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2003年12月

2003年の終わりに 2003年の終わりに

  早いもので、今回が今年最後の雑感である。 ざっと見返してみると、過去 3年以上もの間、この雑感を書き続けている。 我ながら 「よくネタが続くな〜」 と感心してしまうが、同じようなことを何度も書いている場合もあるので、それほど話題性に富んでいる訳でもないようだ。 小さなことにグズグズ言ってみたり、単なるオッサンのボヤキのようである。 さて、今年の締めくくりの雑感であるが・・・。

  自分にとっても、景気も、世界情勢も、なんだか冴えない一年だったような気がする。 3月に始まったイラク戦争 「イラクの自由作戦」 は、イラクがぜんぜん自由にならないまま、年を越してしまうことになった。 フセイン元大統領こそ生きたまま拘束されたが、決してそれが終わりではない。 未だに発見されていない大量破壊兵器は本当に存在し、フセイン元大統領は、その隠し場所を白状するだろうか。

  ドラム缶 1本で、何万人もの人を死に至らしめることができる科学兵器もあり、広い国土に隠されたドラム缶などフセイン氏を見つけるよりも難しいに違いない。 その捜索はアメリカに任せるとして、日本ができることと言えば、イラクの復興を手助けすることくらいだろう。 そういう意味からは、自衛隊派遣に賛成である。 ただし、それを決定するまでのプロセスがいただけない。

  小泉首相も記者会見で 「説明責任は果たした」 としているが、訳の分からない議論で決定された内容を国民に伝えるのではなく、「こういう事情だから自衛隊を派遣したい」 と事前に説明し、国民の理解を得てから派遣を決定すべきだったと思う。 日本は金にものを言わせた ”バラ撒き外交” が得意なのだから、今回も数兆円のお金をアメリカに提供するのではなく、そのお金で現地復興の作業員としてイラク人を雇用した方が感謝されるに違いない。

  4月 7日は 『鉄腕アトム』 の誕生日だったが、マンガの世界で描かれているほど人類の科学は発達しなかった。 二足歩行まではできていて、つい先日には走ることも可能なロボットも誕生したが、アトムのように空を飛び、自分で考え、自分なりの意思を持つまでに至っていない。 これだけ科学技術が発達しているのだから、アトムが誕生するのも、それほど遠くない未来なのかもしれないが。

  最近の 『管理人の独り言』 に 「駅構内を改装した JR 西日本は先見の明があるのかもしれない」 と書いたが、先見の明がある人は沢山いるようだ。 ヨーロッパで圧縮空気で走行する自動車が開発された。 日本、アメリカのメーカーが、水素を核とする燃料電池車の開発に凌ぎを削っているのをよそ目に、独自技術の開発を進めていたわけだ。

  燃料電池車は 1台数億円もするが、圧縮空気車は数百万円での発売が可能なのだという。 おまけに圧縮空気で走行するため、完全なる無公害である。 さらに、それが来年にも量産が可能だというから、日本、アメリカの自動車メーカーが受けた衝撃は、計り知れないことだろう。 その車が消費者に受け入れられ、本格的に普及するかは分からないが、世界のビッグ 3 も足元をすくわれるかもしれない。

  つい最近、アメリカで BSE(狂牛病)に感染した牛が見つかり、マクドナルドや吉野家、牛角を展開する会社の株が、それぞれ制限幅いっぱいまで値下がりした。 そこまでであれば、投資家の行動とすれば当然のことだと思われるが、それらの消費者が流れるとの予想から回転寿司チェーンの株が値上がりしたそうだ。 投資家はそこまで読むのかと感心してしまった。

  本格的な冬の到来で、手袋などが売れているそうだが、今年は指先のない手袋が売れ筋商品になっているそうだ。 昔の職人さんや、新聞配達の人が防寒のためと、指先の感覚が必要だという理由で、指が途中までしかない手袋を使用していたが、それが若い人の間で流行している。 答えを聞けば 「なるほど」 なのだが、その理由は 『携帯電話の操作がしやすい』 である。

  東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県の全域でディーゼル車に対する規制を設けたり、トラックの時速が 90km までしか出せないスピードリミッターの導入などで、岐路に立たされているのが宅配も含めた運送業界だが、逆にそれが追い風になっているのが鉄道輸送である。 過去何年も赤字続きだった JR 貨物が、過去最高の経常利益を見込んでいるそうだ。 鉄道輸送にかかせないコンテナは、計画の倍以上も製造しているのに、それでも足りなくなるほど需要があるらしい。

  先見の明がある人は、上述した回転寿司チェーン、手袋のメーカー、JR 貨物やコンテナの製造をしている会社の株を、すでに買っているのだろう。 自分のように結果を聞いて 「へぇ〜」 と感心しているようではいけないのである。 世の中の先の動向を見て取る ”目” や、情報を仕入れる ”耳”、先読みできる ”感覚” を養わなくてはいけない。

  何年も前から開発している世の中になかったシステムが完成し、その利便性を世に問う日が近づいて来た。 来年は、自分にも多少なりとも先見の明があるのか、その成果を問われる年でもある。 来年末の雑感には 「良い一年だった」 と記せるよう、努力すると誓いながら今年の雑感を終えようと思う

2003 / 12 / 28 (日) ¦ 固定リンク

性別不明 性別不明

  『管理人の独り言』 にも書いているが、髪を切るタイミングを逃してしまい、ここ数年では最も髪が伸びている。 前髪が目にかかって邪魔だし、横は耳にかかって鬱陶しい。 早く切りたいのだが、サッパリして新年を迎えたいため、年末ギリギリに切ろうと思い、今は耐え忍んでいる。 ここ何年もの間、髪を短くしているので、少しでも長くなると鬱陶しく感じるが、10代後半から 20代前半までは長髪だった。

  いや。 長髪なんていうものではなく、最も長いときは腰に届きそうなくらいだった。 今は、どこから見ても完璧なオッサンであるが、当時は痩せていて体の線も細く、ヒゲもまったくなく、よく女の子と間違われたものである。 世間には男なのか女なのか判別困難な人がいるが、近所の商店街で見かけるお年寄りにも、おばあさんなのか、おじいさんなのか分からない人がいて、見かけるたびに首をひねっている。

  その人の髪は短く、グレーのズボンに黒いベルト、Y シャツ姿で歩いている。 最初は ”おじいさん” だと思っていたのだが、夏の暑い日には赤系のムームーのようなものを着て歩いていた。 おばあさんが、おじいさんの服を借りて着ているのか、おじいさんが、おばあさんの服を借りて着ているのか、さっぱり分からない。 見かけるたびに男性か女性か確認しようと思うのだが、あまりジロジロ見るのも失礼なので、通りすがりに横目で見たりしていたのである。

  それでも判断できずにいたのだが、血液検査のために病院に行ったところ、待合室にそのお年寄りが座っていた。「これは確認するチャンス!」 と思ったのだが、診察室に呼ばれるときは姓だけで、名前は分からなかった。 よく見るお年寄りは、待合室で近所のうわさ話に花を咲かせたり、「あれを食べると健康になる」 などと、延々と会話が続くものであるが、その人は誰とも話さずにいた。

  帰る時は 「ありがとうございました」 とか、何か話すに違いないと期待していたのだが、タイミングが悪く、ちょうどその時は診察室の中にいたので、その人が帰るところも見ることができず、声も聞けなかった。 その後も何度か商店街を歩いているのを目撃しているのだが、結局、その人がおじいさんなのか、おばあさんなのかは謎のままなのである。

  先日、JR 千里丘駅を出て線路沿いの道を歩いていると、前には体格の良い、パンチパーマの人が、大手を振って歩いていた。 左手には金色に輝くブレスレットをしており、タバコの煙をくゆらせ、黒い皮ジャンを着たその肩は頑丈そうに盛り上がっている。 「恐そうなオッサンだな〜」 と思いつつ、後ろを歩いていると、その人は駐輪場に入って行き、係のおじさんに 「こんばんは〜」 と挨拶した。 その声を聞いて 「ん?」 と思い、その姿をよくよく見ると、なんとバッチリ化粧をしたオバチャンだったのである。

  男か女か分からない人はいるが、髪を長くしていた当時は、知人以外は誰からも男だと思われず、女としか見られていなかった。 盛り場でナンパされたことなど何度あったか分からない。「一緒に飲みにいこう」 と近寄ってきた男に、「あ?」 と言うと顔色を変えて逃げていく。 タクシーに乗って行き先を告げると運転手さんは 「わぁ!」 と驚き、「どこからどう見ても女にしか見えなかった」 と言うのである。

  友人からも 「お前と一緒に撮った写真は人に見せられない」 と言われた。 人に写真を見せると、必ず 「隣に映っているのは彼女か?」 と聞かれたり、「この子を紹介してくれ」 などと言われたらしい。 水商売でバイトしていた時も、お客さんが 「歳はいくつ?」 などと聞いてくるので、それに答えると、「わぁ!お、男か」 と驚かれた。 おかまバーのママ(?)から引き抜かれそうになったこともあった。 高額のバイト料を提示して 「うちの店で働きなさい」 と熱心に勧めるのである。

  当時住んでいたボロアパートには風呂がなかったので銭湯に通っていた。 そこでも番台のオバチャンに 「違う!女湯はあっち!」 と止められる。「男なんですけど・・・」 と言うと、しばらく固まってから 「失礼ですけど、そういう商売の人?」 などと聞かれたりした。 その時は、ただでさえ女にしか見えないのに、予備も含めたタバコ 2箱を両胸のポケットに入れていたので、胸が膨らんでおり、どこからどう見ても疑いようのないくらい女に見えたらしい。

  当時の写真を見ると、自分でも 「女にしか見えないな〜」 と思う。 知り合いからは、「お願いだから、その写真を見せて」 と言われるが、我家では 門外不出の 『私の恥ずかしい写真』 として、押入れの奥深くに硬く封印されているのである。

2003 / 12 / 21 (日) ¦ 固定リンク

納得できないこと 納得できないこと

  最近は、納得できないことが多くて困ってしまう。 つい最近の雑感にも書いたが、年金保険料の増額は、致し方ない部分が多いにせよ、まずは無駄遣いを無くすことが前提だろう。最近は騒がれなくなってしまったが、厚生労働省、年金資金運用基金が取り組んでいる 「グリーンピア」 などは、日本各地に巨大な施設をバカスカ建て、利用者が少ないものだから年間数億もの赤字を垂れ流している。

  運営が困難になった施設は、50億も 60億もかけて建設したくせに、たかが数億円で売却したりしている。中には 90億円かけて建設したものを 3億円で売却したケースもある。 利用者見込みなどを適当にでっちあげ、ずさんな計画で建設したものの、運営が赤字だからといって十分の一以下で売り、その責任を誰もとらないというのはどういうことか。 そして、その ”ツケ” を国民に押し付けるとは何事か。

  保険料値上げを口にするなど 1800万年くらい早い。 まずは己の身を正すことが先決だろう。 無駄な金遣いを是正した後に、妖怪ヌラリヒョンみたいな顔をした坂口厚生労働大臣なり、省の最高幹部なりが 「申し訳ありませんでした」 と頭を下げ、無駄遣いを止めても年金が不足することを懇切丁寧に説明し、「そんな事情ですので、申し訳ありませんが値上げさせて頂けませんでしょうか?」 と言うのが筋である。

  名古屋刑務所で起こった看守による受刑者に対する暴行陵虐事件も、何だか変な方向に話が進んでいる。 暴力を振るった看守が悪いのであり、受刑者(=犯罪加害者)にも人権があるのは当然のことではある。 しかし、現在検討されているのは、受刑者の権利・義務を明確化するという理由で、服役態度によっては外出や外泊のほか、外部への電話を認めることも検討しているとのことだ。

  この内容をニュースで見たとき、食事中の箸が止まってしまった。いったい何を考えているのだろう。 受刑者の権利とは、そんな馬鹿な権利ではないはずだ。 問題の端緒は看守が暴行を加えて陵虐したことにあり、いくら受刑者といえども、そこまでされて黙ってはいられないということである。 単純には 「職員のモラルを徹底し、今後は同じような事件を起こさない」 ことが重要なのである。

  なにも受刑者に外出や外泊を認めることはないではないか。 服役しているということは、何らかの事故や事件の加害者なわけであり、そこには必ず被害者がいる。 そして罪を償ってほしいと願っているはずである。 罪に服している受刑者がニコニコしながら外出したり、外泊したりすることを被害者は許せるだろうか。 個人的には、そんなことをさせてはいけないと思う。 それよりも、暴行陵虐事件を発端に、なぜ議論が外出や外泊になってしまったのか不思議でならない。

  三週間前の雑感にも書いた自衛隊のイラクへの派遣が本決まりになった。 世論を真っ二つにしているが、個人的には派遣すべきだと思っている。 小泉首相の説明どおり、戦争をしに行くのではないことは解っている。 戦争ではなく、外交をしに行くに等しい。 そして、イラクの治安を回復させ、一日も早く復興させなくてはならない。 そのためには、国際的な協力が必要である。

  本筋はそうだとしても、完全に納得しているわけではない。 大量破壊兵器が発見されていない以上、そもそも何故イラクを攻撃したのかという疑問は残る。 世界(国連)の反対を無視して勝手に国を破壊し、「みんなで協力して復興させましょう」 と言うアメリカが正しいとは思えない。

  それとは別に、日本のマスコミの報道も偏っていると思う。 自衛隊派遣に反対する声が大勢を占めるが、番組もそれに沿って編集されているようである。 確かに 「自衛隊を派遣すれば東京でテロを起こす」 という人もいるが、日本は友好国だし、自衛隊に来てほしいと言っているイラク人も大勢いる。 飲み水の確保や、電力供給の再開、道路の整備や ”アメリカによって” 破壊された学校などの修復を手伝ってほしいというイラク人も沢山いる。 そういう人の声をテレビなどでは多く取り上げていない。

  「イラクに行くのは嫌だ」 「命令だから仕方なく従う」 という自衛官が音声を変え、顔にモザイク処理をして登場するが、隊員の中には 「イラクの人の役に立ちたい」 という志で派遣を志願した人だって大勢いる。 しかし、なぜかマスコミは、そういう人の声を放送しない。 イラク派遣に反対だというメッセージを視聴者に伝えたくて、意図的に一方の情報しか露出しないのであれば、情報操作以外の何物でもない。

  納得できず、腹の立つことが多いので、ついつい長文になってしまったが、世の中、もっとスッキリとはいかないものだろうかと、愚痴のひとつも言いたくなってしまったりするのであった。

2003 / 12 / 14 (日) ¦ 固定リンク

千里丘見聞録 Chapter V 千里丘見聞録 Chapter V

  すでに先月の話になってしまったが、11/23(日)に近所の探索に出かけた。 今回は 5/4 の Chapter III で周りきれなかった、千里丘下、千里丘中あたりの見直しである。 雑感には書いていなかったが、茨木市にあたる 蔵垣内、丑寅、天王、沢良宜、大正町は、すでにクリアしているので、探索場所もいよいよ限られてきた。 残すは下水処理場などがある千里丘 7丁目付近だけである。

  千里丘中央病院の横の坂道を登り、二股を右に入って行く。 少し歩くと、いつもライブ情報などを提供して頂いている 『ペーパームーン』 が、その姿を現す。 写真で見たことはあっても実際に見るのは初めてである。 失礼ながら、想像していたよりも大きな建物で、少し驚いてしまった。 お客さんが入り、ライブまで開催するのだから、それなりの広さが必要なので、大きくても当然と言えば当然なのだが。 店の前にしばし立ち止まり、入ってみようかと考えたが、今日の目的は散歩と探索なので先に進むことにした。

  少し進むと 『モンマート』 があったので、営業時間などをメモする。 それからもズンズン進んだが、目ぼしい店がない。 坂も多い地区なので、『モンマート』 のように近くて、ある程度の品揃えがある店は、近所の人にとって重宝なのだろう。

  さらに進むと 『展望台』 と彫られている石柱を発見。 細い道の上には見晴らしの良い広場があるのだろうと思い、急な坂道を登って行く。 その坂の急なことと言ったら、体を前傾姿勢にしないと、仰向けに倒れてしまいそうなくらいである。 それでも期待に胸を膨らませて登り続けたが、頂上らしき場所に行っても何もない。 確かに遠くの街並みまで見える部分もあるが、目の前の建物が邪魔したりしている。 結局は 『展望台』 らしき場所を見つけられないまま、ブツブツ言いながら ”下山” してきたのであった。

  それからも、めぼしい店を発見できないまま、大きなマンションを見ては 「掲示板に書かれたり、人から聞いたマンションはここだったのか〜」 などと感心しながら見上げたりして歩いていると、目の前に万博公園の観覧車が見えてびっくりしてしまった。 気付けば 『ミリカスポーツセンター』 まで来てしまっている。 「人間、その気になれば、ずいぶん遠くまで歩けるものだ」 と、今度は自分の足に感心してしまった。

  それ以上進んでも仕方ないので、来た道を引き返し、途中から左に入って住宅地の中を歩く。 その辺りは大きな家が多く、かなりの確立で 『セコム』 している。 お金持ちの家が多いのかもしれない。 そのうちの一軒では、門扉と家までの広い場所で、二匹の白い犬が放し飼いにされていた。 初めての人間を見ても吠えないので、あまり番犬の役目は果たしていないようだ。

  その先の駐車場では ”猫の集会” が開かれ、6-7匹の猫が陽だまりの中、目を細めて丸くなっていた。 どうやら重要な議題はないらしい。 少し歩くと、玄関の前の鉄格子状の柵から鼻の頭を出して、こちらの様子をうかがっている犬に出会う。 家の人がいなくて寂しいのか、情けない顔をしてこちらを見ている。 その顔が可笑しかったので 「クスクス」 笑いながら通り過ぎると、反対側の柵からも情けない顔をしたままこちらを見ていた。 よほど寂しかったのかも知れないが、この辺りの犬は人に向かって吠えないようだ。

  曲がりくねった細い道を進んでいくと、再び 『モンマート』 を発見。 同じ道に戻ってきたのかと思ったら、先程とは違う店だった。 そこの営業時間などもメモしておく。それにしても、今回の探索の実績はモンマート二軒のみである。(こんなことで良いのだろうか?) という不安が胸をよぎるが、お店を発見できないのだから仕方がない。かなり歩き回ったので足も疲れてきてしまった。

  そろそろ探索を終らせ、買い物に向かおうと歩いていると、目の前に突然、派手なデコレーションを施した家が現れる。 二軒の家が、まるで張り合うようにクリスマスの飾り付けをしている。 その電飾の数たるや、田舎町のパチンコ屋よりも派手なくらいだ。 クリスマスまでの期間、明かりを燈し続けるのであれば、その電気代もビックリするような金額になるに違いない。

  しかし、我々の目を楽しませてくれるのだから、ありがたいことである。 今後もライバル心を燃やし、どんどん派手にしていただきたいものだ。 今度は夜に見に来ようと考えながら、その場を後にしたが、元来の出不精ゆえ、まだ見に行ってはいなかったりするのであった。

  周辺情報の充実よりも、犬や猫に会ったこと。 そして、クリスマス気分が大いに盛り上がって楽しかった二時間の ”旅” だったのであった。

2003 / 12 / 07 (日) ¦ 固定リンク

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