マサルと自分は東京と大阪で暮らしているので実際に会う機会はほとんどない。 以前も同じ街に住んでいた訳ではないので、一年に一度くらいの割で生まれ育った地元で会うくらいだったが、ここ五年以上も帰省していないので結果的にマサルの顔も見ていない。
もしかしたら、これは会わない期間の最長記録だろうか。 お互いに若く、体力もある頃は頻繁に会って遊んでいたものである。 とは言っても一方的にマサルが訪ねてくる状態で、自分からマサルが暮らす街に行ったことなどないのだが・・・。
たまたま遊びにきた翌週に出張研修で三日間ほどマサルを家に泊めることがあった。 その際に 「何週連続で遊びに来れるか」 という話になり、ムキになりやすいマサルは 「それなら挑戦してやろうじゃないか」 と言い出した。 純粋に遊びに来ることが目的ではなく、何週間続けられるかが目的になってしまった訳である。 そして、当時は 400km ほど離れた土地に暮らしていたため、法定速度を守って車を運転すると、往復で 12時間以上もかかる道のりだ。
そんなに続くわけがないだろうと高をくくっていたのだが、マサルは律儀に毎週やって来た。 土曜日の午後に 「ピ〜ンポ〜ン」 と鳴ると外にいるのはマサルに決まっている。 当時はオートロック式のマンションに住んでいたので、インターフォン越しに何か面白いことを言って笑わせてくれない限り正面玄関のロックを解除してやらなかった。
長距離運転をし、おまけに自分を笑わせるネタまで考えなければいけないのだからマサルは大変だ。 何週目かに、あまりにもつまらない事を言ったので無言のままインターフォンを切ってやった。 すぐに 「ピ〜ンポ〜ン」 と鳴って 「人が一生懸命考えたのに切るとは何ごとだ!」 と怒っている。 「うるさい」 と言って切ってやると、またすぐに 「せっかく遊びに来てやったのに!」 と怒鳴ってくる。
それでも無視して切ってやると、「運転で疲れているんだから入れて」 と泣きついてくる。 「笑わせてくれなきゃ入れてやらん」 と突き放すと、急に静かになってしまった。 (怒って帰ったのだろうか) と少し不安になりかけた 30分後、「ピ〜ンポ〜ン」 と鳴ったので出てみるとマサルが何かを言って大笑いさせてくれた。 何か面白いネタはないかと車の中で考えていたと言う。
めでたく正面玄関を突破して来たマサルだが、いくら深い付き合いであろうと毎週会って話すことなど続く訳もなく、二人でテレビを見たりゲームをしたりして夜になると飯を喰いに外出し、気分良く酒を飲んで就寝し、翌朝になると帰って行くという無意味な生活が続いた。
何に対して意地を張っていたのか今となっては分からないが、結果的には無駄な労力と時間とガソリン代を費やして 9週間連続という大記録を樹立した。 なぜ 10週間連続にならなかったのか、連続記録が途切れてしまった経緯に関しては、またそのうちに書くことにしようと思うが、本当に何を考えていたのだろうと今になって思う。
それでも、そんなことが思い出になって、今でも当時を振り返って 「バカなことをしてたな〜」 と話題の一つになって会話が盛り上がるのも事実だったりするのではあるが。
断定的な発言をする人が苦手だ。 仕事での指示などは、あいまいな伝え方より断定的であるべきだし、数学や天文学みたいに答えが一つしかないものに関しては断定的であってもかまわない。 しかし、答えがどこにあるのか分からないことに対して断定的な物言いをする人の神経が理解できない。
人生に悩んで電話している人に向って 「ああしなさいよ」 とか 「こうしなさいよ」 と偉そうに言うみのもんた氏。 言うことをきかないと 「地獄に落ちるわよ」 とか 「死ぬわよ」 という細木数子氏。 なぜ自信たっぷりに堂々と人の生き方に関与できるのか不思議でならない。
それが分岐点となり、仮に人生が悪い方向に進んでしまっても責任など負わないのだろうし、そんな大それた責任は負いようもないはずだ。 人の人生を左右してしまうかも知れないという恐れはないのだろうか。 もっとも、そんなことを恐れていては商売にならないのだろうが、見方によっては傲慢ともとれる態度でズカズカと他人の人生に踏み込んでいくのは好きになれない。
細木数子氏は最近になって自分の言葉を 『予言』 などと言い出した。 予言には 『前もって言っておくこと』 という程度の軽い意味もあるが、現実的には 『約束の言葉』 だったり 『未来を予想していう言葉』 という重い意味で受け取る人の方が多い。
当たるも当たらぬも八卦(はっけ)の単なる占いでしかないくせに予言などと言ってほしくないし、責任すら持てないのであれば 「そうしなければ死ぬ」 などと軽々しく口にしてほしくない。 テレビが、あくまでもバラエティとして放送しているから良いようなものの、あれが密室で行われて変な壷でも買わせようものなら立派な犯罪だ。
かなり前のことになるが、職場の上司に対して社員からの不満が噴出したことがある。 ”切り込み隊長” 的な性格と立場であった自分が皆の意見を基に、当の上司に対して不満や問題点をぶつけたところ、反省するどころか意見を言った人の詮索、つまりは犯人探しを始めてしまった。
当然のことながら職場の士気は低下し、退職を考える社員まで現れてしまったので、止むを得ず社長に現状を報告した結果、直後にその上司に転勤の辞令が出た。 社員は一様に喜び、士気も高まったのだが、「自分は何ということをしてしまったのだろう」 という自責の念に駆られ、十年以上が経過した今でも心のしこりとして残っている。
組織として良い方向になったとは思うが、上司には家庭があり、子供たちは言葉も文化も違う遠く見知らぬ土地への転校を余儀なくされた訳である。 結果的に人の人生を左右させてしまったことに対する責任を感じつつも、その責任をとる術がない。 人にその話をすると 「そんなことを気にする必要はない」 と言われるが、どうも気になってスッキリしないままでいるのである。
『人は自分で出した結論を後押ししてほしいから相談する』 と言われる通り、人生における相談を受けた場合は、「自分の決めた通りに進むべきであり、自分で決めたのだから後悔してはいけない」 と助言するのが精一杯で、「ああせよ」 とか 「こうせよ」 などとは恐くて言えないと思うのだが、これは小心者であるがゆえの ”逃げ” なのだろうか。
現代人は自分で結論を出すことができず、人生をいかに歩むべきかを指示してほしいと思っている人が多いのかも知れないが、そういう人にこそ 『コギト・エルゴ・スム(cogito, ergo sum)』 (我考えるゆえにあり) と言いたい。 助言はできても結論を言い渡すことなどできない。 きっと、こんな性格だから断定的な発言をする人が好きになれないのだろう。
前に住んでいた街から大阪への出張が何度かあった。 その際、本社が手配してくれるホテルの評判が同僚の間ですこぶる悪い。 理由を聞いても 「恐いから嫌だ」 としか言わないので、「幽霊でも出るのか?」 と質問したが、「とにかく恐いの!」 とだけ言う。 自分の場合は、たまたま違うホテルを用意されていたので、その恐怖のホテルとやらに宿泊したことがなかったのである。
何度か目の出張で、ついに恐怖のホテルが用意された。 同僚は 「恐いよ〜」 と言ってプレッシャーをかけてくるが、何が恐いのか理解できなかったし、たとえ心霊現象がおこったとしても、ドバーッ!と出てくるものでなければ特に恐いとも思わないので、さほど気にせずに出張に向った。
夜になってチェックインしたホテルの部屋の中を見渡しても幽霊など出そうもない。何が恐いのだろうと不思議に思いながらも腹が減ったので一階ロビーの横にあったレストランっぽい場所で食事をしようと下に向う。 そして、エレベーターのドアが開き、目の前に広がる光景に驚かされた。 なんとガラの悪い、そのスジの人たちが狭いロビーを埋め尽くしているではないか。
会話を小耳に挟んだところ、隣にあるゴルフの練習場の営業が終わり、そこからロビーに集まって来たらしい。 ジロジロ見て因縁をつけられても嫌なので ”チラ見” しながら人の間を通り抜けてレストランに入ろうと思ったが、中はそのスジの人で一杯だ。 席が空いていなかったので仕方なくホテルを出て、すぐ近くにあった喫茶店に入った。
ところがその店の中にも同種の人がたくさんいる。 気に障るようなことさえしなければ、素人 (しろうと) である自分には何もしてこないだろうから空いている席に座って食事を注文し、持参した本を読んでいた。 しかし、そのスジの人たちが大声で会話するので気になって仕方がない。 読んでいる本の内容もさっぱり頭に入ってこないので、読むふりをしながら話に聞き耳を立てていた。
幹部らしき人が若い衆に向かって何事かを言い、取り囲んだ若い衆が 「へい!」 と返事をしてる。 まるでヤクザ映画を観ているようで可笑しくてたまらない。 笑いをこらえて本を読むふりを続けていると、幹部らしき人の携帯電話が鳴り、話しを始めた。 そして、その幹部らしき人が 「なに〜!そんな奴は懲役いかしたれー!」 と怒鳴ったところで、可笑しさをこらえきれずに 「うぷぷぷ」 と笑ってしまった。
店内がシ〜ンとなり、みんながこちらを見ているらしかったが、本に目を落として笑っているので内容が可笑しいのだと思ったのだろう。 すぐに大声での会話が再開され、自分の身に危険が及ぶことはなかった。 その後も可笑しさをこらえながら食事をし、まだロビーでたむろしているスジ者の間を通って部屋に帰った。
出張から帰り、職場でその話しをすると、「そんな恐いもの知らずは見たことがない」 と呆れられてしまった。 そして皆が恐怖に思っていたのは、その人たちのことだったらしいのである。 しかし前述したように、こちらが何もしていないのに言いがかりをつけてきたり、殴られたり蹴られたりするはずがないので恐いとは感じないのだが、それは感覚がおかしいのだろうか。
自分にとっては 『
デパ地下のオバチャン』 や 『
年末の買出しのオバチャン』、『
スーパーのオバチャン』 の方がよっぽど恐いと思うのだが・・・。
2006年5月2日。 その日は自分にとっても 『
お買物日記』 担当者にとっても深く記憶に刻まれる一日となった。 甲子園球場で開催されるプロ野球ペナントレース 『阪神 vs. 巨人』 戦のチケットを仕事仲間から譲り受け、二人で出かけることになったのである。
そのチケットを譲るという E-mail を受信したのは 3/23 の 14:10。 対戦カードは伝統の阪神、巨人戦。 さらに今季は甲子園での初顔合せとなる試合だ。 球場の盛り上がり方も尋常ではないことは容易に想像できる。 そんな場所にバリバリのファンでもない自分たちが紛れ込むことが許されるのかという一抹の不安が頭をよぎる。
本当か嘘か分からないが、『六甲おろし』 も歌えない者が球場で応援などしてはいけないという話を聞いたことがあるし、まして仕事仲間が保有する席は年間指定席であるため、周りの人たちは筋金入りの阪神ファンだと予想される。 そんな席に 『六甲おろし』 の一番すら満足に歌えない二人が座っていると、周りから白い目で見られるのではないだろうか。
その辺のところを仕事仲間に確認すると、以前はそんな雰囲気もあったが現在はそんなことはないし、指定席がバックスクリーンよりレフト(左)側なのでライトスタンドより落ち着いた雰囲気だと言う。 ただし、近くに巨人応援団がいるので試合の流れによっては乱闘が始まる危険性をはらんでいるということだった。
多少の危険はあるものの、大阪に住んでいる間に一度は甲子園球場で試合を観たいと思っていたので、ありがたくチケットを譲ってもらうことにした。 その日から試合当日までの一カ月強の間、『お買物日記』 担当者の緊張は日を追うごとに高まっていくようだった。 三日ほど前にはそわそわし始めて落ち着きがなくなった。
そして、いよいよ試合当日。 朝から二人とも忙しい。 帰宅が深夜になるのが分かっているので夜の分も含めてページの更新作業、『お買物日記』 担当者は翌朝分のチラシデータまで入力し、自分は携帯電話からも更新が可能な
臨時のページを開設する。 そして、球場の周りも見学したかったので試合開始まで 5時間も前の 13:00過ぎに家を出た。
途中、食事をせずにいたので大好物のモスバーガーに立ち寄って遅い昼食にするが、ハンバーガーの径がひとまわりほど小さくなっていることに気付く。 原材料の高騰が続くが、商品単価に転嫁できないため使用量を減らしているのだろう。 なんだか少しテンションが下がってしまったが、阪神百貨店に寄って応援グッズを購入すると、再び気分が盛り上がってきた。
球場に到着し、周りをウロウロしたりタイガース記念館を見学したりした後に球場の中へ。 平日ということもあって観客の出足も遅く、まだ半分くらいの入りだ。 それでも試合開始が近づくにつれて、どんどん人で一杯になってくる。 我々の前の席にもバリバリの阪神ファンがやってきて、上着を脱いで好きな選手のユニフォームに着替え始めた。
ところがその日は思いのほか寒く、みんな腕をさすったりして耐えているようだったが、我慢しきれずに上着を着始めた。 せっかくユニフォームを着たのに上着を着たのでは意味がないと思うのだが、彼らにとっては応援する際の正装なのだろう。
試合の経過は割愛するが、少し冗長気味に進んだ試合は 4対4 のまま最終回へ。 阪神の攻撃も 2アウトとなり、誰もが延長戦を覚悟したその時に代打関本がバックスクリーン横にサヨナラ本塁打を放ち劇的な幕切れとなる。 チケットを譲ってくれた仕事仲間は子供の頃から 30年以上も試合を観ているが、その彼でさえ数度しか見ることができていないサヨナラ本塁打を甲子園デビューだった 『お買物日記』 担当者が見られたのは本当に運が良い。
そして、その打球がスタンドに飛び込んだ瞬間、阪神ファンの発する声でスタンドが揺れた。 応援席ではファンが狂喜乱舞し、知らない人ともハイタッチや握手をしている。 自分もいろんな人とハイタッチしていたが、どこの誰なのかさっぱり分からない。
ヒーローインタビューが始まり、関本選手の一言一言に大きな歓声が湧く。 そして流れる 『六甲おろし』。 自分は歌えないのでモゴモゴと適当に口を動かし、知っている部分だけ張り切って歌ってごまかしておいた。 その後は選手ごとの応援歌をメドレーで歌い、締めはやっぱり 『六甲おろし』。 まだまだ名残惜しそうなファンを警備員が追い出すように出口に誘導する。
球場の外に出ると巨人のマスコットであるジャビットをヒモでしばってズリズリと引きずりながら歩く阪神ファン。 そのジャビットを足で蹴ったり踏んだりしながら進む阪神ファンなどでごった返している。 3号神戸線のガード下で余韻を楽しむ阪神ファンが各選手の応援歌を歌って大いに盛り上がっている。 立ち止まって聞いていると、現役選手のは歌いきってしまったため、今は他球団に移っている坪井選手だの新庄選手、現役を追えた広沢選手の歌まで始まった。
そして、掛布、バース、真弓などと古い OB になり、しまいには村山だの吉田だのという歴史になりかけている人の歌まで始まったので帰路を急ぐことにした。 彼らはどこまで歴史を辿り、何時まであそこで騒いでいたのだろう。 帰宅は 0時近くになってしまい、心身ともに疲れ果てはしたが心地の良い疲れであった。 そして、この 5月2日という日は生涯忘れることのない一日となることだろう。