ハラスメント

女性閣僚が同日に辞任したり、マタハラ訴訟で同意なしの妊娠降格は違法との判断がくだされたり、元モーニング娘。の矢口真里氏が復帰会見を開いたりと、女性関連の話題にことかかない一週間だった。

よく議論されることではあるが、セクハラの定義は難しい。

同じことをされたり言われたりしても、Aさんなら許せるが Bさんは許せないなど、女性側の一方的な主観、さじ加減によっていかようにでも解釈が成り立ったりする実に曖昧な事象である。

北海道の場合、そして特に自分の場合はあまり男女を意識しない。

それは子供の頃からの環境によるものも大きいと思われる。

幼児の頃から他人の家族と過ごし、そこには年上の女の子が二人いたが年齢的なこともあって男女など意識することなく姉弟同然の接し方をしていた。

小学校では高学年になってもクラスの男女は仲が良く、休み時間など一緒になって遊んでいたところ、他のクラスの男子がうらやましがって教室まで見に来ていたほどだ。

社会人になってからも男とか女とかを意識することなく、恋愛関係もないのに平気で腕を組んで歩いたし、嫌らしい意味ではなく、胸とか尻とか微妙な部分以外へのボディタッチなど日常茶飯事で、肩に手をおいたり褒める時に頭をなでたりなど当たり前の生活をしていた。

女性社員と二人っきりで食事をしたり酒を飲んだりもしたが、自分も、そして女性にも下心など一切なく、彼氏と喧嘩しただの、そろそろ付き合っている彼と結婚しようかと思っているとかいう恋愛相談だったり、仕事の悩みを聞くというのが普通のことだったのである。

それが当たり前だと思っていたというか、あまりにも常識すぎて意識すらしていなかったのだが、大阪に転勤になって同じように女性社員と接していると、周りの男性からそれはセクハラであると注意されてしまった。

その時、女性はどう受け止めていたか分からないが、とても不快な思いをしていたのであれば謝罪しなくてはならないし、セクハラだと訴えられる危険性もあっただろう。

職場において、地位や人間関係で弱い立場の労働者に対して精神的または身体的な苦痛を与えるパワーハラスメント、略してパワハラと言われるものがあるが、その点に関しては自分はむしろ戦ってきた方だと思う。

いまでこそ技術者不足から花型とも言われて高給取りもいたりするが、昔のコンピューター業界は、それはそれはひどい職場環境で、低賃金でありながら過酷な労働を強いられていたものである。

新卒で入社した新人がいつも夜の 8時くらいに退社していたところ、上司から早く帰りすぎだと注意されたという逸話さえ残っているその業界では、プロジェクトの締め切りが近くなると徹夜したり、何日も泊まり込みするのが当たり前でもあった。

締め切りに追われて仕事はキツイ、何日も帰らないから風呂にも入らず汚い、オタク系がそろっているから気持ち悪いという見事な 3K職場でありながら、どんなに徹夜しても会社に何泊しても残業代すら出ないというワンオペで問題になった 『すき家』 よりも過酷な労働だったのである。

それでも会社に文句を言う社員もおらず、裁判に訴える社員もいなかったのは今とは時代が異なるし、技術者どうしが結束することもなく、現状の不満を爆発させるほどのエネルギーすら残っていなかったからかもしれない。

職場などで妊娠・出産に関するいやがらせをしたり、妊娠を理由に退職を強要したり降格人事をしたりするマタニティーハラスメント、略してマタハラに関し、最高裁は妊娠の同意なしに降格するのは違法であると初めての判断をくだした。

男女雇用機会均等法の観点からすれば当然の判断かも知れないが、一方的に女性の立場だけを考慮し、女性の気持ちになって素直に喜ぶことはできない。

『同意なしに』 ということであれば、誰もが降格を喜ぶ訳もなく、何のわだかまりもなく素直に同意するとは思えないし、それが女性であるがゆえの不利益とも一概には思えないからだ。

男性社員であっても長期療養が必要な病気になった際に降格人事されてしまったという話しは山ほど聞く。

妊娠、出産は病気ではないにせよ、仕事を長期離脱することに変わりはない。

また、本人の努力によって地道に出世した地位を妊娠によって奪うことなど許されはしないとは思うが、たまたまの機会によって与えられている地位というのもあるだろう。

コンピュータ業界に良くあることだが、統率力、技術力が認められてチームリーダー、プロジェクトリーダーを任されることがある。

ある仕事全般の管理業務を任されるわけだが、各プログラマーの技量によって仕事を配分したりスケジュールを管理したり、上司との打ち合わせや外部との折衝などもしなければならず、まさにチームやプロジェクトの中心の役割を果たす訳だ。

その立場の人が長期間の戦線離脱は認められないし、もしやむを得ないのであればリーダー職を辞して離脱する他ない。

以前のように牧歌的な企業風土で、社員は全員家族という意識を強く持てるのであれば、妊娠を我が事のように喜び、子は宝なので家族(社員)全員で育てるのは当たり前、母親が出産、子育てで忙しいのであれば皆が協力しあい、助けあうこともできるだろう。

同じように社員が全員家族なのであれば、誰かの親に介護が必要になった際は皆が協力して会社を休みやすくしたり早い時間の帰宅や遅い出社をしやすくすることができるに違いない。

しかし資本主義がまかり通り、政府まで経済界、労働界に対して成果主義の導入を促しているのが現状である今、女性が働きやすい、女性が輝ける社会づくりとは相反しているように思えてならない。

どんなに綺麗事を言ったとしても、妊娠・出産・育児の際には仕事の目標値が下がり、成果をあげられなくなってしまうのは客観的事実である。

他の社員だって自分の目標を達成して成果をあげることを優先するのであれば、他人の仕事を手伝っている場合ではないだろう。

頭の悪い自分には相反するとしか思えない資本・成果主義と女性が働きやすく子育てしやすい環境を両立させて構築する方法は思いつかない。

いい大学を出た優秀な官僚、有識者であれば双方を一度に解決する妙案を提示してくれるのかもしれないが。

真性雑感 第十一版

真性雑感 ~目次~

■ オペレーティング・システム

つくづくマイクロソフトには愛想を尽かしてしまう。

先週の月曜に納品されたパソコンは Windwos 8.1 なのだが、それまでの Windows とがらっと雰囲気が変わってしまったので、以前までできていた操作も簡単にはできずにいる。

画面左下のスタートボタンをクリックすることで様々な機能やソフトウェアを起動することができたのに、クリックするとタブレット操作画面になってしまう。

それもマウスで操作可能なのだが、過去のものとは明らかに違うので戸惑いを覚える。

そして、スマホやタブレットと違ってパソコンの場合は設定項目が多いのは分かるが、それぞれがあまりにも分かりづらい。

もっと直感的に操作でき、もっと設定を簡単にすべきだろう。

こんなことをやっているからパソコン離れがおこり、タブレットにシェアを奪われるのである。

そもそも OS がバージョンアップするたびに買わせるとは何事かっ。

Apple の iOS だって Google の Android だって 7 から 8、3 から 4 になっても新しく購入させることなくアップグレードできるではないか。

使う側が望みもしないバージョンアップを繰り返し、古くなった OS のサポートを打ち切って半強制的に新しいものを買わせるなど、まるで悪徳商法だ。

そんなことばかりやっているから他社に圧倒的なシェアを奪われて、タブレットやスマホでの存在感が薄くなってしまうのである。

■ 火山噴火

戦後最悪の火山災害をもたらした御嶽山での行方不明者の捜索が打ち切られた。

自衛隊、消防、警察ともよく頑張ってくれたと思う。

まだ行方不明な人の家族は複雑な思いだろうが、生死をかけてまで捜索せよとは言えないだろうし、今までも危険極まりない現場で文字通り必死になって捜索してくれたのだから、これ以上の無理はさせない方が良い。

日本人だから、日本の組織だからこそ、ここまでやってくれたのだと思う。

これがあっちの国だったりそっちの国だったりした場合、ここまで徹底した捜索などしてくれなかったに違いないし、これほど丁寧に遺体を下山させてくれなかったと思われる。

なにせ捜査が面倒だからと事故車両を地中深くに埋めてしまったり、家族の涙の訴えを無視するばかりか執拗な訴えに対しては逆上したりするお国柄だ。

日本は治安も良く、もし何かあっても警察が事件を解決してくれるだろうし、海や山で何かがあってもきっと助けに来てくれるだろうし、最悪の場合でも遺体を家族のもとに届けてくれる。

危機感に乏しく避難の呼びかけが遅れたりする自治体も中にはあるが、それだってマスコミが糾弾するので改善されることが多い。

自治体や政治が何をしようと報道規制したり言論統制して何もなかったことにしてしまう、どこぞの国とは大違いだ。

■ 危険ドラッグ

脱法ハーブから危険ドラッグへと悪のイメージが強いように呼び名を変えても、販売する側も買う側も一向に減る気配がない。

もっとインパクトの強い廃人薬とかにしたら良いだろうなどと思いつつ、ネーミングを変えただけではどうにもならないだろうとは思ったりしている。

命を落とす危険性、他人に迷惑をかける危険性が高いと分かっていて、どうして手を出してしまうのか理解できない。

危険ドラッグを吸引した運転手が車から引きずり出されるシーンを以前のニュース映像で見たが、体はグニャグニャで眼の焦点が合わず、よだれを垂らしながらヘラヘラと笑っていた。

それは不気味というか情けないというか、平たく言えばもの凄く格好が悪く、決して親兄弟、友達どころかちょっとした知り合い程度にすら見せたくはない姿だ。

そうなってしまう、いや、そうなる確率の高いものをどうして吸引したいのか。

痴態、醜態をさらしたくない、そんな姿を見せる勇気のない自分には理解できない。

そして、意識障害、嘔吐、痙攣、呼吸困難などを引き起こす確率も高いと分かっていてなぜ吸引するのかという点においても理解不能だ。

気持ちが良くなったりするのであれば話しは分かるが、そうではなく悪い意味で体に変調をきたすことを覚悟してでも吸引したいのはドMだからなのだろうか。

■ 温暖化

近年になって北海道の海でブリが水揚げされるようになったとテレビが伝え、その漁が活況であるとのことだったが、そんなことに喜んではいられない。

かつては捕れなかった海産物が捕れ、農産物が育つなど温暖化とそれによる海水温の上昇以外に考えられないではないか。

今年もあちらこちらで大雨による災害が発生した。

過去最高の雨量という言葉をここ何年も繰り返し聞いている。

4日の雑感に書いたように大気も海水も無限には存在せず、宇宙から見るとほんのわずかな量でしかないのだから、汚すのも温めるのも簡単な事だ。

中国を始めとする途上国は、温暖化の責任は過去に無茶をした先進国にあると主張し、二酸化炭素の排出量を減らそうとしないが、過去には二酸化炭素の排出によって地球が温暖化するなど知らなかったのだから仕方ないだろう。

それが分かった今、排出量を制限するのは地球に住む者の責務ではないか。

勝手なことを言って汚い空気を偏西風に乗せて日本に飛ばしてばかりいないで、もっと環境のことを考えていただきたいものである。

デジタル化の波 Signal-16

デジタル化の波 ~目次~

以前は一方的に提供される情報を手に入れる手段として使われていたインターネットも、最近では子供から大人まで様々な情報を発信し、その情報を共有し、それを評価することも可能だ。

発売された商品が良いものなのか買う必要のないものなのか、その使い勝手、食べ物であれば美味しさや好き嫌いまで主観的意見を発表できるし、購入検討の際にはその評価を参考にすることができる。

飲食店もネットによってあっという間に評判が伝わるので一気に行列のできる人気店にもなれるし、接客態度が悪かったり味がイマイチだったりすると一気に閑古鳥が鳴く状態に陥ってしまう危険性を伴う。

スマホやパソコンを持つ人が店に行く前、何かを買う前にネットで下調べする割合は 70%以上に達しているので商品を作る側、サービスを提供する側も大変だ。

情報をコントロールして良い評価を得ようとする場合、やり方を間違えると逆に猛反発をくらい、それが致命傷となって商品がまったく売れなかったり店であれば閉店に追い込まれるケースも少なくない。

つまりは消費者にとって便利、お値ごろ、美味しいものを作り、店であれば客が満足するサービスを納得いく価格で提供するという王道といえる基本的なことを順守すれば良いということになり、そんなことは当たり前ではないかという気がしないでもないが、最近は些細な事でヒステリックに騒いだり過剰反応するアホも多いので生産者、出店者も神経がすり減る思いをしていることだろう。

店員の接客態度が気に入らないからと言って店長や経営者に土下座させたり、必要以上に罵倒したりするところを動画や写真撮影してネットで公開する大馬鹿者までいる世の中では、お客様は神様ではなくお客さまはモンスターだと思えてしまうに違いない。

近年になって多発している大雨や竜巻による被害も、多くの人が高性能な携帯電話やスマートフォンを持ち歩くようになり、その状況を簡単に撮影してネットで公開できるようになったため、ものすごい臨場感で現場の様子が伝わってくる。

昔の人が怯えたように本当に龍のように見える竜巻が地上のものを破壊し、飲み込みながら目前に迫ってくる映像など偶然にその場に居合せた人しか見られない光景であり、それを多くの人と共有できることなど以前までは不可能だった。

数年前、巨大な隕石がロシアに落下したときも、まばゆい光を放ち、尾を引きながら上空を通過し、その直後に建物が激しく揺れて窓ガラスが飛散するほどの衝撃波に襲われるシーンも、それが前触れなく起こることである以上はカメラマンによる報道写真やニュース映像として記録することは困難だ。

しかし、今は簡単に動画が撮れるのでそれが世界中に配信される。

東日本大震災の津波、つい最近の御嶽山の噴火なども、少し前なら見ることができなかった映像だし、最近になって急速に普及し始めているドライブレコーダーによる事故映像も同様である。

デジタル技術の進歩で撮影機器が高性能化、小型化され、記録媒体も大容量化が進んだことで、以前までであれば大きなレンズの大きなカメラで大きなカセットテープを駆動させる大型の電池を必要としたものが手のひらに乗ってしまうほどになった。

そして、現像も必要なくデジタルデータを簡単にアップロードして全世界に発信できるようになった今、これからも世の中で起こる様々な場面が切り取られて世界中の人に見られるのだろう。

昔、友達や彼氏、彼女との連絡手段は手紙か電話しかなかったので、それはそれは極秘に事を進めるのに苦労を重ねたものであるが、今はパソコンやスマホがあるので親に知られることなく連絡が可能だ。

好きな時間に好きな場所で、いつでもどこでも連絡可能になったことで、待ち合わせ時間や待ち合わせ場所の確認も容易だし道に迷うこともない。

昔であれば待ち合わせ場所に待ち人が来ない場合、ただひたすら待ち続けるか腹を立ててその場を去るしか方法がなかった。

待つ場合でも、その場を離れたときに相手が来たらこまるので公衆電話まで行って連絡することも難しく、近くに電話があった場合でも相手がすでに家を出たあとでは連絡のしようがない。

約束を忘れたのだろうか、寝坊したのだろうか、もう家を出ただろうか、電車が遅れているのだろうか、そもそも約束は今日だったのだろうかなど、様々な思いが頭の中で渦巻き、不安にかられながらもただ待ち続けるしかなかったのである。

今は電波の届く場所にさえいれば簡単に連絡できるので相手の現状が分かるし、あとどれくらい待てば良いのかも分かるので、じっと待っている必要はなく、スマホにはヒマを潰せるアプリが山ほどあるので待つこともさして苦にならないだろう。

とても便利になった反面、ネットいじめのような過去にはなかった問題も多いのは副作用として致し方のないことなのか。

少し前はメール、今はLINEなどですぐに返信しなければならないという強迫観念。

少しでも仲間の機嫌を損ねたら完全に無視されてしまう怖さ。

以前は友達づくりが苦手な人、コミュニケーション能力の低い人でもネットの世界に逃げこむことができたが、今はその世界でさえ疎外されてしまう時代になった。

いったいいつからこんなことになってしまったのだろう。

こんなことで、今の子供達はまともに人間形成されるだろうか。

こんなことが続いた 10年後、50年、100年後の日本は、世界はどんな人間関係でどんな社会が築かれているのだろう。

将来も不安ではあるが、誰かを傷つけないように、誰かに傷つけられないように、嫌われないように、周りから無視されないように、神経質なまでに気を遣って生きなければいけない現代の子供の心を思うと、あまりにも切なくて胸が痛くなってしまう。

スケール

午前中、『お買い物日記』 担当者と話していて思ったのだが、耳から入った情報のみでその大きさや広さ、距離などを想像するのは難しい。

2011年 3月 11日に発生した東日本大震災は今も多くの傷跡を残しているが、あの過剰とも言える加熱報道によって、どれだけの人が不安になり、どれだけ世界に誤解を与えたことだろう。

当時の報道では、あたかも縦長の東北地方の太平洋側、地図で言えば右半分、そこまでではないにしても 1/4、1/3くらいは海水に浸かってしまったと錯覚するような勢いで大騒ぎしていた。

しかし、実際にはかなり大きな地図で見たとしても津波に襲われたのは海岸線から数ミリ程度の距離でしかない。

もちろん、それだって大変な被害ではあるが、まるで日本が津波に飲み込まれてしまったような勢いで報道するから海外メディアも驚いてしまい、国によっては日本への渡航規制を出すような騒ぎになってしまったのではないだろうか。

同時に発生した福島第一原子力発電所事故でも放射能、放射線がどうしたとか、どこの地域では何ベクレルを記録しただのと大騒ぎしたものだから、外資系企業が会社を閉鎖したり、日本で働いていた人が海外へ脱出する騒ぎになってしまったのだろう。

まるで福島県そのものが廃墟と化し、日本地図から福島県がなくなってしまったような勢いの報道が続いたが、実際には東北六県の中で最も面積が広く、海も含む半径 20キロは福島県全体からすればほんの一部にすぎない。

したがって、福島県産というだけで作物などを拒絶する必要などまったくないのにマスコミの過剰報道によって一切の出荷が停止されてしまった。

また、出荷した所で買い手がなく、廃棄されてしまうという悲しい現実も目の当たりにしたものだ。

そして、福島県全体が放射能に汚染されてしまったかのような錯覚を覚える過剰報道の余波で福島という地名がつくだけで観光などのキャンセルが相次ぎ、客が激減したものだから継続不能になってしまう事業者も多かった。

1997年、諫早湾干拓事業の潮受堤防の締切りでは、鋼鉄製の 300枚近い水門がまるでギロチンのように海に突き刺さっていくニュース映像が流され、全国に大きな衝撃を与えた。

あの豊かな有明の海がギロチンによって干上がり、生態系に壊滅的な被害をもたらし、風光明媚だった有明の観光事業にも大きな影を落として有名だったハゼ科のムツゴロウを釣ることもできなくなるとマスコミは伝えた。

その報道を見聞きしたとき、まるで有明海の入り口がギロチンによって塞がれ、有明湾そのものが消えてなくなるのではないかと思った人も多かっただろう。

しかし、実際には有明の諫早湾、それもその奥の部分なのでムツゴロウが絶滅するわけでも、それを釣るムツかけ漁がなくなるわけでもない。

国際宇宙ステーションがある宇宙空間は地表から 400Kmだ。

400Kmといえば、ちょうど直線距離で大阪-東京間である。

では宇宙はどこからかと言えば、地表から 100Km程度なので大阪からだと直線距離で滋賀県の彦根あたりか。

その直線を地図上に垂直に立ててみても驚くほど近い距離であり、それを世界地図、地球儀なのでやってみると地表から数ミリでしかない。

感覚的には地球を野球ボールやリンゴ程度の大きさと仮定すると、成層圏は少なくとも 1センチ程度はあるのではないかという気がするが、実際にはリンゴ程度の大きさだと 1ミリにも満たないのではないだろうか。

つまり、成層圏はその程度のものであり、それだけでしかないのだから、大気汚染などによって地球環境に大きな変化をもたらすのも当然だし、地球の空気を汚すことなど実に簡単なことだ。

成層圏でさえ地表から 100Km程度なのに、海の深さはそれの 1/10でしかない 10km程度が最深部と言われている。

つまり、世界地図を広げても深さは 1ミリあるかないか、リンゴだとちょっとしたキズやへこみより浅く、そこに水がへばりついているような感じだろう。

したがって、海を汚そうと思えば簡単に汚染できるほどの量しか地球には水が存在しないということだ。

マスコミは小さなことを大げさに騒いで見る側に実際より大きく錯覚させるような報道をするよりも、無限にあるように思えて実は有限で、それは思ったよりも少なかったり小さかったりするので大切にしなければならないと多くの人に知らしめるべきではないだろうか。