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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

言葉の難しさ その2 言葉の難しさ その2

  やはり言葉というのは難しいものである。 先週の雑感に書いたイラクで拘束されていた三人は無事に解放されたが、本人たちや家族のコメントを聞いていても、やはり釈然としない何かを感じてしまう。 これだけ多くの人に迷惑をかけ、救出のために多額の税金が投入されたにも関わらず、当人達は 「イラクに残りたい」 「活動を続けたい」 などと馬鹿なことを言っているし、家族も 「本人の意思を尊重して」 などと、これまた馬鹿なことを言っている。

  そんなにイラクで活動したいのであれば亡命でもするか、「我が身に何があろうとも救出の必要はありません」 という書面に拇印でもしてから行っていただきたい。 メディアによっては 「立派な活動をしている人を拉致するなど許されない」 とか 「自衛隊を派遣したことによる悲劇」 などという論調で事件を伝えていたが、それを本気で言っているのだとしたら思想が偏っているとしか思えない。 社会的に影響力の強いテレビや新聞で発言する際は、もう少し慎重に言葉を選んでいただきたいものである。

  考えもしないで言葉を発すると、いらぬ誤解を招く場合もあるし、人としての器を見透かされる場合も多い。 腹の立つことがあっても思ったことをそのまま口に出すのではなく、一度は言葉を呑み込んで考えを整理してから発言した方がよろしい。

  知り合いに思慮が浅く、何でも思ったことを口にしてしまう男がいる。 仕事上でも同じなので、後輩や部下から最初は 「厳しい人」 という目で見られていても、感情が表に出ているだけなので、結局は底の浅い人間と見透かされてしまい、表面的には 「はい」 と言うことを聞いているように見えても、心の中では舌を出されているという不幸な男である。

  最初の頃は 「脊髄(せきずい)から話すな。脳を回してから話せ」 と何度も注意していたが、何度言っても直らないし、それは本人の性質でもあり改善の見込みがないため、注意するのを諦めてしまった。 今は違う仕事をしているので見ることはないが、きっと今でも周りに煩がられ、心の中で舌を出されているに違いない。 本当に不幸な男である。

  日本語は違う漢字でも同じ読み方があるので、ときどき間抜けなことになってしまうこともある。 ごく身近に長い間 『台風一過(たいふういっか)』 を 『台風一家』 だと信じて疑わなかった人がいる。 「どんな意味?」 と聞くと 「台風のように暴れてうるさい家族」 と言う。 「そんな内容を天気予報やニュースで伝えるはずがなかろう」 と言ってやると 「そうかもしれない」 と納得したようだった。

  『袖振り合うも他生(たしょう)の縁』 の ”他生” を ”多少” だと思っていた人もいる。 ちょっとした人との交渉もすべて深い宿縁によって起こるという意味なのに、”多少” では意味が通らなくなってしまう。 ある作家の本を読んでいると、『雨後の筍(うごのたけのこ)』 は、ウゴさんという人が作った竹の子だと思い込んでいたとか、『未必の故意(みひつのこい)』 は 『密室の恋』 だと思っていたと書かれていて、なかなか面白いものである。

  かなり以前の会社に勤めていた頃、ちょっと困難な仕事の打ち合わせをしていた時に、当時の新入社員が 「『はくひょうをふむおもい』 ですね〜」 と言った。 「難しい言葉をしってるね」 と言うと、鼻の穴を広げて 「文系の卒業ですから」 と自慢している。 ところが話を進めていくと、どうもニュアンスが違う。 彼は 『薄氷を踏む思い』 の ”薄氷” を ”白豹” だと思っていたのである。

  たしかに、薄くて割れやすい氷の上を踏むように、とても危険な情況にのぞむことのたとえであるから、豹(ヒョウ)を踏むのも危険な状況に変わりはないが、わざわざ白い豹を連れてこなくても良さそうなものである。 正確な字と意味を教えてやると 「そうだったんですか〜」 と言っている。 「把握(はあく)できた?」 と聞くと ”分系卒業” の彼は言った 「はあくって何ですか?」。

  ・・・ やはり言葉は、そして日本語は難しいものである。

2004 / 04 / 15 (木) ¦ 固定リンク


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