夏が来れば

夏がくれば思い出す、はるかな大阪とおい空♪

・・・。

ということで、北海道にもやっと夏が訪れた訳だが、この時期になると大阪での夏を思い出す。

あれから約 10年の時が流れ、それなりに年を積み重ねて体力も減退した今、もう一度大阪で暮らせと言われたら、パリッとしたスーツに身を包み、そこそこ値のはる手土産を持参しつつ丁寧にお断りするであろうことに疑いの余地はない。

もう無理である。

さすがにもう二度と大阪で暮らすことはできないと思う。

それは、ただ一点、夏の暑さに耐えられないということに尽きる。

人も食べ物も嫌いではないし、最初はひどかった水道水も劇的に改善されたので、暮らしていても暑さ以外に文句はない。

ただ、その暑さに関しては文句をいくら言っても言い足りないくらいだ。

長年住んだので、今でも全国の天気予報を見れば大阪のことが気になる。

そして、そろそろ真夏日という 30℃を超えた数字を頻繁に目にするようになった。

それを見ていていつも思う。

30℃だからって本当に 30℃の訳がない。

熱を中へ伝えにくくする良質の木材で製作され、放射熱をなるべく遮断できるよう白く塗り、芝生または地面の地上1.5メートルという、周りに邪魔するものがない風通しの良い場所に設置された百葉箱の中で計測された温度が気象庁の発表する気温である。

アスファルトとコンクリートに囲まれ、日本一緑が少ない町と言われる大阪の、いったいどこをどう探せばそんな好条件な立地があるのかと、大阪管区気象台の職員を正座させて問いただしたくなってしまう。

住んでいた当時も、そして今も、発表された気温に 3℃くらいプラスして丁度良いと思っている。

発表が 30℃の真夏日なら市内は 33℃、35℃の猛暑日なら 38℃といったところだ。

実際、部屋の空気を入れ替えようと窓でも開けようものなら、直射日光を浴びて焼けた外壁とベランダの床によって十分に暖められた熱風が入り込んでくることなど日常茶飯事だった。

この季節になればホームセンターで購入したスダレに様々な工夫をこらしてベランダを囲い、まるで虫かごの中のような暮らしをしていたものである。

今のように肌に触れると涼しく感じるような機能性繊維も開発されていなかったので、寝苦しさを解消するような寝具なども売っていなかった。

そこで、スノコを並べた上に布団を敷き、シーツの上にゴザを敷いて寝たりもしてみたが、暑いものはどうやっても暑く、冷凍庫でカチカチに凍らせたアイスノンに頭を乗せて寝てみても 1時間もしないうちに常温になってしまうという恐ろしい世界が大阪の夏だ。

今から思えば寝室にもエアコンを設置すれば良かったとは思うが、当時はそんなことを思いつきもせず、ただひたすら暑さに耐えていたのは、まだそれなりに体力もあったからだろう。

それでも朝方までには何とか眠りにつくのだが、起床した途端に暑い。

朝日が昇ればすでに暑いのも、最低気温が 25℃を下回らない熱帯夜が状態化しているのだから当たり前の話しだろう。

出勤のため家を出ると、すでに地面のアスファルトは十分に加熱されているし、湿気が多いので日陰を歩いても一向に涼しくない。

その横を車が通ればまた熱風に襲われるし、冷房が効いているはずの電車内も人が多すぎてオッサン同士のベタベタした肌が触れ合うだけだ。

よくもまあ、何年間も会社勤めをしたものだと、今から思えば当時の自分を褒め称えてやりたくなる。

北海道に帰ってきてから 2-3年間は、夏が楽で本当に嬉しかった。

冬の厳しさもあるが、室温は大阪の部屋と変わりないし、寒ければ厚着をすれば済む。

やはり夏が涼しいのが何よりで、いくら暑いと言っても朝晩は涼しく、熱帯夜を経験したのはこの10年で 1度か 2度しかない。

真夏でも最低気温が 10℃台ということが多いので、窓を開けて就寝したこともない。

昨年の夏はショウコの件で忙しかったこともあるにせよ、とうとう扇風機を出すことすらなかった。

それでも温暖化の影響なのか、北海道の夏もどんどん高温度化、高湿度化が進み、ジメジメと暑い日が多くなってきている。

多少の寝苦しさを覚える日も少しずつ増えてきているような気はするが、そんな時も
「大阪よりマシ、大阪のことを考えればまだ涼しい。」
と、呪文のように繰り返して乗り切ったりしている。

さて、今年の夏はどんな夏になることだろう。