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CMあるある

少し前に我が家におけるあるあるネタを書いたが、テレビCMを見ていると同じようなパターンの繰り返し、過去のCMの焼き直し的なものが多くて呆れてしまうことが多い。

あるある1. 特に可愛いくもない子供を登場させる

オーディションを勝ち抜いた誰の目から見ても可愛いと認めざるをえない赤ちゃんや幼児ではなく、
「う~ん」
と唸り声しか出てこないような微妙なラインだったり、
「はあぁ!?」
と大声で聞いてみたくなるような容姿の子どもが登場するCMがある。

全国レベルのものではなく地方CMに多いのだが、間違っても制作会社がブッキングしたプロダクション所属のモデルではないであろうということが明白な、本当にその子をCMに登場させるが正解だったのかと経営者に問いただしたくなるほど残念なレベルの子どもが何の指導も受けていないことが丸出しな演技で商品やサービスを紹介する内容だ。

たぶん経営者の孫、社員の子どもか何かなのだろう、親バカ過ぎて冷静に美的水準を見極めることができず、周りからお世辞で褒められていることにも気付かずに CM出演させてしまったに違いない。

社員の皆様は取引先や顧客からの微妙な反応を受け、さぞかし苦労されているものと思われる。

あるある2. ペットが人間の言葉をしゃべりだす

飼っている犬や猫、鳥などが急にしゃべりだすというシチュエーションもありがちだ。

それがペットフードを始めとしたペット関連用品で、
「おいしいワン」
とか
「うれしいニャン」
とか言うのならまだ分からないでもないが、それらとは無関係な商品の CMで何の脈略もない場合が多いので、その演出の意図をはかりかねる。

あるある3. 父親役が情けない

男女差別、男女格差が社会問題となり、女性の立場や対応が向上するとともに食器洗い、トイレ掃除、風呂掃除などなどのCMに女性ばかり登場するのはいかがなものかという婦人団体からの猛抗議を恐れ、各企業はこぞって CMで男に掃除をさせたがる。

そして、だいたいにおいては父親の威厳も何もあったものではなく、情けない顔をして掃除している姿ばかりだ。

その他にも娘や妻から文句を言われたり叱られたりするCMも多く、そこまで見下していながらしつけなどで父親に威厳をもって子どもへ対処せよというほうが無理というものだ。

あるある4. ああ勘違い

これはもう、見るのも飽き飽き、食傷気味どころか見せられるとため息しか出てこないのが、褒められて照れたら実は違ったというやつだ。

画面の中の女性が
「きれいだなぁ」
「かわいい!」
などと言われて照れていると、あるいは画面の中の男性が
「すてきですねぇ」
「すごいですね」
と言われて照れていると、隣の異性は商品やサービスを褒めていたというオチ。

昔から使い古され、見飽きたパターンだと言うのにどうして何年かに一度はこの手の CMが登場するのか。

スポンサーにしても制作会社にしても打ち合わせの段階で気づいても良さそうなものだが。

あるある5. ポスターや看板の人が動き出す

これも見飽きるくらいに使い古されたパターンで、ポスターや看板の前で話していると、急に写真が動き出してビックリしたりするアレである。

その他にもテレビを見ていると中の人から話しかけられたり、画面から人が飛び出てきたりするのも常套手段だ。

これらはもう見飽きているので二度と作らないでいただきたい。

あるある6. 独りよがりなCM

感動させよう、させようとして何も伝わってこないCM。

泣かせよう、泣かせようとして何も伝わってこないCM。

人によって感動する場面、泣ける場面というのは異なるだろうから一概には言えないのかもしれないが、あまりにも押し付けがましく、いかにもな演出で作成された CMを見せられると感動するどころか興ざめしてしまう。

そんな CMを見せられると、むしろその企業のことが嫌いになってしまうのは自分だけだろうか。

あるある7. 笑わせようとしてダダ滑りなCM

これは上記 あるある4. に通ずるものがあるが、企画過程、制作過程でのみ盛り上がり、実際に映像化してしまうとちっとも面白くないという最悪のパターンだ。

ことの重大さに気づいたときには莫大な予算を投じた後なので、取り返しがつかないまま放映されることになってしまったのではないかと思ってしまうくらい悲惨な CMもある。

それが素人に毛の生えたくらいの役者がやって滑るのならまだしも、そこそこ名の売れたタレント、中堅のお笑い芸人などを起用してダダ滑りしたのでは目も当てられない。

お笑い芸人もタレント生命に汚点を残すことになりかねないので、出演を決める前に台本などを入念にチェックしてから仕事を引き受けるかどうか決めたほうが良いのではないだろうか。

ショウコノコト 8

ショウコがこの町にやってきたのは昨年の 9月10日のこと。

それから 5カ月が経過し、すっかり環境に慣れたようだ。

そして、年齢相応になってしまった記憶力は少しずつ元に戻りつつある。

病気をしたり環境の激変がストレスとなって記憶力が低下し、認知症やアルツハイマー病を引き起こす場合があると聞いたことがあり、それと条件が合うこともあってショウコが認知症になってしまったと覚悟したこともあった。

実は施設に入ってからのほうが物忘れが激しくなり、配達されたハガキを自分で片付けたのも忘れて清掃員の人が捨ててしまったと言ってみたり、新しく購入した電話機の使い方を何度説明しても覚えられず、次の日どころか数時間後に同じことを聞いてくる。

これはもう以前のショウコに戻ることはないのだろうと。

このままショウコの頭の中に花が咲き乱れ、花畑状態になってしまうかも知れないと覚悟したものだ。

昨年 6月の入院から 9月くらいまで自分の記憶があやふやなことはショウコも自覚しているようで、
「あの頃のことが思い出せない」
「どうやって入院したか覚えていない」
「転院したことも分からない」
などと、今になって言い出したりしている。

もっと言えば、故郷を出る際に仲良くしていただいていた近所の方々に挨拶をしに行ったこと以外は、自分と 『お買い物日記』 担当者が家具の廃棄の手配や土地と家の処分まで進めるために 2週間おきに帰省していたことも正確には把握できていないらしい。

6月に救急搬送された病院に入院していたことも、自分たちが駆けつけたことも覚えていない。

曖昧かつ断片的な記憶しかなく、故郷を出てこの町に来るまでの道中、
「子どもたちはこんな長い距離を移動して来てくれてたんだなぁ」
と、流れる車窓の風景を見ながら考えていたことは覚えていても、同乗してくれた介護師さん、運転手さんの名前も顔も、何を話したのかも覚えていないという。

確かにあの頃はショウコの記憶力の低下に愕然とし、自分たちも大いに戸惑った。

今までとは明らかに違う言動に右往左往させられ、あまりにも話しが通じないことに苛立ちを覚え、ついつい声を荒げてしまうことも少なからずあったのも事実だ。

あまりにも伝えたことを覚えていないので、施設に入るまでにしなければいけないことをリストにして紙に書き、次に来るまでにやっておくようにと言い渡し、処理が済んだらチェックマークを付けるようにさせていた。

医師は年齢相応の記憶力と言っていたが、それまでのショウコが記憶力も優れたスーパー婆さんだっただけに、その落差を見ると怒りとも悲しみとも言えぬ感情が湧いてしまったものだ。

ところが、昨年の 10月後半か 11月頃から少しずつショウコの頭の中の霧が晴れてきたようで、伝えたこと、何かを置いた場所などを忘れずに覚えているようになってきた。

以前のような記憶力は取り戻せないにせよ、普通に会話できるようにさえなれば良いと思っていたが、最近は前に会ったときの会話を覚えているし、何カ月も前に買った物の値段を 1円単位まで覚えていたりする。

そして、ずっと覚えられなかった職員さんの名前も覚えたようだし、施設に備えられている洗濯機や乾燥機の使い方もマスターしたらしい。

まだ微妙に話が噛み合わないこともないではないが、年齢以上の記憶力、以前のショウコに確実に近づきつつある。

施設での生活にもすっかり慣れ、体も心も落ち着いたとは言え、超高齢者でありながら記憶力を回復させてしまうのだから、やっぱりショウコはスーパー婆さんなのであろう。

パラリンピック

平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックの開催まで1年となり、韓国では盛り上がりをみせているという報道もあれば、国民的関心があまりにも薄いので盛り上げるのに政府や関係組織が必死になっているという情報もあるが、今の韓国は政治不信、政治不安の真っ只中にあるので後者の情報のほうが正しいのではないかと勝手に推測したりしている。

オリンピックと言えば終了後に開催されるパラリンピックへの注目度も少しずつ上がってきているようだ。

以前までは NHKや BSでさえ放送がなく、競技の結果をニュースで伝える程度だったが、前大会のリオオリンピックから放送枠が大きく拡大した。

『24時間テレビ 愛は地球を救う』などと大上段に構える日本テレビが中継しないことが腹立たしいと独り言にも書いたが、本当にその気がないのであれば安易に福祉だ何だと取り上げるべきではないと思う。

自分はと言えば、福祉とかに無関心ではないものの、どうにも自分から積極的に参加するのはちょっと気恥ずかしいというか、自分はそんな立派な人間ではないので偽善的すぎやしないだろうかなどと余計なことを考えてしまうので、陰ながらそっと応援することに徹している。

ただし、手放しですべて受け入れ、すべてに賛同している訳ではない。

例えばパラリンピックの選手がオリンピックの競技に出場したいと訴えているが、それには反対だ。

短距離走もそうだが、とくに跳躍力を競う幅跳び、三段跳び、高跳びなどなどでは義足が高性能すぎて今となっては人間離れした跳躍力を得ることができるようになっている。

決して差別的な意味ではないが、生身の体と人工的な体の持ち主が同じステージで記録を競うのは、やはりフェアとは言い難いのではないだろうか。

それを認めてしまったら、オリンピックで金メダルを得るために足を改造する人だって現れるかもしれず、それは薬物によるドーピングに類似したルール違反となってしまうのではないかと思う。

パラリンピックで活躍する人を見ると感動を覚えることも多いが、それと同時に反オリンピック的精神が見え隠れしたり、不公平感を覚えたりしてしまうこともある。

障害者のための競技だ何だとキレイ事で塗り固められているが、本質はどうなのか。

野球やソフトボールがオリンピックの種目に選ばれたり外されたりするのは競技をするためには様々な道具が必要なため、貧困国などでは普及しないことが問題点として挙げられているからだ。

しかし、パラリンピックの出場者が使っている義足はどうなのか。

まるでフォーミュラーカーのような車椅子はどうなのか。

選手がスポンサーを見つけ、強度を高めるとともに柔軟性の向上をさせて軽量化を図るという相反する難題に取り組み、それが車椅子だと空力性能にまで及び、とても個人ができることではなくなるし、開発には莫大な費用を要する。

パラリンピックはだれもが参加できる大会ではなく、選ばれし者、それは身体能力が優れているのみならずスポンサーや協力企業と手を組める人材でなければならないのではないのか。

そして、どんなに優れた人材がいたとしても発展途上国、いわゆる貧困国ではその人を支えるスポンサーも企業も存在しないと思われるため、参加できたとしてもメダルなど狙えるはずもないだろう。

車椅子マラソンなどで、まるでスポーツカーのようなものを使用する人ばかりの中で、病院で使われているような車椅子で勝てるはずがない。

そんなことを思いながらパラリンピクを見ていると、ひたむきに頑張る選手の姿に感動しつつも心のどこかに冷めた部分があることに気づく。

パラリンピック委員会が一元的にスポンサーから集めたお金や協力してくれる企業を管理し、各国の有能な選手に均等に配分するなどの制度を設けない限り、平等で公平な大会はできないような気がするのだが、現状に不満を持っている選手はいないのだろうか。

本当に公平になるようなルール作りは必要ないのだろうか。

我家あるある

生活をしていると何らかのパターンというか、身の回りで起こりがちなことというものがある。

そこで、今回は我が家のあるあるネタをいくつか。

あるある1. 芸能人の話をすると、1-2週間以内にテレビに登場する。

これは以前の雑感にも書いたような気がするが、『お買い物日記』 担当者と芸能人や文化人、スポーツ選手の話をすると、1-2週間以内にテレビで見る確率が異常に高い。

よく見る芸能人ならまだしも、
「そう言えば何年も見てないねぇ」
とか、
「あの人は芸能界を引退したんだっけ?」
など、久しく姿を見ていないどころか世間の話題にもなっていないような人の話をしても、ほぼ間違いなく画面で見ることになる。

今となっては誰かの話をしたあとで
「こうやって話題になったっていうことは近いうちにテレビで見るね」
などと二人で言い、そしてやはり何日か後にテレビに現れ、
「やっぱりね」
ということになるのだ。

もしかすると、『お買い物日記』 担当者か自分のどちらかが予知能力を授かったのかと思ったりしないこともないが、残念ながら自分たちの先のこともわからないので単なる偶然なのかも知れない。

あるある2. もうダメかと諦めると復活する。

使っているものが壊れたり、そろそろ寿命かと思って買い替えを検討したりすると復活することが多い。

ショウコが一昨年から入退院を繰り返したため何度も帰省したが、その際に大活躍したのがキャスター付きの旅行カバンだ。

持ち手がスライド式で伸び縮みするのだが、ある日の移動中に調子が悪くなり、伸ばした状態でカチッと固定できなくなってしまった。

10年以上も使い続けたものなのでいよいよ壊れてしまったのかと思い、故郷や札幌で時間がある時に旅行カバンを物色したりして買い替えの準備を進めていたところ、
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、壊れてなんかないもんねぇ~」
と、慌てて気を取り直したように持ち手からカチッと音がして固定できるようになったのである。

それは一度だけではなく何カ月後かにも再び同じ症状となり、今度こそ壊れてしまったのだろうと買い替える旅行カバンを物色すると、再びカチッと元気を取り戻す。

それから症状は現れていないようだが、ショウコがこちらに来たのでもう帰省する必要はなくなり、カバンそのものを使っていないので実際のところは分からない。

もしかすると油断して、また固定できなくなっているのではないだろうか。

最近、2013年に購入したタブレット端末でも同じようなことがあった。

何度も充電を繰り返しているためのメモリー効果で、いわゆる電池持ちが悪くなってきたのは仕方のないことだが、いくら充電しても 67%以上にならないという症状が発生したのは先月の中旬のこと。

充電を開始して数時間で 100%になっていたのに半日が経過しても一日経っても 67%のままだ。

その後も充電ケーブルを繋ぎっぱなしにしておいたところ 72%にまではなったが、どう頑張ってもそれ以上にはならなかった。

いよいよ買い替えの時期かと家電量販店の新聞折込チラシやネット通販サイトで各製品の価格や性能を調べて機種選定を始めたりしていると、
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、まだ頑張るもんねぇ~」
と、慌てて気を取り直したように 100%まで充電できるように復活した。

それ以来、タブレットは元気に動いているので今は買い替えを検討してもいない。

あるある3. ピーマンの種が後で必ず出てくる。

料理をしていてピーマンを切り、種をとっても後で必ず 1個は出てくるのが不思議だ。

いや、それだけの話しである。

あるある4. 一日に一度は『お買い物日記』 担当者がくしゃみを10連発する。

最初の頃は風邪でもひいたのではないかと心配したが、それが毎日のことなので今は気にならなくなった。

ほぼ間違いなく毎日、夕方のパソコンに向かっている時間、あるいは食後のどちらかにそれは始まる。

その原因は不明で本人にも理由はわからないらしい。

ふところ

懐(ふところ)が広いとは、心が広く、包容力があるという意味だが、相撲では腕と胸のつくる空間が大きく、相手になかなか回しを取らせないという意味もある。

懐が深いとは、度量が広く、包容力があることで、相撲では上記と同じ意味を持つ。

もう何年も前から海外ドラマを多く見ているが、これは 『お買い物日記』 担当者の兄の影響だ。

何がきっかけだったのかは忘れてしまったが、義兄が撮り溜めていた海外ドラマの DVDを貸してもらったのが始まりで見るようになり、最初は DVDを借りるだけだったものの、それを堺に日本のドラマをはじめとしたテレビ番組を見る気が失せてしまい、ついには CS放送のスカパー!に加入して海外ドラマ漬けの日々となった訳である。

スカパー!と契約したのが 2010年の終わり。

それから丸 6年が経過したが、視聴したドラマのタイトル数は 200を超えた。

最初だけ見てみたものの、つまらなかったり気に入らなかったりして 2話目にすら進まなかったものも多いのだが、シーズン2、3と続いて中には 10を超えるものも珍しくなく、それを 1タイトルとしてしか換算していないのでドラマを見るのに費やした時間は膨大なものになるだろう。

それだけのドラマを見てきて思うのが、海外の視聴者の懐の広さである。

敵とみなす国を実名で挙げたり、アルカイダなどのテロ組織名、イスラム教など宗教名も実名でドラマの中に登場させて弾圧したり攻撃を加えたりするのは以前の雑感にも書いた通りで、その筋からの抗議や反撃を意に介さないのか無頓着なのか、はたまた無神経なのか分からないが、とにかくそれは数多くの海外ドラマ、特にアメリカのドラマに見られる特徴だ。

そんな内容のドラマにもアメリカ人は、アメリカに住むイスラム教の人は抗議したりしないのだろうか。

イスラム教のモスク、キリスト教で言えば教会のような場所での暴力シーンや殺害シーンも数々あるが、それに対して嫌悪感や反感を持つイスラム系の人はいないのかと不思議に思う。

そう言えばキリスト教の教会でも数々の犯罪が描かれている。

教会内で麻薬の売買をしたり、犯人が教会に逃げ込んで信者を人質にとったり、その中で殺人が起こったり、しまいには牧師が犯人だったり異常性癖者だったりするストーリーもあるので、イスラム系ばかりを悪く描いている訳ではないようだ。

それにしても、そんなシーンが許されたり撮影を許可して教会などが場を提供するのだから、やはりアメリカ人は懐が広いのだろうか。

墓地でも死体が掘り起こされたり死者がよみがえってゾンビになったり、身を隠すところがないので狙撃場所になったりと、色々な事件が起こるが、そんな場所ですら撮影が許されるのだからすごい。

日本の墓地、神社や寺で犯罪シーンを撮影したり、ましてや神主や住職が犯人だったり異常性癖者で幼い子どもに対する性犯罪者だったなどというストーリーを見たことがない。

そんなドラマを放送したら不謹慎だと抗議が殺到するだろうし、そもそも撮影許可などおりないような気がする。

今は見ることがなくなった時代劇などでは神社の境内での立ち回りがあったりしたが、それとて必ず正義の味方が現れて惨状になる前に悪党が尻尾を巻いて逃げていくというのがオチだ。

今の日本では性描写も極端に控えめだが、それは激しく生々しいシーンを放送すると家族で見ることができないなどとクレームの雨あられとなってしまうからだろう。

海外ドラマの場合はその点も寛容で、イギリスの国営放送である BBC、日本で言えば NHKと極めて近い立場にある放送局が制作したドラマでさえ日本とは比べ物にならないほど濃厚な性描写があったりする。

きっと夜中の深い時間帯に放送されているドラマなのだろうが、日本であればそれが何時に放送されるドラマであっても許されないに違いない。

自分が若い頃、子供の頃はそれなりに過激な番組もあったのに、いつから日本のテレビはこんなことになってしまったのだろう。

夜中に子供がテレビを見ている方がおかしいと、毅然とした態度で反論できるテレビ局、組織がないのも嘆かわしい。

司法に対して、または政治に対しては表現の自由だの何だのと息巻くマスコミ、放送局だが、視聴者に対しては極端なまでに神経を使い、表現の自由や言論の自由を奪われている事実をどう思っているのか。

ひるがえって海外ドラマ、特にアメリカのドラマだが、予算も違えば人材の層の厚さも違うとは言え、これほどまで自由に表現でき、自由に映像化できるのは、やはり見る側の懐も広いからなのではないかと思う。

日本人などとは異なり、それだけ度量が広く、包容力がある。

つまりは懐が深い人種なのだと思う。

・・・。

・・・が、第 45代アメリカ合衆国大統領に就任したドナルド・トランプの言動を見ていると、そうでもないような気がしてきた。

彼の大統領就任によって保護主義が広まり、個人主義が顕著になれば自分の気に入らないものを排除したり攻撃する人が増えるのではないだろうか。

いつかアメリカのドラマ、テレビ番組も自由度が狭まり、ギスギスした感じになってしまわないか心配である。

忘れていたこと

まずは先週の雑感で、気になっていた重箱の隅をつつくような細かいことの最後のひとつを思い出した。

それは『施行』の読みについてである。

世間を騒がせている電通関連のニュースを見ていると政治家が
「労働基準法施行規則の規定に基づき」
の『施行』を『せこう』と読むことに強い違和感を覚えた。

『せこう』するのは建築の『施工』であって、法を『施行』するのは『しこう』だろうと画面に向かって突っ込んだりしていたのだが、調べてみると『しこう』と読んでも『せこう』と読んでも間違いではないらしい。

ただし、テレビ各局とも原稿を読む際は『しこう』に統一しているとのことである。

それはやはり工事の『施工』と区別するためらしいが、その『施工』も『せこう』とも『しこう』とも読め、どちらも誤りではないという。

つまり日本語とは、かくもあやふやなものである訳だ。

そして、自分はごく一般的な読みに固執していたため政治家の読み方に突っ込みを入れてしまったが、それが間違いではないということなので、ここは素直に諸先生がたにお詫び申し上げることにしようと思う。

次に過去に作成したWebページでコードを変更しなければならない部分があったのを最近になって思い出した。

それは Googleの仕様変更に伴う作業で、現状のままでも大きな支障はないのだが、Googleが提供している地図情報などを快適に使おうと思えば最新の仕様に合わせておかなければならない。

自分が運用しているサイトであれば多少の不便には目をつぶるが、お客さんのサイトを無視することはできないので少しずつ修正を加えているところだ。

そして今日で禁煙生活 3100日、タバコのことなど忘れていたのに数日前の夕方、急に喫煙欲求が沸いてきた。

それはガーッと集中してプログラミングしていた先週のことで、一段落、一息ついたときに現れた感覚である。

もう長くタバコを吸っておらず、夢も見なくなったと独り言に書いたのは 2015年のこと。

それなのに何かの拍子に喫煙の欲求が頭をもたげるのだから恐ろしい。

平常心を 100として、ドーパミンの分泌レベルは美味しいものを食べた時が 150%、ニコチン摂取時は 220%とのことだ。

ドーパミンとは意欲やモチベーションを高めたり、やる気・動機づけ、集中力、生産性を上げる鍵となる神経伝達物質なので、何かに取り組む前にタバコを吸いたくなったのも納得できる。

逆に一息ついた時、次の行動に移るためにモチベーションを高めたり動機づけする必要があり、ニコチンを摂取したくなったのだろう。

そのドーパミン分泌レベルだが、ニコチン 220%に対して覚せい剤は 1000%以上なのだそうだ。

タバコでさえなかなか抜け切らないのだから、覚醒剤を断つのは本当に難しいのが分かる。

最後に最近は登場回数がめっきり減って忘れかけていた『いつも夢の中に登場する町』だが、2-3日前に見た夢の中で相変わらず自分はそこで生活していた。

そして、見覚えのある駅構内で仕事場に向かう電車を待っている。

当時の雑感にも書いたが、その町のどこに職場や自宅があるのかは今をもって不明なままだ。

忘れかけていた夢の中の町、それが再び現れたのは何かのお告げ、予兆だったりするのだろうか。

重箱の隅

重箱の隅をつつくような実に細かなことで恐縮ではあるが、気になって仕方のないことをいくつか。

まずはペットショップの広告やペット関連のイベントのCMなどで良く見聞きする
『ワンちゃんネコちゃん大集合!』
という文言だが、犬をワンちゃんと言うなら猫はニャンちゃんではないのか。

どうしてもネコちゃんと言いたいのならイヌちゃんネコちゃんとすべきだ。

どちらも二文字なのでゴロだってそれほど悪くはない。

ワンちゃんニャンちゃんだって、それほど言い難くはないではないか。

それなのに、なぜ、なにゆえに、どの広告も判で押したようにワンちゃんネコちゃんなのだろう。

ワンコであればニャンコ、犬であれば猫、それぞれ統一していただきたいものである。

次に自殺の種類についてというか、そのネーミングについて。

いじめを苦にした自殺、過労によるうつ病からの自殺など、昨年末から暗くて辛いニュースが続いているが、その方法を伝える際の「首吊り自殺」というワードに違和感を覚えた。

自殺にも様々な方法があるが、首吊り自殺だけネーミングが生々しくないだろうか。

ガス自殺は有毒成分による中毒とか酸欠にって死に至るので文字通りだし、電気ショックによって死に至る感電自殺もまあ、文字通りではある。

高いところから飛び降りるのは投身自殺、川や海に身投げするのは入水自殺、自身の体に火をつけるのは焼身自殺、薬物を大量に飲むのは服薬自殺、毒を飲めば服毒自殺、日本では極めて少ないが、ピストルなどで自身を撃つのは拳銃自殺だ。

それぞれの行為を二字熟語にして自殺を付け加えたのが一般的なのに、どうして首吊り自殺だけ生々しいそのままの表現なのかと感じたのが違和感となったのだろう。

実は首吊り自殺には縊頸自殺という名前もあるらしいのだが、縊頸(いけい)など漢字が難しすぎる上に読める人もそうはいないに違いない。

後ろの『頸(けい)』はクビとも読むのでそのままだし、首の骨の一部を頚椎(けいつい)というので少しは分かるが、問題は最初の『縊(い)』である。

この漢字は糸へんに益(の旧字体)を書くが、その益には二股に分かれたものの末端をくくるという意味があり、糸へんがつくことで糸をくくりつけるという意味を持つらしい。

そこで首と同意語の『頸』と合わさって首をくくるということなるということだ。

・・・。

いやいや、そうではない。

そんなことを調べていたのではなく、なぜ首吊り自殺だけ生々しいネーミングなのかという件である。

縊頸自殺が難しすぎるのであれば、もっと簡単な二字熟語にすれば良いではないか。

いや送り仮名を抜いて『首吊自殺』と書き、『しゅちょうじさつ』と読ませるのはどうだろう。

・・・。

こんな細かなことを気にしているのは自分くらいなものなので、いくら主張しても意味はないだろうが。

もうひとつ気になっていたことがあったのだが、メモらずに文章を書き始めてしまったので忘れてしまった。

きっと忘れてしまうくらい細かな、取るに足らないことだったのだろう。

真性雑感 第二十四版

真性雑感 ~目次~

■ 保護主義

トランプ次期大統領の登場で、アメリカが極端な保護主義に向かうのではないかと懸念されている。

ヨーロッパでも移民の受け入れに反対する勢力が支持され、保護主義的な考え方が広がりつつあるらしい。

世界は今、他国のことなど考えている場合ではなく自国のことで精一杯なのか。

アメリカ、ヨーロッパ、そして中国も所詮は個人主義の国、そういう人種である。

個人主義とは、

国家や社会の権威に対して個人の権利と自由を尊重することを主張する立場。
共同体や国家、民族、家の重要性の根拠を個人の尊厳に求め、その権利と義務の発生原理を説く思想。
Wikipedia

なのであり、もの凄く大雑把かつ乱暴に言い換えれば自分第一、自分優先、もっと極端に悪く言えば自分さえ良ければそれで良いということだ。

そんな個人主義の人が集まれば自国第一、自国優先、自分の住む国さえ良ければ他がどうなっても知ったこっちゃないと、保護主義、右傾化するのは、ある意味当然のことかも知れない。

そもそも、そんな人種が世界秩序を守り、自由貿易をして世界が繁栄し、全人類が平等で平和な暮らしをしていくことなど難しいのではないだろうか。

自国の利益優先、自己の利益を優先させれば必ず争いが起こる。

アメリカをはじめ、ヨーロッパ各国も無理をしていただけであって、保護主義の広まり、うねりは本音が噴出している状態なのかもしれない。

昔はなかなか開国せず、海外企業の参入障壁も高かった日本は世界から保護主義的だと言われ続けてきたが、実は日本人の性質そのものは全体主義で、個を捨てて全体に従属することを得意とする。

以前から日本人ははっきりとした意見を述べず、玉虫色、曖昧だと世界から言われてきたが、こんな時こそ
「まあ、まあ、そう言わずに」
と曖昧な笑顔で調整役を果たし、世界の秩序維持、調和に奔走すべきなのではないだろうか。

■ トランプ次期大統領

そのトランプ氏はツイッターで

トヨタはアメリカ向けのカローラを生産するため、メキシコに新しい工場を作るという。
ありえない!アメリカ国内に工場を作らないなら、高い関税を払え。

と、恫喝とも言える警告を発した。

これまでにもフォード社などに対して警告し、メキシコ工場計画を撤回させてもいる。

アメリカ政府内では
「ツイッターに投稿し、重要政策を詳しい説明もなく一方的に伝える手法は混乱を招く」
と批判が強まってもいるらしい。

・・・。

重要政策をツイッター・・・?

ヒラリー・クリントン氏が国務長官在任中の公務に私的な電子メールアカウントを使っていたことを批判し、それは犯罪だとまで言っていたトランプ氏である。

重要政策をツイッターに投稿するなど私的メールアカウントどころの騒ぎではない。

メールは不正に入手するか、のぞき見でもしなければ内容を知られることはないが、ツイッターに投稿すれば何千万、何十億人の人が誰でも自由に見ることができる。

自分がやっていることが彼には分かっているのだろうか。

■ 従軍慰安婦問題

日本と韓国の間では慰安婦問題が『最終的かつ不可逆的に解決され確認する』としていたはずである。

しかし、釜山の日本総領事館前に慰安婦を象徴する少女像を設置した問題で韓国政府は具体的な動きを見せていない。

朴槿恵(パク・クネ)大統領が弾劾訴追されて職務停止状態にあり、韓国は政治が機能していないこともあるだろうが、事実上の黙認と受け取られても仕方のない状態だ。

従軍慰安婦が単なる組織売春だったのか、日本が力ずくで行った行為なのかという議論が残るにせよ、確かに日本が行った行為は愚かなことではあるが、それは解決済みの一件である。

世界に発信された約束事を反故にして韓国民は恥ずかしくないのだろうか。

日本政府は対抗措置として駐韓大使の一時帰国させる決定をしたが、そんなことをしたところで韓国は痛くも痒くもない。

そんなことをするより、サムスン、LGエレクトロニクスなどに対して日本の電子部品、液晶素材、製造装置の供給をストップしてやれば良いのである。

あるいは日本の商社、三菱商事、三井物産、住友商事、伊藤忠、丸紅などすべてを経由させ、それぞれ粗利をとって販売価格を 5-6倍にしてやれば良い。

日本人がいつまでもニコニコと曖昧な笑顔を振りまいている訳ではないと思い知らせるべきだ。

2016年の終わりに

何と今年の大晦日は土曜日であるため、雑感の更新をしなければならないではないか。

とりあえず簡単に済ませようとは思うが、今年を振り返ると兎にも角にもショウコ一色である。

たぶん故郷で最後の正月になるという予感がしたので 2015年の終わりに帰省し、約20年ぶりに迎えた実家での元旦

その始まりが今年のすべてだったようだ。

一人暮らしを断念したショウコをこの町に迎え入れるべく施設探しを始め、候補が見つかったので申し込むことにした 2月

叔母のレイコの早とちりだった 『ハハキトクスグカエレ事件』 が起きたのは 6月。

その入院でショウコがすっかり一人暮らしを続ける自信を失ってしまったため、急きょ問い合わせた第二候補の施設に空きがあることが判明し、一気に事態が動き出した 8月

施設のことを告げ、ショウコが入所を決意したのはその一週間後となる 08/10。

それからというもの、怒涛のような日々を過ごすこととなる。

約二週間後の 08/23に再び帰省、また約二週間後の 09/06にまたまた帰省

その直後にショウコは町にやって来た

その後も実家の仏壇を処分したため、こちらで新たに小さなものを購入したり、その仏壇に納めるため位牌や遺影をミニサイズにしたり、ショウコの許可を得て父親の遺骨を合祀堂に納めることに決めてお寺さんにお願いしたり何かと忙しい日々を過ごす。

衣類と布団しか持参しなかったショウコのために施設で使う棚やら冷蔵庫やら何やらと買い揃え、あまりにも勢いよく捨ててしまって不足気味になった洋服を買い足したり、金融機関の住所変更やら新規口座開設やらと生活の環境を整えるのにもそれなりの時間を要する。

ショウコが施設での生活にも慣れ、やっと落ち着いたと思ったらもう大晦日だ。

先日、レイコからの届け物があったので礼を言うため昨日の夕方に電話をしたところ、相変わらず元気な声で近況など話し、最後にショウコはどうしているかと聞いてきたので施設にも人にも慣れて達者に暮らしていると告げると安心した様子だった。

それにしても、本当に 2016年はショウコで始まりショウコで終わる。

正月三箇日を放っておく訳にもいかないので、いずれかの日を選んで会って来ようと思っているので 2017年もショウコで始まったりするのではあるが・・・。

そして、毎年同じことを書いてきた、例のホテルでのバイキング形式の昼食である。

なんと、なんと、ついにその昼食を・・・。

食べる前にサービスが終了してしまった。

その事実は事前に知っていたのだが、結局は出かけるのが面倒になってとうとう行かずじまいである。

行ってみようかと言い出したのは北海道に帰って来てすぐの 2008年、グズグズしているうちにサービス自体が終わってしまった。

それから 8年も経過しているのでグズグズするにも程があるというものだが。

仕事に関しては今年も相変わらずである。

少なからずお客さんは増えたが、自分のスキルアップも含めて亀の歩みのようなものだ。

それでも目新しい技術を使ってみたり、以前より難しいプログラムを書いてみたりと超スローペースではあるものの確実に進歩はしているものと思われる。

明日から始まる来年も、少しずつでも良いから歩みを止めないようにしようと思ったりしているところだ。

自分解体新書 - 27 -

自分解体新書 ~目次~

■ 背中

数日前、背中から破滅の音が聞こえた。

何のことはない、仕事中に疲れを感じ、両手を天に突き上げて思いっきり伸びをしただけのことである。

その際に背中からパリパリっと嫌な音が聞こえたのだが、本当にそんなことがあるのかと思って検索してみると、肉離れなどを起こした場合に不快な音がきこえるのは良くある話らしい。

と言うことは、以前から我が家で『破滅の音』と表現していたのもあながち間違いではないらしい。

さらに言うのなら、たまに背中の筋肉が痛くなり、2-3日は寝返りをするのも辛いという経験を過去に何度もしたが、それはつまり背筋の肉離れを起こしていたのだろうかと思い、さらに検索してみるとどうやらその推測は当たっているようだ。

背筋 肉離れ』で検索してみると自分がこれまで経験してきたのと同じような症状、症例が見つかった。

つまり、この痛みのことを『ぎっくり背中』などと間抜けなネーミングで呼称していたが、今後は『背筋断裂』と呼ぶことにしようと思う。

■ 首

11/18(金)に倒れた際に強打した肩から首にかけてがまだ痛い。

後頭部の痛みはなくなり、シャンプーの際にも問題なく頭皮をガシガシできるようになったが、首を左右に倒すとまだ両側の首、そして肩から背中にかけての鈍痛が残っている。

実は単に床に倒れただけではなく、真後ろにある電子レンジやトースターを置いている台に頭から突っ込んでしまい、台の棚にあったものまで破壊する勢いで打ち付けてしまった。

もしその台そのものが壊れて上に乗せている電子レンジが頭の上に落ちていたらと想像すると、脇腹あたりがゾワゾワとしてしまう。

それだけの衝撃を受けたのだから、打ち所が悪ければ頭がい骨骨折や頭蓋内出血を起こしたかも知れず、こんな時は自分の石頭をありがたく思わなければなるまい。

あれから一カ月強、まだ若干の痛みが首などに残ってはいるが、大事に至らなかったことに感謝するとともに今後はクラッとした際の防御姿勢などに磨きをかけようと思っている。

■ 指 その6

今月の初めに再発してしまった指先に集中する手荒れだが、ここのところ快方に向かっている。

あの時、マウスの指を置く部分にマスキングテープを貼るという対策を施したが、それが思ったよりも効果があり、改善に向かわないまでも悪化は食い止めることができた。

それならば、もっと厚みを持たせてみたらどうかとマスキングテープの上からさらにビニールテープを貼ってみたところ、手荒れが大きく改善して皮膚が固くなったり皮がむけたりする症状が消え、今はあと少しで完全治癒という状態だ。

このことからも、やはりマウスに使われている塗料に皮膚が反応したものと思われる。

原因の特定ができず、ずっと悩んできた手荒れから解放される日も間近だ。

ネットで検索すると、同じような悩みを抱える人も多いようだが、こういう対処法もあるということを伝えようにもその手段がないので発表の場をどうしたものかと思ったりしていることろである。