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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

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2001年 8月

神の領域 神の領域

 最近は遺伝子組換え作物、遺伝子治療、クローンなどバイオ関連技術の進化が目覚しい。

 生物のクローンを造りだすことは、化学的分野の関係者にとっては興味深いことなのだろうが、一般人の自分にとっては野次馬的な興味はあってもそれ以上の興味はない。しかし、クローン人間を造ることはどうかと思う。造る目的がよく分からないからである。

 クローン人間を造るという目的は、興味以外になにがあるのか考えてみると、本体側が病気になったり、体の一部を失ってしまうような不幸がおこった際に、クローン側からの提供を受けて治療することなどが想定できる。

 そうなった場合、提供を受ける本体側にとっては良いことだろうが、提供するクローン側にとってはたまったものではない。人権問題にもなるだろうし、そもそもクローンに対する人権の考え方自体が問題視されるものと思われる。

 遺伝子の組換えも、しっかりとしたルールを作っておかなければいけないと思う。人間にカエルの遺伝子を組み込んで、とんでもない跳躍力を手に入れた人や、とっても平泳ぎが速い人がオリンピックに出場したら勝てるはずがない。

 人間にバッタの遺伝子を組み込んで、とてつもない跳躍力を手に入れたりすると、仮面ライダーのリアル版が出来あがったりするのかも知れない。しかし、ヒーローの仮面ライダーとは異なり、実際にはとっても格好悪く、気持ちの悪い生物になってしまうのではないだろうか。その姿を想像すると、わき腹がゾワゾワしてしまう。

 くだらない話はさておき、先日とっても気になる記事を読んだ。複数の学者が、遺伝子組換え大豆を分析したところ、未確認の DNAの破片を発見したとのことである。その記事を読んだ時、底知れぬ恐怖を感じてしまった。

 その記事は「アレルギーを含めた未知の作用を人体に及ぼすという証拠はない。」と結んでいたが、そんなことが問題なのではなく、今まで見たこともないような DNAの破片が入っていることに得も言われぬ恐怖というか嫌悪を感じるのである。

 遺伝子を組み換えた場合、外見は同じでも今までの種とは異なる生物を創造したことになる。現存しない生物が未確認の DNAを持っているのは当然といえば当然のことであるが、それを口にするのには相当な勇気がいる。

 そもそも植物の遺伝子を組み換えるのは、人間のことを考えてのことではなく、完全に商業レベルの発想である。A社は、A社が発売している除草剤に抵抗力のある遺伝子組換え作物を開発する。その”タネ”を発売すると、A社の除草剤もタネと一緒に売れるし、独占的に販売することが可能になる。

 そんなことのために未知の生物(植物)を食べさせられるのは嫌だし、実験台にされたのではたまったものではない。たしかに、砂漠化が進んでしまった土地でも育つ作物とか、寒さに強い米など、爆発的に増加している人間が近い将来直面するであろう食糧難に備えてという大義名分もあるだろうが、不安な点などを解消してから大量生産していただきたい。

 今でさえ遺伝子組換え作物が混入していて食品の回収があったりしている。外見からは判断できないため選別が難しいのを良いことに、ズルイ奴が正規の作物に混入させている可能性だってあるし、すでに混入していると考えたほうが自然なのかもしれない。

 その記事を読んで以来、食品を買う時は「遺伝子組換え作物を使用しておりません」と明記されているものを選んだ方が良いのではないだろうかと考えている。例えば納豆にしても、大豆が遺伝子組換えされているのか、いないのか明記されていないものよりは明記されているものの方が安心できる。

 クローンで生物を造り出したり、遺伝子操作で生物を創造したりするのは、神の領域に触れてしまっているような気がしてしかたがない、どちらかと言えば無宗教で、お墓の前で掌を合わせるのも十字架の前で掌を組んだりするのも何の抵抗感もない。しかし、生命を人工的に操作したり、生体を人工的に改造するのはどうかと考えてしまう。

 バイオ技術の発展は医療にも貢献するのだろうが、そこまでして長生きしたいと思えずにいるのは、やはり考え方が古いのであろうか・・・。

2001 / 08 / 26 (日) ¦ 固定リンク

忘却 忘却

 暑い!文書の書き出しとしてはどうかと思うし、暑いという台詞は聞きあきてもおり、見あきてもいる。しかし、暑いものは暑いのである。今年は 4年だか 5年周期でおとずれる猛暑らしいので仕方ないのかもしれないが気力も体力も弱ってしまっている。

 かなり前に聞いた話によると、暑くなると脳の活動が 20%程度低下するらしい。それが原因なのかは分からないが昨日の夜、JR大阪駅で”忘れ物”の現場に直面してしまった。

 いつもの通り、地下鉄 御堂筋線から JRに乗り換えるため自動改札機に定期券を入れたところ、前の人の定期券が取り出し口に残っていたため自分の定期券が出て来ない。投入口を確認しても定期券がないため、改札機の中で出る順を待っているらしい。

 前を見ると持ち主である女性が定期券のことなど忘れてスタスタと歩いて行く。とりあえず女性のものである定期券を取り、次ぎに出てきた自分の定期券も取って改札を通り抜けた。

 ”彼女”の持ち物である定期券を返そうと目で追ったところ、5-6m先を歩いている。以前の雑感にも書いたように走ることが嫌いなため早足で”彼女”を追った。本来向うべきホームとは異なる階段で追いつくことができた。

 早足で歩いたのですっかり息が切れてしまい声をかけることができなかったため、手で”彼女”をツンツンしたところ、ものすごく怪訝な表情でこちらを見ている。たしかに見知らぬオッサンにツンツンされたら嫌なものだろうと想像できるが、忘れ物を返そうとしているのにそんな顔で見られる筋合いはないと思い、こちらもムッとした顔と、息も切れ切れの声で「て、定期・・・」と言って忘れ物を見せた。

 すると”彼女”の表情が一変し、「あ、あ〜、すみません」と言った。力なく「・・・いいえ」と言い残し、トボトボと階段を逆行する背中に「ありがとうございました」という”彼女”の声が追ってきた。ここで振り向き、ニッコリ笑顔でも見せるのがダンディな”おじさま”なのだろうが、疲れ果てたオッサンは後ろ向きのまま手を振るしかなかった。

 最近の話ではないが、同じく暑い季節に若い兄ちゃんの忘れ物を返したこともある。地下鉄で電車を降りようとしたところ、目の前の”兄ちゃん”が席を立った。その席には携帯電話が落ちている。どう考えてもその”兄ちゃん”の持ち物に違いないので、その携帯電話を手にして持ち主である”兄ちゃん”を探したところ、自分が向うべきホームとは違う方向に進んでいる。これまた仕方ないので早足で追った。

 基本的に足の長さが違うのかもしれないが”兄ちゃん”の足は速く、こちらが早足で歩いても追いつくことができない。とうとう自分が目指すホームとは反対のホームまできてしまった。悪いことに電車がすでに到着している。”兄ちゃん”が電車に乗ってしまったので、しかたなく反対方面に行くその電車に乗り込み、やっとの思いで携帯電話を返却した。

 ”兄ちゃん”はわざわざ席を立って「ありがとうございます!」と感謝してくれたので悪い気はしなかったが、電車はすでに発車していたのである。次の駅で「実は反対方面に乗るんで・・・」と言って電車を降りた。背中には”兄ちゃん”の「ど、どうもすんませんでした!」という声が聞こえたが、昨日と同様に後ろ向きのまま手を振って別れた。

 暑い時期はボーッとして忘れ物が多くなるのだろうか。電車内での忘れ物が多い季節などの統計情報があるのであれば、一度見てみたいものである。

 自慢ではないが、大切なものを忘れた記憶はあまりない。忘れ物はしないが、そのかわりに物忘れは確実に多くなってきている。単に年齢のせいなのかも知れないが、人の名前、単語などは思い出せなかったり、度忘れすることが多い。カタカナなどは忘れる以前に覚えられないことも多くなってきた。

 忘れ物や物忘れを暑さのせいにしていられるうちは良いが、オッサンがジイサンになった結果だと「人から言われないように心がけねば」と強く思ったりしている今日このごろなのである。

2001 / 08 / 19 (日) ¦ 固定リンク

想い出の居酒屋 其の壱 想い出の居酒屋 其の壱

 暦の上では立秋も過ぎたというのに、相変わらず暑い日が続いている。そして相も変わらず食が細ったままである。

 麺類以外には特に食べたいものが思いつかないし、この暑い時に火を使うのも大変だろうということもあり、極力火を使わずに手軽に準備できるものが望ましいのだが冷奴、刺身などに偏ってしまうのが問題である。自宅での食事で苦労したり悩んだりするくらいなら外食ですませば良いのだが、困ったことに外食が苦手なのである。

 第一に注文をしてから料理が出てくるまで待たなければならない。”待つ”という行為が苦手ではないのだが、待っているあいだ何をしていれば良いのかが解らない。自宅であれば TVを見ているなり、ネット・サーフィンしているなりして時間をつぶすことができるが、外食ではそうはいかない。

 さらに、忙しそうにしている店員さんを見ると水をもらうのも、注文をするのでさえもタイミングに気を使ってしまう。かつて飲食店で働いた経験があるため、他のお客さんの「すみませ〜ん」という言葉に反応してしまうし、グラスの水が少なくなってきたとか、食器と食器があたる音も気になってしまう。

 そんなこんなで気疲れしてしまい、食事が終わった後は一刻も早く店を出たくなってしまう。食後のデザートとかコーヒーなどを楽しむ心のゆとりがないのである。

 すでに 10年以上前になるが、毎週のように通っていた居酒屋がある。会社の仲間と 5-6人で週末には必ず寄っていたので、すっかり馴染んでしまい、その店では気疲れすることはなかった。店内では我家のように振舞っていたので気遣いもなにもあったものではない。

 ふだんは”おっさん”しかいない店に”若者(当時)”が来るのが嬉しかったのか、従業員の”おばちゃん”や店長までもがとても友好的だった。

 酔っ払いオヤジが注文だけして、まだ料理が出ていないのに清算を済ませて帰ってしまう。そうなると、できあがった料理は我々のものである。自分達はそれほど多くの注文をしていないのにテーブルには、あふれんばかりの料理が並んでいる。

 若さにまかせてワシワシとたいらげてしまうのだが、その食いっぷりがピラニアのようなのと、何でも「うまい、うまい」と食べる姿を見て「見ていて気持ちがいいわ」などと言いながら次から次へと注文もしていない「謎の料理」が登場する。

 試作品を食べさせられることもよくあった。「謎の料理」が出てきても、いつもの通りに誰かが食べる前に帰ってしまったものであろうと思ってワシワシと食べる。ところが「ん?」と思うような味の料理がたまにある。

 店長に「これ何?」と聞くと、「美味しかったらメニューにしようと思って」とぬかすではないか。実験台としてマズイ料理を食べさせられたのには腹が立つが、いつも”美味しい思い”をさせてもらっているので文句も言えず、「これはど〜かな〜」などと言って”判定”をくだしていた。

 困ってしまうのは、前週食べた”試作品”が翌週にも出てくる。「これはメニューに加えたら人気でるよー」などと誉めたたえ、機嫌よく酒を飲んだ後、清算してみると前週の”試作品”がしっかり売り物になっている。注文もしていないのに勝手に調理し、金まで取るとは何ごとか!と思うのだが、酔った勢いと、いつも世話になっているという思いから、だまって支払いをすませていた。

 店に行く前に電話して「金ない!1人2,000円以内でみつくろっておいて!」と言っておくと、とても 2000円とは思えない豪華な料理を用意しておいてくれたり、閉店まで飲んでいると店員さんが「○○方面に帰る人はー?」と言って方向が同じだと車で送ってくれる。

 金はないけど、貪欲な胃袋をもつ若者にとって、これほどありがたい店はなかった。その店では気を使うことも、早く帰りたいと思うこともなく、リラックスして気持ちよく食事をしたり、酒を飲む事ができた。

 もう何年も行っていないのだが久々に思い出し、あの店に帰ってみようかな〜などと少し感傷的に思ったりしている。

2001 / 08 / 12 (日) ¦ 固定リンク

外見 外見

 「人を外見で判断してはいけない」とは、昔から言われていることであるし親からもそのように教えられた。

 最近の話では兵庫県明石市の花火大会で将棋倒しになったため 11人が死亡してしまった事故が代表例となる。事故発生からすぐに伝えられたのは「茶髪(ちゃぱつ)の若者が人を踏みつけて歩道橋の上に登っていた」という情報から、「それが原因では?」と思わせるような報道だった。

 ニュースで流される映像にも歩道橋の屋根(正確には屋根ではないが)の上に登っている若者が映されていた。あのような報道のしかただと、誰もが「なんというバカ者だ!」と思ってしまうだろう。

 数日後に「茶髪の若者は酸欠で意識がモウロウとした人を引き上げて、救出しようとしていた」という証言も出てきた。警備にあたっていた民間の会社が「茶髪が悪者」的な発表をしたため、マスコミが裏付けもとらずに報道してしまったと予想できる。

 最近になって、その証言(発表)そのものが”ねつ造”だったことが発覚した。さらに、その警備会社が警察(明石署)に対して警備の増員を要請したが受け入れられなかったとされる当初の報道も誤りで、結果はまったくの逆だった。

 ”警察”が”警備会社”に対して”増員”の”要請”をしていたにも関わらず、警備会社がそれを”無視”していたとのことだ。・・・いったい、この警備会社のモラルはどのようになっているのだろうか?

 今年はじめの成人式で非常識な行動をとる若者が問題となり、茶髪の印象が悪くなっていたため、多くの人は事故当初の発表で「茶髪の若者が悪い」と思い込んでしまったことと思う。

 しかし冒頭で触れたとおり、21世紀になっても「人を見かけで判断してはいけない」のである。

 最近の出来事なのだが、いつもの通りに仕事帰りの地下鉄 御堂筋線の電車に乗り込んだ。そして、いつもの通りに車両の端にある空席に座ったのだが、乗車口をはさんだ斜め前で”茶髪”の若者が座席に浅く座り、足を高々と組んで座っていた。

 車内では立っている人も少なく、特に人に迷惑をかけているわけでもなかったので「あ〜あ」と心の中でため息をつきながらも、次に乗ってくる人のジャマにならなければ良いが、と思っていた。

 それから 2〜3駅後にお年寄りがヨロヨロと電車に乗ってきた時、その”茶髪”はスッと立ち上がり、「どうぞ」と言ってお年寄りに席を譲ったのである。それを見て「なんて良い子なんだ」と感激してしまった。

 まじめそうなサラリーマンは気が付かないふりをし、茶髪を毛嫌いしているオバハンも寝たふりをしている状況で「悪者」として扱われる若者が、最もお年寄りに優しかったのである。

 かなり前の話になるが新幹線での出来事では・・・。新幹線は通路をはさんで 3列の座席と 2列の座席がある。その 2列の座席の通路側に座っていた女性の”茶髪”は、人目も気にせずに化粧をしていた。手鏡をみながら口を開け、マヌケな顔をして口紅を塗ったりしている。

 そこに若いカップルが手をつなぎながら現れたのであるが、二人が並んで座れる席がない。少しの間キョロキョロしていたが、あきらめて「彼氏」は 3列シートのまん中、「彼女」は 2列シートの窓側に座った。すると、その茶髪の女性が「代わってあげる」と”彼氏”に言って席を立ったのである。

 3列シートのまん中に座るのは嫌なものである。まして女性がオッサンに挟まれるのは、オッサンが女性に挟まれるのとは大違いで、とってもいやだと思う。それでも若い二人に気を使って席を譲った”茶髪”の女性は、とても優しいと感じた。

 「御堂筋線の茶髪」も「新幹線の茶髪」も、その行為だけで「善人」と判断できないのかもしれないが、少なくとも「悪人」ではないと思う。そして、「見かけだけで人を判断してはいけないということ」をあらためて思い知らされた出来事だった。

2001 / 08 / 05 (日) ¦ 固定リンク

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