大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

真性雑感 第二十四版

真性雑感 ~目次~

■ 保護主義

トランプ次期大統領の登場で、アメリカが極端な保護主義に向かうのではないかと懸念されている。

ヨーロッパでも移民の受け入れに反対する勢力が支持され、保護主義的な考え方が広がりつつあるらしい。

世界は今、他国のことなど考えている場合ではなく自国のことで精一杯なのか。

アメリカ、ヨーロッパ、そして中国も所詮は個人主義の国、そういう人種である。

個人主義とは、

国家や社会の権威に対して個人の権利と自由を尊重することを主張する立場。
共同体や国家、民族、家の重要性の根拠を個人の尊厳に求め、その権利と義務の発生原理を説く思想。
Wikipedia

なのであり、もの凄く大雑把かつ乱暴に言い換えれば自分第一、自分優先、もっと極端に悪く言えば自分さえ良ければそれで良いということだ。

そんな個人主義の人が集まれば自国第一、自国優先、自分の住む国さえ良ければ他がどうなっても知ったこっちゃないと、保護主義、右傾化するのは、ある意味当然のことかも知れない。

そもそも、そんな人種が世界秩序を守り、自由貿易をして世界が繁栄し、全人類が平等で平和な暮らしをしていくことなど難しいのではないだろうか。

自国の利益優先、自己の利益を優先させれば必ず争いが起こる。

アメリカをはじめ、ヨーロッパ各国も無理をしていただけであって、保護主義の広まり、うねりは本音が噴出している状態なのかもしれない。

昔はなかなか開国せず、海外企業の参入障壁も高かった日本は世界から保護主義的だと言われ続けてきたが、実は日本人の性質そのものは全体主義で、個を捨てて全体に従属することを得意とする。

以前から日本人ははっきりとした意見を述べず、玉虫色、曖昧だと世界から言われてきたが、こんな時こそ
「まあ、まあ、そう言わずに」
と曖昧な笑顔で調整役を果たし、世界の秩序維持、調和に奔走すべきなのではないだろうか。

■ トランプ次期大統領

そのトランプ氏はツイッターで

トヨタはアメリカ向けのカローラを生産するため、メキシコに新しい工場を作るという。
ありえない!アメリカ国内に工場を作らないなら、高い関税を払え。

と、恫喝とも言える警告を発した。

これまでにもフォード社などに対して警告し、メキシコ工場計画を撤回させてもいる。

アメリカ政府内では
「ツイッターに投稿し、重要政策を詳しい説明もなく一方的に伝える手法は混乱を招く」
と批判が強まってもいるらしい。

・・・。

重要政策をツイッター・・・?

ヒラリー・クリントン氏が国務長官在任中の公務に私的な電子メールアカウントを使っていたことを批判し、それは犯罪だとまで言っていたトランプ氏である。

重要政策をツイッターに投稿するなど私的メールアカウントどころの騒ぎではない。

メールは不正に入手するか、のぞき見でもしなければ内容を知られることはないが、ツイッターに投稿すれば何千万、何十億人の人が誰でも自由に見ることができる。

自分がやっていることが彼には分かっているのだろうか。

■ 従軍慰安婦問題

日本と韓国の間では慰安婦問題が『最終的かつ不可逆的に解決され確認する』としていたはずである。

しかし、釜山の日本総領事館前に慰安婦を象徴する少女像を設置した問題で韓国政府は具体的な動きを見せていない。

朴槿恵(パク・クネ)大統領が弾劾訴追されて職務停止状態にあり、韓国は政治が機能していないこともあるだろうが、事実上の黙認と受け取られても仕方のない状態だ。

従軍慰安婦が単なる組織売春だったのか、日本が力ずくで行った行為なのかという議論が残るにせよ、確かに日本が行った行為は愚かなことではあるが、それは解決済みの一件である。

世界に発信された約束事を反故にして韓国民は恥ずかしくないのだろうか。

日本政府は対抗措置として駐韓大使の一時帰国させる決定をしたが、そんなことをしたところで韓国は痛くも痒くもない。

そんなことをするより、サムスン、LGエレクトロニクスなどに対して日本の電子部品、液晶素材、製造装置の供給をストップしてやれば良いのである。

あるいは日本の商社、三菱商事、三井物産、住友商事、伊藤忠、丸紅などすべてを経由させ、それぞれ粗利をとって販売価格を 5-6倍にしてやれば良い。

日本人がいつまでもニコニコと曖昧な笑顔を振りまいている訳ではないと思い知らせるべきだ。

2016年の終わりに

何と今年の大晦日は土曜日であるため、雑感の更新をしなければならないではないか。

とりあえず簡単に済ませようとは思うが、今年を振り返ると兎にも角にもショウコ一色である。

たぶん故郷で最後の正月になるという予感がしたので 2015年の終わりに帰省し、約20年ぶりに迎えた実家での元旦

その始まりが今年のすべてだったようだ。

一人暮らしを断念したショウコをこの町に迎え入れるべく施設探しを始め、候補が見つかったので申し込むことにした 2月

叔母のレイコの早とちりだった 『ハハキトクスグカエレ事件』 が起きたのは 6月。

その入院でショウコがすっかり一人暮らしを続ける自信を失ってしまったため、急きょ問い合わせた第二候補の施設に空きがあることが判明し、一気に事態が動き出した 8月

施設のことを告げ、ショウコが入所を決意したのはその一週間後となる 08/10。

それからというもの、怒涛のような日々を過ごすこととなる。

約二週間後の 08/23に再び帰省、また約二週間後の 09/06にまたまた帰省

その直後にショウコは町にやって来た

その後も実家の仏壇を処分したため、こちらで新たに小さなものを購入したり、その仏壇に納めるため位牌や遺影をミニサイズにしたり、ショウコの許可を得て父親の遺骨を合祀堂に納めることに決めてお寺さんにお願いしたり何かと忙しい日々を過ごす。

衣類と布団しか持参しなかったショウコのために施設で使う棚やら冷蔵庫やら何やらと買い揃え、あまりにも勢いよく捨ててしまって不足気味になった洋服を買い足したり、金融機関の住所変更やら新規口座開設やらと生活の環境を整えるのにもそれなりの時間を要する。

ショウコが施設での生活にも慣れ、やっと落ち着いたと思ったらもう大晦日だ。

先日、レイコからの届け物があったので礼を言うため昨日の夕方に電話をしたところ、相変わらず元気な声で近況など話し、最後にショウコはどうしているかと聞いてきたので施設にも人にも慣れて達者に暮らしていると告げると安心した様子だった。

それにしても、本当に 2016年はショウコで始まりショウコで終わる。

正月三箇日を放っておく訳にもいかないので、いずれかの日を選んで会って来ようと思っているので 2017年もショウコで始まったりするのではあるが・・・。

そして、毎年同じことを書いてきた、例のホテルでのバイキング形式の昼食である。

なんと、なんと、ついにその昼食を・・・。

食べる前にサービスが終了してしまった。

その事実は事前に知っていたのだが、結局は出かけるのが面倒になってとうとう行かずじまいである。

行ってみようかと言い出したのは北海道に帰って来てすぐの 2008年、グズグズしているうちにサービス自体が終わってしまった。

それから 8年も経過しているのでグズグズするにも程があるというものだが。

仕事に関しては今年も相変わらずである。

少なからずお客さんは増えたが、自分のスキルアップも含めて亀の歩みのようなものだ。

それでも目新しい技術を使ってみたり、以前より難しいプログラムを書いてみたりと超スローペースではあるものの確実に進歩はしているものと思われる。

明日から始まる来年も、少しずつでも良いから歩みを止めないようにしようと思ったりしているところだ。

自分解体新書 - 27 -

自分解体新書 ~目次~

■ 背中

数日前、背中から破滅の音が聞こえた。

何のことはない、仕事中に疲れを感じ、両手を天に突き上げて思いっきり伸びをしただけのことである。

その際に背中からパリパリっと嫌な音が聞こえたのだが、本当にそんなことがあるのかと思って検索してみると、肉離れなどを起こした場合に不快な音がきこえるのは良くある話らしい。

と言うことは、以前から我が家で『破滅の音』と表現していたのもあながち間違いではないらしい。

さらに言うのなら、たまに背中の筋肉が痛くなり、2-3日は寝返りをするのも辛いという経験を過去に何度もしたが、それはつまり背筋の肉離れを起こしていたのだろうかと思い、さらに検索してみるとどうやらその推測は当たっているようだ。

背筋 肉離れ』で検索してみると自分がこれまで経験してきたのと同じような症状、症例が見つかった。

つまり、この痛みのことを『ぎっくり背中』などと間抜けなネーミングで呼称していたが、今後は『背筋断裂』と呼ぶことにしようと思う。

■ 首

11/18(金)に倒れた際に強打した肩から首にかけてがまだ痛い。

後頭部の痛みはなくなり、シャンプーの際にも問題なく頭皮をガシガシできるようになったが、首を左右に倒すとまだ両側の首、そして肩から背中にかけての鈍痛が残っている。

実は単に床に倒れただけではなく、真後ろにある電子レンジやトースターを置いている台に頭から突っ込んでしまい、台の棚にあったものまで破壊する勢いで打ち付けてしまった。

もしその台そのものが壊れて上に乗せている電子レンジが頭の上に落ちていたらと想像すると、脇腹あたりがゾワゾワとしてしまう。

それだけの衝撃を受けたのだから、打ち所が悪ければ頭がい骨骨折や頭蓋内出血を起こしたかも知れず、こんな時は自分の石頭をありがたく思わなければなるまい。

あれから一カ月強、まだ若干の痛みが首などに残ってはいるが、大事に至らなかったことに感謝するとともに今後はクラッとした際の防御姿勢などに磨きをかけようと思っている。

■ 指 その6

今月の初めに再発してしまった指先に集中する手荒れだが、ここのところ快方に向かっている。

あの時、マウスの指を置く部分にマスキングテープを貼るという対策を施したが、それが思ったよりも効果があり、改善に向かわないまでも悪化は食い止めることができた。

それならば、もっと厚みを持たせてみたらどうかとマスキングテープの上からさらにビニールテープを貼ってみたところ、手荒れが大きく改善して皮膚が固くなったり皮がむけたりする症状が消え、今はあと少しで完全治癒という状態だ。

このことからも、やはりマウスに使われている塗料に皮膚が反応したものと思われる。

原因の特定ができず、ずっと悩んできた手荒れから解放される日も間近だ。

ネットで検索すると、同じような悩みを抱える人も多いようだが、こういう対処法もあるということを伝えようにもその手段がないので発表の場をどうしたものかと思ったりしていることろである。

ゲーム

最近、ゲームをしている時間が無駄なんじゃなかろうかと思うようになってきた。

家庭用ゲーム機、パソコン、スマホと様々な機器を通して30年以上もゲームをしてきたが、そろそろ卒業しても良いころだろうか。

思い起こせば1978年に爆発的ブームとなったゲーム、『スペースインベーダー』が発端だった。

いや、その前に温泉旅館などに設置されていたビデオゲームのテニス。

それをエポック社が世界初の家庭用ゲーム機『テレビテニス』として発売したのをちょっと裕福な家庭に生まれた友達が持っていたので、何度も何度も遊ばせてもらったのがゲームの世界への導入口だったかも知れない。

スペースインベーダーを発端としてテレビゲームが世に広まり、町のあちらこちらにゲームセンターができた。

喫茶店にもテーブル型のゲーム機が導入されて飲食代以上の売り上げを誇った時代もあり、その際には店内のテーブルのすべてがゲーム機となった店もあったほどだ。

その頃の自分は御多分にもれずゲーム三昧の毎日を過ごしていて、24時間営業のゲームセンターで夜を明かしたり行きつけの喫茶店が閉店時間になった後も店の鍵を借りて朝までゲームを続けたりしていた。

開催されたゲーム大会で優勝し、賞品として自動車をゲットしたが免許を持っていないので速攻で売却し、得た資金をまたゲームにつぎ込むという訳の分からないことをして中古自動車に乗っていた友達から鬼のような勢いで責められたこともある。

1983年に発売されたファミリーコンピュータ、俗称ファミコンを購入してからは、いつでも好きな時に 100円硬貨を投入しなくてもゲームができるので益々没頭した。

そしてついに、ゲーム好きが高じてゲームを開発する会社に勤めることになる。

それがコンピュータ業界に入ったきっかけであり、今もそれを生業としているのだから人生というものは分からないものだ。

過去の雑感に何度か書いたように、当時の業界におけるプログラマーを含む使用人への扱いはひどいもので、低賃金で長時間労働。

今はちょっと待遇が悪いくらいですぐにブラック企業とかブラックバイトなどと言われるが、あの頃は労働基準法もなにもあったものではない過酷な労働環境で月に 100や 200時間の残業など当たり前、それも残業代などまったく支払われず、出勤時のタイムカードは自分で打刻するが退勤はすでに終業時間に限りなく近い時間で打刻されているという、奴隷のような生活を送っていた。

そんな環境について行けずに辞めることになっても退職金など支払われず、ボーナスの基準も当時は花形だったエレクトロニクス産業を参考にするのではなく、すでに斜陽産業だった炭鉱労連を基準にするという実にに不可解な賃金体系。

一発当てれば億の単位の利益が得られるゲーム業界だったため、創業から数年で自社ビルを建てるまでに会社は成長したが社員たちの会社生活は酸鼻を極めた。

完成した自社ビルに初めて足を踏み入れた時、
「この柱は俺たちの血と肉、汗と涙でできている」
などと言ったものだ。

そんなひどい状況の中でも会社を辞めなかったのは、ひとえにゲームが好きだったからだろう。

当時の自分はプログラミンをするのではなく、ゲームに登場するキャラクターをデザインしたりゲームの中の景色や背景を描いたりしていた。

子供のころからずっと絵を描くのが大好きでゲームをするのも作るのも好き。

大好きなことをやりながら給料をもらっているのだから今から思えば理不尽なことも理不尽だと思わず、低賃金なのも長時間労働なのも気にならなかった。

若くて体力もあったので、深夜 23:00くらいに帰宅してもまだ家でゲームをしたりしていたし、人気ゲームの新作が発売になると行列に並んで手に入れ、カフェインなど摂取しながら徹夜で遊んだものである。

任天堂のファミコン、スーパーファミコンに始まりセガサターン、ドリームキャスト、NECのPCエンジンから SONYのプレイステーションまで、ありとあらゆる家庭用ゲーム機を保有していた時期もあったくらいのゲーム好きで、ゲームソフトの保有数も 100を軽く超えていたのではないだろうか。

それほどゲームが好きだった訳で、まさに天職だと思っていたが、年齢とともに徹夜での作業など無理がきかなくなってきたことと、会社への不満、不信感などから転職を決意した。

その後は同じコンピューター業界であるもののゲームとは無関係な道にすすむことになる。

しかし、ゲーム好きは相変わらずで家庭用ゲーム機、パソコンでのゲームなどで遊んでいたが、スマートフォンが近年になって登場すると、その手軽さからゲーム機やパソコンでのゲームをすることはなくなった。

そして現在もスマホでゲームを楽しんでいるが寄る年波には勝てず、1-2時間もやると目は疲れるし腕は痛くなるし、なにより集中力が続かない。

以前のようにどっしり腰を落ち着け、気構えてゲームをすることはなくなったが、簡単に始められるのでついついスマホに手が伸びてしまう。

それでも、冒頭に書いたように最近は時間の無駄だと思えてきた。

今は暇つぶしにゲームをしてると言いたいところだが、そもそも自分には潰さなければならないほどの暇があるのか。

録画している海外ドラマは在庫が積みあがる一方だし、運営している各種Webサイトのスマホ対応だって終わっていない。

そして、ゲームをしているせいで寝るのが遅くなったりするが、睡眠時間を削ってまでやることなのか。

急に止めることはないと思われるが、少しずつ時間を減らそうかという気にはなっている。

いや、ボケ防止のために一定時間のゲームはむしろ続けるべきか。

いやいや、止めることなどできず、死ぬまで遊び続けたりするかもしれない。

果たして 5年後、10年後の自分はどうなっていることだろう。

過剰演出

どうも演出が過剰なものが好きになれない。

テレビや映画を見ていて
「何もそこまでやらんでも」
とつぶやいてしまうこともしばしばだ。

それは特に日本のドラマや映画に多く、別れのシーン、再会のシーンなどで必要以上の時間をかけ、必要以上のセリフを言わせ、必要以上の量の涙を流し、もの悲しい音楽を流し、見ている側を泣かせよう、泣かせようと必死である。

そんな過剰な演出を見せられた時、ひねくれ者の自分などは興ざめしてしまって感情移入もできず、感動の度合いも半減してしまう。

その点、海外のドラマは実にあっさりしたものだ。

しかし、あっさりとしているのに十分に悲しかったり寂しかったり、逆に再会のシーンでは嬉しかったりするので演出のテクニック、シナリオが優れているのだろう。

テレビCMでたまに見かけるのが細菌などを可視化した映像だ。

食器用洗剤の CMでは除菌効果を謳うため、CGで可視化した菌が汚れた食器からスポンジへ、そのスポンジから別の食器へと移動し、菌が付着したコップで水を飲む笑顔の子供が映し出されたりする。

浴槽洗剤では浴槽の汚れからお湯に菌が浮かび、そのお湯で顔を洗う子供に菌が移る様を映し出す。

空気洗浄機では部屋の空気中に菌がウヨウヨしている様子が映し出され、これまた子供がそれに襲われているシーンが強調される。

布団用掃除機では繊維の奥にひそむダニの死骸や卵などを映し、またまた子供が登場して布団で寝ている様子を映す。

菌が付着したりするのは何も子供だけではなく、おっさんにだって菌は寄って来るのに子を思う親心を突き、消費者心理に恐怖を植え付ける過剰な演出がそこかしこに見られる。

世の中には意図して人工的に作り出した密閉空間でもない限りは無菌状態などあり得ず、ごく一般的に菌は付着していたり浮遊していたりするもので、それを目の敵にしたところで意味はない。

それなのに CGを駆使して気持ちの悪い映像を作成し、恐怖心をあおるような CMを流す企業の方を菌よりも嫌悪してしまう。

そのような CMを見せられると、むしろその製品は買いたいとは思えなくなる自分はやはりひねくれているのだろうか。

過剰演出とは異なるかもしれないが、無添加、オーガニック食品の安全性の主張の仕方にも疑問が残る。

確かに発がん性が認められた物質が入っていたら危険だろうが、その他の一般的な添加物が入っていたら、その食品は危険なのか。

合成甘味料、合成着色料など入っているのが当たり前で、それを口にしたからと言って死ぬわけでも病気になる訳でもない。

農薬にしても添加物にしても世界一厳しい安全基準の範囲内で使用していて、検査体制だって世界一厳しく、完全に機能しているのだから人体に影響があるはずがなかろう。

ここでもまた、だしにされるのは子供で、
「将来のある子供たちに安全、安心な食品を」
などと訴えているケースを多く見かけるが、もう爺さんになりかけている自分にだって子供の頃はあったし、その頃は今よりもはるかにゆるい規制で製造された製品を思いっきり食べてきた。

体の 1/3は添加物でできているのではないかと思われるが、今のところ大病はしていないし訳の分からない牙も角も生えたりしてきていない。

売り文句として安心、安全は訴求力があるのだろうが、普通に売られている食品が不安、危険であるかのような過剰な宣伝はやめていただきたいものである。

とにかく、大げさな表現、大げさな宣伝文句、過剰な演出は好きになれない。

世の中で過剰なくらいで丁度良いのは演劇やミュージカルの舞台とプロレスくらいなものだろう。

昨日という一日

12月02日の昨日は本当に色々なことがあり、ついに仕事をすることができなかった。

できなかったというより、前の日から明日は仕事にならないと諦めたりしていたが・・・。

まずは朝イチで定期通院のため病院に行ってきた。

診てもらっている担当医は、やさしいと言うか、威厳に欠けると言うべきか、これはこうすべきであるとか、ここはこの方針で進めるといった感じで断言してくれることがない。

今年の 6月、腎臓の数値が急激に悪化した。

ずっと処方されていて問題のなかった薬の副作用かも知れないと、その時に処方薬を変えたのだが、今度はその薬の効きが今ひとつで別の数値を抑えきれていないことが発覚。

以前の薬で腎臓の数値が悪化したのは一度だけであるし、その 6月といえば叔母のレイコを震源とする『ハハキトク事件』が発生した月であり、体力的にズタボロ状態だったため、どこの数値が異常であってもおかしくない状況だったので、あの時の腎臓の数値のことは忘れて薬を元に戻そうかという話になった。

しかし、担当医は自分で薬を決めてくれず、
「どうしましょうかねぇ」
などと言う。

たぶん腎臓の数値に関してはあの時だけのような気がするし、薬を変えて別の数値をもっと抑えた方が良いのであればそうした方が良いのではないかと進言すると、
「そうですよね、そうしましょうか」
と、患者に決めさせるのである。

ちょっと頼りないような気がしないでもないが、自分の性格だと頭ごなしに言われると反発したくなるので、こういう医師に診てもらうのが良いのかも知れない。

病院を出て薬局に行き、処方薬が出されるのを待っていると隣の人の会話が耳に入ってきた。

それは 70代と 80代の女性なのだが、70代の女性が病院まで自転車で来ていると言うと、80代の女性が
「あんな遠くから?」
と言い、〇〇町からだとずいぶん時間がかかるだろうと驚いている。

70代の女性が
「違う、私の家はびっくりドンキーの近くだから」
と、病院からそれほど遠くない店の名前を教えた。

80代の女性が
「びっくりドンキー、びっくりドンキー」
と連呼し、
「歳だから何の店かパッと浮かばない」
と言うと、70代の女性が
「ならナイジェリアに行ったらいい」
と言い出す。
「どうして?」
と、80代の女性。
「パッとナイジェリアっていうから」

・・・。

・・・それは『さいでりあ』だ。

すでに倒産した新興産業の外壁材のCMソングで、小林亜星氏が手掛けた『パッ!とさいでりあ』を勘違いして覚えているのだろう。

その時点で可笑しくて可笑しくてたまらず、自分は笑いをこらえていた。

70代女性が処方薬を受け取り、帰ろうとすると自転車の鍵がないことに気づき、バッグの中をゴソゴソ探し始めたが見つからず、受け取った処方薬の袋の中もガサゴソと探し始める。

80代女性がそれを見かね、自分のポケットに手を入れてジェスチャーしながら
「ポケットにあるんじゃないの?」
と言ったと思ったら、
「あっ!あった!」
と、自分で探していたメモを見つけたその直後、70代女性も
「あった!」
と、座っていたイスの上に置いてあった鍵を見つけた。

その訳の分からないやりとりを見せられ、ついに耐え切れなくなった自分はトイレに駆け込み
「どわっはっは」
と一人で大笑いしてしまったのは言うまでもない。

午後からはショウコが暮らす施設に行き、小一時間ほど過ごした後に買い物などして帰宅。

その足でとなりの店に行って髪を切ってもらったのだが、店に通い始めて約 9年、初めて美容室に男のお客さんが来ているのを見た。

その男性はそこそこ髪が長く伸びており、邪魔になるのか後ろで束ねた状態で来店。

その長さは芥川賞作家でもあるお笑い芸人、ピースの又吉氏ほどあり、かなりの毛量なので毛先がぼわっと広がっている。

束ねた髪をほどき、どっかとイスに座った男性は
「かりあげにして」
と言い放つ。

そんなに思い切るのかと驚いたのだが、美容室担当の妹ちゃんはそれほどのリアクションを示さず、
「バッサリやるね」
などと言っている。
「いっそのこと坊主の五厘刈りでもいいんだけど」
「最後に切ったのいつだっけ?」
「えーとね、一昨年の4月くらい」

・・・。

どうやら1年8カ月ぶりの来店らしい。

思い切り短くして、また髪が邪魔になたら束ね、我慢できなくなったら切りに来るのだろう。

2016年12月02日、本当に色々なことがあった。

そして、なんだかとっても疲れてしまった昨日という一日だったのである。

一気呵成

福島県沖で発生した M7.4の地震。

また福島、なぜまた福島なのかと思いつつテレビ画面に映し出される津波警報の文字に恐怖を覚え、それと同時に福島を中心とした太平洋沿岸の地域の人たちのことを思うと早く避難してほしい、たとえそれが無駄になったとしても命は守ってほしいと、逆にそれが必要のなかったこととなれば良い、津波なんか来なければ良いと願っていた。

結果、津波は到達したものの規模は小さく、人命を危険にさらすようなものではなかったのは幸いだ。

それは自分が起床してすぐのことであり散歩に行く準備はしていたが、津波のことが気になってそのままテレビ放送を見続けていた。

そのテレビ画面を見ていて思ったのは、テレビをデジタル化しておいて良かったということである。

画面には福島の海岸の映像に加え、各地の震度、津波警報・注意報が出されている範囲、津波の到達予想時間、潮位の変化、各交通機関の運行状況など、ありとあらゆる情報が詰め込まれている。

それはデジタル化されたからこそできる技で、アナログ放送では不可能なことだ。

地デジ化に関しては低所得者をどうするのかとか難視地区の対策がどうだとかと反対意見も多かったが、一気に進めて正解だったと言えよう。

政府は、いや、日本人は波風を立てるのを恐れ、どっちつかずの対策を講じたりすることが多いが、やる時には一気にやった方が後々になって良かったと思えることも多い。

その典型的な例がデジタル化だったと思われる。

まだ全体の一割程度の機種でしか受信できないが、気象庁が緊急警報放送の信号を流せば各家庭のテレビやラジオの電源が自動的に ONになって緊急警報を流す仕組みもすでに実用化されている。

それはテレビに限らず携帯電話の電波もそうだ。

アナログのままだったらメールの送受信もネット接続もできないので今のようなスマホ時代が訪れることもなかっただろうし、そうなれば緊急災害通知だって届かない。

家にいても外出先でも災害に関する事細かな情報が手に入るようになったのは信号をデジタル化しておいた恩恵である。

一部に反対があろうと、将来を見据えて一気呵成に物事を進める勇気が必要だ。

政府主導でごちゃごちゃと検討している酒税に関してもそうで、ビール 77円、発泡酒 47円、第三のビール 28円となっている税率を 55円程度に統一するらしいのだが、酒税見直しで商品戦略の大幅な変更を余儀なくされる可能性があるため、業界との一定の調整期間を設けることにしたらしい。

その調整期間というのが月単位ではなく年単位、それも 5~7年で実施するといった内容の案だというのだから何とも気の長い話である。

この調子だと実施したとしてもビールは約 10円ずつ値下げ、発泡酒は約 4円ずつ値上げ、第三のビールは約 9円ずつの値上げを段階的に2-3年をかけてなどと言いだしかねない。

消費税だってそうだ。

本当に必要なのだったら段階的などと恐る恐るではなく一気に 10%にしてしまえば良かったのではなかろうか。

そりゃあ庶民としては辛いものがあるが、消費増税を境にして顕著になった景気悪化、それからの景気持ち直し、浮揚の遅さは増税幅が 3%でも 5%でも同じようなものだったに違いない。

ならば一気呵成に 5%増税して 10%にしてしまえば良かったのである。

それなのに選挙結果を気にしたり世間の風当たりを気にしてビクビクするから後で辛い思いをすることになってしまう。

一刻も早く 10%にしたいのにタイミングがつかめず右往左往するばかりだ。

予防接種もそうである。

以前は義務化されていたが、現在は『国民は予防接種を受けるように努めなければならない』という努力目標に過ぎない。

それは日本人が完璧主義であるがため、たとえ一人たりとも副作用で重篤な症状を発症してはならないと考え、マスコミもギャーギャー騒ぐからだ。

以前の雑感にも書いているので詳述は避けるが、最近では子宮頸がんワクチンが典型例だろう。

確かに今も大変な思いをしている人はいる。

それは確かなことだが、だからと言って積極的な接種の勧奨を中止する必要があるのか。

世界保健機関(WHO)の専門委員会(GACVS)は
「現時点まで、ワクチン接種推奨に変更があるような安全上の問題は確認されていない」
と声明を発表しているし、
「リスクは仮に存在したとしても小さく、長期間続くがん予防の利益を考慮すべき」
として日本を名指しで非難した。

それでもビビリな日本政府は現在もなお積極的な接種を再開してないない。

この決断力のなさ、良いと信じたことを一気呵成に進める行動力やリーダーシップの欠如。

それが政治家なのか、それともそれが日本人の DNAなのか。

何にせよ、これだから日本は世界で戦えないのである。

真性雑感 第二十三版

真性雑感 ~目次~

■ 高齢ドライバー

ここのところ高齢者による自動車事故が多発しているのは、単に以前まで報道されていなかっただけなのか、それとも飛行機事故があればなぜか連鎖するように、連鎖が連鎖を呼んでいる状況なのだろうか。

高齢者になれば運転免許証を自主返納すべきだと思うが、確かに過疎地などは買い物をするのにも病院に行くのにも自家用車は必須と言って良い。

しかし、80歳にもなって運転を続けるのはいかがなものか。

ここはやはり運転免許証の所有に定年制を設けるか、免許更新の条件を厳しくすべきだろうと思う。

そんな法案を通せば高齢者の票田を失う危険性が高いので政治家は決断できないだろうが、せめて保険会社だけでも対応できないものか。

70歳を過ぎたら加速度的に保険料を上げるなどすれば、高額な料金を年金からまかなうのが困難になって返納する人が増えたりするものと思われるので、ある程度は効果のあることだと思うだのが。

ニュースでは高齢者ほど運転に自信を持っていると伝えているが、長いこと運転していればそれなりに自信もつくだろうし、それまで大きな事故を起こしたことがない人なら余計に自信を持つだろう。

そして、最も多いのは危ない運転などしない、安全運転を心がけている、そもそもスピードを出さないなど、技術や反射神経、動体視力の過信というよりも、若いころと違って無謀な運転などしないから事故など起こさないと思っている人たちではないだろうか。

問題はそこにあるのではなく、やはり年齢とともに衰える反射神経や動体視力、瞬間的な判断力などだろう。

これだけ技術が発達し、VR(仮想現実)元年と言われるほど画像の処理能力が向上して機器がそろってきたのだから、運転シミュレータで急な飛び出しや早朝や夕方の逢魔時など、対向車や人が見づらい状況を再現し、運転技術やそれに必要な能力などを数値化して免許更新の可否を問えば良いし、前述したように保険料を段階的ではなく一定の年齢以上になったら加速度的に高くすれば、運転に不適格な人や免許保有の必要性が低い人は必然的にふるいにかけられるはずだ。

■ トランプ次期大統領

だったら日本はどうする。

当選し、次期大統領となるのが決定した今でも好き勝手なことを言っているが、彼はどこまで分かっているのだろう。

米軍駐留費を全額負担せよと言われてもお断りだ。

だったら軍を引き上げるというならそうすれば良い。

確かにそうなれば日本は困るが、それよりも困るのはアメリカ自身だろう。

日本は北朝鮮、中国、ロシアと対峙することがあった場合の前線基地なのだから。

日本を守るという名目で 7,000億円以上の資金まで出してもらいながら、アメリカ軍にとって実に有益な場所に基地を構えていられるという現実を国務長官や国防長官から教えてもらった方が良い。

出て行ってくれて一向にかまわないし、自国軍を強化せよというならそうする。

核を持てというなら検討しよう。

日本の技術力をもってすれば一カ月もかからず核爆弾の小型化に成功するだろう。

大気圏外まで飛ばせるロケット技術はすでに持っている。

そうなったら半狂乱になってヒステリックに騒ぎ出すのは中国、韓国、そしてロシアだろうからアメリカからうまく言ってなだめておいてほしい。

そして、それから先は日本の領空も領海も自由に航行できなくなることを肝に銘じておくべきだ。

■ いじめ

いじめ問題に終わりは見えない。

これほど大きな問題にならなかっただけで、いじめはいにしえの頃から存在したであろう人間の醜態に違いないと思われる。

『村八分(むらはちぶ)』とは一定の地域に住む人たちが結束し、特定の人との交際を絶つこと(共同絶交)であり、これは集団行動主義の日本社会における代表的ないじめの代名詞だ。

それは江戸時代からあるものだが、単に『村八分』と命名されたのが江戸時代なだけで、それよりも遥か昔から脈々と続く陰湿な行為なのではないだろうか。

親だって知らず知らずのうちに我が子に対して概念を植え付けている場合もある。

その子の素行やできが良くないという理由で
「〇〇ちゃんと遊んじゃいけません」
などと言ってはいないだろうか。

親きょうだいの素行がよろしくないという理由だけで
「〇〇ちゃんと遊んじゃいけません」
などと言ってはいないだろうか。

我が範疇に納まりきらなかったり、価値観や思想が違うというだけで人を嫌ったり見下したりし、それを子供の前で口にしてはいないだろうか。

親がそうなら子供だって同じだ。

些細なことで嫌ったり見下したりして人を無視したり暴力によって奴隷のようにあつかう。

こんな時、今のような暴力団ではなく、昔気質の任侠道を極めた極道に金銭授受をしてでも我が子を守ってもらえたら良いのだが。

極道が学校に乗り込んでいって加害者側を徹底的にビビらせれば良い。

加害者の自宅に乗り込んで和解金を支払わせれば良い。

そして、手数料として 20%でも 30%でもピンハネすれば良い。

もちろん、反社会的勢力と関わるべきではないが、そうでもしなければこの問題を根絶やしにするのは不可能だと思われる。

自分解体新書 - 26 -

自分解体新書 ~目次~

■ 頭

ここのところ、珍しく頭痛が頻発している。

ひどい肩こりをしていたころは何度か頭痛になったが、それでも数年に一度という程度だった。

そして、我流の柔軟体操をするようになってからは重い肩こりから解放され、それ以降は頭痛などとは縁がなくなっていた。

ところが、最近になって立て続けに頭痛を発症している。

多くは買い物の途中、側頭部から後頭部にかけて締め付けられるような痛みに襲われるのだが、もしかすると急に寒くなったこともあり、外気温と暖かすぎる北海道の建物内の温度差が大きいため血管拡張剤が発生しているのではないかと思ったのだが、去年まではこんなこともなかったのでやはり体に何らかの変化があるのだろうか。

そして先週末、起床すると右目奥から後頭部にかけて鈍痛があり、すぐに治ると思っていたが痛みは夜まで続いた。

そんな時に飲酒などどうかとも思ったが、アルコールでマヒして頭痛も気にならなくなるのではないかと、いつも通りに酒を呑んでいるといつしか痛みは気にならなくなり、翌日には治っていたので荒療治が効いたということだろうか。

不整脈が原因で血栓が脳で詰まるリスクを指摘されている身なので、あまりにも頭痛が頻発するようなら病院で診てもらおうかと思っているが、もし血栓が脳に飛んだのなら頭痛どころの騒ぎではないだろうから、きっと無関係だと言われるだろう。

■ 爪

左手親指の爪が割れた。

ひどい割れ方ではないものの、微妙に欠けていて繊維などに引っかかるのが困りものだ。

軽く引っかける程度なら問題ないが、強めに引っかけてしまうとさらに欠けた部分が大きくなってひび割れも深く大きくなってくる。

それがどんどん広がって、伸びている部分より深くなってきた。

少しでも爪の補強になればと水性絆創膏を塗ってみたがすぐに剥がれてしまう。

仕方がないので普通の絆創膏、サージカルテープを貼り、ハサミで爪の形に切っていたところ、『お買い物日記』 担当者が
「マニキュアを塗るとイイんだよ」
というので、使わせてほしいと頼むと
「ところが持ってないの」
と言われてしまった。

今のところは早く爪が伸びて、ひび割れている部分がなくなってほしいと願っているが、寒くなって圧倒的に伸びが遅くなっている。

毎年のことだが、暖かい時期と比較して 2/3くらいしか伸びないのではないだろうか。

気のせいかもしれないと調べてみると、やはり現実として冬は遅いらしい。

理由は単純、

  1. 気温が高いと新陳代謝も高く、爪や、髪などの部分も早く生まれ変わる(冬は逆)。
  2. 冬は摂取した栄養の多くが体温を維持するために使われるため、爪や髪まで栄養がまわらない。
  3. 爪や髪にも水分は必要だが冬場は乾燥しているので発育が遅れる。

ということだった。

このひび割れがなくなるのはいつのことだろう。

■ すね毛

毛が濃い方ではないが、男なのでそれなりに体毛はある。

すね毛だってあったはずなのに、肝心のすねの部分の毛がなくなってツルンとしている。

自分のすねなどマジマジと見たことなどないので気づかなかったのだが、綺麗さっぱりと毛がなくなり、ツルンツルンのすねになっていることが最近になって判明した。

若いころは間違いなくすね毛があり、手のひらでグリグリしてアリンコを作ったりして遊んだし、シャワーを浴びた際に体をつたって流れる湯に沿って毛も蛇行する様を観察していたことだってある。

ところがである、そのあるはずの物がなくなってしまったのである。

『お買い物日記』 担当者に
「俺のすね毛知らない?」
と聞いてみたが、そんなものを知っているはずがない。

そして、マジマジと見てみると無くなっているのは見事にすね毛だけであり、横からふくらはぎにかけては普通に毛が生えている。

毎日正座しているとか、意味もなく正座したままズリズリと移動しているのなら擦り切れて無くなるかもしれないが、パソコンに向かっている間はイスに座り、テレビを見るときはゴロゴロしているのだから足のすねを酷使したことはない。

あれだけあったすね毛はどこに行ってしまったのだろう。

雪にまつわるエトセトラ

気象観測が始まって以来の低温、40年ぶりの降雪量などと、雪に慣れた道産子も早すぎる冬に戸惑いの色を隠せないでいるが、この町はたまにチラホラと降る程度で積もることなく解けてしまっている。

そんな我が街にも間もなく雪が積もり、本格的に冬がやって来るが、9月に雪深い街から越してきたショウコは雪の少なさ、冬の短さに驚くことだろう。

何せ故郷の年間降雪量は 884cmで、この町は 100cm以下、一番寒い 2月の平均気温も故郷の -9.4℃に対してこの町は -0.4℃と 10℃近くも暖かい。

故郷が 11月から 4月の終わりまで 5カ月以上も雪に閉ざされるのに対し、この町は 12月の中旬から 3月中旬までの約 3カ月間なので 2カ月以上も短いことになる。

ずっと北海道で暮らし、雪の多い札幌から大阪に転勤した最初の冬、クリスマスに雪がなくてちっともホワイトクリスマスにならなかったのに驚いたし、正月にも雪がないことに違和感を覚えて 2-3年は慣れなかった。

きっとショウコもこれから 2-3年は、冬になるたびに妙な感覚を覚えることだろう。

ショウコが一人暮らしを断念したのも故郷は冬が厳しいからだ。

これで雪がなく温暖な土地であれば、まだまだ一人で生活していたと思われる。

それほど北海道の豪雪地帯、極寒の地の冬は大変であり、ショウコでなくともこの歳になれば自分も暮らすのは躊躇してしまう。

子供のころは夏も冬もなく、その季節ごとの環境で楽しく遊んでいた。

冬はスキーにスケートはもちろん、日暮れが早くあたりが暗くなるまで雪まみれになって遊んでいたものである。

ゴム長靴の中に雪がびっしりと詰まり、脱ごうにも脱げなくなってショウコの手を借りることなど毎度のことだ。

最初は立って片足を上げ、靴を引っ張ってもらうのだがガッチリ固まった雪はびくともしない。

腹ばいになって引っ張ってもらっても、小さな体なのでズリズリと引きずられてしまう。

そこで、柱などに両手で必死につかまり、体が持っていかれないようにしながら引っ張ってもらい、やっとの思いで長靴が脱げるのだが、急にスポッと脱げるものだから体のバランスを崩してショウコがあお向けにひっくりかえり、それに腹を立ててこっぴどく叱られるというのが毎度のオチだ。

そもそも、そんなに靴の中にびっしりと雪が入るのは深く降り積もった雪をかき分けて遊んだり、滑り落ちた雪と家の屋根がつながっているのでよじ登って高い所から飛び降りたりして遊ぶからである。

最初は靴の中に雪が入れば出したりしているが、そのうちに面倒になったり遊びに夢中になって忘れてしまい、気づいた時にはガッチリ固まって脱げなくなってしまう。

そんな状態なのに冷たさを感じなかったのは、暴れまわっているので体がポカポカしていたからなのだろうか。

豪雪地帯の故郷では除雪のブルドーザーが道の両側に雪を積み上げていく。

その高さは大人の背丈をゆうに超えるが、固い圧雪状態になっているので簡単には崩れず、小学校のころなどはその頂上をずっと歩きながら登下校したものだ。

休みの日ともなれば大人が使う大きなスコップを使って穴を掘り、家の前から交差点まで続く長い除雪の山の中を掘り進んでいったこともある。

今から考えると何百キロの重さにもなる圧雪が崩れたら生き埋めになってしまうと想像しただけで背筋がゾワゾワするが、怖いもの知らずの子供は危険など感じることもなく夢中で遊んでいた。

そして、その穴が見つかって再びショウコからこっぴどく叱られる。

親としては子供が危険なことをすれば怒るのも当然だが、子供にすれば何がどう危険なのかもピンときていないので無実の罪で罰せられているような気になり、ふくれっ面をしながら反抗して火に油を注ぐ結果っとなってしまう。

子供だった自分、まだ若い母親だったショウコ。

互いに年を取った親子は雪深い街を出て、今は過ごしやすい土地で暮らしている。

ショウコが来て初めての冬。

年老いた母親は何を想うだろうか。