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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

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2004年 4月

他人の不幸は・・・1 他人の不幸は・・・1

  『他人の不幸は蜜の味』 という言葉があるように、先頃のイラク問題みたいな極端な例を除いては、興味本位や覗き見趣味が表面化し、ついつい見聞きしてしまうものである。 いや、イラクで拘束されていた人達にですら、興味半分の目が向けられていたかもしれない。 彼らの行動や、家族の対応に関して賛否両論が噴出したのも当事者ではない冷静な視点があるからだろう。

  『管理人の独り言』 や、この雑感では自分も否定的なことを書いたが、我が身に降りかかった事件だとしたら、冷静に対処する自信はない。 しかし、少なくとも筋(すじ)は通さねばという意識はある。 イラクの件に関しては、彼らや家族を 「誹謗中傷する人がいる」 とメディアは伝えているが、自分は誹謗も中傷もしたつもりはない。 ものごとには節度というものがあると言っているだけである。

  度を越した行動や発言は控えた方がよろしい。 政府の ”自己責任論” に異を唱える人もいるが、自分は自己責任論を正しいと思っている。 自国民が海外で危険にさらされた時、悪の組織に攻撃を加える手段を日本という国家は持ち得ていないのである。 自衛隊も復興の支援に行っているだけで、自国民を救うためであろうと、武器を使用してはいけないのである。

  警察も軍も政府も他国での行動が規制されている国家の民(たみ)であることを自覚すれば、危険な地域への渡航は自己責任で行うしかない。 行ってはいけないという勧告を無視して渡航して拘束され、救出するためにアメリカやイラクの人にまで協力してもらい、本来であれば使う必要のない税金まで投入されたのだから、やはり筋としては最初に謝罪すべきだろう。

  ・・・ などと偉そうなことを書いているが、前述したように、このようなことが我が身に起きた場合、今回の家族のように他人からは身勝手と思われるような行動をしてしまうかもしれないのではあるが・・・。

  ワイドショーや週刊誌などでも、誰と誰が離婚しただの、誰と誰が破局した、あの夫婦ば別居した、離婚間近、愛人発覚、誰にどれだけ借金があるだのと、よくもまあネタが尽きないものだと呆れるくらいの ”不幸話” が溢れている。 そういうものを好んで見る日本人も日本人だと思っていたが、イギリス王室のスキャンダルや、ベッカムのスキャンダル、クリントン元大統領のスキャンダルなどが大々的に報じられるところを見ると、他人の不幸話に興味を持つのは人類共通であるらしい。

  うわさ話でも悪い話はあっという間に広がるが、良い話はあまり伝わらない。 これなども、人は他人の不幸話を好むことの証左かもしれない。 ただでさえ不幸なところに、周りから興味本位で見られたり、話を聞かれたりして当事者は本当に悩んだり苦しんだりしていることと思うが、他人のことであれば興味本位で見聞きしていられるのだから、まさに 『他人の痛みは百年でも我慢できる』 である。

  うわさ話に花を咲かせたり、他人の不幸を喜ぶなど、決して品の良いものではない。 と、頭で分かってはいても、面白そうな話題があるとフラフラと寄って行ってしまうのが、自分も含めた人間の悲しい性(さが)だったりするのである。

2004 / 04 / 24 (土) ¦ 固定リンク

言葉の難しさ その2 言葉の難しさ その2

  やはり言葉というのは難しいものである。 先週の雑感に書いたイラクで拘束されていた三人は無事に解放されたが、本人たちや家族のコメントを聞いていても、やはり釈然としない何かを感じてしまう。 これだけ多くの人に迷惑をかけ、救出のために多額の税金が投入されたにも関わらず、当人達は 「イラクに残りたい」 「活動を続けたい」 などと馬鹿なことを言っているし、家族も 「本人の意思を尊重して」 などと、これまた馬鹿なことを言っている。

  そんなにイラクで活動したいのであれば亡命でもするか、「我が身に何があろうとも救出の必要はありません」 という書面に拇印でもしてから行っていただきたい。 メディアによっては 「立派な活動をしている人を拉致するなど許されない」 とか 「自衛隊を派遣したことによる悲劇」 などという論調で事件を伝えていたが、それを本気で言っているのだとしたら思想が偏っているとしか思えない。 社会的に影響力の強いテレビや新聞で発言する際は、もう少し慎重に言葉を選んでいただきたいものである。

  考えもしないで言葉を発すると、いらぬ誤解を招く場合もあるし、人としての器を見透かされる場合も多い。 腹の立つことがあっても思ったことをそのまま口に出すのではなく、一度は言葉を呑み込んで考えを整理してから発言した方がよろしい。

  知り合いに思慮が浅く、何でも思ったことを口にしてしまう男がいる。 仕事上でも同じなので、後輩や部下から最初は 「厳しい人」 という目で見られていても、感情が表に出ているだけなので、結局は底の浅い人間と見透かされてしまい、表面的には 「はい」 と言うことを聞いているように見えても、心の中では舌を出されているという不幸な男である。

  最初の頃は 「脊髄(せきずい)から話すな。脳を回してから話せ」 と何度も注意していたが、何度言っても直らないし、それは本人の性質でもあり改善の見込みがないため、注意するのを諦めてしまった。 今は違う仕事をしているので見ることはないが、きっと今でも周りに煩がられ、心の中で舌を出されているに違いない。 本当に不幸な男である。

  日本語は違う漢字でも同じ読み方があるので、ときどき間抜けなことになってしまうこともある。 ごく身近に長い間 『台風一過(たいふういっか)』 を 『台風一家』 だと信じて疑わなかった人がいる。 「どんな意味?」 と聞くと 「台風のように暴れてうるさい家族」 と言う。 「そんな内容を天気予報やニュースで伝えるはずがなかろう」 と言ってやると 「そうかもしれない」 と納得したようだった。

  『袖振り合うも他生(たしょう)の縁』 の ”他生” を ”多少” だと思っていた人もいる。 ちょっとした人との交渉もすべて深い宿縁によって起こるという意味なのに、”多少” では意味が通らなくなってしまう。 ある作家の本を読んでいると、『雨後の筍(うごのたけのこ)』 は、ウゴさんという人が作った竹の子だと思い込んでいたとか、『未必の故意(みひつのこい)』 は 『密室の恋』 だと思っていたと書かれていて、なかなか面白いものである。

  かなり以前の会社に勤めていた頃、ちょっと困難な仕事の打ち合わせをしていた時に、当時の新入社員が 「『はくひょうをふむおもい』 ですね〜」 と言った。 「難しい言葉をしってるね」 と言うと、鼻の穴を広げて 「文系の卒業ですから」 と自慢している。 ところが話を進めていくと、どうもニュアンスが違う。 彼は 『薄氷を踏む思い』 の ”薄氷” を ”白豹” だと思っていたのである。

  たしかに、薄くて割れやすい氷の上を踏むように、とても危険な情況にのぞむことのたとえであるから、豹(ヒョウ)を踏むのも危険な状況に変わりはないが、わざわざ白い豹を連れてこなくても良さそうなものである。 正確な字と意味を教えてやると 「そうだったんですか〜」 と言っている。 「把握(はあく)できた?」 と聞くと ”分系卒業” の彼は言った 「はあくって何ですか?」。

  ・・・ やはり言葉は、そして日本語は難しいものである。

2004 / 04 / 15 (木) ¦ 固定リンク

言葉の難しさ その1 言葉の難しさ その1

  言葉というのは難しいものである。 日本語は特に意味も難しいし、使い方も難しい。 言葉遣いを間違うと一瞬にして人を不愉快にさせる場合もあれば、誤解を与えてしまうこともある。さらに、どうしてその漢字が使われているのか解らないことだってある。

  この文章を書き始めてから、すでに何度も使っている 『言葉』 という単語にしても、なぜ ”葉” という文字が含まれるのか解らない。 ことば(詞・辞)に字を当てただけなのか、『こと(言)は(端)』 の ”端” が誤って伝わってしまったのか。 ネットで検索してみても、「言は自分自身の感情、葉は神が宿り・・・」 などという、訳の分からない宗教団体のページに行き当たってしまう。 単に、人はものを言うときに枝葉が付くから ”言葉” なのか・・・。

  言わなくて良い言葉を言ってしまい、人を不愉快にしてしまうことがある。 俗に言う 「それを言っちゃあ、おしめ〜よ」 というやつである。 毎年、8月 6日(広島)、9日(長崎)は原爆記念日で、盛大な追悼セレモニーが開催される。 それに合わせて、平和について考えるテレビ番組が放映されるが、様々な意見が出される中、原爆によって家族を失った人や、被爆者の人が 「被害にあった人にしか分からない」 という意味のことを言ってしまうことがある。

  確かに、突き詰めればその通りなのだが、そういうことを言ってしまうと、それこそ ”おしまい” であり、それを機会に平和について考えてみようとした人の気がそがれてしまうではないか。 なかなか理解してもらえないという苛立ちや、悔しさも解るが、真剣に考えようとしている人たちに 「おまえなんかに分かってたまるか」 的なことを言うのは失礼でもあり、その言葉によって事実に目を向けてもらえなくなるのなら、結果的に歴史が風化してしまうという悲しいことになってしまわないだろうか。

  最近もそれと同じ言葉を聞いた。 オウム裁判で麻原彰晃(松本智津夫)に死刑判決がくだされた日、被害者の遺族がテレビ番組に出演して、「当事者じゃなければ苦しみは分からない」 と言ってしまった。 確かに、確かにその通りなのかもしれないが、(旧)オウムという組織と戦っているのは遺族だけではない。 したがって、やはり 「それを言っちゃあ・・・」 という気分になってしまう。

  逆に、本来であれば言わなければならない事を言わず、変な ”しこり” が心に残る場合もある。 ここ数日、大騒ぎになっているイラク問題で、テロ組織に拘束されてしまった日本人の家族がテレビ出演し、政府の対応への不満を表明したり、自衛隊を撤退させてほしいと訴えている。

  確かに可能であればそうすべきかもしれないし、政府も頼りないのかもしれない。 しかし、何はさておき、渡航自粛勧告や渡航制限が出ていたのにも関わらず、それを無視してイラクに入国してしまったのは事実なのだから、まずは 「お騒がせして申し訳ありません」 とか 「ご心配かけて申し訳ありません」 という一言が必要なのではないだろうか。 そうした上で、自衛隊の撤退をお願いするとか、政府に文句をいうのが ”筋(すじ)” というもののような気がする。

  少し前に磐田市の市長の長女が行方不明になり、事件の可能性も否定できなかったことから大騒ぎになった。 結局は本人が ”自主的に” 家を出たことが判明し、無事に保護されたが、その時の市長の会見でも、「無事で良かった」 とか 「本人も悩んで・・・」 などという言葉しか聞かれなかった。 まずは、単なる家出娘のために世間を騒がせたのだから 「申し訳ありませんでした」 の一言くらい言っても良さそうなものである。

  イラク問題の家族にしても、磐田市長にしても、本当は謝っていて、それがテレビではカットになっているのであれば申し訳ないが、なんだか ”しっくりしない” 気分でテレビ画面を見ている今日この頃なのである。

2004 / 04 / 10 (土) ¦ 固定リンク

嫌いなもの 嫌いなもの

  すでに何度も何度も書いているので詳細は割愛するが、嫌いな食べ物はなくなった。 これも何度か書いているが、特定の芸能人のファンになることはない。 確かに好きな芸能人はいるが、ファンと呼べるほど入れ込むことはない。 その割に嫌いな芸能人は山ほどいたりする。

  現在、最も嫌いなのは菊川 怜 (きくかわれい) である。 なぜだか彼女のすべてが好きになれない。 今年になって出演本数が激減しているので助かっているが、昨年は CM 女王だったので、テレビには頻繁に彼女が映し出されていた。 本当にムシズが走るくらい嫌いなので、登場するとチャンネルを変えていたのだが、どのチャンネルにしても彼女の顔が映っていて困ったこともあった。

  自分には理解できない良さがあるのかもしれないが、彼女を CM に起用しても商品の売れ行きが良くなるとも、イメージが良くなるとも思えず、なにゆえに人気があるのか解らなかった。 映画の試写会だったり、何かの賞のプレゼンターなどにも登場していたが、それは一過性のものであり、今年になってからはパッタリと姿を見なくなった。 あの熱病のような登用は何だったのだろう。

  次に嫌いなのはガッツ石松 (いしまつ) である。 周りの空気も読めず、身勝手な言動を繰り返す人間が、バラエティー番組などに出演して話をしているだけで腹が立つ。 確かにボクシング界では実績も残し、尊敬できるファイターだったのかもしれないが、俳優としても一流であると勘違いしているバカさ加減が嫌だ。 芸能人としても一流だと勘違いしているらしく、「俺は仕事を選ぶ」 などとぬかしている。

  彼の発言に周りの人が笑うと、ウケていると勘違いしているところも腹が立つ。 彼の場合は、人を笑わせているのではなく、人から笑われているという事実に気付かないらしい。 大物面をする前に、自分がどの程度の器であるかを自覚していただきたいものである。

  アーティスト、歌手にも嫌いな人、グループが沢山いる。 とことん嫌いなのは GLAY (ぐれい) だ。 単なる BOWY のコピーバンドだったくせに、自分達の曲を ”作品” などとぬかしている。 作品と呼べるほどの芸術性も独創性もあるとは思えない。 つい先日も、新しいアルバムを自ら評して 「これはロックなどという括りではなく、GLAY というジャンル」 と褒め称えていたが、同じような曲ばかりなのだから、それも言い得て妙であると、変に感心してしまった。

  平井堅 (ひらいけん) の歌い方は、気持ちが悪いので嫌い。 Mr.チルドレンや浜田省吾 (はまだしょうご) の声は聞いているとノドが痛くなる。 ゆず、高い方の声は、どうやら周波数が合わないようで耳が痛くなる。 コブクロ、メッセージソングにも程がある。 森山直太朗 (もりやまなおたろう) は全部嫌い。 ・・・ などなど、数え上げればきりがない。

  こんなことばかり書いていると、逆に人から嫌われそうな気もするが、嫌いなものは嫌いなので、「べつにいいや」 と開き直ることにしようと思う。

2004 / 04 / 03 (土) ¦ 固定リンク

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