外見 外見
「人を外見で判断してはいけない」とは、昔から言われていることであるし親からもそのように教えられた。
最近の話では兵庫県明石市の花火大会で将棋倒しになったため 11人が死亡してしまった事故が代表例となる。事故発生からすぐに伝えられたのは「茶髪(ちゃぱつ)の若者が人を踏みつけて歩道橋の上に登っていた」という情報から、「それが原因では?」と思わせるような報道だった。
ニュースで流される映像にも歩道橋の屋根(正確には屋根ではないが)の上に登っている若者が映されていた。あのような報道のしかただと、誰もが「なんというバカ者だ!」と思ってしまうだろう。
数日後に「茶髪の若者は酸欠で意識がモウロウとした人を引き上げて、救出しようとしていた」という証言も出てきた。警備にあたっていた民間の会社が「茶髪が悪者」的な発表をしたため、マスコミが裏付けもとらずに報道してしまったと予想できる。
最近になって、その証言(発表)そのものが”ねつ造”だったことが発覚した。さらに、その警備会社が警察(明石署)に対して警備の増員を要請したが受け入れられなかったとされる当初の報道も誤りで、結果はまったくの逆だった。
”警察”が”警備会社”に対して”増員”の”要請”をしていたにも関わらず、警備会社がそれを”無視”していたとのことだ。・・・いったい、この警備会社のモラルはどのようになっているのだろうか?
今年はじめの成人式で非常識な行動をとる若者が問題となり、茶髪の印象が悪くなっていたため、多くの人は事故当初の発表で「茶髪の若者が悪い」と思い込んでしまったことと思う。
しかし冒頭で触れたとおり、21世紀になっても「人を見かけで判断してはいけない」のである。
最近の出来事なのだが、いつもの通りに仕事帰りの地下鉄 御堂筋線の電車に乗り込んだ。そして、いつもの通りに車両の端にある空席に座ったのだが、乗車口をはさんだ斜め前で”茶髪”の若者が座席に浅く座り、足を高々と組んで座っていた。
車内では立っている人も少なく、特に人に迷惑をかけているわけでもなかったので「あ〜あ」と心の中でため息をつきながらも、次に乗ってくる人のジャマにならなければ良いが、と思っていた。
それから 2〜3駅後にお年寄りがヨロヨロと電車に乗ってきた時、その”茶髪”はスッと立ち上がり、「どうぞ」と言ってお年寄りに席を譲ったのである。それを見て「なんて良い子なんだ」と感激してしまった。
まじめそうなサラリーマンは気が付かないふりをし、茶髪を毛嫌いしているオバハンも寝たふりをしている状況で「悪者」として扱われる若者が、最もお年寄りに優しかったのである。
かなり前の話になるが新幹線での出来事では・・・。新幹線は通路をはさんで 3列の座席と 2列の座席がある。その 2列の座席の通路側に座っていた女性の”茶髪”は、人目も気にせずに化粧をしていた。手鏡をみながら口を開け、マヌケな顔をして口紅を塗ったりしている。
そこに若いカップルが手をつなぎながら現れたのであるが、二人が並んで座れる席がない。少しの間キョロキョロしていたが、あきらめて「彼氏」は 3列シートのまん中、「彼女」は 2列シートの窓側に座った。すると、その茶髪の女性が「代わってあげる」と”彼氏”に言って席を立ったのである。
3列シートのまん中に座るのは嫌なものである。まして女性がオッサンに挟まれるのは、オッサンが女性に挟まれるのとは大違いで、とってもいやだと思う。それでも若い二人に気を使って席を譲った”茶髪”の女性は、とても優しいと感じた。
「御堂筋線の茶髪」も「新幹線の茶髪」も、その行為だけで「善人」と判断できないのかもしれないが、少なくとも「悪人」ではないと思う。そして、「見かけだけで人を判断してはいけないということ」をあらためて思い知らされた出来事だった。
2001 / 08 / 05 (日) ¦ 固定リンク