闘志が見えてこない」だのと言われ続けていたので、球団に対して責任を持たせ、余計なことを言わせず、選手の心構えが変わるのであれば確実に何かが変わるだろう。このインタビューはキャンプ中のものだったが、現時点ではその発言どおりに事が進んでいるものと思われる。やはり、好調の要因は星野さんが監督になった ことにあるのかもしれない。

  何はともあれ阪神が元気だと大阪も活気があって良いものである。先週の雑感に「阪神が優勝することによる経済効果は最低でも 1,000億円なのだそうだ」と書いたが、今の盛り上がりを見てそれが 2,000億円に上方修正されたそうだ。特に景気が低迷している関西にとっては阪神優勝の 4文字は景気回復の原動力になるかもしれない。

  どこかの商店街では優勝までのマジックが 130だの 129だのとカウントダウンまで始めているらしい。すでに優勝セールの企画をしている店もあってすっかりお祭り気分だ。今までは ”どよ〜ん”とした雰囲気だった人々もなんとなく明るい。星野監督はチームの雰囲気だけではなく、関西の雰囲気まで良くしてくれているようだ。

  残念ながら昨日(04/13)2敗目を記してしまったが、更にはプロ野球に熱心なわけでもなく、阪神のファンというわけでもないが、今年は頑張ってほしいと切に願っているのである。

2002 / 04 / 14 (日) ¦ 固定リンク

春の陽気 春の陽気

  春の陽気に誘われて例年よりも早く桜は咲き乱れ、動物や昆虫も活発になり、景気は上向き、阪神タイガースは快進撃を続けている。なんだか支離滅裂な文書になってしまったが、いろいろなものが動き出しているのが実感できる春なのである。

  ニュースなどですっかりお馴染みになっているが、桜の開花は各地で記録を塗り替えている。例年より一週間も二週間も早く咲き始めて満開になってしまったため、花見の予定がすっかり狂ってしまった人も大勢いるのだろう。二週間くらい前のニュースでは場所取りをしている男性社員がインタビューを受けて「年度末のくそ忙しい時に迷惑な話だ」と応えていたのには笑ってしまった。

  毎年恒例になっている造幣局の ”桜の通り抜け”は 4月12日(金)〜18日(木)までということだが、その時期に桜は咲いているのだろうか?TVでも「門を開くだけなのだから期間を早めたら良い」と言っていたが、交通整理や警備の予定、造幣博物館の閉館予定、旅行代理店が企画しているツアーなど様々な要因が絡んでいるために難しいのであろう。

  開花時期はズレてしまったが、今年は久々に桜を間近で見ることができた。当然のことながら桜は毎年花を咲かせるわけだが、いつもは会社の行き帰りに 「あ〜今年も咲いたな〜」 と見ている程度で、木に近寄ってまで花を見ることがなかったのだが、先週の日曜日、ポカポカと天気も良かったので散歩がてらに近所の公園まで行ってみた。

  それほど沢山の木があるわけではないが、満開を向かえた花が木の枝で場所を争うように咲いている。木の真下に立つと天井一面がピンク色で本当に綺麗だった。桜の開花を喜び、花を愛でて春を感じるなんぞ 「完璧な ”おっさん” になってしまったんだな〜」と思う部分もあるが、寒い冬が終わり、植物も活動を開始したことが実感できたりするのは楽しい気分になるし、桜を見るのはやはり風情があって良いものである。

  桜は例年だと入学シーズンの花だが、今年は卒業シーズンの花になってしまった。先月の中旬から下旬にかけては大阪駅で ”それらしい出で立ち”の女の子を何人も見かけた。詳しくないので正確な名前はわからないが ”はかま” を身に着けた ”例”の姿である。卒業式を昔ながらの衣装に身を包み静粛な気持ちで・・・というのではなく、単なるファッションとして着ているらしい。人目を気にしながら 「どぉ?私ってカッコイイでしょ?」とでも言うようにツンとすまして歩いていた。

  今月に入ってからは真新しいスーツに身を包んだ新入社員が団体で歩いている。男の子も女の子も先月までは髪を金色に染め、自由を謳歌していたものと思われるが、今は髪を黒に戻して大人しく団体行動している。きっと研修を受けるのであろうが、みんなが紺色のスーツを着て緊張した面持ちである。中にはスーツに着られていて、まるで七五三のような子もいる。これが半年もするとスーツを着こなした社会人になっていくのであろう。それらを見ても春になって会社組織も活性化してきたことを実感できる。

  春とは無関係だが、政治経済もいろいろと動き出している。すっかりお馴染みになった政治問題は各党、暴露合戦の様相を呈してきたが、これは政治腐敗が進んでいる負の連鎖ではなく、腐敗しきった政治に浄化作用が働いてきたと考えれば良いことである。いっそのこと、見ていて気分の悪くなるような族議員や私利私欲のかたまりような政治家は全員辞職してもらえないだろうか?

  ずっと続いていた不況という名のトンネルにも、ようやく出口が見えはじめたようである。各マスコミ、エコノミスト、日銀などが揃って 「景気は底を打った」 と発表している。それが事実だとすれば喜ばしいことであるが、過去にも 「底を打った」 と言っておきながら更に景気が悪化して 「底割れした」 などと表現することが何度もあった。「いったい底が何個あるんだ!」 と言いたくなってしまったほどである。今回の景気回復の予兆が本物であり、経済が活性化してお金が動き出すのであれば、それはそれで良いことである。

  景気回復といえば、関西にも明るい話題が多い。USJはテーマパークの中で最速で入場者 1,000万人を突破したとのことだ。開園当初は広告戦略のミスがあったのか全国的な認知度が低かったり、休日の入場制限が平日も同様だと錯覚させて当日券がさっぱり売れなかったりと、ずいぶんと混乱もあったが今では連日多くの人が詰めかけている。海外旅行が敬遠されたこともあって修学旅行でも多くの学校が大阪を選んでくれた。

  さらに明るい話題と言えば阪神タイガースの快進撃だ。開幕 7連勝という記録は昭和 13年以来の出来事らしい。阪神ファンはすでに優勝したような騒ぎである。すでに何人かが道頓堀の川に飛び込んでいる。それだけ熱狂的なファンが多いということなのだろう。なんでも阪神が優勝することによる経済効果は最低でも 1,000億円なのだそうだ。低迷の度合いが激しい関西も USJ効果、阪神効果で今年中に復活するかもしれない。

  USJ開園当初に予想されていた経済効果は 2,770億円だったが、その予想を遥かに上回り、大阪府だけで 5,211億円、近畿圏では 6,200億円、全国では 7,952億円に達すると言われている。これによって 2001年度の近畿圏の GDPを 0.4%押し上げたことになるらしい。これに阪神優勝の 1,000億円が加わると、さらに GDPが押し上げられるわけだから、景気回復も夢ではなくなるかもしれない。

  話によると、この春の陽気に誘われて渡り鳥も例年より早く飛来したらしい。いつもより速く飛ばなくちゃいけなかったので、鳥たちもお疲れだろう。熊も例年より早く冬眠から覚めたらしい。いつもより睡眠時間が短かく寝不足なので機嫌が悪いのかもしれない。

  ゴチャゴチャと書いてきたが、とりあえずは春である。植物も動物も経済も活発に動き始めてきた春なのである。

2002 / 04 / 07 (日) ¦ 固定リンク

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