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2004年 1月

散髪屋さん 散髪屋さん

  昨年末の 『雑感』 にも書いたように、若い頃は髪を伸ばし放題に長くしていたが、今は少しでも長くなってくると鬱陶しくてたまらない。 前回は髪を切るタイミングが難しく、イライラする日々を過ごしてしまった。 今も髪が伸びてきたので、そろそろ散髪しなければならない頃だ。

  現在行っている散髪屋さんは、大阪に越してきてから二軒目である。 最初は美容室のような散髪屋さんに行っていたのだが、そこが嫌になり、新しくできた店に替えたのである。 今の店は必要以上に話しかけられることもなく、仕事も速いので満足しているが、前の店は理容師さんがペチャクチャと話しをするので嫌になった面もある。 「ゴチャゴチャ言うヒマがあったら、さっさと終らせろ!」 と言いたくなってしまう。

  ただし、店を替えることにした理由はそれだけではない。 極端に髪型を気にする性格ではないので、理容師さんの ”腕” を問題にしている訳でもない。 その店には女性従業員もいたのだが、彼女が店に子供を連れてきていたのである。 働く女性の一番の心配事は子供のことであろうから、職場に子連れで来ること自体は、むしろ歓迎すべきことではあるが、仕事内容を考えるべきでもある。

  散髪屋さんは刃物を扱っている訳だから、子供がチョロチョロしているのは好ましくない。 子供自身が危険でもあるし、客である自分も恐い。 カミソリを当てられ、首の毛を処理してもらっているときに子供が 「ママ〜」 と言って抱きついて来たのも一度や二度ではない。 店内を走り回って母親に突進してきたこともある。 そんな恐怖の時間を過ごす勇気は持ち合わせていないので、店を替えることにしたのである。

  自分はあまり店を替えるのが好きではない。 新しい店に行くと 「どのような髪型にしますか?」 から始まって、「お住まいは?」 「お仕事は?」 と質問責めに合うのが常であり、仕事以外で人に愛想をふりまくのが苦手な自分としては、嫌でしようがないのである。 したがって、そんなことさえなければ店を替えることなどなく、今でもあの店に行っていたと思う。

  大阪に来る前に暮らしていた街でも 20年近くも同じ店に行っていた。 そこの理容師さんは、いい加減なオヤジなのだが、なんとなく気が合っていたのである。 ある日のこと、髪を切ってもらっている最中、気持ち良くなって寝てしまったことがあった。 「終ったよ」 と声をかけられ、目を開けると目の前の鏡には見知らぬ人が映っている。 しかし、よく見てみると、それはアイパー(アイロンパーマ)をあてられた自分だった。

  あまりのことにイスから転げ落ちそうになるくらい驚き、「なんだこれは?!」 とオヤジに詰め寄ったところ、「あれ?ちがったっけ?」 などとぬかす。 「俺が一度でもアイパーにしたことがあるか!」 と問いだたすと 「似合うんだけどな〜」 などと呑気なことを言っている。 「今すぐやり直せ!」 「せっかくできたのに!」 と大喧嘩になったが、それでも店を替えなかった。

  またある日は、自分が最後の客だったこともあり、「今日、返却しなくちゃいけないビデオがあるから観てもいいか?」 と聞くので 「いいよ」 と答え、イスの角度をずらしてもらって一緒にビデオを観ていた。 タイトルは忘れてしまったが、内容はコメディー映画で、オヤジは 「わははは」 と笑いながらバッサバッサと髪を切る。 なんとなく嫌な予感はしていたのだが、目の前に鏡はない。

  心配になって 「観ながらで大丈夫?」 と聞いても 「おう!ませとけっ」 と言いつつ、ビデオを観て 「かははは」 と笑っている。 しばらくすると、いつもより小さな声で 「終ったよ」 と言った。 その自信なさげな声に不安を覚えたため、鏡を見ようとしてもイスの角度を変えてくれない。 「ちょっと鏡・・・」 と言っても、イスを押さえたまま、「怒るだろ〜な〜」 とブツブツ言っている。

  「いいから鏡を見せろ!」 と言って立ち上がり、鏡の前に立ったとき、今度はヒザが抜けそうになるくらい驚いた。 鏡には、できそこないの菅原文太みたいのが映っている。 なんと 『仁義なき闘い』 に登場するヤクザ役の菅原文太のような角刈りにされているではないか。 「今すぐ髪を元に戻せ!」 「そんなこと言われても」 と、またまた大喧嘩になった。

  そんな大きな失敗が二度ほどあったが、結局は店を替えず、電車で二駅ほど離れた場所に引っ越した後も、わざわざ電車に揺られて髪を切りに行っていた。 ある日、引っ越して今は遠くから来ていることを告げると、「今度から店が終る直前に来い」 と言う。 理由も聞かず、言われた通りに閉店間際に行くと、髪を切り終わった後、自宅まで車で送ってくれたのだった。

  それからは毎回、散髪後には車で送り届けてくれるという、そのオッサンとの奇妙な関係は、大阪に旅立つ直前まで続いたのであった。

2004 / 01 / 24 (土) ¦ 固定リンク

時事ネタ 時事ネタ

  昨年末から続く、アメリカでの ”狂牛病(BSE)” 騒ぎは、『吉野家』 や 『なか卯』 が牛丼の供給を中止する事態にまで発展してしまった。 『牛角』 を代表とする焼肉チェーン、『マクドナルド』 などハンバーガー屋さんも大変そうである。 店のメニューを改定し、急遽 『親子丼』 や 『やきとり』 を始めた店に追い討ちをかけるように、今度は鳥インフルエンザの上陸である。

  日本は、電気製品であろうと何であろうと ”過剰” と言われるくらい品質にうるさい。 アメリカが出してきた牛肉の検査体制では 「国民の理解が得られない」 として農水省が突っぱねているし、卵や鶏に至っては処分されることが決定した。 店側の味方をするわけではないが、大手の外食チェーンは独自の品質管理を行っている。 従って、輸入禁止などせずに各社のリスクで輸入しても良いのではないかと思う。

  卵や鶏肉にしても、食べたことによって人間に感染した例は報告されていないのだから、処分まですることはないのではないか。 牛肉にしても、卵や鶏肉にしても、各社が厳重な品質管理を行っているのだから、各社の責任において販売するのは構わないのではないか。 それらを買うか否かは消費者である我々の判断である。 気にしない人は気にしないし、心配な人は買わない。 それだけのことだと思う。

  国の機関が厳格な態度で事態に臨んでくれるのは、国民の一人として安心なことであるのは事実だが、対応に温度差があるのが気にかかる。 今のところ、農水省は頑張っているが、厚生労働省の対応はいただけない。 薬のカプセルはゼラチンでできており、そのゼラチンの 90%は牛の骨から抽出される。 背骨(脊髄)は BSE の危険部位に当たるので、牛肉や臓物を食べるよりも危ない。

  厚労省は 「BSE が発症した国からの輸入を禁止している」 としているが、発症が確認される以前の牛骨は使用されている。 それについては 「製造段階でプリオンは消滅している」 という発表だが、そんな馬鹿な話はなかろう。 プリオン(prion:感染性蛋白質微粒子)は死滅させることが難しく、炒めても、煮ても、焼いても死なないのはもちろん、紫外線の照射などによっても死なない。

  たかが、ぐつぐつ煮込んでゼラチンを抽出するだけの作業工程のどこでプリオンが消滅するのか、厚労省の妖怪ヌラリヒョン、坂口大臣に説明していただきたい。 どう考えても医薬品業界などの利益を考慮した発表だとしか思えないのである。 カプセル入りの薬など恐くて飲めやしない。 カプセルを開けて中の粉を飲むようにするべきである。 粉薬を飲むのが苦手な人は、オブラートで包んで・・・と言いたいところだが、オブラートの原料もゼラチン、つまりは牛の骨だったりする。

  何かと腹立たしいが、狂牛病、鳥インフルエンザ騒ぎで、すっかり影をひそめてしまった鯉ヘルペスは沈静化したのだろうか。 鯉の養殖業者や鯉料理を出す店などは、大打撃を受けているものと思われるが、一般的な食べ物ではないので、どうしても扱いが小さくなってしまう。 きっと御苦労なさっているのであろうが、なんとか頑張っていただきたいものである。

  恐いと言えば、SARS(新型肺炎)もある。 SARS そのものは治せる病気となったが、その治療で大量に使われるステロイド剤の後遺症で、『大腿骨頭壊死症』 を引き起こすらしい。 それは 「不死のガン」 と呼ばれる病気で、死には至らないものの、治療が遅れると運動や歩行能力を失い、重傷になると生活能力さえも奪われる、文字通り、骨が壊滅的な死をとげる病気なのだそうだ。

  SARS 治療を受けた人の 30%が、大腿骨頭壊死症になったと発表したマスコミもある。 いたずらに恐怖心をあおる必要はないが、SARS を発症してしまうと、そんな恐ろしいことになってしまうのも事実らしい。 そんな重要なことを厚労省が正式発表しないのも納得できない。 この件に関しては、国に頼らず、手洗い、うがいを徹底して SARS の恐怖から身を守った方が賢明そうである。

  アメリカのブッシュ大統領が 「2020年までに月に永久基地を建設して火星に有人探査船を打ち上げる」 とぶち上げた。 それを聞いて思ったのは、中国の有人宇宙飛行の成功である。 このままでは、数年後には中国が有人で月に到達するかもしれない。その際、「月に星条旗(アメリカ国旗)なんてなかった」 と言われるのを恐れ、慌てて月に行こうとしているのではないだろうか。

  『アポロは月に行ったのか?(原題 Dark Moon:Apollo and the Whistle-Blowers)』 という本が出版され、米 FOX テレビでも陰謀説寄りの番組が放映されている。 曰く、当時の科学技術では月まで行けるはずがなく、地球の周りにあるバン・アレン帯(放射線帯)や、宇宙空間にある放射能は、宇宙飛行士を数分で死に致らしめるくらい強い。したがって、有人で月まで行けるはずがなかったというものである。その他にも月で撮影された写真が怪しいだの、月での活動映像はスローモーション撮影しているだのと、細かな部分まで指摘して ”陰謀説” に説得力を持たせている。

  実際にアポロが月に行ったのか、それが嘘なのか分からないが、たとえそれが大統領選を見据えたパフォーマンスであっても、暗い世の中にあって、パァ〜っと派手な話題を提供してもらえるのは悪いことではない。 自分としては、月に星条旗が立っていない方が面白いと思ったりしているのだが。

2004 / 01 / 17 (土) ¦ 固定リンク

呼称 呼称

  三年以上も書き続けているこの雑感では、自分自身のことを 『自分』 と表現している。 関西では、相手を 『自分』 と呼ぶことが多いため、まぎらわしいのではないかと思い、文書での一人称を変えるべきか悩んだりしている。 ならば自分自身を何と表現すべきか。

  仕事で社外の人と話をするときは 『私』 と呼んでいるが、こんな雑な文体に 『私』 は合わないような気がする。 普段は自分のことを 『俺』 と呼んでいるが、それを文書にするのもなんだか気が引けてしまう。 大阪らしく 『わし』 という手もあるが、ただでさえ 「実年齢よりも老けた文書を書く」 と人から言われているのに 『わし』 などという一人称を使うと、もっとオッサン臭い文書になってしまう。

  生まれてこのかた 『僕』 などと言ったことはないので、お尻が痒くなってしまうし、『拙者』 では侍みたいだ。 文書では一人称で 『筆者』 という表現方法もあるが、なんだか偉そうで好きになれない。 同じ理由で 『我輩』 などは論外である。 無い知恵をあれこれ絞ってみたところで、妙案が浮かぶ訳もなく、言語を司る左脳が痛くなるだけなので、悩むのは止めてこれからも 『自分』 でいくことにする。

  呼び名と言えば、前々から改めなければならないと思っていることがある。 それは親の呼び名で、人に自分の親のことを話すときは 『おやじ』『おふくろ』 という三人称を使っているが、親に直接話しかけるときは 『おとうさん』『おかあさん』 という二人称を使ってしまう。 父親はすでに上界の人となっているので呼ぶことはないが、まだ下界にいる母親は今でも 『おかあさん』 なのである。

  こんなオッサンになってまで 『おかあさん』 などと呼ぶのは、マザコンみたいで自分でも嫌なのだが、他の呼び名が思いつかない。 大阪であれば 『おかん』 なのだろうが、残念ながら関西人ではないので、それは当てはまらない。 関東では 『かあさん』 が妥当なのだろうが、それには抵抗がある。

  先週の雑感でも少しふれたが、両親共稼ぎだったため、生まれてすぐから小学校の 6年になるまで、他人に育ててもらった。 両親は夜になると迎えに来て、家に帰って寝るだけである。 朝も起きたら慌ただしく朝食をすませて出勤していくので、顔を合わせているのは一日に三時間程度だった。 従って、一日の圧倒的に長い時間を他人と暮らすことになる。

  そして、その ”育ての親” を 『とおさん』『かあさん』 と呼んでいたため、今になっても 『かあさん』 は血の繋がっていない ”母親” というイメージが潜在意識の中に刷り込まれている。 それが故に母親を 『かあさん』 と呼ぶことに抵抗があるのである。

  不良だったころは、母親を 『ばばあ』 などと呼んで怒らせていたが、この歳になって老いた親を怒らせることもあるまい。 『おふくろ』 と呼ぶのはドラマの世界みたいで気が乗らない。 『かあちゃん』 と、ちゃん付けにするのも気持ちが悪いし、『おっかあ』 だと東北系になってしまう。 いろいろと考えはしたが、結局は妙案が浮かばず、考えるのが面倒になってきた。

  今更、この歳になって呼び名を改めるのも面倒であることだし、死ぬまで 『おかあさん』 と呼んでやろうかと思ったりしているのである。

2004 / 01 / 10 (土) ¦ 固定リンク

食に対する価値観 食に対する価値観

  『管理人の独り言』 にも書いているが、我家では ”おせち” の大部分が手造りである。 既製品は 『科学の味』 がしたり、甘すぎたりで、食べられないことが多いからだ。 食べる側が一方的にそう思い、造る側の負担を増やしているのであれば問題だが、お互いに同じ味覚を持っているため、手造りすることに対して反対意見がなく、我家はそれで円満に収まっている。

  手造りする第二の理由は、好きなものを好きなだけ食べたいからでもある。 既製品だと、全てのものが同じ程度の量しかないが、黒豆、栗きんとん大好き派や、出汁巻き玉子、肉料理が大好きな派がいるので、それらを他のものより沢山食べたい。 好きな料理を自分の食べたい分だけ造ることができるので、手造りはやめられないのである。

  いっぱい造って食卓に並べるのは良いのだが、困ったことに出されたものは、すべて食べなければ気がすまない。 結果的に腹が割れそうになるまで食べてしまうのである。 食べ物を残すのは自分自身が許さない。 よほど体調が悪ければ残してしまったりするが、普段の食事でも出されたものは残さず食べる。 茶わんに米は一粒たりとも残さないし、弁当で持っていく 『おにぎり』 を包んでいるアルミ箔についた米も食べている。 体調が許す限り、常に食べ物は完食するようにしている。

  米の一粒までも食べきるなど、人からは 『セコイ』 と思われるかもしれないが、これは躾(しつけ)によるところが大きいものと思われる。 乳児のころから小学校を卒業するまで、年寄りに育てられることが多く、食べ物の大切さとかを嫌になるほど聞かされた。

  戦時中、終戦後と、どれだけ食糧難であったか。 当時は米など口にすることができず、どれだけ貧しい食生活であったか。 米作りがどれだけ大変な作業であるか。 さらに 「お米の中には七人の神様が宿っている」 などと教えられた。 米の中にどんな神様が宿っているのか分からないが、そこまで言われると、食べ物を粗末にする訳にはいかない。

  当時は同じ話を何度も聞かされて、うんざりもしていたが、そういう環境で育ち、そういう躾を受けたため、好き嫌いもなく、何でも食べられるようになったのだと感謝している。 正月も三日目となったが、今夜も食卓にはド〜ンと料理を並べ、腹が割れそうになっても食べ続けることだろう。

  今年一年も出されたものは完食し、コロコロと太っていくに違いない。

2004 / 01 / 03 (土) ¦ 固定リンク

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