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海外ドラマ

この連休中、狂ったように海外ドラマを観ていた。

些細な事も見逃すまいと、真剣に画面を見つめ、一語一句見逃すまいと字幕を真剣に読んでドラマの世界にどっぷりと浸る毎日。

ついには夢にまでドラマの中の人物が登場し、ペラペラと英語で会話しているのだが、テレビと違って字幕がないので何を言っていのかさっぱり分からない。

これだけ長く英語に触れていればスピードラーニングのような効果で日常会話くらいペラペラになっても良さそうなものだが、今でも知っている単語を何とか聞き取れるくらいなもので字幕がなければチンプンカンプンである。

今はあまり話題にならなくなったが、一時期は Winny(ウィニー)を代表とするファイル共有ソフトが流行し、そこで違法なファイル交換が行われて音楽や映画などのコンテンツが不正に拡散してしまっていた。

その中に聞き流す英会話教材でおなじみのスピードラーニングも不正に公開され、多くの人が無償でダウンロードするという事態になったことがある。

それだけ多くの人が興味を持っていたということだろうが、テレビやラジオ、雑誌などで紹介しているように聞くだけで英語が分かるようになり、まして話せるようにまでなるのか疑問で高いお金を払ってまで購入する気にならないが、どんなものか一応は試してみたいという人も多かったのだろう。

実際、『スピードラーニング 評価』とか『スピードラーニング 口コミ』などで検索してみると、恨みでもあるのかと思うぐらい徹底的に叩いているサイトが圧倒的多数なのが分かる。

まともに購入すれば 16巻セットで 6万円弱、おまけに返品不可という一か八か、清水の舞台から飛び降りる思いの決断を迫られる商品であるだけに、効果を実感できなかった人の恨みは計り知れないのだろう。

やはり楽して英語が身につくはずもなく、それなりの努力は必要ということだ。

そんなことはさておき海外ドラマの件であるが、『お買い物日記』 担当者と 2人で入れ込んでいるドラマがあり、それを観続けている毎日なのである。

韓流ブームの火付け役、冬のソナタのヨン様の声を吹替ではなく原語で聞き、その意味を理解したいと韓国語を勉強する人が多く現れた 2004年、今はその時のおば様たちと似たような感覚で、ドラマの中のセリフを英語で理解したいという思いは少なからずあり、それからの連想でスピードラーニングのことを思い出したので書いてみた訳だ。

なぜなら字幕版を見ても吹き替え版を見ても、微妙なニュアンスが伝わってこないことがあり、ドラマを見終わって 「はぁ?」 と思うこともしばしばなので、きっと翻訳の段階で意味が変わってしまって物語の本質からズレてしまっているのだろうと思う。

また、字幕版でドラマを見ていると、英語レベルが極端に低い自分であっても明らかに言っていることと字幕が異なるのが分かることもある。

ひどい時にはセリフが噛み合っていない場面すら目にすることもあった。

そんな時に心から思うのである。
「あ~こんな時、英語ができたらなぁ~」
と。

英語教育改革の成果が現れるであろう数年後、字幕など見なくても映画や海外ドラマを楽しめる世代が登場するに違いない。

そんな世代のことを本気で羨ましいと思う。

この歳になってしまえば今さら英語を学ぶ気にはならないし、そもそも社会人が気軽に通える英会話教室などこの町にはない。

ネットでの学習など自分には続かないと分かっているし、スピードラーニングは信用できないとなると、海外に引っ越して否が応でも英語を聞いて話さなければいけない状況にでもならない限りは原語の習得は難しそうである。

日本の映画字幕翻訳家で最も有名な戸田 奈津子さんが言っていた。

英語をそのまま訳すと、字幕の表示時間では読みきれないほどの文章量になってしまうと。

したがって、限りなくセリフの意味に近い短い日本語を代用するのだと。

『レイダース/失われたアーク』の 1シーンでは、直訳すれば
「俺は俺のやり方でやった。あんたが気に入らなくても仕方がない。これからはお互いに助け合っていこう。」
というセリフを
「昔の事は水に流して力になってくれ」
という一行に収めたという。

映画全体の流れとすればセリフの一部が簡略化されていても問題ないだろうが、我が家が好んで見ている海外ドラマは事件物、犯罪を捜査するドラマであるため、捜査過程だったり主人公の推理だったり、犯罪者の言い訳だったり犯行動機などなどを割愛して訳されてはたまらない。

しかし、残念ながら、たまにそういうことが起こってしまうのである。

そして、やっぱり思う。
「あ~こんな時、英語ができたらなぁ~」
と。

どこかの天才が寝ているだけで英語がマスターできる画期的な教材を発明してくれないだろうかと、なまけものの自分は切に願ったりしているのである。

夏季休暇に思う

お盆休みだというのにこうやって雑感などを書いたりしている訳で、それはつまり毎度のパターンで特に出かける予定もなく、ただひたすらにダラダラと過ごしているからに他ならず、休みが終わった際に何の思い出も残らないこと請け合いだ。

しかし夏季休暇といえば、どこに行っても混んでいるのが分かっており、たとえ出かけたとしても疲れるだけなのも分かりきっているので観光地など行く気にもならない。

昨年まではまだ故郷というものがあって実家というものも存在したが、ショウコがこちらに移り住んだことによって家も処分してしまったので、もう帰省するということもなくなった。

自分は車の運転をしないので、帰省の際には高速バスを利用していたが、ガーガー寝ていれば勝手に目的地まで運んでくれるという実にありがたい乗り物であり、ずいぶん楽をさせてもらったと思う。

北海道の高速道路など混んでいたとしても驚くほどの大渋滞にはならないが、何十キロも渋滞するような道のりを運転しなければならない人は大変だろう。

若い頃、海水浴の帰りにたった数キロの渋滞にあっただけでうんざりしたのを覚えており、それが延々と何時間も続くなど考えたくもない。

いつも言われることだが、いくら政府が休日の分散化を提唱しても一向に足並みが揃う気配がないのは、やはりそれには少なからず理由があるのだろう。

まずは偉そうに言っている自分だってそうだ。

お客さんありきの仕事をしていると、自分が休めるのはお客さんが休んでいるときである。

相手が仕事をしている時に休んでいては、急にお客さんのパソコンの調子が悪くなるとか、急に何らかのサポートを必要とされても対処することができない。

時代は大きく変化し、どこにいてもネットにさえつながれば様々なことはできるようになった。

事実、パソコンを遠隔操作できるようにしてからは、急なトラブルの際にも現地に行かず、家のパソコンから相手のパソコンを操作して問題を解決することが多くなっている。

その作業は使いにくさはあるものの、タブレットやスマートフォンからでもできるので、ソフト的なことであれば例え札幌にいようと大阪にいようと何とかなるという時代だ。

しかし、やはり現地に行かなければ解決しないトラブルもある。

実は先日の木曜日もお客さんのところに行って作業をしてきた。

社員の全員がアクセスするサーバーと呼ばれるパソコンのハードディスクに物理的な障害が発生し、そのまま使い続けると近い将来、間違いなく故障してしまうという状態になってしまっていたので購入したドライブと交換してきたのである。

こういうハード的なトラブルを解消するのは遠隔操作では不可能だ。

そして、そういうトラブルはいつ発生するか分からない。

したがって、自分が仕事を休めるのは、やはりお客さんが休んでいる時ということになり、時期をずらしてはなかなかゆっくりと休めないのが現実である。

そのような例は世の中に五万とあり、そうやって世の中が回っているのだから休日の分散化は難しいだろう。

そんなこんなで、混み混みの道路を運転しなければならない方々、混み混みの交通機関で移動しなければならないご家族様におかれましては、大変お疲れ様でございますと言っておくことにする。

嗚呼日本人 13

嗚呼日本人 ~目次~

世界から日本を訪れる観光客が大幅に増加し、昨年(2016)は約 2,500万人、今年は現時点ですでに 2,000万人を突破しており、年間を通じては 2,800万人を超えると予想されている。

この 10年で観光客が 3倍以上となっている背景には、観光立国を『国家百年の計』として重要な国家戦略の一つに位置づけ、政府が観光立国推進基本法を成立させてまで観光客誘致に力を入れてきたこともあるだろうが、アニメ、マンガ、ゲーム、音楽、ファッションなどの日本カルチャーが世界中で受け入れられるようになったことと、世界中で和食ブームとなっているという神風が吹いたのも大きいだろう。

今となっては日本に憧れ、日本文化を愛し、一度は日本に行ってみたい、なんなら日本に住んでみたいという外国人が急増している。

それは日本の文化が世界的に見ても独特であり、また、その価値観が認められたということだ。

しかし、これまた日本人独特の感性ではあるが、にわかにはそれを信じず、なかなか受け入れられない多くの人がいる。

日本の街、観光地はゴミもなくて綺麗だと褒められても、完璧主義の日本人はタバコの吸殻 1本、空き缶がひとつでもあれば、それを理由に決して綺麗ではないと否定してしまう。

しかし、他の国の観光地や町中と比べればゴミは 1/10、いや、1/100しかないのではないだろうか。

夜の繁華街を女性が独り歩きしても犯罪に巻き込まれることがないほど安全だと褒められれば、いやいや最近は治安が悪いなどと言ってしまう。

飛行機も他国から比べれば定刻に発着するし、電車などの乗り物は時間に正確だと褒められても、雪や風ですぐ止まるなどと言って肯定しない。

寿司が美味しいと褒められても、単に海が近くて魚が新鮮だからと答えたりする。

それは、取りも直さず日本人の育ち方や文化が特殊だからではないだろうか。

陶芸で少しでも色ムラがあったり歪みがあれば、地面に叩きつけて作品を壊してしまう日本人、ちょっとのキズや曲がりがあれば野菜や果物を規格外品としてしまう日本人、ちょっとでも気に入らない部分があればクソゲーとランク付けしてしまう日本人、とにかくラフな部分が少なく完璧を求めてしまう。

そして、日本人は謙虚であり、自画自賛しないで抑制的なのである。

たとえ個人が褒められても「周りにはもっとすごい人がいるので自分なんかはまだまだです。」と言うのが日本人だ。

いかに自分が優れているか、そうなるためにどれだけの努力をしてきたかを堂々と話す個人主義な国とは違い、徒弟制度だった時代が長く、職人気質で完璧主義な日本人は死ぬまで勉強、人生が終わるまで修行中という意識が強い人が多い。

時代は変わって国民性、個人の考えも変わりつつあるが、謙虚な人はまだまだ多くいるし、謙譲の美徳(謙遜し、へりくだることこそ褒めるべき心のあり方)を地で行く人こそが本物であると見られる傾向も根強く残っている。

バリバリ昭和生まれの自分も、どちらかと言えばそういう人が好きだし、自分もそうありたいと思っている一人だ。

これからオリンピック・イヤーである 2020年まで外国人観光客は増え続けることだろう。

富士山周辺や京都、奈良など、いかにも日本的な地域だけではなく、これから日本国内のアチコチに外国人が足を踏み入れると思われる。

「こんな田舎に来て何が楽しいんだろう」
「こんな所に来たって見るものなんかないのに」
「ここに来ても名物の食べ物もないし」
などなど、自信を持てない地方の町が圧倒的だが、映画のロケ地、マンガやアニメの舞台などになって一気に観光客が押し寄せる可能性だって否定できない。

何もなく、名物などなくてもその土地の素朴な料理を食べ、ゆっくりと過ごしたいという需要も決して少なくはないのだから、無理をせずに来る者を拒まなければ良いのである。

そして、日本人は世界がカルチャーや文化を認め、憧れまで抱いている人もいるということに、もう少しだけ自信を持って良いのではないだろうか。

記憶 Memory-21

過去の記憶

本州と少し遅れ、今週から北海道の子どもたちの短い夏休みが始まった。

朝の散歩で姿が見られないのは寂しいが、来月の 20日前後には学校が始まるのでそれまでの辛抱だ。

今は夏休みでも塾に通って勉強したり、両親とも働いていると学童保育所に通ったりしているのだろうから、真っ黒に日焼けして遊び回っている子どもは少ないのだろう。

自分が子供の頃は、1-2年生くらいまで夏・冬休みの宿題があったが、それ以降は自由研究のようなものしかなく、提出が義務付けられた印刷物の宿題というものがなかった。

それをいいことに、日が昇ってから沈んで暗くなるまで川や山や野原、学校のグラウンドや材木置場、公園や家の屋根の上などで遊びまくっていたものである。

冬は冬でスキーやスケートに興じ、雪の中を転げ回って真っ白になりながら遊んでいた。

そんな楽しかった記憶はしっかり残っているのだが、一部スッポリと抜けている部分がある。

それは昼ごはんの記憶だ。

いつ、どこで、なにを食べていたのか全く思い出せない。

朝食の記憶はある。

両親共稼ぎだったので朝は慌ただしく、そんな中でも朝ごはんを食べていたし、朝起きるのが面倒になった中学時代はゆっくり一人で朝ごはんを食べて、ゆっくりと出かけたので遅刻の常習犯、高校の朝は家では食べず、学校に着いてから早弁したり買食いしたりしていた。

晩御飯に良い思い出はなく、毎日のように母親であるショウコの愚痴を聞かされ、感情がたかぶると涙ながらに職場での辛い出来事を話したり、逆に気に入らない人の話しをして怒り出したりしていたので、テレビドラマなどで見る楽しい会話の明るい食事をした記憶がない。

良きにつけ悪しきにつけ、とりあえずは朝と夜の食事の記憶はあるのだが、昼ごはんの記憶は白紙、無の状態である。

よく記憶喪失の人が過去を思い出せずに苦悩するシーンをドラマで見たりするが、無であることが少し恐ろしかったり気持ち悪かったりするほど一切の記憶が残っていない。

小学校から中学校まで給食だったので、学校でみんなと食べている記憶、高校で弁当を広げている記憶も残っているが、夏休み、冬休みなどの記憶はゼロだ。

過去の雑感で幼児のころから小学校を卒業するまで、両親が仕事に行っている間は知り合いの家に預かってもらっていたことは書いた。

その家での食事の記憶は、年に何度か両親そろって職場の付き合いで帰りが遅くなることがあったので、その際に晩御飯を一緒に食べた記憶は残っている。

しかし、休みの日に昼ごはんを食べた記憶はない。

北海道の夏休みは短いとは言え、24-5日間も昼ごはん抜きで過ごすはずはないと思われる。

小学校の高学年になると祖父母の家に一人で行き、休みの初めから終わりまで過ごしていたことが何度かあるが、その際に昼ごはんを食べさせてもらった記憶はしっかり残っているので、すべての昼ごはんの記憶を失っているわけではない。

中学、高校になれば家でなど食べず、不良仲間と喫茶店などで食べていたのかもしれないし、菓子パンをかじっていたのかもしれないが、明確な記憶がなく、頭の中は真っ白な状態だ。

いったい夏休みや冬休みの昼ごはんはどうしていたのだろう・・・。

末期

いよいよ安倍政権が末期症状を迎えているようだ。

安倍晋三氏が2006年9月20日~2007年9月26日まで総理大臣を務めた際の末期と、ここ最近の政局というか自民党内のゴタゴタが酷似しているように思えてならない。

前回の時も末期には閣僚の失言、スキャンダルが次から次に噴出し、支持率の低下に歯止めがかからず必死に閣僚を交代させたり内閣改造に打って出たりしてみたものの、第一次安倍改造内閣は 31日の短命に終わった。

あの頃のドタバタ、あの頃の慌ただしさと現在の症状は極めて似ており、そしてあの頃と同様に自民党内部に安倍おろし的な動きが散見される。

日本の政治家は海外の政治家と違ってお飾り的要素が強く、実際は誰がなっても日本の未来が大きく変わる訳でも世界的な影響力、立場にも影響が及ぶことはない。

それは日本人が優秀で真面目なこともあり、政治が腐っていても民間は自立して生活を営み、海外との交渉もできるという点と、官僚組織が極めて優れているからだと思われる。

今の日本、政治家がいなくても官僚さえいれば経済も潤滑に回るし、真面目な国民性ゆえに動乱が起こるとも考えにくい。

したがって、日本人の意識には選挙で誰が当選しても、どこの党が与党になろうと野党になろうと一緒という思いが強いため、政治に興味がなく選挙の投票率も上がらないのだと思う。

今のままではいけないと、たまに奮起して民主党(現民進党)を選挙で勝たせてやれば、外交から何からボロボロにしてくれたという苦い経験があるため、自民党以外の選択肢がないことも投票率が伸びない要因かも知れない。

安倍政権はすでに末期であり、断末魔の悲鳴を上げているように見えるので、内閣改造をしたところで長くは持たないだろう。

そうなれば総選挙があるかもしれないが、自民党以外に政治を任せられそうな党は見当たらない。

また低投票率で、いつもの通りの結果に終わるのか。

いや、小池百合子氏が何らかの動きを見せ、大胆な政界再編でもあれば話しは変わるかもしれないが。

北朝鮮もそろそろ末期的症状になってきているように思う。

無茶をせずに大人しくしていれば、世界から批判されようと現状維持が可能かもしれないのに、なぜ死に急ぐような挑発行為を繰り返すのか。

たとえ北が先制攻撃しようと、逆に他国から制裁的意味を含めた攻撃を受けようと、どちらにしても国が滅亡の淵に立たされることになるのは間違いない。

自分で自分の首を絞めるような、自滅一直線な行為をなぜ繰り返すのか理解困難だ。

そういう判断すらできないほど病が進んでいるのかも知れないが。

地球そのものも末期に近づいているような気がする。

ここ数年で劇的に環境が変化し、地球滅亡の日が加速度的に近づいているように思えてならない。

いくら農業技術が発達、進化したとは言え、熱帯地方が原産のマンゴーが北海道で採れるなどというのは異常なことだし、今まで生息していた魚が姿を消して南の海の魚が豊漁になるのも決して正常なことではないだろう。

自分の場合、もう 10年以上前から地球が危機的状況だと言っているので、ほとんどオオカミ少年と化してしまい、何の説得力もないかもしれないが、災害の規模の大きさだけを見ても異常だというのが分かる。

九州地方では、過去最大規模の雨量、記録的豪雨というのが毎年繰り返されているので、年々悪化の一途を辿っているのは間違いない。

北海道も過去最高気温を更新し続けている地方があるし、数年前まで一般家庭に必要のなかったエアコンが品薄状態になるほど売れている。

世界最大の二酸化炭素排出国であるアメリカが、地球温暖化対策の推進を目指した国際枠組みであるパリ協定から離脱するなど、地球を救おうという足並みが揃わない。

省益、庁益ばかり優先する官僚が動かしている日本に未来はなく、このまま少子高齢化が進んで人口がどんどん減り、地球滅亡の前に日本が滅亡している可能性も大きいし、アメリカ、中国、ロシアのパワーバランスが崩れて北朝鮮が暴走し、日本に数百の核が落ちてきて滅亡する可能性も否定できないので、温暖化が進んで百年後に地球がどうなっていようと関係ないのかもしれないが・・・。

誤用

どうも最近は間違った使われ方をしている言葉が多い。

それは俗にいう若者言葉とか、そういうレベルのものではなく、文章や言葉を商売にしているマスコミですら誤ったまま拡散させている。

北海道日本ハムファイターズの大谷翔平選手を二刀流と称するマスコミは多い。

投手としても、野手(打者)としても使うことができる選手であり、そのどちらも一流であるという意味で使っているのだろうが、そういう選手のことを正確には両刀使いというのではないだろうか。

両刀使いも二刀流も極めて類似した言葉ではあるが、両刀使いは侍が身につけていた主兵装(本差とも呼ばれる刀)でも、脇差し(小刀)のどちらも扱えるという意味であり、二刀流は両手に主兵装を持って戦う宮本武蔵が開いた剣術のことだ。

つまり、イメージ的には大谷選手が右手と左手にバットを持って打席に立てば、これぞまさしく二刀流ということになるだろう。

野球のルールにも打席に持ち込めるバットの長さ、太さなどに規定はあるものの、1本しか持ち込んではいけないなどという決まりはないので、ちょっと面白そうだし、このオールスター戦でネタ作り的にやって遊んでもらえないだろうか。

この二刀流に関しては両刀使いと微妙にしか違わないので完全なる誤用ではないが、つい先日の新聞記事は明らかな誤りだ。

『日本ハム大谷翔平が今季初登板で炎上』

これは7月12日の試合、オリックス戦で怪我からの復帰後、初先発となった大谷投手が 1回1/3で29球を投じ、2安打4失点となった事を報じた新聞記事の見出しである。

ネット関連で誰それのブログが炎上とか、問題発言でツイッター大炎上などという使い方をされるケースを多く目にするようなった昨今、どこかの新聞社のオッサンが正確な意味も知らないくせに、世の中の流れに乗ってみようと炎上の2文字を使ってみたのだろうが、そのタイトルは単に意味不明なものとなってしまっているところに中年の悲哀を感じてしまう。

年寄りが若者受けを狙ったり、迎合したりしてもろくなことにならないということを認識すべきだ。

会社などで若者言葉を使ってみたりする人がいるが、オッサンやオバハンの耳に届く頃には言葉自体が古くなっていることが多いため、若者の失笑をかうこと請け合いだし、使い方も微妙に間違っていることが多いため軽蔑されるのがオチである。

話をもとに戻せば、7月12日の大谷投手の登板で『炎上』的要素はひとつもない。

さらに言えば、見出しを炎上としているくせに記事には炎上の文字が一つもないのである。

そのタイトルを見せられたこちらとしては、久々の登板なのにボコスカ撃たれて大谷選手のブログかツイッターが炎上したのかと思いつつ記事を読んだのだが、炎上の炎の字すら見当たらない。

結局はちょっと炎上という言葉を使ってみたかっただけなのであろうし、その意味すら分かっていないのだろう。

ネット用語の炎上は、不祥事の発覚や失言などをきっかけに非難が殺到し、収拾が付かなくなっている事態または状況を差す。

この収拾がつかないほどというのが肝であり、単に非難されたり批判・誹謗・中傷を数十件や数百件くらい書き込まれる程度であれば炎上する手前であるため『ぼや(小火)』と呼ぶのが一般的だ。

今後、マスコミ関係者におかれましては十分に意味を理解した上でご使用いただければ幸いである。

かなり以前の雑感にも書いたような気がするが、日本においてリストラとは人員整理を指す。

会社をリストラされたと聞けば、人員整理で退職させられたのだろうと直感的に受け取ってしまう。

しかし、正確な意味のリストラ(リストラクチャリング(Restructuring)は、企業が不採算部門の整理、成長分野への進出など、業態の再構築をはかることであって、その一環として人員整理も含まれているのに過ぎない。

したがって、現在は成長分野へ進出すると前向きな意味でリストラとは言えない、言いづらいという実に妙な事になってしまっている。

たまに、どこを見ても面白い番組をやっていないので、チャンネルを通販番組に合わせてしまうことがあるのだが、そこで使われているカタカナは誤用が多いので笑ってしまうことが多い。

化粧品の通販で
「テクスチャーがきれい」
とか
「さらっとしたテクスチャー」
「とろみのあるテクスチャー」
などと言っているのをよく聞くが、それは化粧品のさわり心地やつけ心地、質感のことを言っているようだ。

本来は織物の表面の質感・手触りなどを指す概念であるし、コンピュータ用語でも3次元モデルの表面に質感を与えるための手法として用いられる。

手触り、質感という点でいえば、化粧品でテクスチャーと言っても大きな間違いではないかもしれないが、決して正確ではないことを自覚し、あまり多用するのは避けたほうが良いのではないだろうか。

もう一つ、同じ化粧品の通販で
「デコルテがきれいに見えるメイク法」
などと、鎖骨を浮き上がらせて見せるメイク術などというのを聞く。

しかしデコルテとは服飾において、襟を大きく開け、胸や肩、後背部をあらわにするデザインのことを指す。

つまり、ピンポイントで鎖骨のことではないし、人体の部位や部分を指す言葉でもない。

いつ誰が言い始め、それがどのように広まったのか分からないが、このままだと通販業界が訳の分からない言葉で埋め尽くされるのではないだろうか。

今でも通販では『落ち感』『くしゅ感』『きちんと感』などなど、オッサンにはついて行けない言葉が多用されているので、今さら手遅れなのかもしれないが・・・。

今週のトピックス 2017/07/08

書くことが何も思いつかないので、この一週間のできごとなどをつらつらと。

■ 07月02日(日)

となりの店マユちゃんの結婚式。

昨年9月、すでに兵庫県に嫁いで行ってしまっているが、いよいよこの日が来たかという感じ。

マユちゃんが高校生、彼氏が大学生の時からの付き合いで、若干の紆余曲折はあったものの、めでたくゴールイン。

隣は朝からドタバタとせわしなく、午後から全員が出かけてしまい、室内で飼われている犬がうらめしそうに窓から外を覗いていた。

今日で3日連続の夏日。

■ 07月03日(月)

マユちゃんと旦那さんの姿が。

昨日が結婚式だったと言うのに、札幌で一泊したり、新婚旅行に行ったりしなかったのか。

ずっと暑かったのに急激に気温が下がって今日の最高気温は 19℃。

寒暖の差に体がついていかない。

■ 07月04日(火)

朝から雨。

毎週火曜日は自転車で 10分弱のところにあるスーパーで買い物をするのだが、また雨が降り出しそうだったので徒歩 5分のスーパーで買い物。

夜になるとマユちゃんの部屋に明かりが。

まだ兵庫県には帰っていないらしい。

「赤ちゃんができて、つわりがひどく、このままお盆まで帰らないのかもしれない」
などと大胆予想する 『お買い物日記』 担当者。

■ 07月05日(水)

作り溜めていた CGの動画を YouTubeにアップロードし続けること 1年以上、ついに在庫がなくなったので一段落。

アップロード数 1,868件、よくもまあ作ったものだと我ながら感心する。

夜になってもマユちゃんの部屋の明かりが灯らない。

とうとう兵庫県に帰ってしまったようだ。

■ 07月06日(木)

毎週木曜日は我流の柔軟体操をする日と定めている。

肩こりのひどかった頃は毎日、その後何年間も週に二回のペースでやっていたのだが、今はひどい肩こりをしなくなった。

それもこれも長く体操を続けたおかげだろうか。

■ 07月07日(金)

午後から買い物に行ったり施設に行ったりとバタバタした週末。

それでも午前中と夕方以降は集中して作業できたので、お客さんのサイトのリニューアル作業が完了した。

着手してから実働約 10日間程度。

もう少し効率化を図り、作業時間を短縮したいところだが、今回は今までにない処理をプログラミングしたので色々と勉強にもなった。

■ 07月08日(土)

鼻がグシュグシュして目が覚めた。

気配を察して心配そうに 『お買い物日記』 担当者が見に来たが、時すでに遅し。

例によって鼻の奥がジンジンして鼻水が止まらない。

とても久しぶりのことなので、過去の記録を見てみると 2016/07/23に記述があるだけだ。

もしかして一年ぶりのことなのだろうか。

夏が来れば

夏がくれば思い出す、はるかな大阪とおい空♪

・・・。

ということで、北海道にもやっと夏が訪れた訳だが、この時期になると大阪での夏を思い出す。

あれから約 10年の時が流れ、それなりに年を積み重ねて体力も減退した今、もう一度大阪で暮らせと言われたら、パリッとしたスーツに身を包み、そこそこ値のはる手土産を持参しつつ丁寧にお断りするであろうことに疑いの余地はない。

もう無理である。

さすがにもう二度と大阪で暮らすことはできないと思う。

それは、ただ一点、夏の暑さに耐えられないということに尽きる。

人も食べ物も嫌いではないし、最初はひどかった水道水も劇的に改善されたので、暮らしていても暑さ以外に文句はない。

ただ、その暑さに関しては文句をいくら言っても言い足りないくらいだ。

長年住んだので、今でも全国の天気予報を見れば大阪のことが気になる。

そして、そろそろ真夏日という 30℃を超えた数字を頻繁に目にするようになった。

それを見ていていつも思う。

30℃だからって本当に 30℃の訳がない。

熱を中へ伝えにくくする良質の木材で製作され、放射熱をなるべく遮断できるよう白く塗り、芝生または地面の地上1.5メートルという、周りに邪魔するものがない風通しの良い場所に設置された百葉箱の中で計測された温度が気象庁の発表する気温である。

アスファルトとコンクリートに囲まれ、日本一緑が少ない町と言われる大阪の、いったいどこをどう探せばそんな好条件な立地があるのかと、大阪管区気象台の職員を正座させて問いただしたくなってしまう。

住んでいた当時も、そして今も、発表された気温に 3℃くらいプラスして丁度良いと思っている。

発表が 30℃の真夏日なら市内は 33℃、35℃の猛暑日なら 38℃といったところだ。

実際、部屋の空気を入れ替えようと窓でも開けようものなら、直射日光を浴びて焼けた外壁とベランダの床によって十分に暖められた熱風が入り込んでくることなど日常茶飯事だった。

この季節になればホームセンターで購入したスダレに様々な工夫をこらしてベランダを囲い、まるで虫かごの中のような暮らしをしていたものである。

今のように肌に触れると涼しく感じるような機能性繊維も開発されていなかったので、寝苦しさを解消するような寝具なども売っていなかった。

そこで、スノコを並べた上に布団を敷き、シーツの上にゴザを敷いて寝たりもしてみたが、暑いものはどうやっても暑く、冷凍庫でカチカチに凍らせたアイスノンに頭を乗せて寝てみても 1時間もしないうちに常温になってしまうという恐ろしい世界が大阪の夏だ。

今から思えば寝室にもエアコンを設置すれば良かったとは思うが、当時はそんなことを思いつきもせず、ただひたすら暑さに耐えていたのは、まだそれなりに体力もあったからだろう。

それでも朝方までには何とか眠りにつくのだが、起床した途端に暑い。

朝日が昇ればすでに暑いのも、最低気温が 25℃を下回らない熱帯夜が状態化しているのだから当たり前の話しだろう。

出勤のため家を出ると、すでに地面のアスファルトは十分に加熱されているし、湿気が多いので日陰を歩いても一向に涼しくない。

その横を車が通ればまた熱風に襲われるし、冷房が効いているはずの電車内も人が多すぎてオッサン同士のベタベタした肌が触れ合うだけだ。

よくもまあ、何年間も会社勤めをしたものだと、今から思えば当時の自分を褒め称えてやりたくなる。

北海道に帰ってきてから 2-3年間は、夏が楽で本当に嬉しかった。

冬の厳しさもあるが、室温は大阪の部屋と変わりないし、寒ければ厚着をすれば済む。

やはり夏が涼しいのが何よりで、いくら暑いと言っても朝晩は涼しく、熱帯夜を経験したのはこの10年で 1度か 2度しかない。

真夏でも最低気温が 10℃台ということが多いので、窓を開けて就寝したこともない。

昨年の夏はショウコの件で忙しかったこともあるにせよ、とうとう扇風機を出すことすらなかった。

それでも温暖化の影響なのか、北海道の夏もどんどん高温度化、高湿度化が進み、ジメジメと暑い日が多くなってきている。

多少の寝苦しさを覚える日も少しずつ増えてきているような気はするが、そんな時も
「大阪よりマシ、大阪のことを考えればまだ涼しい。」
と、呪文のように繰り返して乗り切ったりしている。

さて、今年の夏はどんな夏になることだろう。

元号(和暦)

現天皇陛下の退位が現実味を帯びてきた今、平成という元号から新しいものへと変わるのも確実となっている。

天皇が亡くなってからだと、カレンダー、手帳業界の印刷物をはじめ、銀行から各行政機関まで様々な書類にある 明・大・昭・平 を選ぶ欄に新元号を慌てて追加せねばならず、印刷業界関係者の睡眠時間が著しく短くなってしまい、その界隈での交通事故件数が跳ね上がる危険性があったりなかったりするかもしれないが、これが今の案にあるように 2019年元旦からと決まっていれば、少しは落ち着いて仕事ができるのではないだろうか。

そこでふと思ったのだが、元号が社名になっている会社は多い。

事実、大正製薬という会社名は、同社が1912年(大正元年)に創業したことに由来している。

明治製菓は元号の明治に由来するものではないらしいが、それでも明治が含まれており、昭和シェル石油となる前の昭和石油も元号の昭和からとったものだろう。

日本に星の数ほどある中小企業の中にも社名に大正、明治、昭和のつく会社は多いだろうし、正、明、昭など、一文字をもらって命名された社名に至っては数えるのに苦労するほど多いに違いない。

しかし、平成の名がつく大会社はない。

もしかすると自分が知らないだけで、ある業界では名の知れた会社が存在するのかもしれないが、少なくとも一般人であっても誰でも知っているような有名企業はないだろう。

平成といえば元年は西暦 1989年で、直後の 1991年にバブル景気が崩壊し、それから平成29年の現在までの 27年間は実感・実態のない程度の好景気しか訪れておらず、長いデフレ期が続いたままとなっている。

政府や日銀は数年前に脱デフレ宣言をしたが、実態としてデフレは終わっておらず、消費者マインドはインフレを拒絶したままの状態だ。

以前から何度も書いているが、デフレなどそう簡単に克服できるものではない。

それまで産業革命で繁栄を謳歌していたイギリスは景気後退が原因で、1870年代前半から1890年代半ばまで、およそ四半世紀に渡って物価の下落が続いた。

それより遥か昔のローマでは 50年間もデフレだったという史実もある。

そんなネガティブマインド状態の日本においては、平成由来の社名をつける気にもならないかもしれない。

すでに26年間もデフレ状態が続いていると仮定するならば、元号が変わるであろう 2019年で 28年目、東京オリンピックが開催される 2020で 29年となる。

30年も経てばデフレの終わりも見えてくるだろうし、オリンピック景気も手伝って日本にも光明が射すことだろう。

だとすれば、次の元号を社名にするケースもそこそこ多いのではないだろうか。

元号の決め方には色々と注意点があるらしく、主には以下の 4点なのだそうだ。

1. 漢字二文字
2. 書きやすい
3. 読みやすい
4. 俗用されていないもの

2 と 3 は子どもでも書けて読めるのが好ましいということだろうし、4 はありふれていないものということである。

それほど画数が多くなく、縁起の良い漢字二文字で構成しなければいけないのだから考えるほうも大変だ。

ウィキペディアに過去の元号一覧が掲載されているが、一文字かぶりはあるものの、同じ元号がないのがすごい。

経済の低迷が続き、好景気らしい好景気の経験もなく、デフレ脱却の意識もなく、世界情勢も不安定で日本の将来に希望が持てない今、次の元号は力強く明るく、そして威勢のよいものにして頂きたい。

『安』、『和』など安心感のある漢字、『永』、『久』などの将来性を感じる漢字、『栄』、『宝』など景気の良さそうな漢字を用いると良いのではないかと勝手に思ったりしているのだが、どうだろう。

ゆとり効果

『ゆとりでしょ? そう言うあなたは バブルでしょ?』
これは第一生命保険が毎年開催し、恒例となっているサラリーマン川柳で 1位となった作品だ。

ゆとり世代の人たちは、
「ゆとり世代だからなぁ」
とか、
「だからゆとり世代のやつらは・・・」
などと、何か失敗したり、同世代の人の行いが悪いと一緒くたにされて上の世代から小馬鹿にされ、忸怩たる思いをしたり、逆に反感を抱いたりしているケースが多いらしい。

バリバリの詰め込み教育を受けた世代にとっては多少のやっかみも覚えつつ、
「最近の若いものは・・・」
と言うのも年寄りっぽいので
「ゆとり世代は・・・」
などと言っているのではないかと思われる。

ゆとり世代とは、ざっくり 2002年度から2010年代初期までの学習指導要領に沿った教育を受けた世代のことで、1987年4月2日~2004年4月1日生まれの 13~30歳(2017年現在)を指す。

今は会社組織に所属していないので、それほど多くの若者と接する機会はないが、それでもお客さんの会社を訪問してその世代らしき人たちと会話することはある。

確かに常識的には考えられないような言葉遣いや態度で接してこられたりしないでもないが、自分も若い頃は十二分に非常識の跳ねっ返りだったこともあり、多少の腹立たしさを覚えつつも若いのだから仕方がないと、最終的には諦めにも近い割り切りをしてしまう。

これが先輩や上司だと、確かに若者の扱いはとても難しいに違いない。

あまり言葉を荒げて叱り飛ばせばパワハラだと言われかねず、心の折れやすい若者であれば出社拒否になったり精神を病んで訴訟沙汰になってはたまらないだろう。

また、最近は先輩や上司にも問題があって、若者ウケの良い、理解のある先輩とか上司でいようとするあまり、多少どころか相当なことにも目をつぶるなど、ろくに注意をしなかったり教育しない場合が多い。

これでは世の中どんどんおかしなことになっていってしまうのではないかと、老齢に向かってまっしぐらな自分としては日本の行く末を憂いたりしてしまう。

しかし、よく考えてみると、その世代の活躍が目覚ましいのも間違いのない事実だ。

ここ数日、世間の話題の中心となっているのは 14歳にしてプロ棋士となり、目下のところ 26連勝中と勢いが止まらない中学生、藤井聡太はバリバリのゆとり世代である。

次々に様々な記録を更新し、現在(2017/6)は世界大会優勝 53回というとんでもない成績をおさめている女子スキージャンプの高梨沙羅も 1996年生まれで超ゆとり世代だ。

数々の実績を示し、惜しくも引退してしまった女子フィギュアスケートの浅田真央(1990年生まれ)もゆとり世代。

現在の卓球界の立役者である福原愛(1988年生まれ)も、世界を相手に堂々と戦っている石川佳純(1993)、伊藤美誠(2000)、平野美宇(2000)などなどもゆとり世代。

男子卓球の水谷隼(1989)、丹羽孝希(1994)や、中学生にして活躍目覚ましい張本智和(2003)もバリバリのゆとり世代。

その他、萩野公介(1994)、入江陵介(1990)、瀬戸大也(1994)を始めとする水泳選手、陸上100mで 10秒を切りそうな桐生祥秀(1995)、ケンブリッジ飛鳥(1993)、最年少Jリーガーの久保建英(2001)もゆとり。

世界に伍して戦えるようになったのは、すべてゆとり世代の活躍以降というケースが多い。

学力低下が叫ばれ、学習指導要領は軌道修正されてしまったが、ゆとり教育が生み出した副産物も多かったのではないだろうか。

その学力低下も授業日数、時間が減ったことによる副作用と胆略的に考えられているが、実は詰め込み型の教育方法しか身に着けていなかった教える側が、楽しく効率的に学べる手法を導入することを怠り、従来通りの教育法で時間だけが短くなってしまった結果が、学力の低下として現れてしまっただけなのかもしれない。

せっかく長所を伸ばすことができてきたのに、昔ながらの教育になってしまうのは残念だ。

今はスポーツなどでの活躍が目立つゆとり世代だが、彼らが新ビジネスを構築し、世界に打って出て大成功するかもしれない。

もう何十年も登場していない日本の世界企業を創り上げる能力を秘めつつも、その発想力、想像力や創造力が詰め込み教育で失われないことを願う。

ここでもう一度、ゆとり教育とは何だったのか、その効果はどうだったのかを誰か検証してくれないだろうか。