2003年 2月
それぞれの理由 それぞれの理由
『
管理人の独り言』 に何度も書いたように最近は安眠できない日が続いている。いつも ”何か” に追われる夢を見て飛び起きてしまうのだ。もともと眠りが浅く、ちょっとした物音で目が覚めてしまうので眠れないことが苦痛ではないのだが、”その” 夢を見る理由がわからないので困ってしまう。夢とは言え、なにゆえに追われなければならないのか。また、追ってくるのが何なのかも分からないので気分が優れない。
何事も ”果” には ”因” があるはずである。したがって、似たような夢を見つづけることにも ”因” があって然るべきではないか。追われる夢を見るのだから日常でも何かに追われることがあるのかもしれない。しかし、警察に追われるような罪を犯しているわけでもない。仕事で時間に追われてはいるが、ここ数年は同じ精神状態であるため、それは今に始まったことではない。
いろいろと考えを巡らしてみても何かに追われる夢を見なければならない ”因” が何であるかは思い当たらずにいる。それほど苦痛でもないので夜中に何度も目覚めてしまうのは良いとしても、やはり寄る年波には勝てず仕事をしている 2時とか 3時くらいに睡魔に襲われるのは困りものである。一刻も早く夢を見る ”因” を見つけ出して取り除かねばなるまい。
しかし、世の中には理由がハッキリしないことも確かに存在する。俗に超常現象と呼ばれるものが一例ではあるが、科学者などに言わせるとそれは低次元な話であり、やはり何事にも現象を引き起こす理由があるのだと言う。きっとそれは正論なのだろうが、少しは空想に夢を広げても良いではないかと思う。UFO や未確認生物にしても超能力や心霊現象にしても ”ある” と信じていたほうが楽しいではないか。
そしてもう一つ、世の中には訳の分からない理由というものもある。理由と言うよりも単なる言い訳だったり屁理屈だったりして聞いていても 「なんのこっちゃ」 と思ってしまうのだが、本人はいたって真面目にそれが正論であるがごく力説するのである。「なるほど」 と思える理由もあれば 「あほか!」 としか思えない理由もあるが、過去にも色々な人がそれぞれの理由をもっともらしく語っていた。
学生の頃、遅刻で一番多かったのは 「寝坊した」 という理由だったが、それなどは潔く自分の非を認めている方である。「忘れ物を取りに帰っていた」 というのも聞くに堪える理由だ。訳の分からないのになってくると 「道に迷った」 などと言い出す奴もいた。「毎日学校に来ていていて道に迷うはずがなかろう」 とこっぴどく先生に叱られていたが、聞いている分には面白い。
その他、年に何度も 「おばあちゃんの具合が悪くなって」 言う奴もいたが、彼の祖母が鬼籍に入ったのはそれから 10年以上も後のことである。遅刻した理由で一番アホらしかったのは 「ウイッキーさんに捕まりました」 というものだった。当時、朝の TV番組で道行く人を捕まえては英会話を強要するコーナーがあり、その ”講師” であったウイッキーさんに捕まったと言い張るのだ。
しかし、そのコーナーは主に東京都内から中継されており、当時住んでいた ”田舎” にウイッキーさんが現れるはずもなく、即座に嘘がばれて先生に叱られていた。しかし、あの手この手とよく適当な理由を考え出すものである。周りで聞いている分には楽しいのだが、教師の側にしてみると馬鹿にされたと思うらしく、訳の分からない理由を言うと怒りの火に油を注ぐような結果になってしまうので注意が必要である。
学生ならまだしも、社会人になってからも訳の分からない理由を平気で述べる奴もいる。何年も前の話になるが、連休明け初日の仕事が始まっても出勤してこない女子社員がいた。電話連絡があったので理由を尋ねると 「電車の指定席がとれませんでした」 などとぬかすではないか。連休の交通事情など誰もが知っているとおり、電車の乗車率は 100%を超えるものである。
どんな子供だってオッサンやオバハンだって、それぞれの生活に戻るために長い時間を我慢して立ってでも電車に揺られて帰って来るものである。「なんたるアホか」 と思いつつも、あまりにも腹が立ったので 「いなくても困らないから 2-3日ゆっくりしてくれば?」 と嫌味を言ってやったところ、本人はそれを気にもとめずに 「ありがとうございま〜す」 などと明るいお返事をしていた。
その時は 「こんなアホには今後、まともな社員教育をしても無駄だ」 とガックリと肩を落としながら、そっと受話器を元に戻すしかなかったのであった。
2003 / 02 / 23 (日) ¦ 固定リンク
タイミング タイミング
何にでもタイミングというものがある。ちょっとしたことから大きなことまで、それは実に様々であるが、良くも悪くもタイミングが重要だったりするものである。運が良いとか悪いとかもタイミングの良し悪し、つまりグッドタイミングだと運が良く、バッドタイミングだと運が悪いということなのかもしれない。
普段は気にしていないのに 「最近あいつはどうしいるかな〜?」 と思ったところに本人から電話があるなどという小さいながらも嬉しい ”グッドタイミング” もある。そんなときは、電話をかけた方も受けた方も 「心が通じた」 などと、ありもしない話で盛り上がるが、結局は単にタイミングが合っただけの話である。
大きなタイミングとしては就職や転職ということがある。バブル期に就職を迎えた年代は、生まれてきたタイミングが良かったのだろう。企業が人手不足を理由に高い賃金で新入社員を迎え入れていた時代である。人を集めるために 『研修旅行は海外』 だの 『豪華マンションのような独身寮』 だの 『福利厚生でスポーツジム』 だのと待遇の良さを全面的にアピールしていた。
ところがバブルが弾けると就職戦線は一変し、就職難の時代へと様変わりしてしまった。90年代以降に就職時期を迎えた世代は、生まれてくるのが数年遅かっただけなのにえらい違いである。最近まで超売り手市場で、大学でろくに勉強もせずに遊んでいても優遇されて就職できたのに、今では優秀な成績で卒業してでさえ就職が難しい。やはりタイミングが悪かったとしか言いようがないのではないだろうか。
転職の際もタイミングというものがある。現在勤めている会社を辞めたいと思った時、他に行きたいと思う会社があるかどうか。また、辞める会社で仕事に段落がついており、人に引き継げる状態にあるかどうか。さらに、再就職を希望する会社が人材を募集しているかどうか。それらすべてのタイミングが合わなければ不況の昨今、転職は難しいと思われる。
人生においては結婚もタイミングなのだろう。どんなに容姿が良かろうと、性格が良かろうとタイミングを逃して結婚できない人もいれば、性格がひねくれていて学生時代から嫌われ者だった奴がすんなりと結婚していたりする。相手とどのようなタイミングで出会えるかによって結果は大きく異なる。
相手に結婚する気があっても自分にはなかったり、自分は結婚する気満々なのに相手に全然その気がなかったり色々と大変である。今は適齢期などなくなっているが、相手も自分も 「結婚してもいいかな」 と思える時期に出会えるか否か。それがすなわちタイミングの問題なのではないだろうか。
そんなこんなで世の中には重要なタイミングというものがあるが、先週の中ごろ実に小さなタイミングの問題が発生した。正面から歩いてきた人と道を譲り合うタイミングが妙に合ってしまい、お互いが右に左にとウロウロしてしまうことがある。こちらが右に避けようとすると相手も右に、左に避けようとすると相手も左に動いてしまう例の ”あれ” である。
何度かそのようなことを経験しているので 「そんな時はどうすれば良いか」 と考えたところ、右とか左とか躊躇するからいけないのであって、相手がどちらに避けるのかを立ち止まって見ていれば良いという結論に達した。それから何度か同じような場面に出くわしたとき、こちらが立ち止まると相手が横をすり抜けて行ってくれるので例の間抜けな動きをせずに済んでいた。
で、先週の話に戻ると・・・出勤途中の地下鉄梅田駅構内を歩いていると、正面からきた人と ”あの” タイミングに至りそうになった。そこで、いつもの通りに立ち止まったのだが、なんと相手も同じ ”戦法” をあみ出していたらしく、二人そろって正面を見たまま立ち止まってしまったのである。
お互いに何が起こったのか理解できず、そのまま 3秒ほど見つめあってしまった。そして、急に笑いが込み上げてきて見つめあいながら二人で 「わっはっは」 と笑い出した。周りの人は変な顔をしてこちらを見ているので照れくさいやら可笑しいやらで、なんだかよく分からなくなってしまった。とりあえずは 「失礼しました」 と言って別れたのだが、一人で歩いていても可笑しさの余韻にひたっていた。
間抜けな動きをしたくないがためにあみ出した戦法によって、余計に間抜けなことになってしまったが、同じ行動をとる人と 「よくあのタイミングで合ったな〜」 とタイミングの妙に感心したりしているのである。
2003 / 02 / 16 (日) ¦ 固定リンク
駅構内人間模様 III 駅構内人間模様 III
相も変わらず電車内は読書の時間に充てているが、大声で話しているオヤジの声で妨げられる。仕事関係の話をしているのだが、客先の会社の実名を出している。しかも、それが悪口なので聞いているこちらがヒヤヒヤしてしまう。たまたま相手先の社員が乗り合わせていたらどうするつもりなのだろう。
車内で話す場合は聞いている人に分からないようにするか、人に聞えない声で話すべきである。いくら相手を悪く言っても人間とは不思議なもので、悪口を言われている会社よりも話をしている人の会社の方が悪印象になってしまう。
その他にも電車内で会社の資料を見ている人がいるが、広げる書類にも気を使うべきだと思う。他人に見られても差し支えないものであれば問題ないが 「こんなの見てていいの?」 と聞きたくなるような資料を広げている人がいる。以前に見たのは ”超” 有名電機メーカの見積書だった。
かなり大がかりなシステムを納入するらしいのだが、その合計金額の横に他社の金額が手書きで書き込まれていた。納入先は国関係の機関で、納入金額も 『億』 の単位だったのだが、横に書き込まれた手書き文字にも F 社、M 社、N 社(本当は実名)など日本を代表する企業名が連なっている。
国関係の機関相手に億単位の見積書で、競合他社の見積り金額が書き込まれてるとなれば、真っ先に頭に浮かぶのは ”談合” とか ”入札妨害” である。まったく違う事情で他社の情報を書き込んでいたのかもしれないが、いずれにせよ人目につく場所で広げる書類ではなかったような気がする。
その他にも胸にひまわりを模った弁護士のバッジをつけた人が資料を広げているのを何度か目撃したことがある。弁護士さんが見る資料などは一般人が見ても訳の分からない法律用語が羅列してあるので理解不能ではあるものの、記載されている会社名や個人名程度は読めるので、やはり書類を広げる場所として電車内は適切ではないような気がする。
中には重要でもない書類を見ている人もいるが、本人にしてみれば、とっても重要な問題が含まれているらしい。アルバイト先で配られた勤務表を広げ、自分の名前をマーカーで塗っていた女の子が祭日の夜に自分の名前があるのを見つけて 「はぁ〜」 と深いため息をつきながら塗りつぶす姿を見て失礼だとは思いつつも笑ってしまった。
しかし、毎日のように電車を利用していると、許せない場面に出くわすこともある。一か月ほど前、千里丘駅のホームから階段を上がろうとしたとき、若い女性が降ってきた。何のことかと思われるかもしれないが、階段の 4-5段上からまさに女性が降ってきたのである。
電車が発車しそうになっていたので、それに乗ろうとしたオヤジが階段を上がっていた女性を突き飛ばしてまで駆け下りたのである。その女性は強く腰を打ったらしく、「ううっ」 と言いながらうずくまっている。自分も女性の肩が太ももにあたって痛かったが、そんなことを言っている場合ではないので 「大丈夫ですか?」 と女性の手をとって起そうとしたが、痛さに顔をゆがめたまま立ち上がれずにいる。
女性を突き飛ばしたオヤジは結局は電車に乗れなかったようで、しばらくすると 「ごめんごめん」 と言いながら戻ってきたが、電車に間にあっていれば、そのまま知らぬ顔をして行ってしまったに違いない。そのオヤジに向かって 「あのなー!」 と言いかけたところで、女性が 「大丈夫です」 と真剣な目でこちらを見ながら言ったので無言でうなずき、その場を去ることにした。
「クソオヤジめ!」 と罵りながらドカドカと階段を上がろうとしたが、足が痛かったのでヒョコヒョコと間抜けな上りかたでその場を去ることになってしまった。今から考えると最後までその場に残り、女性がオヤジを許すまで見守ってあげていればよかったと少し後悔したりしているのであった。
2003 / 02 / 09 (日) ¦ 固定リンク
気遣い 気遣い
先週の雑感で自慢話が嫌いだと書いたが、実は気遣いも嫌いである。と言っても、人に気を遣うのが嫌なわけではなく、人から気遣いされるのが苦手なのだ。なぜだかよく分からないが、気遣われていると感じると、逆にこちらが気を遣ってしまうのである。
このサイトで生意気にも 『
くちコミ情報』 をまとめてみたり、『
憩いの広場(掲示板)』 がグルメな話題で盛り上がったりしているが、実のところ外食するのは年に一度あるかないかであるため、話題についていけなかったり、質問に答えられないことが多い。その手の話題になった時は誰か詳しい人が答えてくれるのを息をひそめて待っているような有様である。
外食しない第一の理由は ”出不精” なことだが、もう一つの理由として店の人に気遣われるのが苦手ということもある。「向こうは客商売だから、そうされるのが当り前」 と、堂々としている人もいるが、自分にはそれができない。水を入れてもらっただけでも 「すみません」 という気分になってしまう。別に悪いことをしている訳ではないが、「気を遣わせてすみません」 という感じなのだ。
散髪に行っても店の人によっては 「今日は休みですか?」 から始まり、「近くにお住まいですか?」 だの 「お仕事は?」 だの質問攻めにあうことがある。店の人にすれば退屈させないようにという気遣いなのだろうが、そうされるのが苦手な自分としては 「ええ」 とか 「はぁ」 とかいう返事しかできない。
タクシーに乗っても運転手さんによっては 「仕事の帰りですか?」 から始まり 「遅くまで大変ですね」 とか 「どんな仕事を?」 などと話し掛けてくる。これも乗客を退屈させないようにという気遣いなのだろうが、いつものごとく 「ええ」 「はぁ」 としか答えられない。
もしかして自分には社交性が欠如しているのかと思うこともあるが、仕事で人と話すときや接待するときは自分でも呆れるくらいペラペラと喋り続けるので、欠如しているわけでもなさそうだ。こちらが気遣うのは苦にならないが、ひとから気遣いされるのがどうも苦手なのである。
飲食店の店員さんや飛行機のスチュワーデスさんに対して傍若無人な振舞いをするバカを見ると、「アホか!」 と思ったりするが、少しは 「俺は客だ!」 的な精神を持ち合わせていないと、こちらが疲れてしまうのも事実である。見ていて気分の良いものではないが、「アホか!」 という奴の神経を 0.3mm ほど移植してもらえないかと思ったりすることもある。
先日、こんな自分も人からの気遣いをありがたいと感じたことがあった。通勤時に電車に乗り込む際、入口近くに立っている人の足を踏んでしまった。あわてて 「すみません」 と謝ると 「いいえ」 と答えてくれ、そのあとに 「大丈夫ですよ」 と言ってくれた。その言葉を聞いて思わず ”はっ” とした。
今までに何度か足を踏まれたことがあり、相手から 「すみません」 と言われたとき、「いいえ」 と答えることはあっても、そのあとに 「大丈夫ですよ」 という言葉を添えて相手に渡すことなど考えもしなかった。足を踏んでしまったのはこちらの不注意であるし、申し訳ない気持ちも十分にあるため、「いいえ」 と言われたあとも何となく気まずいものであるが、「大丈夫ですよ」 の一言で随分と心が軽くなった。
相手を気遣うことは大切なんだな〜と感心し、次からは自分も 「大丈夫ですよ」 という言葉を添えようと思っていた。そして、先週の木曜日、そのチャンスが巡ってきたのである。地下鉄車内で立っていると、その横に女性が乗り込んできた。ドアが閉まり、電車が動き出したとき、その揺れでバランスを崩した女性が自分の足を踏んだ。
ところが、ところがである。女性が履いていたのはハイヒールで、そのヒールに全体重が乗ってしまったものだから鬼のような激痛が体を貫いた。女性は 「すみません、すみません」 と何度も謝ってくれたが、あまりの痛さに声も出ない。とりあえずは首を縦に振って 「いいですよ」 という意思表示し、心の中で 「大丈夫ですよ〜」 と泣きながら答えていたのであった。
2003 / 02 / 02 (日) ¦ 固定リンク