マサルノコト scene 27

2008年2月の大阪から北海道への引越しの際に惜しみつつも捨てることになってしまったが、我が家にはずっとマサルの布団があった。

マサルの所有物でも何でもないのだが、いつもマサルが泊まっていくときに使っていた布団だったので、いつの間にか 『マサルの布団』 と命名されてしまったものだ。

過去に何度も書いたように、独身の頃から何度となく遊びにきては宿泊していくことを繰り返していたので、ついにはマサル専用の布団、専用のシーツ、枕カバーなど、寝具セットが出来あがってしまい、マサルが突然やってきても宿泊の準備は万端に整っている状態で常備されることとなった。

何の目的もなく、ただブラっと遊びに来ては泊まっていき、ロックのライブを二人で見に行っては泊まっていき、仕事の研修があるからと一週間ほど泊まっていったりを繰り返していたものだ。

当時はまだ若く、体力もヒマもあり、お互いの住む町が遠いとは言え車での移動が可能だったこともあって、そんな無謀とも言えることが出来ていたのだろうが、あれから何年もの時を経て若さも体力も失い、なんだかんだと忙しくしていてヒマもなく、決定的な要素としては互いの生活拠点に安易に移動不可能なほどの距離が生じてしまったため、もう何年も顔を合わすことなく、年賀状もこちらからの一方通行という状態になっている。

北海道に帰ってきたのだから、大阪、東京と離れて暮らしているより地元が近い分だけ少しは会いやすくなったとも思えるが、マサルは仕事が不規則だったり世間と同じタイミングで休んだりもできないので、お盆だから、正月だからと帰省できる訳でもなく、また、自分もそうだったように物理的な距離が遠くなるとなかなか帰省する気にもなれず、5年も 10年も実家に顔を出さないなどというのは当たり前になってしまうので、さっぱり北海道に帰ってくる気配がない。

さらに自分も気楽な仕事をしているがゆえに、交通機関や道路が混雑しているのを覚悟してまで、わざわざ盆や正月に帰省することもなく、『お買い物日記』 担当者の定期検査のついでとかに合わせて帰るようにしているので世間一般の行動パターンとは明らかに異なる。

それだけ余計に互いのタイミングが合わず、なかなか地元で合流することもできずにいるが、よく考えてみれば自由気ままに休むことのできる自分がマサルに合わせれば良いのではないかという思いに至り、マサルに帰省する気があるのであれば、それに同調して里帰りするのも悪くないのではないかと思う。

で、話を元に戻してマサルの布団だが、大阪で荷物の整理をしているときに捨てるべきか持ち帰るべきか大いに悩んだ。

しかし、『お買い物日記』 担当者の生まれ故郷に住むことになれば、そこはマサルと縁もゆかりもない土地であるため訪ねてくることもないだろうし、自分の生まれ故郷に住むことになれば、そこはマサルの生まれ故郷でもあり、実家もあるため専用の寝具を用意する必要はないだろう。

大阪の暑い夏を一度だけでもマサルに体験させてやろうと目論んでいたが、それが実現しないまま大阪を離れることになり、マサルの布団を捨ててしまうことになるのは心残りであったものの、可能な限り引越し荷物を圧縮するのを目標にしていたので心を鬼にして捨てることにした。

あれから 2年と 5カ月、捨てた布団は埋め立てられて朽ち果て、土へと返る過程にあるだろうか。

それとも焼却処分されて煙となり、偏西風に乗ってアメリカ大陸まで行っただろうか。

もしかすると地球を一周し、今、この空を漂っているだろうか。