先週の雑感で自慢話が嫌いだと書いたが、実は気遣いも嫌いである。と言っても、人に気を遣うのが嫌なわけではなく、人から気遣いされるのが苦手なのだ。なぜだかよく分からないが、気遣われていると感じると、逆にこちらが気を遣ってしまうのである。
このサイトで生意気にも 『
くちコミ情報』 をまとめてみたり、『
憩いの広場(掲示板)』 がグルメな話題で盛り上がったりしているが、実のところ外食するのは年に一度あるかないかであるため、話題についていけなかったり、質問に答えられないことが多い。その手の話題になった時は誰か詳しい人が答えてくれるのを息をひそめて待っているような有様である。
外食しない第一の理由は ”出不精” なことだが、もう一つの理由として店の人に気遣われるのが苦手ということもある。「向こうは客商売だから、そうされるのが当り前」 と、堂々としている人もいるが、自分にはそれができない。水を入れてもらっただけでも 「すみません」 という気分になってしまう。別に悪いことをしている訳ではないが、「気を遣わせてすみません」 という感じなのだ。
散髪に行っても店の人によっては 「今日は休みですか?」 から始まり、「近くにお住まいですか?」 だの 「お仕事は?」 だの質問攻めにあうことがある。店の人にすれば退屈させないようにという気遣いなのだろうが、そうされるのが苦手な自分としては 「ええ」 とか 「はぁ」 とかいう返事しかできない。
タクシーに乗っても運転手さんによっては 「仕事の帰りですか?」 から始まり 「遅くまで大変ですね」 とか 「どんな仕事を?」 などと話し掛けてくる。これも乗客を退屈させないようにという気遣いなのだろうが、いつものごとく 「ええ」 「はぁ」 としか答えられない。
もしかして自分には社交性が欠如しているのかと思うこともあるが、仕事で人と話すときや接待するときは自分でも呆れるくらいペラペラと喋り続けるので、欠如しているわけでもなさそうだ。こちらが気遣うのは苦にならないが、ひとから気遣いされるのがどうも苦手なのである。
飲食店の店員さんや飛行機のスチュワーデスさんに対して傍若無人な振舞いをするバカを見ると、「アホか!」 と思ったりするが、少しは 「俺は客だ!」 的な精神を持ち合わせていないと、こちらが疲れてしまうのも事実である。見ていて気分の良いものではないが、「アホか!」 という奴の神経を 0.3mm ほど移植してもらえないかと思ったりすることもある。
先日、こんな自分も人からの気遣いをありがたいと感じたことがあった。通勤時に電車に乗り込む際、入口近くに立っている人の足を踏んでしまった。あわてて 「すみません」 と謝ると 「いいえ」 と答えてくれ、そのあとに 「大丈夫ですよ」 と言ってくれた。その言葉を聞いて思わず ”はっ” とした。
今までに何度か足を踏まれたことがあり、相手から 「すみません」 と言われたとき、「いいえ」 と答えることはあっても、そのあとに 「大丈夫ですよ」 という言葉を添えて相手に渡すことなど考えもしなかった。足を踏んでしまったのはこちらの不注意であるし、申し訳ない気持ちも十分にあるため、「いいえ」 と言われたあとも何となく気まずいものであるが、「大丈夫ですよ」 の一言で随分と心が軽くなった。
相手を気遣うことは大切なんだな〜と感心し、次からは自分も 「大丈夫ですよ」 という言葉を添えようと思っていた。そして、先週の木曜日、そのチャンスが巡ってきたのである。地下鉄車内で立っていると、その横に女性が乗り込んできた。ドアが閉まり、電車が動き出したとき、その揺れでバランスを崩した女性が自分の足を踏んだ。
ところが、ところがである。女性が履いていたのはハイヒールで、そのヒールに全体重が乗ってしまったものだから鬼のような激痛が体を貫いた。女性は 「すみません、すみません」 と何度も謝ってくれたが、あまりの痛さに声も出ない。とりあえずは首を縦に振って 「いいですよ」 という意思表示し、心の中で 「大丈夫ですよ〜」 と泣きながら答えていたのであった。