春爛漫

北海道は初夏の一歩手前、春真っ盛りとなっている。

毎年のことではあるが、梅も桜もチューリップもスイセンにスズラン、ライラックなどなど、ありとあらゆる花が咲き乱れており、雪と樹木のモノトーンの世界から一気に原色まぶしいカラフルな世界へと変貌を遂げた。

そうなれば北海道民もウキウキし、野へ山へと繰り出して行く。

出不精を絵に描いたような自堕落的な生活を送っている我が家も、この時期だけは積極的に外に出て春の陽射しを堪能する。

この時期にはいつも独り言にも書いているように、桜の樹の下で昼ごはんを食べるのが毎年の恒例行事だ。

桜の時期は短いので、雨さえ降らなければ毎日でも出かけようと思っているが、少し前のソメイヨシノの時期は天候に恵まれず、せっかく満開になったと思ったら暴風雨となってしまい、あっという間に桜は散ってしまった。

今は八重桜が見頃を迎えている。

まだ満開にはなっておらず、おまけに八重桜は花の寿命が長いのでまだまだ楽しめそうだし、天気も大きく崩れることはなさそうなので花を見ながらの昼食は何回くらいできるだろう。

実は今日の昼も桜の樹の下で食べてきた。

北海道の5月にしては暑いくらいの気温だが、木陰は涼しく実に気持ちが良い。

陽の光を全身で浴びると体の芯からポカポカしてきて思わず眠りそうになってしまう。

そんな楽しい思いをしてきたところなので、パソコンに向かってカタカタとキーボードを打つ気分ではない。

そう、今回の雑感は気乗りしないし書くのが面倒だということを訴えたいのである。

なぜ、こんなに気持ちのよい日にグダグダと駄文を書き殴らなければならないのか。

いや、誰に強要されている訳でもなく、誰かが毎週の更新を楽しみに待っている訳でもないので、書きたくなければやめたら良いだけの話ではあるのだが・・・

話は戻って桜のことになるが、若かりし頃は毎年のこの時期を心待ちにするほどではなかった。

なぜ人は年齢を重ねるごとに咲く桜に感動し、散りゆく桜に悲哀を感じるのか。

「それは、生きている間にあと何回くらい桜を見られるかと想うからだ」
とは、義兄の言葉である。

確かにそうかもしれない。

これから先、あとどれくらい桜の咲く時期を迎えることができるだろう。

日本人の平均寿命はどんどん延びて人生100年時代となりつつある。

だとすれば、今まで見てきたのと同じくらいの回数は見ることができるかもしれない。

そうだとしても、子供の頃や若い頃は今と異なり、そんなことは考えもしなかったが、そろそろ人生の終わりを意識する年齢になってきているのは確かだ。

ただし、自分の場合はそれで考えを新たにしたり、立ち振舞を改めたりすることはなく、せっかくだから桜の時期を思い切り楽しんでおこうと思ったりする、不届き者だったりするのであるが・・・。