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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

発言の影響 発言の影響

  断定的な発言をする人が苦手だ。 仕事での指示などは、あいまいな伝え方より断定的であるべきだし、数学や天文学みたいに答えが一つしかないものに関しては断定的であってもかまわない。 しかし、答えがどこにあるのか分からないことに対して断定的な物言いをする人の神経が理解できない。

  人生に悩んで電話している人に向って 「ああしなさいよ」 とか 「こうしなさいよ」 と偉そうに言うみのもんた氏。 言うことをきかないと 「地獄に落ちるわよ」 とか 「死ぬわよ」 という細木数子氏。 なぜ自信たっぷりに堂々と人の生き方に関与できるのか不思議でならない。

  それが分岐点となり、仮に人生が悪い方向に進んでしまっても責任など負わないのだろうし、そんな大それた責任は負いようもないはずだ。 人の人生を左右してしまうかも知れないという恐れはないのだろうか。 もっとも、そんなことを恐れていては商売にならないのだろうが、見方によっては傲慢ともとれる態度でズカズカと他人の人生に踏み込んでいくのは好きになれない。

  細木数子氏は最近になって自分の言葉を 『予言』 などと言い出した。 予言には 『前もって言っておくこと』 という程度の軽い意味もあるが、現実的には 『約束の言葉』 だったり 『未来を予想していう言葉』 という重い意味で受け取る人の方が多い。

  当たるも当たらぬも八卦(はっけ)の単なる占いでしかないくせに予言などと言ってほしくないし、責任すら持てないのであれば 「そうしなければ死ぬ」 などと軽々しく口にしてほしくない。 テレビが、あくまでもバラエティとして放送しているから良いようなものの、あれが密室で行われて変な壷でも買わせようものなら立派な犯罪だ。

  かなり前のことになるが、職場の上司に対して社員からの不満が噴出したことがある。 ”切り込み隊長” 的な性格と立場であった自分が皆の意見を基に、当の上司に対して不満や問題点をぶつけたところ、反省するどころか意見を言った人の詮索、つまりは犯人探しを始めてしまった。

  当然のことながら職場の士気は低下し、退職を考える社員まで現れてしまったので、止むを得ず社長に現状を報告した結果、直後にその上司に転勤の辞令が出た。 社員は一様に喜び、士気も高まったのだが、「自分は何ということをしてしまったのだろう」 という自責の念に駆られ、十年以上が経過した今でも心のしこりとして残っている。

  組織として良い方向になったとは思うが、上司には家庭があり、子供たちは言葉も文化も違う遠く見知らぬ土地への転校を余儀なくされた訳である。 結果的に人の人生を左右させてしまったことに対する責任を感じつつも、その責任をとる術がない。 人にその話をすると 「そんなことを気にする必要はない」 と言われるが、どうも気になってスッキリしないままでいるのである。

  『人は自分で出した結論を後押ししてほしいから相談する』 と言われる通り、人生における相談を受けた場合は、「自分の決めた通りに進むべきであり、自分で決めたのだから後悔してはいけない」 と助言するのが精一杯で、「ああせよ」 とか 「こうせよ」 などとは恐くて言えないと思うのだが、これは小心者であるがゆえの ”逃げ” なのだろうか。

  現代人は自分で結論を出すことができず、人生をいかに歩むべきかを指示してほしいと思っている人が多いのかも知れないが、そういう人にこそ 『コギト・エルゴ・スム(cogito, ergo sum)』 (我考えるゆえにあり) と言いたい。 助言はできても結論を言い渡すことなどできない。 きっと、こんな性格だから断定的な発言をする人が好きになれないのだろう。

2006 / 05 / 20 (土) ¦ 固定リンク


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