マサルノコト scene 25

新年になって 9日も経過したが、やっぱりマサルからの年賀状は届かない。

正月に一通の賀状も届かないのは寂しかろうと今回も出してやったのだが、それの返事すら届かず、メールや電話の一本もないので来年からは放っておこうかという気分になっている。

知り合った中学生の頃、何度となくマサルの家に遊びに行ったが、部屋もきちんと片付けられており、とても几帳面な性格だったと記憶している。

授業で使うノートもキレイに書かれていたし、当時は音楽の記録媒体だったカセットテープも見事に管理されていたし、本棚には整然と小説などが並べられていた。

scene 7 に書いたように、ある日突然、何の前触れもなくアパートを急襲したこともあったが、まるで所帯持ちのように掃除が行き届き、整理整頓されている部屋に住んでいたマサルである。

筆不精かと言えば決してそんなことはなく、scene 16 に書いたが、まだパソコンもなく手書きするしかない時代に、もの凄い量の演劇用の台本を一人で書き上げたりするマサルだ。

そんな奴がどうして年賀状を出すのを面倒がるのかイマイチ理解できないのだが、それは面倒とかいうよりポリシーの問題なのかも知れない。

いつかの電話で
「新年の挨拶なんてくだらねー」
とか
「年賀状のやりとりなんかしてどうなる」
などと言っていた。

確かに普段は何の付き合いもなく、年に一度、その賀状でしか近況を知ることがない程度の知り合いと、延々と文字だけの、それも正月だけの関係を継続すべきかと問われれば必要性を疑問視せざるを得ないのは確かだ。

良く顔を合わせ、付き合いの深い人にこそ年始の挨拶をすべきであって、それも直接訪問しての挨拶が昔の主流で、その訪問ができないからこそ賀状というものが必要だったと推測される。

その点を考慮すればマサルの言っていることはもっともであり、正しいように思えてくるが、それにしてもわざわざ賀状を出してやっているというのにナシのつぶてというのは何たることか。

腹立たしいことではあるものの、わざわざ電話したりメールしてまで文句を言うのも面倒だ。

そう言えばもう 10年もマサルと会っていない。

電話で会話したのも 2007年の元旦が最後だ。

いろいろな事情はあったものの、結果的にはせっかく北海道に帰って来たのだから、たぶん今でも東京に住んでいるものと思われるマサルさえ飛行機に乗ってくれば、生まれ育った町で合流するのも以前より容易なはずだ。

何かのタイミングで久々に会うのも悪くはないと思っているが、何せ我家の場合は筆不精ではなくても出不精ときている。

余程のことがない限り、これから先もマサルと会う機会は訪れないかも知れない。