ショウコノコト

我が母ショウコは見かけも若ければ気も若い。

同世代が一堂に会する場では明らかに浮いており、見かけは実年齢より 10歳、いや、20歳くらい若く見えるのではないだろうか。

白内障の手術は受けたが視力はそれほど悪くない。

さすがに老眼にはなっているので近くのもは見えにくいらしいが、裸眼のまま 2-3メートル離れているテレビを見ているし、画面に表示される文字も問題なく読めているようなので、昔は視力を誇っていたにも関わらず乱視になってしまった自分なんかより遥かに良く見えるのだろう。

10メートル以上離れている家から出てきた人の姿も確認できるし、空に浮かぶ雲、飛んでいる鳥の姿も見えているようなので大したものである。

耳も遠くなく良く聞こえているようで、『お買い物日記』 担当者と自分が交わしているリビングでの会話にキッチンから参加してきたりするので、ないしょで悪口を言うこともできない。

言語だって黒柳徹子より明瞭だ。

一定以上の年齢になると、ろれつが怪しくなったりするものだが、昔よりゆっくり話すようにはなったものの今でも滑舌よくしゃべっているので会話には何の支障もない。

そんな自分を知ってか知らずか、そして自分を何歳だと思っているのか、もの凄く気が若いのもショウコの特徴だ。

先日の入院で同室になった人のことを話すとき、
「窓際のお婆さんが・・・」
などと言ってはいるが、実際には年下だったと思われる。

病室が暑いという話しをしたときも
「病室には年寄りもいるから寒がって・・・」
などと言っていたが、その6人部屋ではショウコが最年長だったに違いない。

とにかく自分が婆さんであるという自覚がないものだから着るものも普通の年寄りとは異なり、ちょっとオシャレなものを好む。

自分が着るものに気を使うものだから人が着ているものにも目が届くらしく、外出着を変えるのが面倒だからと前日と同じ服を着て病室を訪ねると、開口一番
「昨日と同じ服を着て・・・」
などと文句を言われてしまった。

白内障の手術を受けた人は術後に視界が良くなってハッキリ見えるようになり、鏡に写った自分の顔を見てシワの多さに驚くという話しを聞いたので、最初の手術を終えたショウコに言うと、
「まだ片目だけどシワの多さにも顔のたるみにも驚いた」
と言っていたが、よく考えれば今さらシワもたるみも気にする歳ではない。

普通の同じ年齢の人は、とっくにシワクチャのお婆ちゃんであるし、たるみなどという状況ではなく雪崩のように崩れ落ちた肌をしているものである。

テレビを見ていてクランベリージュースが体に良いと聞けば、そこら中の店に電話をかけまくって売っているか聞き、しまいには取り寄せさせて自宅まで配達させるということをやってのける。

昼間に日帰りで利用できる通所介護のデイサービスなどは普通であれば家族が行くように勧めたり手配したりするものだが、ショウコの場合は周りの人が行っているのに興味を持って自分で電話して手続きを済ませてしまう。

同じ話を何度も繰り返すのは他の老人と同じだが、ボケの症状は一切見られず、自分の言ったことは忘れて何度も繰り返すくせに人から聞いた話は忘れないし、日常の様々なことも息子である自分なんかより明確に記憶している。

二度に及んだ廃棄処理の一回目は業者に引き取ってもらわなければいけないほどのゴミの量となったが、その引取料がいくらだったか尋ねると、
「4,760円」
と、領収書も見ずに10円単位まで正確に言ってのけた。

10日前に支払った金額など自分も 『お買い物日記』 担当者も何も見ずに答えることなどできないので、その記憶力に驚いてしまう。

それでも物忘れが多くなってきているらしいのは、一回目の廃棄処理二回目の廃棄処理で分かるように同じものを何度も購入し、それが大量にストックされていることからも明らかだ。

とは言ってもその程度の事であり、だまされて何度も同じ所に送金してしまうとか、買った覚えのないものに金を払うということはない。

根が疑り深い性格なので、振り込め詐欺や悪徳業者からの勧誘、訳の分からない投資話などがあっても簡単には話しに乗らないだろうし、記憶力や頭の回転も鈍っていないので単純に引っかかってしまうこともないだろう。

とにかく我が母ショウコは、とても超高齢だとは思えないスーパー婆さんなのである。

いかにも年寄りで色々なところにガタが来ているようだと、いつまでも一人暮らしをさせている訳にもいかないが、本人に自覚がなく周りの人を爺さん、婆さんあつかいし、独居老人と言われることを嫌うくらい元気でいてくれるおかげで、長男という責任も強く感じず、責務を果たすのはまだ先のことと安心していられるので助かるというものだ。

可能であれば、これからも元気に一人で暮らすスーパー婆さんでいてほしいと切に願う。

廃棄処理 二回目

前回の地獄のような廃棄処理から 10日後の 9月10日、母親がまた新たなものを購入して冷蔵が一杯になっているのではないだろうかという一抹の不安を抱きつつ 2度目の帰省。

挨拶もそこそこに冷蔵庫を確認すると、前回 9月1日に食べていた漬物が残ってはいたものの、それ以外に増えたものはチューブの生わさびと牛乳くらいなもので、冷凍庫に至っては空の状態が維持されていた。

とりあえずは言いつけを守って余計なものは買わず、貰い物も食べきれなければ捨てるということを実践しているようだ。

翌日から再び入院する母親に今回は食器棚を片付けることを宣言し、使わないものは別の場所に移動するから不要な食器はどれか示すように言ったところ、普段使いの 10種類くらいを除いてすべて不要だとの答え・・・。

日が明けた午前中に母親を入院させ、午後からは棚の食器の片付け作業だ。

そこそこ大きな食器棚に入れられているグラス、皿の数は尋常ではなく、いったい何人の客を招いてホームパーティを開催するのかと問いただしたくなるほどであり、
「欧米かっ!」
と超懐かしのツッコミの一つも入れたくなる。

棚の仕切りの下から上までぎっしり詰め込まれた食器は、出しても出しても奥から出てくるため何度も腕を上げ下げせねばならず、おまけに昔のものは瀬戸物にしてもガラスにしても分厚くてしっかり作られているのでズッシリと重く、腕が疲れてプルプルしてくるほどだ。

湯のみ茶碗も一度に 50人の来客に耐えられそうな数に及び、茶を入れる急須もそれに匹敵するだけ棚に詰め込まれている。

今は誰も使わなくなったと思われるコカ・コーラ社の景品でもらったコカ・コーラやファンタのロゴ入りグラス、結婚式の引出物で貰ったと思われる夫婦茶碗もどれだけの夫婦が共同生活しているのかと言いたくなるほど何組も出てきた。

それら不要となった食器は前回の片付けで見事に余裕のできた別の棚に移動し、母親が普段の食事で使うのに必要なものだけ残す。

また、来客用の湯飲み茶碗も急須と揃いのものを 5個程度、それを二組だけ残してすべて片付け、コーヒーカップも 2-3組を残して他はすべて移動した。

これで懸案となっていた食器棚も片付き、ひと安心していると 『お買い物日記』 担当者が
「実は冷蔵庫の野菜室とかも気になってて・・・」
と言い出した。

確かに前回は通常の冷蔵部分と冷凍庫を整理したが、その下段と最下部の野菜室は手付かずのままにしていたのである。

中を確かめると賞味期限切れのものはあったが前回ほどではなく、捨てるものは少ないのは良いのだが、何らかの液や汁がこぼれて固まってしまっているではないか。

白内障で目の前に霧がかかったように見えていた母親は細かい部分まで見えず、冷蔵庫内がどうなっているのか分かっていなかったものと思われる。

このままにしておく訳にもいかないので冷蔵庫の引き出しを外して綺麗にしたところで力尽き、本日の作業はここまでとした。

翌日はこれも前回から気になっていた洗面所の一角を占める部分だ。

二階へと上がる階段の裏側を利用して物を置けるようにしてあるのだが、そこは母親自身も何を置いてあるのか把握できていないという。

『お買い物日記』 担当者がゴソゴソと置いてあるものを引っ張りだしてみると、
「クリーニング屋かっ!」
とツッコミたくなるほどの洗剤が姿を現す。

箱や缶の中からは
「コンビニかっ!」
とツッコミたくなるほどのレジ袋や包装紙も出てきた。

それらを要不要に分け、不要だと思われるものはゴミ袋に入れて廃棄処理。

ある程度早い時間に作業を終え、一息ついていると 『お買い物日記』 担当者が上を見上げ、
「あの棚には何が入っているの?」
と聞く。

キッチンの天井近くに作られ、扉が閉じられたままの棚には何が入っているのか、恐る恐る開けてみると
「厨房かっ!」
とツッコミたくなるほど大量の食器洗い用のスポンジが出てきた。

その他にも前回も多く出てきたポリ袋やらラップ、アルミホイルなども同じような数だけ出てくる。

おまけに謎の袋が何個もあったので開けてみると
「料亭かっ!」
とツッコミたくなるほどの出汁昆布が大量に見つかった。

その他にも塩や砂糖、ザラメや小麦粉、片栗粉にパン粉と、いつから保存されているのか分からないものも次から次へと発掘される。

それらを前回と同様に中身とパッケージを分けて分類し、すべてゴミ袋に入れていく。

それでも今回は生ゴミが小さめの袋で 4つ、燃えるゴミや燃えないゴミを合わせても通常のゴミ収集に出せる量だったので業者を呼ぶ必要はなかった。

ちなみに前回のゴミの処理費用は消費税込みで4,760円。

一万や二万の金が軽く飛んで行くと覚悟していたので驚いたが、しっかりと分別してあったので安く済むと業者が言っていたらしい。

ひどく疲れた分別作業ではあったが、それを聞いて報われた気がした。

前回ほどではなかったが、今回の作業もかなり疲れる作業ではあったものの、これも滅多にすることのない親孝行だと思えば自分自身に納得がゆく。

棚も冷蔵庫も整理されて使いやすくなったのだから、母親には生活するのが不自由になるまで一人で頑張っていただきたいものである。

田舎にて

今年二度目の帰省、それも前回からあまり日をおかずのことなので延々と実家で過ごしているような錯覚におちいる。

ここ、北国の豪雪地帯は冬の雪対策のため道幅が広い。

大阪の道路は車がすれ違うのがやっとという狭い道もあるが、そんな幅だと除雪をしたら道路沿いの家が埋まるか、脇によけた雪で人も歩けなくなってしまう。

こちらの道路は最低でも車が余裕ですれ違える程度の幅があり、ごく普通の道路でさえ 4車線くらいの広さで、交通量の多い道や国道は軽く 6車線、その両側には人が横 6列で楽に歩ける歩道、そしてさらに余裕を持たせて家が建っている。

その建物も高いビルなど存在せず、通常は 2-3階、高くても 5階程度だ。

だだっ広い道に低い家、視界を遮るものがないので空がやけに広く見える。

空気も澄んでいるので夜になれば広い広い空に無数の星が煌めく。

今は分からないが、子供の頃は肉眼で天の川が見られたほどだ。

暗くなると、今の時期は夏の虫と秋の虫が共演し、にぎやかな音を奏でる。

時間がゆっくりと流れているようで、身も心ものんびりしてしまう。

普段の生活ではテレビや音楽など何かしらの音がないと寂しいが、ここではテレビを見る時間も少ない。

食事中も無音のまま、なんやかんやと会話しながら箸を進める。

実に穏やかで優しい時間の中で意識がたゆとう。

•••••。

などと言っている場合ではない!

まだまだ実家の片付け中であり、今こうしている間も 『お買いもの日記』 担当者はドタバタと動き回り、ゴシゴシとあちらこちらを拭いている。

前回も今回も田舎の良さなど実感することなく、バタバタと忙しい毎日を過ごしたりしているところだ。

廃棄処理

これは母親の
「ここにお菓子があるから良かったら食べてね」
という一言に端を発する長い長い戦いの記録である。

8月27日からの帰省では、母親が白内障の手術を受けるため数日間の入院が必要だったので、実家で 『お買い物日記』 担当者と二人で過ごすという、初めての経験が待っていた。

冒頭のセリフは、病院に向かう直前に母親がキッチンにある戸棚を指さして言ったものだ。

病院に行って入院手続きを済ませ、叔母の家で昼を御馳走になってからブラブラと買い物をしたり懐かしい風景を見ながら長い時間をかけて歩いて帰宅し、その疲労感と多少の空腹感から先に聞いていたお菓子でも食べようかと 『お買い物日記』 担当者が戸棚を開けて中を物色すると、とんでもないものが次から次へと姿を現した。

それは、とうの昔に賞味期限の切れたお菓子の数々である。

確かにまだ切れていない物もあるので食べろと言った母親に悪気はないのだろうが、そのまま見なかったことにすることができないほど古いものまで混在しているではないか。

そこで 『お買い物日記』 担当者がはたと気づいた。
「そういえば冷蔵庫でもかなり古いものを見た」

そして、自分もはたと気がついた。
「そういえば冷凍庫で毎年同じものを見かける」

恐る恐る冷蔵庫、冷凍庫を確認すると、驚くほど古い物が奥の奥に押し込められていた。

翌日、病室で賞味期限の切れたものは捨てると母親に伝えたところ、
「うん、いいよ」
と軽く言ってくれる。

捨てられて困るものはないかと尋ねても
「ない」
とキッパリ言い切る始末だ。

それならばと、病院を早目に出て棚の菓子類、冷蔵庫、冷凍庫の食品、キッチン下に収納されている調味料類を徹底的に調べ、賞味期限が過ぎているものの廃棄作業を開始した。

どうやったらこんなに詰め込めるのかと思うほど冷蔵庫の中は食品であふれかえっており、古いものを選別しているとあっという間に大きなゴミ袋 5個にもなってしまったことに戸惑う。

足腰も弱り、体力もなくなった母親が、ずっしりと重いゴミを 5個も 6個も集積所まで持っていけるはずがない。

自分たちが帰るのは月曜日、ゴミ収集日は火曜なのである。

このゴミを捨てるために実家への滞在を一日長くしようかと思わないでもなかったが、これから先を考えるとまだまだ数は増えそうであるし、一般家庭から排出されるゴミの量をはるかに超えるものと予想されるため、家庭ごみを回収してくれる業者はないものかと調べてみると、電話帳には数件の業者が名を連ねていた。

問い合わせてみると一般家庭のゴミも収集可能だが、分別されていることが条件とのことで、分別されていない場合は業者側で作業するので別途料金が発生するということだ。

それならばと、すでに 5袋になったゴミを最初から分別し直し、以降のゴミもプラスチック、ビン、カン、可燃ゴミ、布や金属の埋め立てゴミ、そして生ゴミと細かく分別することにした。

冷蔵庫からは 20世紀に賞味期限が切れ、それから十数年が経過した骨董品に近いものや、得体の知れないドロドロした物体が保存された容器、原型が何だったのか判別不能なほど干からびたものが次々に現れては我々の度肝を抜いてくれる。

別の戸棚からは 136人が虫歯になりそうなほど大量の砂糖、68人の口から火が吹き出しそうな量の唐辛子、74人分はありそうなインスタントのお吸い物、茶碗 186杯分は赤飯が作れそうなアズキの缶詰、723人前以上の煮物が作れそうなだしの素、1019丁の冷奴に使えそうな花かつお、一生使えそうなだけの化学調味料など、老人の一人暮らしとは思えない量が出てきた。

まだ缶切りを必要する時代に作られ、中が膨張して天地が膨らんで開けるのに危険をともなうフルーツの缶詰も大量に見つかって途方に暮れる。

それらを一つ一つ開封し、中は生ゴミ、容器もそれぞれ分別するものだから時間の経過とともに握力を失い、疲労もピークに達してしまった。

作業を中断し、晩御飯を食べて酒を飲み、ドロのように眠る。

翌日も廃棄処理は続く。

53人くらいの子供が喜びそうなあめ玉、41人前はありそうな素麺、29人前くらいのうどん、すでに固形化しているインスタントコーヒーやクリープ、553人分くらいのお茶漬けのもと、325人くらいの年寄りが喜びそうな日本茶、油焼けしてしまって食べることのできない冷凍された肉や魚など、まだまだ出てくるが日が落ち始めたので二日目も終了。

三日目、退院してきた母親に必要か否かを尋ねつつ作業は続く。

何かに使うだろうと保管されていた空きビンやお菓子のカン、もやは何人前になるのか想像もつかないくらい大量な乾燥わかめ、干し椎茸、再び登場したかつお節やだしの素などを開封しては中を生ゴミ、容器を分別という作業を延々と続ける。

途中、前日の作業で捨てるか迷ったラッキョウを母親に見せると
「ああ、それササキさんからもらったの」
と言う。

「ササキさん?・・・」
「あのササキさん?」
「斜め向かいに住んでいたササキさん?」
「むかし良くしてくれたササキさん?」

・・・そのササキさんが娘に引き取られて引っ越し、遠く離れた町で病に伏せ、それがもとで亡くなってしまってからすでに何年も経っている。

「どうしてそんな古いもんを取っておくんだぁ!」
と言うと、
「あることすら忘れてた」
などと平然と言ってのける母親だ。

これでもかというくらい徹底的に棚の中を調べ、怪しい食べ物はすべて廃棄処理したところで少し休憩し、最後に古くなって色が変わってしまった保存容器なども少量だけ残してすべて廃棄処分にした。

最後は力尽きて 5袋ほど分別作業を諦めたが、それを含めると実に総数 26袋、軽トラだと荷台が一杯になってしまうほどのゴミが実家から排出されたのである。

これが、帰宅した翌日になっても疲れがとれず、ボロボロになっていた要因であり、全容だ。

もう二度と残り物を冷凍してはいけない、食べないものは捨てる、おすそ分けをいただいても食べられなかったら捨てる、大袋のものは買わず割高でも小袋のものを買うようにと母親に言い渡して来たが、果たして守っているだろうか。

白内障は両目の手術が必要だが、今回の手術は右目だけだ。

実は来週、12日の金曜日に左目の手術がある。

それに付き添うため 10日から 15日まで再び実家に帰ることにしているのだが、その際に冷蔵庫や戸棚をチェックし、もし食べもしないものが保管されていたらどうしようかと、一抹の不安を抱いたりしているところだ。