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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

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2001年11月

リスク リスク

 自己責任の重要性が高まっている。日本版 401kも運用方法を自己責任で選択し、将来に給付される年金の額が変動する。確定拠出型年金と”確定”という言葉が付いているが、実は受け取り額は”不確定”なのである。上手に運用すれば沢山の年金が受け取れ、運用に失敗すると掛け金(元本)以下の金額しか受け取ることができない。

 政府が「個人投資家にもっと株の売買を」と言っているが、どこに投資するかはもちろん自己責任で、投資した金額が増えるかもしれないし、元本すら戻ってこないかもしれない。運用をプロに任せる投資信託などもあるが、自己責任で運用を任せたのであるから結果的に儲からなくても誰にも文句は言えない。

 「延期すべき」との声も出ているが、予定通りであれば来年(2002年)4月にペイオフが解禁される。簡単に言えば「いくら預金していても銀行が破綻したら 1,000万円までしか保証しないよん」というこで、それ以上の金額は返ってこないのである。したがって、1,000万円ずつ分散して複数の銀行に預けるか、破綻しないと思われる銀行を自己責任で選択して預け入れるしかない。普通預金や当座預金は 2003年の 3月 1日まで全額保護されるので定期預金を解約して普通預金にしておくなどの方法もあるが、低金利時代とはいえ、定期の方が利息が高いわけだから普通預金に切りかえるかの判断も自己責任なわけである。

 ここでペイオフに抜け穴があると聞いたので少し触れておく。結論から言うと郵便局で、総合通帳「ぱ・る・る」を作るのである。一般的に郵便預金は 1,000万円が上限で、それ以上の預金ができないと解釈されているが、この「ぱ・る・る」を作っておくと無限に入金することができる。1,000万円までは利息がつく郵便貯金として扱われるが、それを超えると自動的に郵便振替口座に移し替えられる。

 郵便振替口座は、入金や支払いが頻繁におこなわれる決済用口座と認識されているため、金利はつかないが、流動的なお金の一時的な保管場所であることから、その口座の金額は全額保証される。つまり、ペイオフが解禁になって、普通預金も保証されなくなる 2003年 3月 1日以降も「ぱ・る・る」であれば全額保証されるわけである。

 もちろん、1,000万円以外は利息がつかないので資産を増やすことはできない。リスクがないかわりにリターンもない、「ノーリスク、ノーリターン」というやつである。「ハイリスク、ハイリターン」で儲けを狙うか、リスクを避けるのかも自己責任で選択しなければならない。これらのことは今日現在のことであって、小泉改革の公約どおりに郵政民営化が近い将来に実現すると、「ぱ・る・る」もどうなるか分からないのではあるが・・・。

 ましてや我家では 1,000万円以上をどうするかなどと考える必要もないのだが、生命保険だけは気になってしまう。「まさか」と思うような生保まで破綻する時代であるから、それこそ自己責任で安全そうな会社を選択して保険をかけるしかない。

 いろいろと小難しいことを書いてしまったが、いろいろな不安はあるにせよ、大人であれば自分で判断し、自己責任において決断もできる。しかし、こどもには判断能力も責任能力もない。だからと言って、親が子供の将来や方向性を勝手に決めてしまうのはどうかと思う。

 親が勝手に判断して習い事をさせたり、子役タレントのオーディションに応募したり、音楽や絵画に興味を示しても「そんなことより勉強!」と押し付けてみたりしている。その子の素質に関わらず、親の価値観を無理に押し付けているのではないだろうか。

 基本的な躾(しつけ)や基礎学力はもちろん大事だと思うが、子供自身が興味をもつことや得意なことを見つけたら、それを無理に押さえつけずに自由にさせてあげれば良いと思う。自分の果たせなかった事を子供に託し、その子の将来像を勝手に描き、そのレールに無理に乗せようなどと考えるのはいかがなものであろう。

 いくら勝手に押し付けても将来必ず思い通りになるとは限らない。逆に思い通りにならないことの方が多いと思う。それなのに将来の選択肢を狭め、思い通りにならないかもしれないというリスクを子供に負わせているような気がしてならない。リスク(Risk)は「人が何かをしたら、その行為に伴って起こり得る危険」であるわけで、その”何か”は自己責任で”する”ものである。

 自己判断することができずに自己責任を負うこともできない子供に勝手な判断を押し付けることは子供にとってリスク(Risk)などではなく、危険(Danger)に身をさらすことではないかと考えてしまう。勝手に決めた将来像を無理に押し付けて、それがうまくいかなかった場合の責任は誰が負うのであろう。

 基本的な躾(しつけ)や基礎学力が身につけた後は、子供が進みたい方向に進ませてあげるのが一番良いような気がする。そして夢がかなわなかった時の責任は進みたい方向に進んだ自分が負えば良いのではないだろうかと思う。

 こんなことを書いていると、「お前に何がわかるー!」と世の親を敵に回すかもしれないが、あまりにも自分で将来の事を考えられない若者が多くなってきているので、それは親が押し付けていることの副作用なのではないかと気になってしかたないのである。

2001 / 11 / 25 (日) ¦ 固定リンク

〜 その後 〜 〜 その後 〜

 この雑感は身の回りで起こったことや事件、事故に関して感じたことから思い出話など、どこが雑感なのか分からないようなことまで気の向くままに書き連ねている。感じたことを書かない場合もある訳だから「雑感」ではなく「雑記」に変更した方が良いのではないか。などと思うこともあるが、面倒なのでこれまでも、そしてこれからも、どこが雑感なのか分からない「雑感」のまま続けようと思っている。

 この雑感で以前に取り上げた事件や事故などの時事関連で、いまだに尾を引いているものも少なくない。中には状況が一向に好転していないものもある。

 相変わらず世の中不況である。90年代は失われた 10年と言われているが、このままだと失われた 15年、20年になりそうな感じだ。すでにデフレに入ってしまい、その状況から抜け出すことのできないデフレスパイラル状態になっていると指摘する向きもある。

 物価が上がるインフレと違い、物価が下がる分には家計のやりくりが楽になるため危機感を持ちにくいが、商品単価が下がる → 企業の利益が減る → 収益の悪化・株安 → コスト削減・合理化 → 人員削減 → 失業率の悪化 → 消費意欲の低迷 → 価格下落で、振り出しに戻る。この悪循環がデフレスパイラルである訳だから、フリースが \1,800だとか牛丼が \280になったとかハンバーガーが半額になったなどと言って喜んでいる場合ではないのである。

 日本の物価はものにもよるが、他の先進国と比較して 2倍とも 4倍とも言われているので純粋な企業努力によって物価が下がるのであれば、むしろ歓迎すべきことだ。しかし、今は物が売れないから価格を安くしてでも販売量を増やそうとし、収益が圧迫されるからリストラという名目のもとで人員削減をする企業が多いことが問題になっている。

 ぞくにマーケットと呼ばれる株式市場で日本の株価が低迷している要因は、企業の業績が低迷している事ももちろんだが、それ以上に構造改革が順調に進まないのではないかという不安感のほうが大きいと聞く。日本は改革を進める必要がある。しかし、「本当にできるのか?」と外国人投資家が疑っているので日本株を買い控えているらしいのだ。

 それを知ってか知らずか、自民党の中でも改革に難色を示している一派がいる。一般に族議員と呼ばれる集団が「構造改革よりも景気回復優先!」と声高に主張してるが、その内容といえば公共事業の予算を増やせだの、計画通りに高速道路建設を進めるだの相変わらずの内容である。

 株価低迷の大きな要因が構造改革が進まないことに対する不満であるのに、構造改革より景気回復優先などと言って、ますます構造改革の先行きに不安感を持たせるような行動に出ている。私利私欲しか持てない政治家には退場して頂けないものだろうか。

 小泉改革のすべてが正しいとは思っていないが、票田を失いたくないなどという自己防衛に走るのではなく、国民を守って欲しいものである。

 尾を引いているといえば、狂牛病問題も同様である。以前の雑感でも触れたが、この問題に関しては完全に政府の対応に問題があったと思う。初期の対応があまりにも”いいかげん”だったために現在でも牛肉離れがおさまらない。

 農水省は不安感をあおるような報道や風評が問題だなどと言っているが、実際には政府が”いいかげん”な対応をしたため、不安感が広がり噂や最悪の場合を想定した報道が多くなったのだと思う。消費者に不安をあたえ、販売店や流通、生産業者を困らせているのは自分達だと自覚してほしいものである。

 9.11 アメリカ同時テロもいまだに解決の糸口が見えていない。北部同盟がカブールを制圧しただの、カンダハルからタリバンが撤退しただのと最近の報道を見ていると単なる”戦争”としか受け取ることができない。テロリスト撲滅を目的とした「正義のための戦い」という”たてまえ”はどこに行ったのだろう。

 どんな大義名分があろうとも、戦争になると様々な利害関係から目的がねじれてしまうものである。北部同盟ももともとは思想の違う集団がタリバンに対抗するために集まっただけなのだから、タリバン政権崩壊後に主導権争いで分裂して再び内戦状態になるかもしれない。

 アメリカを中心とした他国はアフガニスタンの今後に関して主導権は○○派または○○人になどと、勝手なストーリーを描いているが、そのように明らかな内政干渉をアフガニスタンが受け入れ、都合よく話が進むのだろうか。

 もともとはテロリストを撲滅することが目的であり”正義”のための戦いであったはずなのに、今やっていることはアフガニスタン内の戦争に”荷担”して将来の政治をやりやすくしようとする事が主目的になっているとしか見ることができない。アルカイダやビンラディン氏の情報などは思い出したように公開されるだけである。

 これからも色々な事件が起こるのであろうが、政治家や国は私利私欲や利害関係をすてて事に当らなければ問題が長期化するばかりだ。そして、そのしわ寄せは、どこの国であろうと国民に覆い被さってくるものなのである。

2001 / 11 / 18 (日) ¦ 固定リンク

時の流れ 時の流れ

 以前の雑感にも書いたが、歳を重ねるにつれて時間の経過がどんどん早くなってきているような気がする。「21世紀の始まりだ〜」と言っていたと思ったらもう 11月である。

 あれよあれよと言う間に年末に突入し、クリスマス、大晦日、新年と怒涛のように過ぎ去り、1月の半ばあたりで「あれ?」と我に返るのであろう。そしてまた「あっ」という間に 1年が経過し、さらに歳をかさねることになる。

 時間を上手に使える人を本当に羨ましく思ってしまう。仕事もきちんとこなし、いろいろな趣味も持ち、週末にはゴルフなどに興じ、しっかりと映画鑑賞までしている人もいる。人ごみが苦手なのと出不精なため映画館に行きたいとは思わないが、観たい映画はある。レンタルビデオで観ようと思いつつも、まだ観ていない映画は 10本以上あると思われる。

 休日などどこにも出かけないのだから、さっさと借りてきて観てしまえばよいのだが、休日はボーっとして過ごすことが多く、なんとな〜く終わってしまう。せめて 3連休くらいないと、映画を観る時間を作ることができないのである。

 もともとは”絵描き屋”だったので趣味として絵を描こうと思い画材の一式を揃えたのだが、それからすでに 5年が経過している。「こんなことじゃいかん!」とは思うのだが、ついついデロ〜ンとして休日を過ごし、気が付くと日曜の夜になっている。そして月曜日が始まり「わーっ!」と仕事をしていると、いつの間にか金曜の夜になっているという繰り返しである。

 ホームページを開設してからは週一でこの”雑感”を更新したり、近所を探索して”周辺情報”を更新したりしているので、まったく虚無な休日を過ごしているわけでもないが、それでも時間の使い方が上手ではないと自覚している。これから先もボーっとしたまま生きていくのだろうか。

 早めに心を入れ替えなければ、このまま光のようなスピードで歳をとってしまうと分かっているのだが、「まぁいいや」とお気楽モードで相変わらずの休日を過ごしている。

 実際に年月の経過が「早いなぁ〜」と感じることが多くなった。近所の店の開店〇周年セールなどというチラシを見ると「あの店ができてから、もうそんなに経つのか〜」などと感じてしまう。ついこの前の出来事のように思えてならないのだ。

 よく考えてみると、周りの風景も変わっている。以前あった建物がなくなって、新しい家が建てられたり、駐車場になったりしているし、そのまま空き地となったりもしている。最近、その空き地で遊ぶ子供たちの声が聞こえるようになった。この前までは子供の声をあまり聞くことがなく、「この近所は子供が少ないのだろうか?」と思っていた。

 今までは子供たちの遊ぶ場所がなかっただけで、空き地があればやはり皆集まってくる。逆に今まではどこで何をして遊んでいたのだろうと不思議に思ってしまった。それでも子供の声が近所から聞こえてくるのは良いもので、「ここは生活の場なんだ」と実感することができる。

 そこで以前によく見かけた子供たちのことを思い出した。中学生くらいの男の子をリーダーとして、小学生から幼稚園ぐらいまでの子供が年齢も性別も関係なく近所を走り回っていたものである。朝からそれぞれに集合し、夕方暗くなるまで遊んでいる姿をよく見かけた。

 ”お買物日記”担当者と「最近、あの子たち見かけなくなったね〜」などと話していたのであるが、よくよく考えてみると、その子供たちが遊ぶ姿を見ていたのは 7年も 8年も前のことだったのである。リーダー格の男の子が当時 12、3歳だったとしても現在は 20歳前後になっており、大学生か社会人になっているはずだ。小学校の低学年だったと思われる女の子も”コギャル”と呼ばれる年齢になっている。

 その事実に気が付いてからというもの、近所で髪を染めた女の子が携帯電話で話をしながら歩いているのを見ては「あの時の女の子だろうか?」とか、車をブンブンいわせている若者を見て「あの時の男の子だろうか?」などと不思議な気持ちで考えている。

 あれから 7、8年も経ったことに関して「早いな〜」とつくづく思ってしまうし、ついこの前の事のように感じるので”あの子”たちがいつまでも皆で仲良く遊んでいるような気がしてしまう。

 そして、その分だけ確実に歳をとったという事実をあらためて思い知らされて「はぁ〜」と深くため息をついたりしているのである。

2001 / 11 / 11 (日) ¦ 固定リンク

想い出の居酒屋 其の弐 想い出の居酒屋 其の弐

 以前の雑感でも触れた居酒屋には様々な思い出がある。楽しいこと、辛い事も含めて、何らかの節目には必ずその店で飲み食いしていた。

 はじめて行ったときも、会社の仲間の相談事を聞くためだった。よく見かけるサラリーマンと同様に、結局は上司に対する愚痴だったのだが、ひとしきり話を聞いた後で店内を見渡すと壁に貼られている品書きの値段がどれも安い。焼酎などボトル 2本で 900円くらいだったと記憶している。

 貧乏サラリーマンにとって強い味方であるその店を偶然にも発見した自分達の功績を二人で誉めたたえ、次の日には他の仲間にも報告したのである。その週末に 10人くらいで押し掛けて狂ったように飲み食いした。魚介類、野菜などどれも新鮮で出てくる料理がどれこれも美味しい。会計すると大量に注文したにも関わらず一人 3,000円にもならなかった。

 これでは貧乏サラリーマンのオアシスにならないはずがない。週末はいつも満席で通常は宴会で使用される二階まで開放しても入りきれないほどだった。それからというもの、週末には必ずと言っていいほど店に通うようになったのである。

 「酒がまずくなる」という理由から、その店では「仕事の話禁止令」を出し、いつもくだらない話をしては涙が出るくらい大笑いしていたのだが、時には恋愛に関する相談事などでしんみりと飲んだりもしていた。女の子が結婚に関して悩んでいたため、二人で酒を酌み交わしたこともある。「なんで他人の彼女と酒を飲まなければならないんだ!」と思いつつも、なぐさめたり、おだてたり、勇気づけたりしていたのである。

 その店でアルバイトをしていた女の子が、会社の不満などを口にすることがなく、いつもゲラゲラ笑っているのを見て、よほど楽しい会社なのだろうと勘違いしたらしく、入社のための面接に来たときには本当に驚いてしまった。

 ふと見ると上司がその子と話をしている。さっそくみんなに報告し、通りすがりに「焼き鳥 3人前、タレでね」などと言ってからかっていると鬼のような顔で睨まれてしまった。その夜、みんなで店に行き「悪い事は言わないから俺達の会社は止めたほうがいい」と必死に説得した。禁止令があるから会社や上司の悪口を言わないだけで、どれほど会社に問題があるかを切々と話して思いとどまるように説得したのである。

 その説得が成功したのか、会社が採用しなかったのかは定かではないが、結局その子が入社する事はなかったので一同ほっと胸をなでたりしていたのである。実際に会社への不満は山ほどあった。それでも楽しく食事をしたり、酒を飲んだりしたかったので、みんな「禁止令」を守っていた。

 全員の胸の中で会社への不満が頂点に達したので一斉に会社を辞めることになり、会社への辞表を書いたのもその店である。書き方が分からなかったため、その筋の本を買い、店の二階を開放してもらってみんなで「あーだ、こーだ」言いながら辞表を書いた。そこには悲壮感や暗さはなく、「字が曲がっている」だの「大きさが揃っていない」だの「そもそも字が下手」だのワイワイと楽しく書き上げた。

 その時は我々一派も含め、20人近くがその会社を辞めた。技術者が大量に辞めたとあっては残された人たちは大変だろうと少し心が痛んだりしたが、経営者は感情論だけで行動するタイプの人だったので”彼”に対しては心が痛むことはなかった。5年以上も勤務した人にさえ退職金を出さなかったような”彼”であるから、「ざま〜みろ!」という感情のほうが強かった。

 辞表を提出して会社を辞めることが決定した日も、その店で飲めや歌えやの大騒ぎをして辞めることを”祝って”いたのであるが、店の人たちは「もうみんなで来ることはないのかね〜」などと言ってさびそうにしていたものである。

 会社を辞めた 20人近くは二派に分かれてまとまったところに再就職することになり、2人ほど減ってしまったが店に通っていたメンバーの大半は同じ会社に行く事が決まった。偶然にもオフィスが店の近くに決まったので店に通うペースは衰えず、その後も週末には店に顔を出して「よかったね〜」とオバチャンに喜ばれたりしていたのである。

 そして、それからも「仕事の話をしない」しきたりを継承しつつ、居酒屋での思い出は増えつづけていった・・・のは言うまでもない。

2001 / 11 / 04 (日) ¦ 固定リンク

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