神の領域 神の領域
最近は遺伝子組換え作物、遺伝子治療、クローンなどバイオ関連技術の進化が目覚しい。
生物のクローンを造りだすことは、化学的分野の関係者にとっては興味深いことなのだろうが、一般人の自分にとっては野次馬的な興味はあってもそれ以上の興味はない。しかし、クローン人間を造ることはどうかと思う。造る目的がよく分からないからである。
クローン人間を造るという目的は、興味以外になにがあるのか考えてみると、本体側が病気になったり、体の一部を失ってしまうような不幸がおこった際に、クローン側からの提供を受けて治療することなどが想定できる。
そうなった場合、提供を受ける本体側にとっては良いことだろうが、提供するクローン側にとってはたまったものではない。人権問題にもなるだろうし、そもそもクローンに対する人権の考え方自体が問題視されるものと思われる。
遺伝子の組換えも、しっかりとしたルールを作っておかなければいけないと思う。人間にカエルの遺伝子を組み込んで、とんでもない跳躍力を手に入れた人や、とっても平泳ぎが速い人がオリンピックに出場したら勝てるはずがない。
人間にバッタの遺伝子を組み込んで、とてつもない跳躍力を手に入れたりすると、仮面ライダーのリアル版が出来あがったりするのかも知れない。しかし、ヒーローの仮面ライダーとは異なり、実際にはとっても格好悪く、気持ちの悪い生物になってしまうのではないだろうか。その姿を想像すると、わき腹がゾワゾワしてしまう。
くだらない話はさておき、先日とっても気になる記事を読んだ。複数の学者が、遺伝子組換え大豆を分析したところ、未確認の DNAの破片を発見したとのことである。その記事を読んだ時、底知れぬ恐怖を感じてしまった。
その記事は「アレルギーを含めた未知の作用を人体に及ぼすという証拠はない。」と結んでいたが、そんなことが問題なのではなく、今まで見たこともないような DNAの破片が入っていることに得も言われぬ恐怖というか嫌悪を感じるのである。
遺伝子を組み換えた場合、外見は同じでも今までの種とは異なる生物を創造したことになる。現存しない生物が未確認の DNAを持っているのは当然といえば当然のことであるが、それを口にするのには相当な勇気がいる。
そもそも植物の遺伝子を組み換えるのは、人間のことを考えてのことではなく、完全に商業レベルの発想である。A社は、A社が発売している除草剤に抵抗力のある遺伝子組換え作物を開発する。その”タネ”を発売すると、A社の除草剤もタネと一緒に売れるし、独占的に販売することが可能になる。
そんなことのために未知の生物(植物)を食べさせられるのは嫌だし、実験台にされたのではたまったものではない。たしかに、砂漠化が進んでしまった土地でも育つ作物とか、寒さに強い米など、爆発的に増加している人間が近い将来直面するであろう食糧難に備えてという大義名分もあるだろうが、不安な点などを解消してから大量生産していただきたい。
今でさえ遺伝子組換え作物が混入していて食品の回収があったりしている。外見からは判断できないため選別が難しいのを良いことに、ズルイ奴が正規の作物に混入させている可能性だってあるし、すでに混入していると考えたほうが自然なのかもしれない。
その記事を読んで以来、食品を買う時は「遺伝子組換え作物を使用しておりません」と明記されているものを選んだ方が良いのではないだろうかと考えている。例えば納豆にしても、大豆が遺伝子組換えされているのか、いないのか明記されていないものよりは明記されているものの方が安心できる。
クローンで生物を造り出したり、遺伝子操作で生物を創造したりするのは、神の領域に触れてしまっているような気がしてしかたがない、どちらかと言えば無宗教で、お墓の前で掌を合わせるのも十字架の前で掌を組んだりするのも何の抵抗感もない。しかし、生命を人工的に操作したり、生体を人工的に改造するのはどうかと考えてしまう。
バイオ技術の発展は医療にも貢献するのだろうが、そこまでして長生きしたいと思えずにいるのは、やはり考え方が古いのであろうか・・・。
2001 / 08 / 26 (日) ¦ 固定リンク