ストレス

最近は何でもかんでもストレスのせいにする傾向にあるように思う。

飛鳥涼が薬物に手を出したのも、清原和博が薬物に手を出したのもストレスのせい。

どっかの変態が痴漢行為をしたのもストレス。

万引きしてしまうのもストレスが原因。

訳の分からない奴が無差別殺人をしたのもストレスのせい。

施設の老人を介護職員が虐待するのもストレス。

ストレスさえ言い訳にしていれば何でも通用するかのようだ。

たしかにストレスは便利な言葉で、犯罪の動機が明確になっていない場合などにストレスだとしておけばマスコミも報道しやすいし、罪を犯した本人ですら自分自身の心理を細かく表現するよりストレスだと言っておけば簡単である。

また、ストレスが原因で逸脱行為に走ってしまったとしておけば、『魔が差した』と同様に自覚がない、またはその気はなかったのについやってしまったとか、ストレスで精神に異常をきたしてしまって記憶がないなどと、逃げたり言い訳したりするのにも便利だ。

同じような境遇にあっても犯罪に手を染めない人が大半なのに、ストレスに耐えられなかったとか、ストレスを発散したかったなどと言うのは真面目に生活している人に対してもストレスに対しても失礼だろう。

何でもかんでもストレスのせいにされたのではストレスもたまったものではない。

前にも書いたように、自分が若いころの技術者は低賃金、超長時間労働でストレスも相当なものだったが、犯罪に手を染めた知人は一人もいないし、無差別殺人の犯人がストレスの溜まった技術者だというニュースも見たことがなかった。

本当にストレスが原因で薬物依存症になったり盗みを働いたり痴漢行為、殺人を犯すのなら熊本の地震で避難生活を送っている人たちが集団で犯罪者になるというのか。

阪神・淡路大震災、東日本大震災の際に避難生活を強いられていた人たちの間で犯罪率が増加したのか。

極限状態とも言えるストレスに耐えている人たちがいる中、よくもストレスという単純な逃げ道を選べるものだ。

この雑感を書いていて何だかイライラしてきてしまった。

このままだとストレスで犯罪に走ってしまいそうなので今回は早々にやめておくことにする。

日本人の悪い癖

先週の雑感で日本人は世界から賞賛される国民性だと書いたが、今も余震に襲われている熊本県で空き巣や事務所荒らしが少なからず発生していることを後のニュースで知った。

すべてが善人ということではないのは確かだが、それでも発生件数は極めて低いし、水や食料を奪い合って争うこともなければ暴動が起こることもないのは、やはり誇れることだと思う。

だからと言って誰もが住み良い社会かと聞かれれば決してそんなことはないだろう。

日本人には古来から伝わる独特の『間(ま)』というものがあり、生まれながらにして日本で生活している人には自然に身についているであろうが、海外の人には理解できないことも多いに違いない。

例えば金銭に関して言えば冠婚葬祭で包む金額などは、年齢だったり立場だったり相手との関わり度合いだったり、様々な条件が加味されて導き出される。

若い人が、あまり関わり合いのない人のために大金を出すと思いっきり引かれるだろうし、一定の年齢で一定以上の立場にありながら包む金額が少ないとちょっと軽蔑されてしまう。

タクシー代や食事代など、払う払わない、ここは私が・・・などという会話もよく見られるが、その引き際も難しい。

やはり何度かの押し問答があって折れるタイミングを絶妙に見計らうことが暗に望まれ、
「ここは私が」
「ああ、そうですか」
という訳にはいかないという実に面倒な国民だ。

有名な話としては京都に古くから伝わる独特の作法、『ぶぶ漬け食べなはれ』がある。

他人の家を訪問した際に
「ぶぶ漬けでもいかがどすか」
と勧められたりした場合、たいていは暗にもうそろそろ帰ってほしいと帰宅を催促しているのであって、決して善意からではないので、そこで
「ありがとうございます、ちょうど腹が減ってきたところで」
などと言おうものなら先祖から孫子の代まで悪く言われること必至だ。

それらすべては
「空気読め」
という言葉に集約されるだろうが、海外の人には無理な話である。

そもそも空気を読み、察した状況判断に基づき行動できるのは日本人くらいなものだろう。

それゆえに海外の人から見ると意見をはっきり言わないと思われてしまう。

帰ってほしいとか、自分はやりたくないとか、そう言われると気分が悪いとか、相手にもっとこうしてほしいとか、それはしてほしくないなどなど、言ってしまうと
「ずけずけと物を言う人」
「自分勝手な人」
「自己主張の強い人」
「わがままな人」
などの評価をされてしまうのではないかと思ってしまう。

古来から、そういう自分を見せないのが美徳とされていたので急には変われないし、そもそも
「これからの日本人はそうしましょう」
と誰かが号令をかけて一斉に意識改革しないと一人だけ浮いてしまう危険性が高い。

これも日本人の悪い癖で、料理でも菓子でも大皿に残った最後の一個になかなか手を出さないものだ。

若いころ、そんな状況の時に
「はいはい、日本人の悪い癖!」
と言いながら必ず最後の一個を食べる友人がいたが、そんな彼を誰も疎ましく思わず、むしろ気まずい雰囲気を打破してくれると好感を持たれていた。

年間の外国人観光客数が 2000万人を突破するのが確実となった今、そんな些細な日本文化をも楽しんだりする人がいるかもしれないが、そろそろ日本人も変わる時なのかもしれない。

嗚呼日本人 12

嗚呼日本人 ~目次~

九州では初めてという大きな地震が発生し、余震は今でも続いている。

本震と同等クラスの余震が続くなどという事態にあっては、さぞかし不安も大きいことだろう。

『生きた心地がしない』というのは、こういう時に使う言葉なのだと思い知らされる。

阪神淡路大震災を経験した身としては、NHKのアナウンサーが繰り返していた
「お互いに声を掛け合って・・・」
「具合がわるい時は無理をせず・・・」
「この難局を、この災害を乗りきりましょう」
という言葉に胸が熱くなる。

こんな非常時でも日本人は実に規律的だ。

店で棚から商品が落ちたりしている映像も数多くあるが、誰もそれを盗もうとしない。

これが海外だとあっという間に商品は略奪され、店はもぬけの殻になってしまうことだろう。

みんな避難所に指定されている場所に行って静かに救援を待つ。

ペットを連れた男性が
「これ(犬)がいると迷惑になるから」
と言って外で夜を明かす。

泣き声が迷惑になってはいけないと、赤ちゃんを抱いた若いお母さんが避難所の廊下にたたずむ。

給水車が来ても我先にと争うことなく整然と列をつくる。

子どもや高齢者を優先して支給された食べ物を配って歩く。

これこそが日本人の真の姿、世界から賞賛される国民性だ。

だからこそ、警察、消防、自衛隊は治安の悪化を心配することなく、暴動の鎮圧などに手を焼くこともなく、不明者の捜索や被災者の救出に専念することができる。

それらのことを伝えてくれるマスコミもある程度は重要だと思うが、ここの避難所では何が不足しているとか、あっちの避難所には何が足りないとか現状を把握しているのであれば、熊本城の瓦が落ちたとか山が崩れているとか上空からヘリコプターで撮影しているヒマがあったら不足している物資の一つも運べないものだろうか。

全局が同じような放送をしていないで、避難している人の要望を聞いて物資を調達するリアルタイム・ドキュメントでも放送したらどうだろう。

それはさておき、NHKでも繰り返して呼びかけていたように、せっかく命があって避難できたのだから、体調が少しでも悪ければ周りの人に助けを求めたり、赤ちゃんが泣きやまなければ経験豊富な先輩ママやお年寄りに助けてもらったりしながら互いに協力しあってこの難局を乗り切っていただきたいと切に願う。

詩的表現

最近の歌はメロディー重視で歌詞がなおざりにされている感が否めない。

よく読み込めば深い意味があるのかも知れないが、横文字を多用し、あちらこちらに散乱している文章は英単語の意味を知る必要があるし、英文を理解しなければならないので骨が折れる。

おまけに、そこまでしなければ理解できない文章など歌詞の意味を持たないのではないだろうか。

メロディーに乗せて耳から心にストンと落ちてくるのが良質な歌詞であり、良質な歌だと思うのだが。

だからと言って、詩である以上はそれなりの表現が必要だ。

最近の若い子が作る歌詞は好きだの愛してるだの悲しいだの寂しいだのとダイレクトに伝えるものが大半で、それを詩的に表現している文章にお目にかかったことがない。

同世代の心には届き、染み渡るのかも知れないが、若僧の書く日記に毛の生えたみたいな文章は年寄りの心には響かないし共感も感動もできない。

しかし、一青窈の『ハナミズキ』のように難解な詩だと、やはりその思いも伝わってこないが。

この『ハナミズキ』は 9.11 アメリカ同時多発テロ事件をきっかけに生まれたらしい。

テロに対する怒りの連鎖がとまるようにと祈りをこめて作り、自分や家族、自分の好きな人の幸せだけを願うのではなく、「君」と「君の好きな人」が100年続きますようにとメッセージしたと言う。

それをどこぞのバンドやコブクロのように直接的な文字にするのではなく、詩的に表現したのだろうが、難解すぎても何も伝えられないという大きな欠点を持つものだ。

それほど大きなメッセージ性はなくても思いが込められた詩というのは存在する。

デビュー当時、その出で立ちとタイトルからコミックバンドのコミックソングに近い評価しかなかったサザンオールスターズの『勝手にシンドバッド』だが、よく読めば実に物悲しい。

冒頭の一文、

砂まじりの茅ヶ崎 人も波も消えて

これだけで夏の終わりを表現しているし、あの季節特有の寂しさが伝わってくる。

著作権があるので多くは引用できないが、全体的に夏の終わり、恋の終わりが表現されており、もっとも有名な歌詞へと繋がっていく

今 何時? そうねだいたいね

彼氏、または彼女が時間を気にするのが寂しいのだろう、それゆえにグズグズと答えない

今 何時? ちょっと待ってて

それゆえにグズグズと答えを引き延ばす

今 何時? まだ早い

まだそんなに遅い時間ではない、まだ帰りたくないと言いたいのか。

RCサクセションの代表曲『トランジスタ・ラジオ』も独特の世界観から楽しい歌だと思っている人が多いだろうが、詩を読み込めば失恋ソングだと気づく。

ポカポカ陽気の中、授業をサボって屋上で寝転びながらタバコをふかし、音楽なんかを聴いたりしている自分。

授業中 あくびしてたら 口がでっかく なっちまった
居眠りばかり してたら もう目が少さく なっちまった

そんなだらしなく、口が大きくて目も小さい容姿がさえない自分だから、真面目に授業を受けている彼女とは釣り合いが取れないと。

Ah 君の知らない メロディー 聞いたことのない ヒット曲

ヒット曲というからには何度も流れてくる曲なのだろうが、彼女が聞いたこともないということは一度も一緒にラジオを聞いていないのだろうから、失恋ソングというというより片想いソングなのかもしれない。

他にもRCサクセションの忌野清志郎が書く詩には悲しいものが多く、『雨あがりの夜空に』は車に置き換えているだけで彼女と別れたか喧嘩した夜の情景だろう。

スローバラード』はとても短い詩だが泣けてくる。

あの娘のねごとを聞いたよ ほんとさ 確かに聞いたんだ

別の人の名前だったのか、きっと聞きたくなかった言葉が彼女の口からもれたのだろう。

ぼくら夢を見たのさ とってもよく似た夢を

今までの時間は二人で見た夢に過ぎず、朝になれば終わりを迎えてしまうに違いない。

好みは人それぞれ、直接的な表現が好きな人もいるだろうが、冒頭でも触れたように詩である以上は、言語の表面的な意味だけではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式(Wikipedia)でなければいけないと思うのが、どうだろう。

真性雑感 第十九版

真性雑感 ~目次~

■ 衆参同日選挙

同日選挙の可能性がささやかれているが、マスコミが嗅ぎつけたということは可能性が無きにしもあらずといったところなのだろう。

間違いなく実施される今年夏の参院選が18歳選挙権が適用される初の選挙だと言われていたが、もしマスコミの予想が当たれば人生で初の国政選挙が衆参同日ということになるのだから対象の若者たちは責任重大である。

ここで政治参加の機運が高まり、若者たちが声を上げて行動に移せば世の中も少しは変わるかもしれない。

今までのように自分の意志と思考を投票行動に移すのが年寄りばかりだと政治と税金の使い方は年寄り優先になってしまうが、若者の意志が少なからず当落に影響すると分かれば政治家も考えを改める可能性がある。

以前にも書いたような気はするが、自分はもう年寄りの仲間入りを果たした。

だから年金だの高齢者医療費だのその他の福祉だのに興味が無い訳ではないが、そっちの充実より若者に対して税金を投入すべきだと本気で思っている。

老い先短い爺さんや婆さんへの福祉を充実させるより、貧困層でも公平な教育を受けられるように授業料や給食費は無料にすべきだと思うし、大学の奨学金制度も貸付ではなく返済の義務がない給付制にすべきだと思う。

もっと小さい子供に関しては、保育施設を充実させて待機児童数を限りなくゼロにすべきだ。

『保育園落ちた日本死ね!!!』と題したブログ記事が話題になり、国会で取り上げられた際に与党側から耳を疑うような野次が飛ばされたことが更なる騒ぎとなった上に、夏の参院選で自民党から出馬する予定の山田宏氏がブログ記事に対して
「まぁ、落書きですね。」
「生んだのはあなたでしょう。(育児は)親の責任でしょ、まずは。」
などと言ったりしたものだから主婦層から総スカン、マスコミの集中砲火を浴びる結果となった。

雨降って地固まると言うか、災いを転じて福となすと言うか、怪我の功名と言うべきか、その火消しに安倍政権は必死で、待機児童問題を解決すべく有識者を集めて議論したり保育園の規制緩和を進めようとしている。

待機児童対策に6200億円の予算を投じるというが、訳の分からない社団法人や財団法人を経由して訳の分からない業者を肥えさせる結果になりはしないかと心配してしまう。

実際、前回は5000億円もの税金を使って待機児童をわずか7万人しか減らすことができなかった。

(予算5000億円)÷ (待機児童減7万人)= 一人あたり約715万円であり、もの凄い膨大なコストをかけたことになるのは、途中で訳の分からない業者に吸い上げられているからではないのか。

それならば既存の保育園に直接予算をバラ撒き、施設の増改築、保育士の所得増、保育士の増員を義務付けて児童の受け入れ数を増加させたほうが手っ取り早いだろう。

話しは横道にそれたが、保育園児など幼い子を持つ層も含め、選挙権を持つようになる18歳からの若い世代が政治に参加し、これからの自分たちが住み良い世界を構築してくれるのなら、先の長くない爺さん婆さんは死なない程度に最低限の暮らしさえできたら良い。

■ アメリカ大統領選挙

まだ予備選挙の段階ではあるが、実業家ドナルド・トランプ氏の勢いが止まらない。

彼が共和党の候補者となって本当に大統領に選ばれたらどうなるのかと世界各国が戦々恐々となっている。

しかし、トランプ氏が大統領になることを本当に懸念し、恐れているのは北朝鮮なのではないだろうか。

トランプ氏いわく
「金正恩は頭がおかしい。頭がおかしいか天才か、どちらかだ」
「北朝鮮問題を解決しないなら、中国を潰してしまえ」
「中国に圧力をかけて、北朝鮮問題の処理に着手させる」
とのことなので、北朝鮮サイドとしては由々しき問題だ。

■ TPP

大統領にトランプ氏が選ばれようと、ヒラリー・クリントン氏が選ばれようと、その他の候補者になろうと、誰もが TPPに難色を示しているので暗礁に乗り上げる可能性も否定できない。

日本の農家、酪農家、JAを筆頭にそれを期待する向きもあろうが、どうにも納得できないのはマスコミの態度である。

TPPの内容がまとまり、調印式が行われたのを境に態度が一変したように思う。

それまでは農業に壊滅的なダメージがあるだの何だのと世間をあおっていたくせに、調印後は TPPのメリットを強調し始めた。

そして今、もしアメリカが履行しなかった場合、日本にどれだけのデメリットがあるか語りだし、まるで TPP推進派の代表であるかのような論調だ。

どうやら日本のマスコミに確固たる信念というものはなさそうである。