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2002年 2月

嗚呼日本人2 嗚呼日本人2

  「渡る世間に鬼はなし」と云うように古来から日本社会の仕組みは ”性善説”を基準に成り立っている。性善説を簡単に言うと「世の中に悪い人なんかいないもんね〜、人間の本性はもともと善なんだよん」ということであり、お互いの信頼関係が大前提になっている。

  昔の人は家に鍵などかけずに外出したし、見ず知らずの人にも親切にしていた。今でも人口の少ない村などでは鍵をかけずに外出していることが多い。それらは「この辺の人に悪い人はいない」「泥棒するような人はいない」という信頼関係があるからだ。

  それ以外にも口約束だけで取り引きが成立したり、話を聞いただけ、相手の目を見ただけで信頼する場合もある。しかし、多くの人が最も信頼するのは ”ブランド”だと思う。各地方にはそれぞれ名家が存在し、その家の血筋であれば無条件に尊敬されたりする。その人自身よりも○○家という苗字、つまりは ”ブランド” に価値があるわけだ。

  会社もそれは同様で、企業名そのものが ”ブランド”となる。最近でこそ能力主義に以降し、個人の能力がどれだけ高いかが重要になってきているが、多くの場合は個人よりもどの企業に所属しているかによって相手の態度が変わる。個人の能力が高かろうと低かろうと「○○株式会社 ○○部長」とかいう肩書が優先されるのである。

  日本では 「お仕事は?」 と聞かれたら「○○社で課長をやってます」などとと答えることが多い。終身雇用制が長く続いたために自分がどの道のプロフェッショナルであり、どのような能力があるのかよりも、どのような企業に所属して、どのような地位にあるのかが本人にとっても相手にとっても重要になってしまったのだろう。

  ある大手企業でリストラされ、再就職の面接の際に「あなたは何ができますか?」 との質問に対して 「部長がきます」 と答えてしまったという笑うに笑えない話もある。単に年功序列で順送りにその地位になれただけで、本人の能力など関係なくても ”ブランド” にこだわってしまう日本人の悲しさだろう。

  ところが今、そのブランドや性善説が崩壊しつつある。言うまでもなく雪印や政治腐敗に端を発する 「食への不安」「社会への不安・不満」 である。結果的に雪印食品は解体されることになったが、それは氷山の一角であり肉、米、野菜、魚などどれをとってもラベル表示を信じることができなくなってしまった。流通の過程や小売店で産地を改ざんしている報道が後をたたないからだ。

  ○○産と表示されていれば 2-3割高くても ”ブランド” を信じ、まさか表示を偽る悪人はいないだろうという ”性善説” を前提に購入にしていたわけだが、そのどちらも信用することができなくなってしまった。さらには賞味期限も信用することができない。プロでもないかぎり産地を見極めることは不可能だが、生鮮食料品に関しては昔ながらの知恵で鮮度を見極めるしかなさそうだ。

  そして相変わらず国会は田中真紀子、鈴木宗男両氏の問題で騒がしい。先週の雑感に書いたとおり体調が悪くずっと家にいたため、たまたま 「ムネオハウス」 が問題になった国会中継をオンタイムで観ていた。国会中継を観て腹を抱えて笑ったのは初めてである。しかし、ひとしきり笑った後で怒りが込み上げてきた。我々の税金が投入されているのになぜ個人の実績として評価されているのか。

  おまけに工事を落札した企業が鈴木宗男氏の後援会関連で、そこから政治献金を受け取っているという。権力者と企業の癒着は今に始まったことではなく、時代劇でも 「お主も悪よのう・・・へっへっへっへ」 などと悪代官と越後屋が癒着しているシーンをよくみる。いつも名前を出される越後屋も可哀想だがドラマの世界だけでなく、現実に昔からそのような癒着があるのであれば、もはやこれは国民性なのかもしれない。米国でもエンロン破綻に端を発する政治家への資金提供が問題になっているので権力者と企業の癒着は国民性を問わず全人類共通の本性なのだろうか?

  田中真紀子氏に対しては同情の声のほうが多い。自分も事務次官だった野上氏や鈴木宗男氏と同様の扱いをされた彼女には同情している。しかし、先日の国会での 「(自分を更迭した)首相の判断は間違い」「首相自身が抵抗勢力」 という発言はいかがなものかと思う。

  過去に何度も書いているが、日本の景気を左右する株価は海外投資家の影響力も大きい。外資が日本から引き揚げられているのは小泉首相の指導力不足、構造改革の先行き不安が大きな理由である。そういう状況の時に更迭されたとはいえ、外務大臣を務めた政治家がすべき発言だったのだろうか?あそこでは ”私怨” をすててでも ”情” や ”国益” を優先すべきだったと思う。

  日本人は古来から現在に至るまで ”性善説” に則って情や和を重んじて社会の仕組みを構築してきた。個人主義が蔓延し、情や和が薄らぎ ”性悪説” つまりは 「世の中に善人などいない。人間の本性はもともと悪なのだ」 と考えて、他国のように簡単な約束事も契約書が前提となるのだろうか?そして問題解決のために裁判を起こすような世の中になっていくのだろうか?

  昔とは違い現代人は毎日風呂に入り、洗濯した下着を身につける。汚れを落とし清潔にするのは結構なことだが、人間味や人間臭さまでも洗い流してしまってはいないだろうか?

2002 / 02 / 24 (日) ¦ 固定リンク

人体の不思議 人体の不思議

  何年ぶりかでひどい風邪をひいてしまった。02/05(火)くらいに 「のどが痛いな〜」とは思っていたのだが、うがいをするとかの予防を怠ってしまったため、完璧な風邪へと進展しまったようだ。2〜3日間はそれほど症状が悪化することもなかったのだが、先週の雑感を書き終えた(02/09(土))ころから背中がゾクゾクしてきた。

  そして翌 02/10(日)にはついに発熱である。以前見たテレビでは「必要があって熱が出ているのだから無理に薬を飲んで下げないほうがよろしい」と言っていたのを思い出し、さらには翌日(02/11)も祭日だったこともあって ”薬を飲まずに寝ている作戦”を遂行することにした。幸いに微熱程度(37.4℃)だったので布団に入って汗を出せば下がるだろうとふんだわけだ。

  ところが熱は下がるどころか上昇を続け、夜には 38℃を突破してしまったのである。それでも 「今、体は風邪のウィルスと戦っているんだ」と自分自身を勇気づけながら布団の中でじっとしていた。ウィルスと戦い、少しずつでも優勢になっているのであれば喜ばしいのだが、のどの痛みは増してくるし咳もひどくなってくる。

  しかし、今ここで薬を飲むよりも 「発熱によって風邪のウィルスを撃退するのだ」と頑張っていた。考えてみると人間の体は不思議なものである。「発熱は病気を治すシステムを活発にするために起こる」とのことであり、体温が上昇すると免疫細胞が活発に活動して外敵(ウィルス)と戦ってくれる。解熱剤などを服用して熱を下げてしまうと、免疫細胞の活動が低下してしまうらしいのである。

  もう一つ不思議なのは ”寝られる”という事実だ。何度もこの雑感で触れているとおり、普段は寝つきも悪く眠りも浅い。ちょっとした物音でも目が覚めてしまうし、昼寝などすると夜眠れないことが多い。ところが風邪をひくと体温が高いこともあってか、いくらでも眠ることができる。時々目は覚めるのだが、断続的にではあってもずーっと寝ていることができるのである。

  ますます 「人間の体はよくできているな〜」と感心してしまった。しかし、熱は一向に下がる気配がないし、咳もひどくなってくる。おまけに食事の時間になっても空腹感がない。栄養の補給も大切と考え頑張って食べようとするのだが、なかなか ”のど” を通らないのである。食事もそこそこにして 「明日も休みだから」 と自分に言い聞かせながら、じっと”良い子” にして布団に入っていた。

  とうとう最後の休日(02/11(月))である。昼間おとなしくしていて夜になっても熱が下がらないようであれば市販の薬を飲むことにする。昨日あれだけ寝たのに布団に入っているとすぐにウトウトする。「人間その気になれば、いくらでも眠れるものだなぁ」などと呑気なことを考えながら、目が覚めては水分を補給し、水分を補給してはまた寝ることを繰り返していた。

  いつもより少量の夕食を済ませ、熱を測ってみると 38.4℃とまだ高い。これはもう薬に頼るしかないと判断し、規定数量を服用して布団にもぐり込んだ。2日間も安静にしていて無理に熱を下げることもせずにウィルスと戦ったのだから 「目が覚めたら治っているに違いない」と信じつつ眠りにつき、そして、運命の夜は明けた!・・・それほど大げさなものではないが、治っていてほしかったのは事実なのである。

  02/12(火)の朝、期待は見事に裏切られて咳がひどくなっている。熱こそ 37.4℃まで下がったのだが、鼻水をともなった三重苦。食欲不振の四重苦になっている。これはダメだと観念して仕事を休むことにした。かぜ薬の CMには熱があっても出勤する立派なサラリーマンが登場するが、あれはそこそこの規模の会社の話である。100人も社員がいれば他の人に風邪をうつしても数十%の戦力ダウンで済むだろうが、吹けば飛ぶような会社では全滅につながりかねないのである。

  午前中に病院に行って今日も一日安静にしていることにしたのだが、3連休後だったために病院はじーさん、ばーさんで溢れ返っている。結局は診察まで 2時間も待つハメになってしまい、余計に疲れてしまった。それでも ”元気なるらしい注射”をしてもらい、薬も出してもらったので明日は仕事に行けるに違いない。夜までに熱も下がってきた。

  次の日(02/13(水))の朝、妙に体が重い。熱はなさそうなのでスーツに着替えて出勤の準備をしていたのだが、ひどい吐き気がする。「どうしたんだろう?」と念のため熱を測ると、なんと平熱を通り越して体温が 35.1℃まで下がっている。「な、な、な、なんだ!?」と驚いてしまったが、吐き気に加えてめまいもしている。結局はさらに 1日会社を休むことになってしまった。

  悪いことは重なるもので、その日に今度は”お買物日記”担当者が発熱してしまい、二人そろって布団の中で「うーん」と唸るハメになってしまった。さすがに翌日(02/14(木))には平熱になり、無事に出勤することができた。会社では 「ひどい目にあった〜」などと話し、いつも通りに仕事をしていたのであるが、夕方くらいから体調が悪くなってきたのである。

  早めに帰宅して熱を測ったら 37℃台に復活している。「あっちゃ〜」な感じであるが、とにかく病院の薬を飲み、おとなしくしているしかない。そして、実際におとなしくしていたのだが、翌朝(02/15(金))になっても熱は下がらず、結局は仕事を休むことになってしまった。

  そんなこんなで一週間のほとんどを寝込んで過ごしてしまったわけで、今回の風邪には本当に参ってしまった。今はなんとか回復したが少し咳が残っている。病気の治りが遅いのは ”年齢”のせいかもしれないと少し弱気になったりしているのである。

2002 / 02 / 17 (日) ¦ 固定リンク

不条理 不条理

  摂津市の水道料金が 14.44%値上げになる。千里丘駅周辺は摂津市、吹田市、茨木市が接しているため今回の値上げの影響を受けるのは一部だと思われるが、なぜこの時期に?と疑問に感じてしまう。消費不況が叫ばれている時、公共料金の値上げによって一般消費に対する財布の ”ヒモ” が余計に締められると思うからだ。

  市の広報によると値上げの理由は 「府営水道の値上げ」「基幹設備の耐震対策のための更新」となっている。そんなことを言われても 「府営水道って何?」という感じである。それが値上げになったから摂津市も値上げということは、府営水道なるところから水を卸売りしてもらっているのだろうか? 「府の水道が値上げしたんだから攝津市だって値上げしても住民は納得するだろう」という程度の考えなのだろうか?

  もう一つの 「基幹設備の耐震対策のための更新」というのも、いまいち納得できない理由である。地震が起きて水が出なくなるのは困るのは確かだが、阪神淡路大震災さえも乗り切った設備を更新する必要があるのだろうか?理由の中に ”老朽化のため”とあるなら分かるが、耐震対策という言い訳は苦しいのではなだろうか?震災からすでに 7年も経過しているのだから。

  「小さい事にガタガタ言うな」と言われそうだが、いわゆる ”公共料金”が住民の了解なしに勝手に値上げされる事に腹が立つ。ライフラインと言われるものには水道、電気、ガスに加えて電話回線がある。電話料金は規制緩和が進み自由競争になったため値下がりしている。国際電話や市外通話だけでなく市内通話料金でさえも企業努力によって低価格化が進んでいるわけだ。

  ところが競走のない水道、電気、ガスに関しては企業努力を見ることができない。水道局、電力会社、ガス会社が生き残りをかけて人員整理をしたとかサービスの向上を図ったとか合併したなどという話は聞いたことがない。みんなが不況に苦しんでいるのだから合理化や従業員の賃金カットなど企業努力をしてでも値上げを阻止すべきだと思う。

  競走もなく生活するのに必要不可欠なものだから一般市民は 「値上げ」 と言われても 「あ〜あ」とため息をつきながら従うしかない。これが他のものであれば 「高いから買わない」 または 「安いものを選ぶ」ことができるが、水、電気、ガスだけは使わないわけにもいかず、安いものを選ぶこともできない。それを値上げするのであれば、企業努力もした上でもう少し納得のいく説明をしてもらいたいものである。

  公共料金ではないが、国の税金徴収にも問題がある。多くの人は気付いていないと思うがアルコール類、ガソリンは二重課税されている。アルコールもガソリンも価格には税金が含まれているが、それを購入するとさらに消費税が加算されているのである。ガソリンであればガソリン税を引いた価格が消費税の対象になるべきである。

  小売価格に占める税負担率はガソリンが約 56%である。計算しやすいように1リットルの販売価格を 100円とすると、税金が 56円なので実質価格は 44円となり、44円の消費税は 2.2円である。ところが現状は 100円に対する消費税なので 5円ということになり、倍以上の金額を徴収されている。もちろんガソリンの価格は 100円ではないし、一度に何十リットルも給油するわけだから年間にするとどれくらい不条理な税金を徴収されているのか分からない。ましてや日本には何台の車があるのか。

  アルコールやガソリンに限らず、価格に税金が含まれているものに関しては消費税を見直すべきである。二重課税など法律的にも認められるわけがない。

  公共料金や税金だけでなく不条理な値段で売られているものもある。入学シーズンを目前にこんな話題もどうかと思うが、典型的なのは小学生のランドセル、中高生の制服である。世の ”おやじ” たちが 9,800円のスーツを着ているというのに何が悲しくて 3万も 4万もする学生服を買わされなければいけないのか。大量生産している学生服がそんなに高額だとは思えない。

  ここにも競争原理が働かない業界の傲慢がある。制服を販売するのは学校の ”指定業者”が主である。一年に一度とは言え地域によっては何百着、何千着という制服を販売することができる。業者はさぞかし教職員に対する”接待” に忙しいのであろう。学生服の価格には ”接待費” と業者にとっての ”あまい汁費”が含まれていると考えるべきだ。

  ランドセルも同様で世の ”おやじ” たちが 3,800円のカバンやボロボロのカバンを使っているというのいに何が悲しくて 2万も 3万もなかには 5万もするランドセルを買わねばならないのか。制服と同様に大量生産しているランドセルがそんなに高額だとは思えない。可愛い子供のために親や祖父母がここ一番、奮発してお金を払うことを見込んでの価格設定だと思われる。

  勝手に値上げしたり、とんでもない価格設定をする前に低価格で販売できる努力をしろ!と言いたい。努力できないのであればもっと規制を緩和して自由競争できる市場をつくるべきである。水道管やガス管、電線を民間企業が張り巡らすのは困難なので既存の会社の努力に期待するしかないのかも知れないが、今のままでは期待することすら難しい。公共性の高いサービスに関しては 「企業努力せよ」 と政治が要請・指導してもらいたいものである。

  なんだか最近は政治不安、不況などのこともあってか、腹の立つことが多くて困ってしまってしまう。不条理な価格や税金の徴収などが横行しないような更正な世の中にならないものだろうか。

2002 / 02 / 10 (日) ¦ 固定リンク

モラル-2- モラル-2-

  先週の雑感からの続き・・・

ムネオくん 「言ってませーん」
マキコさん 「同じ班のノガミくんも鈴木君が言ったって言ってまーす」
ノガミくん 「ぼくはそんなこと言っていませーん」
他の生徒からは、このままでは授業が始められないと文句が出てきました。
担任のコイズミ先生は、こともあろうにムネオくん、マキコさん、ノガミくんの3人を転校させてしまいました。

  ・・・いったい何をやっているのだろう?このような解決を我々国民は望んだのではない。NGOが重要な会議に出席できなかったことは外交上の失敗であり、それが一人の政治家の意思によるものであれば世界中に恥をさらしたことになる。政治家の意思が関与していないのであれば、どのような理由で外務省が特定の NGOを排除したのか理由を明確にすべきだ。

  外交に失敗したのだから、どのような理由があるにせよ野上事務次官の更迭は当然のことだと思う。一般社会で言えば総責任者である大臣の更迭も当然かもしれないが今回は事情が違う。大臣さえも知らないところで事態は進展していたわけだし、そもそも重要な事が大臣の知らないところで決定されること自体に問題がある。

  一般論では事件や事故が起こった場合、被害者の証言に最も信憑性があると言われている。そういう意味では今回の ”被害者” である NGO代表が発言している 『外務省から 「鈴木先生にあやまれ」 と言われた』(簡略化)というのが最も信憑性のある ”証言” であり、国民の多くが鈴木宗男氏の関与があったという印象を強く持っているに違いない。

  期待されていたのは鈴木宗男氏の関与を明確にし、その責任を問うこと。つまりは省庁と ”族議員”との関係の見直しであり、政治が改革されることだったと思う。そして小泉政権の下であれば、それが可能かもしれないという大きな期待があったはずだ。かつてないほど国民が政治に感心を寄せている。田中大臣更迭の第一報は深夜 1:00頃だったにも関わらず NHKの視聴率が 10%を超えたらしい。

  それだけの感心と期待を受けての結果が ”究極の玉虫色”になってしまおうとしている。期待が大きかっただけに反動も大きかろうと予想していたが、約70-80%だった小泉政権への支持率が 約40-50%程度に急落した。報道機関によって数字はまちまちだが、天井と底を見ると半分になってしまったわけだ。

  国民は経済不安と同時に日本の政治は変われないのかもしれないという不安にさらされる事になってしまった。海外投資家も同様だったようで日経平均やTOPIXが大幅に下落している。経済アナリストなどは難しいことを言うが、省庁と族議員の関係が改善されない = 政治改革・構造改革が進まない = 日本経済は立ち直れない。という単純な構図だと思う。

  民間企業は合理化、リストラ、人員削減など涙ぐましい努力を続けて経営の安定化を図ろうとし、国民は人員整理に耐え、消費を削り生活を守ろうと必死になっている。政治改革・構造改革が進み経済が復活することを信じて痛みに耐えているというのに政治家は既得権益、派閥の力学から抜け出すことができていない。自己防衛の政治であり国民のための政治だとは思えない。

  まさにモラル・ハザード(倫理の欠如)である。今回の件は国民を落胆させ、海外から物笑いになっているのであろうが、それでも自分としては小泉政権を支持せざるを得ない。支持と言うよりは与野党を含めて総理大臣つまり国民のリーダーに適した人材が見当たらないと言う方が正確なのだが・・・。

  同じく先週から続いている問題は ”雪印”である。次から次へとよく問題が出るものだと感心してしまうくらいの悪行三昧である。雪印は地に落ちたブランドの代名詞になってしまった。消費者の信頼を裏切っただけでなく、詐欺行為という刑事事件にまで発展してしまった以上、食肉部門からの撤退も当然のことだろうと思う。ある報道機関のスクープによると、雪印乳業も ”牛乳” から撤退することになりそうだ。

  先週も書いたが牛乳を納めていた酪農家や宅配の牛乳屋さんなどの影響を考えると社会的責任は大きかったはずなのに企業やその従業員のモラルが欠如していたために業界全体に迷惑をかけることになってしまった。乳製品関連の業界だけでなく、食肉関連、広くは食品全体に消費者が不安を抱くことになっている。

  雪印の不正行為は氷山の一角だと言われている。売られている食品は輸入品なのかの国産なのか?表示されている産地は正しいのか?賞味期限は正しいのか?消費者にとって唯一の情報源であるラベルが信用できないのだとすると何を信じて買い物をすれば良いのか?

  政治も食品も信用できない国に住んでいるのが嫌になってしまう。だからと言って、大騒ぎして出馬したくせに訳の分からない理由で辞職してしまった大橋巨泉のように海外を渡り歩くような余裕もない。本当に消費者、国民の方を見て商売や政治をしてほしいと切に願う。

  小泉純一郎、田中真紀子、石原都知事で新党を結成して日本の構造を根本から作り直してもらえないだろうか?などと、ありもしない事を夢想しなければならないほど落胆してしまった一週間だった。

2002 / 02 / 03 (日) ¦ 固定リンク

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